第3話:NPC相手の苛烈な与信審査。あるいは、サプライチェーンの完全掌握
ゲーム開始から2時間が経過した頃。私は、始まりの街・アルカディアの裏路地を歩いていた。
視界の端に表示されるシステムログには、先ほど「機材リース契約(初期費用ゼロ、利益40%天引き)」を結んだ3名のプレイヤーからの上納金が、秒単位でチャリンチャリンと流れ込み続けている。
彼らが血と汗を流してスライムを狩るたび、私のインベントリには金貨と素材が積み上がっていく。何という美しいキャッシュフローだろうか。これぞ資本主義の完成形である。
「さて、視聴者の皆様。初期投資の回収は順調ですが、これだけではただの『小金持ち』です。10億円の賞金レースを制するには、市場そのものを支配し、他の96名のプレイヤーから合法的に富を吸い上げる巨大なスキームが必要です」
【コメント】
:まだやるのかよwww
:もう十分稼いだし装備整えてボス行けよ!
:おっさんの行動、完全にMMOのそれじゃないんだよな
「自ら剣を振るうなど、リスク管理の観点からあり得ません。私が狙うのは、次なる需要の『独占』です。これからプレイヤーたちが第一層のボスに挑む際、絶対に必要となるリソース。……そう、『初心者用ポーション』の流通網を掌握します」
私は、大通りから一本入った場所にある立派な石造りの建物の前で足を止めた。
看板には『金秤商会・アルカディア支部』とある。
この街のアイテム流通の8割を握る、NPCの巨大商業ギルドだ。
中に入ると、カウンターの奥で恰幅の良い男が帳簿と睨めっこをしていた。
第1話で私がチンピラから助け(て、法外な手数料を巻き上げ)た商人、マルクス氏である。
「やあ、マルクス支店長。お仕事中失礼します」
「ん? あ、あんたは……!」
私の顔を見るなり、マルクスはビクッと肩を震わせ、営業スマイルを引き攣らせた。
無理もない。つい数時間前、彼から全財産の半分を合法的に巻き上げたばかりなのだから。
「ど、どうしたんだい旅のお方。今日は一体何の用で……。悪いが、もうあんたに払える手数料はないよ」
「ご安心ください。本日は借金の取り立てではなく、極めて優良な『ビジネスパートナー』として、御社に大型の取引を持ちかけに参りました」
私はカウンターに歩み寄り、インベントリから皮袋を取り出してドンッと置いた。
中には、リース事業で搾取した金貨がぎっしりと詰まっている。
ジャラリ、という重たい金属音に、マルクスの目の色が変わった。NPCとはいえ、彼らは独自の思考AIを与えられた商人だ。金には敏感に反応する。
「ほう……。取引、と仰いますと?」
「単刀直入に申し上げます。向こう3日間、貴商会がこの街で取り扱う『初心者用ポーション』の全在庫、および錬金術ギルドからの新規入荷分を、すべて私に卸していただきたい」
私の言葉に、マルクスは目を丸くした。
「す、すべてだと!? 馬鹿なことを言うな。初心者用ポーションは、今街に溢れている『異邦人』たちに向けた主力商品だぞ。それを一人の個人に卸すなど……」
「おいくらですか?」
「え?」
「店頭での小売価格は一つ50Gですよね。では、私がすべて『60G』――つまり定価の2割増しで買い取りましょう」
マルクスが息を呑む音が聞こえた。
【コメント】
:は!? 定価より高く買うの!?
:転売の基本は安く買って高く売るだろ、おっさん何考えてるんだ
:バカなの? 損するじゃん
コメント欄の素人たちは騒いでいるが、私は気にせず言葉を続ける。
「マルクス支店長。御社が小売りをする場合、店番のNPCの人件費、在庫を保管する倉庫の維持費、そして何より『売れ残るリスク(不良在庫)』を抱えることになります。しかし、私が全量買い取れば、そのコストとリスクは『ゼロ』になります。その上で、利益率は通常より20%も跳ね上がる。……商人として、このキャッシュフローの改善提案を断る理由がありますか?」
「そ、それは……確かに、目先の利益としては莫大だが……」
マルクスのAIが、猛烈な勢いで損得勘定を計算しているのがわかる。彼の額に汗が滲んできた。
「しかし、駄目だ! そんなことをすれば、街のアイテム屋からポーションが消える! 冒険者ギルドからの信用を失ってしまう!」
なるほど、流石は最新のAIだ。目先の利益だけでなく、レピュテーション(風評)リスクまで考慮に組み込んでいる。
だが、銀行員はその程度の反論、百も承知だ。
「信用、ですか。マルクスさん、少しマクロな視点で市場を見てみましょう」
私は極上の営業スマイルを浮かべ、彼に顔を近づけた。
「現在、この街にいる異邦人たちは、数日以内に必ず第一層のボスを倒し、次の街へと去っていきます。彼らはこの街の『永続的な顧客』ではありません。一過性の特需です。たった数日の間、彼らからの信用を失ったところで、貴商会の長期的な屋台骨は揺らぎません。むしろ、この特需で莫大なキャッシュを得て、王都への進出資金に充てる方が、商人としての『正解』ではありませんか?」
「うっ……」
「それに――」
私はここで、声のトーンを一段階、冷酷なものへと落とした。メガバンク時代、融資の引き剥がしを通告する際に使っていた、あの声だ。
「もしこの提案をお断りになるというのなら、私はこの潤沢な資金を持って、向かい通りにあるライバルの『銀狐商会』へ行くだけです。彼らに資金を融資し、ポーションの価格競争を仕掛けさせましょう。資金力に勝る彼らが原価割れでポーションを売り始めれば……貴商会は在庫の山を抱え、ひとたまりもなく倒産するでしょうね」
マルクスの顔から、スゥッと血の気が引いた。
アメとムチ。莫大な利益の提示と、競合他社を使った破滅の脅迫。
完全没入型VR空間において、極限までリアリティを追求されたNPCの感情パラメーターが、恐怖と強欲の間で激しく揺れ動いている。
【コメント】
:ヒエッ……
:ヤクザの手口やんけ!!!
:NPC相手にガチの経済戦争仕掛けてて草
:マルクスさん可哀想になってきた
:完全に悪徳商社マンの顔してるぞこのおっさん
「さあ、マルクス支店長。決断の時です。私と共に莫大な利益を享受し王都へ進出するか、それともつまらない信用のために、この街で野垂れ死ぬか」
私はシステムウィンドウを操作し、『取引契約書』を作成して彼の前に提示した。
【契約内容】
・金秤商会は向こう3日間、取り扱う初心者用ポーションの全量を田宮二郎に単価60Gで卸すこと。
・本契約に違反し、他者にポーションを一つでも販売・譲渡した場合、違約金として『100万G』を支払うこと。
「……っ! わ、わかった! あんたの勝ちだ、契約しよう! だが、異邦人たちから恨みを買っても、うちは一切関知しないからな!」
恐怖に負けたマルクスは、震える手で契約書の『承認』ボタンを押した。
ピロン、という電子音と共に、システムログに【独占販売契約が成立しました】という文字が輝く。
「ご契約、誠にありがとうございます。今後の御社の益々のご発展を祈念しております」
私は深々と頭を下げた。
直後、商会の裏手から荷馬車が到着し、システムの自動処理によって、数千個に及ぶポーションが次々と私のインベントリへと吸い込まれていく。
手持ちの資金はすっからかんになったが、痛くも痒くもない。
「さて、視聴者の皆様。これで仕込み(クロージング)は完了しました」
私は店を出て、抜けるような青空を見上げた。
インベントリには、この街に存在する実質すべてのポーション。
まさに、市場の『買い占め』の完了である。
「現在、トップ層のプレイヤーたちが第一層のボスに挑むべく、アイテムの準備を始めている頃でしょう。しかし、彼らが街の店を回っても、ポーションは一つも手に入りません」
【コメント】
:えっぐい
:これマジでこの後どうなるんだ……
:ボス前でみんな絶望するぞ
:10億かかってるから、意地でもポーション欲しいはずだもんな
「ええ。需要は最高潮に達し、供給は私一人に絞られた。この状態を経済用語で『独占』と呼びます。価格決定権は、完全に私が握りました」
私はスーツの袖を直すように、初期装備の布の服の袖口を整えた。
「さあ、ボス部屋の前に特設店舗を構えましょう。彼らトップゲーマーたちの『命の値段』を、私が決めて差し上げます」
剣も魔法も使わない最弱の盗賊が、圧倒的な金融知識と交渉術だけで、10億円のゲームバランスを根底から破壊しようとしていた。




