不安
憂鬱な気持ちの中、自室の襖を開ける。
目の前の光景に私は目を疑った。
なぜなら
そこには、私の部屋で何故か寛ぐ久坂さんの姿があったからだ。
「随分と遅かったな。お蔭で待ちくたびれてしまったよ」
久坂さんは私の姿を見るなり、ゆっくりと起き上がる。
「で、久坂さんがどうして此処に居るの?」
「どうして? それはだなぁ……美奈が戻った時に出迎える者が居なければ、淋しいかと思ってだな」
「……どうぞお帰り下さい」
私は満面の笑みで言った。
「……そんなに怒ることはないだろう? これも良かれと思ってやったことなのだが?」
「怒ってないし、全く良くもないし」
「いや、その表情は怒っているな」
「怒ってないから!」
「怒っている!」
「怒ってない……って……もう、知らない!」
私は久坂さんから顔を背けると、深い溜め息をつく。
「で? ……文はどうだった?」
「どうだったかと言われても……」
文さんは悪い人ではないが、少し苦手なタイプではあった。
返答に困った私は俯く。
「何か……嫌味の一つでも言われたのか?」
「いや……そんなことはないんだけど……」
「しかし……何やら浮かない顔をしているではないか」
「そう……ね。強いて言えば、この時代の人の考えと私の考えが違い過ぎて……私なんかがこんな時代で上手くやって行けるか……不安になっちゃったの」
この時代に来てから、初めて誰かに弱音を吐いた。
不安が多く、もう既にその不安に押し潰されてしまいそうだ。
「……そんなにも違うのか? これが普通と思って生きている私には、その感覚は分からぬな」
不思議そうに尋ねる久坂さんに、私は返事の代わりにコクりと頷いた。
「やっぱり、私……元の時代に帰りたい。何だか……この時代で上手くやっていける自信が……無いよ」
堪えていた言葉と涙が溢れ出る。
「……生きる時代が異なれば、思想が異なるのは当然だ。それは仕方のない事。それに……この時代での暮らしも、まだほんの数日ではないか。日が経つにつれ、お前もその内きっと慣れると思うのだがな?」
久坂さんは微笑み、私に諭すかのように静かに言った。
「でも……私の存在は、久坂さんや他の人々にとって……きっと迷惑になる。何も出来ないだけじゃない、此処に居られる程の価値もないもの」
「……そんなことはないさ」
久坂さんはキッパリと否定すると、私をふわりと包み込んだ。
「っ…………離して!」
「お前が泣き止んだら……な」
「もう……泣き止むもん」
「……泣きたいなら我慢せず泣く方が良い。辛い想いも全て吐き出してしまう方が、きっと楽になれる」
久坂さんの言葉に、余計に涙が止まらなくなる。
「久坂さんは……ズルいよ」
「フフ……こうでもしなければ、お前に触れられぬからな?」
「…………久坂さんのバカ」
「馬鹿で結構!」
久坂さんは柔らかく笑う。
「言っておくけど、私……妾になんかならないからね?」
「分かっている。嫌がる女を無理に手込めにするような趣味は、私には無い」
「そっか……」
「私はじっくり攻める方が好きだからな。それも、落とし甲斐のある娘の方が断然燃えるというものだ」
「っ…………変態!」
「なっ!?」
慌てる久坂さんに、私は思わず笑顔になる。
馬鹿みたいな事を平然と言う姿は、何だか憎めない。
「やっと……笑ったな」
久坂さんは、着物の袖で私の涙をそっと拭った。
「それにしても……お前は本当に不思議な奴だな」
「私が……不思議?」
「高杉も驚く程の気の強さなのに……そうかと思えば、そんな表情をする。強がっては居ても、やはり……お前も女なのだな」
「何それ……それって、褒めてるの? 貶してるの?」
「勿論、褒めている」
「何だか、貶されてるみたいなんですけど……」
私は頬を膨らませる。
「本当に……お前から目が離せなくなりそうだ」
「はいはい……そりゃ、どーも!」
軽く言うと、私は久坂さんから離れた。
「何だ、もう終わりか?」
「泣き止んだから、おしまい! ……でしょう?」
「お前は本当につれないなぁ……まぁ、そんな所も良いのだが?」
「冗談はもう結構です! さて……私はそろそろ寝ようかな」
「そうだな。お前も長旅で疲れただろう? 今宵はゆっくり休むと良い」
久坂さんは微笑むと、医術の講習に使う部屋とは反対側の部屋の襖を開けた。
講習部屋と久坂さんが開けた部屋とは、私の部屋を真ん中にして、襖を隔てて三部屋が続き部屋となっている。
おかしなことに、久坂さんはその部屋に布団を敷き始めた。
「何……してるの?」
「何って、見ての通り布団を敷いているのだが?」
「布団って、そこ……久坂さんの部屋だったの?」
「お前は可笑しなことを言うなぁ。この部屋も何も……この家の部屋は全て私の部屋だが?」
真剣な表情で答える久坂さん。
「そうじゃなくて! 私の部屋の隣が久坂さんの寝室なのかって聞いているの」
「あぁ……そういうことか。いつもは母屋の方で寝ているが、今夜からこちらを私の寝室とすることとしたまでだ」
「はぁ!?」
「うちの敷地内とは言え、こんな離れに美奈を独りきりで寝かせる訳にはいかないだろう?」
「そんな気遣いは要りません! むしろ独りで結構よ」
「そういう訳にはいかぬ。何せ、夜は物騒だからな。野党でも訪れては困るだろう?」
「っ……野党なんて……出るの?」
私はおそるおそる尋ねる。
「この辺りは、藩士の屋敷も建ち並ぶからな。時折、そういった類の話を聞く」
野党……。
そう聞くと、夜にこの離れで独りきりになることが恐ろしく感じた。
「言っておくけど……夜中にその部屋からこっちには、絶対に来ないでよね? ここから勝手に入ってこないこと! 約束しなさいよね?」
私は久坂さんに念を押す。
「…………心得た」
久坂さんは少し残念そうに呟いていたが、そんな事は私の知ったことではない。
どうか……
野党なんて、現れませんように!
その夜の私は、ドキドキしながらも眠りについた。




