~挑戦者その一、石作の皇子~
『なほ、この女見では、世にあるまじき心地のしければ、
「天竺にある物も持て来ぬものかは」
と、思ひめぐらして、石作の皇子は、心のしたくある人にて、
「天竺に二つと無き鉢を、百千万里のほど行きたりとも、いかでか取るべき」
と思ひて、かぐや姫のもとには、
「今日なむ天竺へ石の鉢取りにまかる」
と聞かせて、三年ばかり、大和の国十市の郡にある山寺に、賓頭蘆の前なる鉢のひた黒に墨つきたるを取りて、錦の袋に入れて、 作り花の枝につけて、かぐや姫の家に持て来て見せければ、かぐや姫あやしがりて見れば、鉢の中に文あり。ひろげて見れば、
海山の路に心を尽くし果てないしの鉢の涙流れき
かぐや姫光やあると見るに、蛍ばかりの光だになし。
おく露の光をだにもやどさましを小倉の山にて何もとめけむ
とて、返し出だす。鉢を門に捨てて、この歌の返しをす。
白山にあへば光の失するかと鉢を捨ててもたのまるるかな
と詠みて入れたり。かぐや姫返しもせずなりぬ。耳にも聞き入れざりければ、言いひかかづらひて帰りぬ。かの鉢捨てて、また言ひけりよりぞ、面なきことをば、
「はぢを捨つ」
とは言ひける』
(ひどい難題を出してけむに巻こうとする女だが、それでもなお、あのかぐや姫と言う女を手に入れる事が出来なければ、この世にいるとは思えないような、悔しい心地をさせられるに違いない。そう思った石作の皇子は、
「インドだろうが、どこだろうが、珍しい石鉢とやらを、持って来ぬものか!」と意気込んだ。
それにこの石作の皇子は、結構要領が良いので、
「インドにさえ二つとない珍しい鉢だ。百千万里も探したからと言って、そう見つかるものじゃないだろう。もちろん姫が本物を見た事なんてないはずだ。所詮しがない身の上の女の事。どこかで聞きかじった話から、適当にその名を出したにすぎないはず」
そう考えると、本気で探しに行くのは馬鹿らしいと思いながらも、
「今日からインドへ石の鉢を求める旅に出てまいります」と姫に伝えておいた。
そして三年ほど経つと、皇子は大和の国(奈良)十市の郡にある山寺の、お釈迦様の弟子とされる、十六羅漢の一人、賓頭蘆の像の前に、真黒になるほど墨のついた鉢があるのを手にとって、錦の立派な袋に入れて、造花の枝に結びつけると、それを持ってかぐや姫の邸に意気揚々とやってきて、早速その鉢をかぐや姫に見せた。かぐや姫は皇子がやすやすと持ってきたことを不審に思いながらも鉢の中を見ると、文が入っている。広げて読むと、
「海山越えて、心のすり減るような思いで筑紫から、果てのない旅をしてこの鉢を探したので、血の涙が流れるばかりです」と、その苦労が歌いあげられている。
ところが歌の文句とは裏腹に、この鉢には不思議な光が宿っているはずなのに、かぐや姫が光はどこに見えるのかしらといくら目を凝らしても、蛍の光ほどの輝きさえなかった。
「せめて草の葉に乗る露くらいも光でもあったならね。小倉山まで一体何をお求めになりに出かけたのかしら」
姫はそう皮肉を和歌で歌い、鉢を突き返した。皇子がインドには行かずに、こっそり奈良に行ったことなど、かぐや姫は知っていたようだ。
姫を騙そうとしていた事が、とっくにばれていたと知った皇子は、帰り際に返された鉢を姫の邸の門前に捨てて、こんな意味の歌を返した。
「白山のように輝くあなたの美しさに鉢の光も失せてしまったと思い、鉢を捨ててしまいました。こんな恥ずかしい思いをしても、あなたの心が私に傾くことを、期待しているのです」
そう詠んで姫に贈ったが、かぐや姫は返事もしない。何を言っても耳に聞き入れてはもらえないのだと悟り、皇子はこれ以上の言葉をかけることなく、帰って行った。
そんな訳で、あの鉢を捨てるような目にあっても姫に求婚の歌を贈ったことから、面目の立たないことをしても、ずうずうしくいられることを、
「恥(鉢)を捨てる」
と言うようになったとか)
***
皇子は姫を「どうせ女」と見くびっていました。当時女性は見識を深めるようなことはせずに、おとなしく親や夫に従って、何の行動も起こさない事がつつましやかで女らしいとされていました。親や夫の労をねぎらう事はあっても、男の仕事に耳をそばだてたり、世間で何が起っているか、世の中にどんな物があり、どんな世界が広がっているかに女性が関心を寄せるのは、はしたない事とされていましたし、たとえ耳にしても気に留めたりせずに黙っているのが女らしさだと思われていたのです。
それに女が出しゃばったり、こざかしそうにする事を男性はよく思いませんでした。そして女性にはそういう事は向いていないから、「女は世間知らず、物知らず」と言う思い込みがあったんです。
だから石作の皇子も、かぐや姫が女のくせに中途半端な知識で注文をつけただけだと思い込み、逆に騙してまんまと姫を手に入れようと考えました。
ところが姫は、その鉢には不思議な霊力が宿っていて、光を放つと言う事を知っていました。
それに皇子が「インドに行く」と言っておきながら出国する気配も見せず、三年経ったある日コソコソと小倉山の方に向かい、その直後にこの鉢を持ってきたことに気づいていました。
しかもその鉢は古ぼけて、よほどはやっていないお寺から盗んで来たのか、すっかりすすけて真っ黒くなっています。不思議に光るありがたい鉢とは似ても似付きません。
すっかり見破られていると知った皇子は、面目丸つぶれにもかかわらず、なおも姫に求婚したので、鉢を捨ててまで厚かましくいることを、恥を捨てると言うようになったと作者は言っています。これもこの作者お得意の冗談です。
でも、この皇子の姫に贈った歌は、なかなかしゃれの利いた凝った歌です。
「尽くし」と「筑紫」、「ないし(石)」と「泣きし」、鉢の「ち」と「血」がそれぞれ掛けあわされていて、さらに「な石の鉢」「涙」「流れ」と、言葉の頭音を「な」で三つそろえてリズムを作っています。(頭韻と言います)
そしてその後のいい訳の歌も、姫を光り輝く白山に例えて、どんな霊験あらたかな光よりも姫が美しいのだと上手く持ちあげています。
姫のご所望が「素晴らしい和歌」であったなら、この皇子も少しは面目が立ったことでしょうにね。病気の人が病と同じ所をなでると治ると言われる賓頭蘆の像に、お食事をお供えする鉢を勝手に盗む罰当りなことをして、恥をかいたのも当然かもしれません。