4 地獄
朝。
校舎の中は、思ったよりも早く動き出していた。
一夜明けたというだけなのに、昨日までとは空気が違う。
「……青木、頼む」
「はいはい」
水魔法使いの青木が、半ば慣れた様子で手をかざすと、空中から冷たい水が降り注いだ。
即席のシャワー代わりだ。
昨日の夜、無茶なトレーニングを一晩中したせいで身体中が汗臭かったが、水を浴びると一気に目が覚める。
それにしても体は依然として軽い。ヒール便利すぎるだろ、と内心で思いながら、即席シャワーをありがたく使わせてもらった。
教室に戻ると、真っ先に気づく。
――佐々木がいない。
席はそのままなのに、本人の姿だけが抜け落ちている。
(……まあ、あいつなら)
一人でも何とかなる。
森に消えていった背中を思い出しながら、そう思う。
ただ、よく見ると――
佐々木だけじゃなかった。
空いている席が、いくつもある。
「なあ、他にもいなくね?」
「別のクラスも何人か消えてるって」
どうやら、逃げ出したのは佐々木一人じゃないらしい。
現実を受け止めきれなかったのか、あるいは逆に、受け止めすぎたのか。
体育館の前を通ると、妙な噂も耳に入ってきた。
床の一部が割れ、壁には焦げ跡のようなものが残っている。
昨日の夜、誰かが力を使って派手にケンカをしたんじゃないか、という話だ。
物騒すぎる。
未成年の若い男に、突然こんな力を与えれば、ろくなことが起きないのは当たり前だった。
それでも。
一夜明けた生徒たちは、昨日よりずっと落ち着いていた。
混乱はあるが、パニックはない。
現実を、少しずつ受け入れ始めている。
そんな空気だった。
担任の黒岩先生は、朝から職員室に詰めっぱなしらしく、教室には姿を見せない。
教師たちも、相当大変なんだろう。
しばらくすると、購買に残っていたパンが配られた。
数は少ないが、朝ごはん代わりにはなる。
それをかじりながら、自然と話題はこれからのことになる。
「俺、魔導師だしさ、研究とかしてみたい」
「国に雇われたら、英雄扱いじゃね?」
「異世界で一発当てるチャンスだろ」
夢や希望に満ちた話題が飛び交う。
声は明るく、笑顔も多い。
ちなみに俺は、
異世界の可愛い女の子とイチャイチャしたい。
できれば平和に。できれば命の危険なしで。
もちろん、そんなことは口に出さない。
でも、どうせ皆んな同じような事を考えているだろう。
代わりに、能力の話になる。
「見て見て、これ」
「おおっ!」
「ヤバ、マジで魔法使いじゃん」
簡単な発表会みたいになり、教室は笑い声で満たされた。
皆、ゲラゲラ笑い合っている。
この時間が、ずっと続けばいいのに。
そんなことを、本気で思った。
――その時だった。
プパァー、というラッパの音が、校舎を揺らした。
昨日よりも、明らかに派手だ。
窓際に人が殺到する。
校門前に停まっていたのは、
昨日のものよりさらに豪華な馬車だった。
白を基調にした車体には、金や宝石のような装飾が惜しみなく施されている。
明らかに、格が違う。
扉が開く。
そこから降りてきたのは――
息を呑むほどの美女だった。
腰まで届く、光をはらんだブロンドの髪。
朝日を反射して、まるで金の糸みたいに揺れる。
整いすぎているほどの顔立ち。
白い肌に、澄んだ青い瞳。
立っているだけで、周囲の空気が変わる。
ドレスは上品で、無駄な露出はないのに、
その存在自体が、完全に“別格”だった。
「……やっば」
「女神って実在するんだ……」
男子校は一瞬で沸騰した。
興奮しすぎて、窓から身を乗り出し、落ちかける奴までいる。
美女は、魔法で声を拡張し、静かに話し始めた。
自分は、この国の王女であること。
勝手にこの世界へ連れてきたことへの謝罪。
そして――元の世界へ戻る方法を知っている、ということ。
教室は、一瞬で静まり返った。
話は続く。
この世界の現状。
他国との戦争。
助けてほしい理由。
そして――
「どうか、この世界を――」
そこまで言った瞬間。
首が、飛んだ。
理解する前に、
轟音が響いた。
爆発。
衝撃波。
窓ガラスが、音を立てて砕け散る。
校門前に、
黒いローブをまとった数人が立っていた。
次の瞬間、
護衛たちが次々と倒れていく。
いや、殺されていく。
駆け寄ってきた騎士たちも、
まるで玩具みたいに切り捨てられ、吹き飛ばされた。
王女のそばにいた護衛は、必死に剣を振るい、少しだけ粘った。
だが、急に動きが止まり、その場に膝をつく。
そして――倒れた。
男子校生達は、言葉を失った。
悲鳴も出ない。
誰も、動けない。
助けに向かった三千人規模の軍勢も、
空から現れたドラゴンによって、一瞬で蹂躙された。
炎。
咆哮。
破壊。
すべてが、あまりにも一方的だった。
――昨日まで、普通の高校生だった俺たちは、
今、本物の地獄を目にしていた。




