9.福音
※ちょっと下品注意です。
隣のクラスから聞こえていた戦闘音が、
ある瞬間を境に、ぷつりと途切れた。
叫び声も、衝撃音も、何もない。
まるで、
最初から存在しなかったみたいに。
教室の中に、重たい沈黙が落ちる。
誰も口を開かない。
その「静かさ」が、さっきまでの音よりもずっと怖かった。
――終わったのか。
それとも、全滅したのか。
考えたくない想像が、勝手に頭に浮かぶ。
そのときだった。
ぷぅ。
間の抜けた音が、やけに大きく響いた。
音源は、すぐ分かった。
オタクの小田だった。
「……」
あまりに静かだったせいで、
その音は教室全体に行き渡り、
誰一人、聞き逃すことができなかった。
数秒の沈黙。
そして。
「……ぶはっ」
笑ったのは、バカの和田だけだった。
「おいおい小田、今このタイミングでそれかよ!」
誰も突っ込めずにいる中で、
藤原が、急に目を見開いた。
次の瞬間。
「小田!」
凄まじい剣幕で、詰め寄る。
「お前、能力は何だ!?」
唐突すぎる問いに、
教室がざわつく。
「な、なんだなんだ?」
「どうした藤原?」
俺も、その瞬間で察してしまった。
――違和感。
確かに、小田はさっきも漏らしていた。
怖くて、限界で、反射的に。
それは、分かる。
でも。
"二回目“は、おかしい。
二回目に漏らしたのは確かこの学校が変異した後のはずだ。
なぜなら。
(……支配人は言ってた)
――この空間では、食事もトイレも必要ないように調整されている。
なのに、小田は漏らした。
しかも、今は屁までこいた。
「……待て」
俺の背中に、鳥肌が立つ。
ここから導ける結論は、二つしかない。
支配人が嘘をついたか。
それとも――
「小田、お前……」
藤原の声が低くなる。
「この領域のルール、無視してないか?」
その瞬間。
「じゃあ検証だな!!」
和田が、いきなり立ち上がった。
「俺がションベンできたら、支配人が嘘ついてるってことだろ!!」
そう言いながら、
ズボンに手をかける。
「やめろ!!」
「正気か!!」
「見るな見るな!!」
教室中からブーイングが飛ぶ。
俺は反射的に目を覆った。
数秒後。
「……あ?」
和田の間抜けな声。
「出ねぇ……」
どれだけ力んでも、
一滴も出ない。
その直後、
和田は全員にボコボコにされた。
岡元が、息を切らしながら言う。
「俺……腹、減ってない。
いつもなら腹減っテルのに」
その一言で、決まった。
――支配人は嘘をついていない。
ということは。
「……小田だけが、例外だ」
教室が、ざわめき始める。
さっきまでの沈黙が嘘みたいだった。
「待て待て」
「じゃあ、小田のオナラって……」
「俺らを救う福音ってこと?」
誰かが言った瞬間、
空気が一気に変わる。
絶望の象徴だったはずの音が、
希望の兆しに変わった。
急いで、小田の力を確認する。
小田が震えながら自分の力を読み上げた。
職業:引きこもり
スキル:拒絶
「……は?」
「引きこもり!?」
教室が爆発する。
「職業ふざけすぎだろ!!」
「拒絶って何拒否すんだよ!!」
だが、意味は明確だった。
この領域のルールそのものを、
拒絶している。
話し合いは、一気に進んだ。
おそらく小田は、
この“学校”の外に出られる。
ならば。
気づかれないように脱出し、
どこかに助けを求める。
――という、
かなり杜撰な作戦が完成した。
「まあ……細かいことは根性で何とかする!」
誰かが言い、
皆が笑った。
希望が見えただけで、
人間はこんなにも軽くなれる。
雑談が始まる。
「お前さ、さっきのゴブリンに似てたぞ」
「似てねぇよ!!」
でも。
小田が、小さく言った。
「……俺、一人で生き延びる自信、ない」
その一言で、
教室は再び静まり返った。
確かに。
誰もが、同じことを思っていた。
――希望は見えた。
――でも、それを掴めるかは、別の話だ。
静けさが、また戻ってきた。
今度は、
さっきよりもずっと、重たい沈黙だった。




