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第1話:元銀行員、コンプライアンスの存在しない世界へ

「……よし、機材の接続よし。配信プラットフォームへのリンクも正常に稼働しているな」


 六畳一間の薄暗いアパート。私は無骨なフルフェイスヘルメット型のデバイスを前に、独りごちた。

 完全没入型VR機器のテストモデル。現在、VR技術は研究機関でのみ運用される代物だが、とある世界的ゲーム機器メーカーが、次世代技術のショーケースとして世界初のVRMMORPGを発表した。


 タイトルは『アスタラビスタ・オンライン』。

 一般販売はされず、全世界で選ばれたテストプレイヤーはたったの『100人』。


 参加条件は二つ。

 一つ、プレイ中の全映像をライブ配信し続けること。

 二つ、視聴者数と再生時間に応じた莫大な広告収益を還元する代わり、ゲームクリアを目指して他のプレイヤーと競い合うこと。


 そして最速でゲームをクリアした者には、賞金『10億円』が支払われる。

 参加者の大半は、スポンサーのついたプロゲーマーや、登録者数百万人を誇るトップ配信者たちだ。


「……34歳、無職。元メガバンク法人営業。どう考えても場違いだな」


 私は自嘲気味に笑いながら、デバイスを頭から被った。

 田宮二郎たみや・じろう。それが私の名前だ。

 新卒から12年間、身粉にして働いてきたが、支店長が強行した不正融資の責任をすべて被らされ、いわゆる「トカゲの尻尾切り」で先月、自主退職に追い込まれた。

 再就職先も見つからず、手元の資金が底をつきかけた折、ヤケクソで応募したテスター枠に、なぜか当選してしまったのだ。


「失うものは何もない。金融庁の目も、面倒なコンプライアンスもない世界で、存分に稼がせてもらうとしよう」


 深呼吸を一つ。

 私は、配信開始のボタンと同時に、ゲームへのログインスイッチを押した。


『――System Link Start』


     ◆ ◆ ◆


 視界が真っ白に染まり、次いで石畳の硬い感触が足裏に伝わってきた。

 鼻を突くのは、埃とスパイスが混ざったような異国情緒あふれる匂い。肌を撫でる風の温度まで、完璧に再現されている。


「これが、完全没入型VR……。圧倒的ですね」


 降り立ったのは、『始まりの街・アルカディア』の巨大な噴水広場だった。

 周囲には、中世ヨーロッパ風の衣服を着た人々が行き交っている。彼らは皆、独自のAIと人格を与えられたNPCたちだ。


 視界の隅には、半透明のコメント欄が浮かび上がっている。

 配信はすでに始まっていた。


【コメント】

:お、始まった

:誰このおっさん?

:プロゲーマーの配信回る前にちょっと覗きにきた

:初期装備の布の服が似合いすぎだろw


 数人の物好きな視聴者が訪れたようだ。

 私はカメラ(視界)に向かって、現役時代に数え切れないほど繰り返した、完璧な四十五度の営業スマイルで一礼した。


「皆様、本日はお忙しい中、当チャンネルの初回配信にご参加いただき誠にありがとうございます。田宮二郎、34歳です。本日からこの『アスタラビスタ・オンライン』にて、効率的な資産形成を行っていきたいと存じます。何卒、よろしくお願い申し上げます」


【コメント】

:資産形成www

:ゲーム実況の挨拶じゃねえw

:リアルすぎる社畜ムーブやめろ

:てか職業何選んだの?


「職業ですか? もちろん、『盗賊』でエントリーさせていただきました」


 私がそう答えると、コメント欄が少しだけざわついた。

 アスタラビスタ・オンラインには戦士、魔法使い、僧侶など、王道の職業が用意されている。その中で、盗賊は極めて不遇な職業とされていた。

 戦闘力は低く、魔法も使えない。唯一の長所は『盗む』スキルだが、ゲーム序盤でNPCからアイテムを盗めば衛兵に捕まり、莫大なペナルティを食らうと事前情報で告知されていたからだ。


【コメント】

:うわ、最弱職選んでるよこのおっさん

:他所の配信見たら、みんな戦士か魔法使いだったぞ

:10億かかってるのに舐めプか?

:1時間で詰みそう


「皆様、ご懸念には及びません。我々銀行員という生き物は、いかに自身のリスクを抑え、ルールの範囲内で利益を最大化するかを考えるプロフェッショナルです。初期投資ゼロからレバレッジを効かせるには、この職業が最適解なのです」


 私はニヤリと笑い、噴水広場から路地裏へと歩き出した。

 他の99人のテスターたちは今頃、街の外に出てスライムやゴブリンを狩り、チマチマと経験値と小銭を稼いでいることだろう。

 だが、そんなものは労働集約型の最たるものだ。時間対効果が悪すぎる。


「真の資本主義において、最も効率よく稼ぐ方法は『自ら汗を流すこと』ではありません。既存の資本の移動に介入し、適切な手数料をいただくことです」


 私は薄暗い路地裏を歩きながら、ターゲットを探した。

 やがて、酒場の裏手にある荷下ろし場で、ひとりの身なりのいい太ったNPC商人が、チンピラ風のNPC三人に絡まれているのを発見した。


『頼む! その積荷だけは勘弁してくれ!』

『うるせえ! 借金のカタだ、全部置いてきな!』


 典型的な、お使いクエストの発生イベントだ。

 通常であれば、プレイヤーがチンピラを倒し、商人からお礼のアイテムと少額の金貨を受け取る。それがRPGのセオリーだろう。


【コメント】

:お、イベント発生!

:おっさん、出番だぞ!

:盗賊の初期ステじゃ三人相手は無理ゲーだろ

:とりあえず助けてやれ!


「助ける? なぜですか? 私は彼と何の契約も結んでいませんよ」


 私は壁の影に身を隠し、初期スキルである【隠密】を発動した。

 気配が薄れ、周囲のNPCから認識されなくなる。そのまま足音を殺し、争っている彼らの背後へと忍び寄る。


「皆様、よく観察してください。あのチンピラたち、商人の荷車から『高級そうな金時計』や『宝石箱』を力尽くで奪い取って、自分のポケットにねじ込んでいますよね?」


【コメント】

:たしかに

:それがどうした?


「事前の利用規約の隅に、こう記載されていました。『犯罪者属性のNPCからスリを行っても、システム上の犯罪ポイントは加算されない』と。つまり、あのアイテムの所有権が不当とはいえ一時的に『犯罪者』に移った今が、ノーリスクで介入できる最大のチャンスというわけです」


 私はチンピラの一人の背後に密着した。

 彼らは商人を足蹴にすることに夢中で、背後の私に全く気づいていない。


「では、仕事にかかります」


 私は息を吐き、もう一つの初期スキル【スリ(Lv1)】を発動させた。

 システムのアシストにより私の手が霞み、チンピラのポケットから次々と先ほどの金時計と宝石箱を抜き取っていく。

 システムログに『純金の懐中時計を入手しました』『サファイアの指輪を入手しました』という文字が小気味よく流れる。


【コメント】

:え?

:ファッ!?

:おいおいおいおい

:あいつらから直接スッたぞwww


「さて、目的の品は確保しました。このまま立ち去って売却してもいいのですが、せっかくの機会です。もう少し利益を上乗せしましょう」


 私は【隠密】を解き、わざと大きな足音を立てて路地裏の奥へと駆けた。

「衛兵さーん! こちらで強盗事件が発生していまーす!」


『なっ!? ちっ、衛兵が来るぞ! ズラかるぜ!』

 私の叫び声に焦ったチンピラたちは、商人を放置して慌てて逃げ去っていった。


 残されたのは、ボロボロになってへたり込む太った商人だけだ。

 私はこの上なく人畜無害な、営業スマイルを浮かべ、彼に歩み寄った。


「お怪我はありませんか、商人さん。いやはや、大変な目に遭われましたね」

『あ、ああ……助かったよ、旅のお方。だが、私の全財産が奴らに奪われてしまった……これで取引先への支払いが滞ってしまう……!』

「おや、それは由々しき事態ですね。信用問題に関わります。ですがご安心ください。実は私、逃げていく彼らと接触し、奪われた荷物をいくつか取り戻してきたのですよ」


 私はインベントリから、先ほどスリ取った『純金の懐中時計』と『サファイアの指輪』を取り出し、商人の目の前でチラつかせた。


『おおっ! そ、それは私の品! ああ、神よ! ありがとう、どうかそれを返してくれ!』


 商人が安堵の涙を流しながら手を伸ばしてくる。

 しかし、私はその手をスッと躱し、冷静な声で告げた。


「お言葉ですが、これは私が『自身の危険を顧みず、強盗から奪還した品』です。現実世界の法律に照らし合わせても、拾得物には相応の報労金が認められています。ましてやここは危険な街角。そうですね……発見の対価および引き渡し手数料として、当該アイテムの査定額の『50%』を頂戴できれば、即座にお渡ししますが?」


『……は?』

 商人のAIが、想定外の言葉に処理を追いつかせられず、間抜けな声を出した。


【コメント】

:ええええええええええ

:お前がスッたんやろがい!!!!

:マッチポンプの極みwwwww

:助けるんじゃなくて買い取らせるのかよwww

:やばい、このおっさん真っ黒だwww


『ば、馬鹿な! 50%だと!? それは元々私のものだぞ!』


「ええ、おっしゃる通りです。しかし、私が介入しなければ、あなたはあのまま100%の資産を失っていました。私の提示する50%の支払いで、残りの50%の資産を『確実に取り戻せる』のです。これは非常に合理的な取引だと思いませんか? それとも、このまま私がこれを持ち去り、別の街で売却した方がよろしいでしょうか」


 私はアイテムをインベントリに戻す素振りを見せた。


『ま、待て! わかった……払う! だが、今手元には現金がないんだ!』


「ご安心ください。私は柔軟な対応を心がけております。その荷車に残っている『ポーション』や『鉄の剣』といった現物での代物弁済でも承りますよ。さあ、どうします?」


『くっ……! あ、悪魔め! 人の足元を見やがって……! 持っていけ!』


 商人は顔を真っ赤にして怒りながらも、損得勘定の末に取引に応じた。

 結果、私は一切の刃を交えることなく、開始わずか15分で『初心者用ポーション50個』『鉄の剣3本』『金貨3万G』という、他のプレイヤーが数日かけて労働してようやく稼ぐであろう莫大な初期資産を手に入れたのだった。


「ご契約、誠にありがとうございます。今後とも末永いお取引をよろしくお願いいたします」


 私は深々と頭を下げ、商人を残して路地裏を去った。


 ふと視界の隅を見ると、配信の視聴者数が、最初の数人から一気に『3000人』に跳ね上がっていた。他のプロゲーマーの配信から、「ヤバいおっさんがいる」と噂を聞きつけて人が雪崩れ込んできたのだ。


【コメント】

:神配信見つけたwww

:エグすぎるwww最高www

:チャンネル登録したわ

:交渉術が完全にプロのそれ

:ゲームのシステムを突いて合法的に強奪してるの草


「さて、視聴者の皆様。初期投資の資本は確保しました。次は、この資金を元手に、他のプレイヤーたちから合法的に利益を吸い上げるシステムを構築いたしましょう」


 私は仮想空間の青空を見上げ、薄く笑った。

 剣と魔法の世界で、元銀行員による血も涙もないマネーゲームが幕を開けた。


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