3 力
プパァー、という間の抜けた音が、再び草原に響いた。
窓の外を見ていた生徒たちの視線が、一斉に正門の方へ向く。
草原を埋め尽くしていた大軍の列が、まるで門を開くようにゆっくりと左右に割れていくのが見えた。
その中央から、一台の馬車が姿を現す。
黒塗りの車体は大きく、金属や装飾で派手に飾られているが、デザイン自体は明らかに現代のものではない。
周囲を固める兵士たちは槍と盾で完全武装しており、その足並みの揃い方だけで、ただの寄せ集めではないことが分かった。
「……護衛付き、だ」
誰かが小さく呟いた。
教室の窓際には、生徒だけでなく教師の姿もあった。
誰も止めようとはしないし、止められる空気でもない。
やがて、校舎の正面玄関が開く。
現れたのは、校長先生と副校長先生だった。
二人とも背筋は伸びているが、表情はこれまで見たことがないほど硬い。
「……外、出る気か」
「マジかよ……」
ざわめきが、教室のあちこちで漏れる。
おそらく、事態の把握。
そして――交渉。
馬車が止まり、扉が静かに開いた。
中から降りてきたのは、中世の貴族を思わせる服装の男だった。
手入れされた立派なヒゲに、彫りの深い顔立ち。
外国人のようでいて、日本人とは決定的に違う雰囲気をまとっている。
男は周囲を一瞥すると、校長先生たちの前に進み出た。
何かを話している。
距離があり、声は聞こえない。
ただ、その仕草や間の取り方から、軽い挨拶ではないことだけは伝わってきた。
数分。
体感的には、もっと短かったかもしれない。
男は言葉を切ると、ふいにその場で立ち止まり――深々と頭を下げた。
「……頭下げた?」
「え、マジ?」
窓越しでも、空気が変わったのが分かる。
校長先生と副校長先生も、慎重に言葉を返しているようだった。
やがて話は終わり、男は馬車に戻る。
大軍は、その場に留まったまま、動きを止めた。
校長先生たちが校舎へ戻ってくると、すぐに全教職員が職員室へ集められた。
生徒は、各教室で待機するよう指示される。
――ここから先は、先生たちの時間らしい。
⸻
それから数時間が過ぎた。
担任の黒岩鬼太先生は教室に入ってくるなり、ドアを閉め、腕を組む。
「いいか。今から話すことは、冗談でも夢でもない」
その一言で、教室は一気に静まった。
黒岩先生は、
校長・副校長と使者の会話、
続いて行われた職員会議の内容を、かみ砕くように話し始めた。
この国は、意図的に、学校ごと俺たちを召喚したこと。
他国が、同じように地球から人材を召喚し、それを戦力として侵攻してきていること。
そして――召喚された存在は、例外なく強い力を持つこと。
「力を貸してほしい、というのが向こうの要求だ」
そう締めくくられる。
「……要するに、戦争要員か」
「遠回しすぎだろ」
小声のざわめきが広がるが、黒岩先生は止めなかった。
そのときだった。
「……なあ」
誰かが、遠慮がちに口を開いた。
「俺さ、さっきからずっと思ってたんだけど」
少し間を置いてから、続く。
「全校集会であれだけ立たされてたのに、全然疲れてなくないか?」
教室が、静かになる。
「……言われてみれば」
「足、痛くなるはずだよな」
別の声が重なる。
「階段、全力で上ったのに息切れしてない」
「頭、やけに冴えてるんだけど」
最初は、気のせいだと思った。
緊張しているせいだ、と。
けれど、同じ感覚を訴える声が次々に上がり始める。
「身体が軽い」
「集中力、変じゃね?」
「視界が妙にクリアだ」
それぞれが、自分の中の違和感を、言葉にし始めていた。
そのとき、胸の奥がじんわりと熱を帯びる感覚があった。
(……なんだ、これ)
意識を向けた瞬間、説明できないはずの感覚が、自然と理解へと変わる。
(……嘘だろ)
誰かに教えられたわけじゃない。
ただ、「できる」と思った。
半信半疑のまま、心の中でそう念じる。
次の瞬間、身体の奥から何かが流れ出すような感覚があり、疲れがすっと引いていった。
眠気もなく、むしろ頭が冴えていく。
(……回復、してる?)
「……坂崎」
鈴木が、低い声で呼ぶ。
「お前も、なんか感じてるだろ」
一瞬、言葉に詰まる。
(言っていいのか?
これ、勘違いだったら最悪だぞ)
「分からないけど」
慎重に言葉を選ぶ。
「多分だけど、俺……回復、できる気がする」
沈黙。
その直後、別の声が重なった。
「俺、力入れたら机ちょっと凹んだ」
「マジ? 俺、動き速くなってる気がする」
「……俺、音立てずに歩けてるんだけど」
佐々木だった。
陸上部の同期で、普段から少し変わり者。
大会よりも、山道を走る方が楽しいとか言い出すタイプで、生活力が妙に高い。
「さっきから、身体の使い方が勝手に分かる感じがしてさ」
バカの和田も手を挙げる。
「俺、手のひら熱くなって……意識したら、火っぽいの出た」
さらに、
「視力が上がってる気がする」
「風の流れが分かる」
「気配に敏感になってる」
点が、線になる。
それぞれが体感していた違和感を言葉にし、突き合わせることで、ようやく一つの結論に辿り着いた。
――俺たちは、何かを得ている。
その後で初めて、黒鬼先生の口から「職業」や「スキル」という言葉が出てきた。
まるで、後から名前が付けられたみたいに。
俺は、頭の中に浮かんでいた言葉を、覚悟を決めて伝えた。
職業は、聖女。
スキルは、ヒール。
一拍遅れて、教室が爆発する。
「聖女!?」
「女じゃん!!」
「坂崎、心は乙女だったのかよ!」
「違う!俺も今知ったんだよ!!」
必死に否定するが、笑いは止まらなかった。
次に鈴木が口を開いた。
「俺は超戦士。スキルは、パワー」
「ド〇〇ンボールじゃねーか!」
「波ぁーーー!!」
鈴木は、頭を掻きながら苦笑いしていた。
藤原・光は勇者。(ズルい)
陸部の同期、佐々木は忍者。
バカの和田は魔導師……etc
そして、黒岩鬼太先生は守護者で、バリアのスキルを持っていた。
教室は完全にお祭り騒ぎだった。
だが、教師たちは浮かれていなかった。
協力すべきか。
拒否すべきか。
生き残るためには現地の支援が必要だという意見と、生徒を兵器として扱わせるわけにはいかないという意見。
結論は出ない。
校長先生は、使者にこう伝えたらしい。
「すぐには決められない。考える時間をください」
返ってきた答えは、短かった。
明日まで。
軍は、学校の前で待つという。
それが圧力ではないのか、という声も上がった。
ーー
夜。
校舎は昼間の騒がしさが嘘のように静まり返っていて、遠くで風が鳴る音だけが、やけに大きく聞こえていた。
俺は一人、人気のない場所で、今日一日で手に入れてしまった自分の力を確かめていた。
身体の奥には、昼間からずっと消えない、何かが流れているような感覚がある。
魔力――多分、そんなものだろうと、ぼんやり考える。
軽く腕に意識を向けると、自然と答えが返ってくるような感覚があった。
「……ヒール」
口に出した瞬間、胸の奥から暖かい感覚が広がり、溜まっていた疲労が嘘みたいに消えていく。
眠気もない。むしろ、頭が冴えていくのが分かる。
「……これ、ヤバくないか」
試しに、筋トレをする。
限界まで追い込んで、腕が震えるところまで。
そして、もう一度ヒール。
さっきまで確実にあった筋肉痛が、即座に消え去り、身体が一段軽くなったような錯覚すら覚えた。
「……成長、してる?」
疑いながらも、同じことを繰り返す。
鍛えて、回復して、また鍛える。
そのたびに、身体能力が目に見えて底上げされていくのが分かり、背中に薄く寒気が走った。
冗談や比喩じゃなく、異常な速度だった。
その途中、廊下で藤原とすれ違う。
「まだ起きてたんだ」
「お互い様だろ」
短いやり取りだったが、自然と足が止まり、少しだけ話をした。
彼は相変わらず冷静で、状況や国の思惑、そして俺たちが置かれている立場について、もう一歩先まで考えている様子だった。
「流されるのが、一番危ない」
「でも、拒否するのも簡単じゃない」
淡々とした口調だったが、その言葉には重みがあり、俺は思わず感心してしまう。
⸻
さらにトレーニングを続けていると、
いつの間にか、佐々木が近くに立っていた。
「なあ、雪」
「……一緒に、逃げない?」
冗談じゃない、と一瞬で分かる目だった。
森へ。
二人で。
佐々木は、陸上部の同期で、昔から少し変わり者だった。
大会の結果よりも環境への適応とか、道具なしでどう生きるかみたいな話が好きで、生活力だけは妙に高い。それに直感も鋭い。
「俺たちなら、案外なんとかなる気がするんだよ」
少し、考えた。
この世界のことは、まだ何も分かっていない。
でも――
俺は、ゆっくりと首を振った。
「……まだ情報が足りない」
「それに、俺は……みんなで生き残りたい」
佐々木は、それを聞くと、ほんの少しだけ笑った。
「そっか」
「じゃあ、どこかで会ったらよろしく」
それだけ言って、
彼は迷いなく、森の闇の中へと消えていった。
呼び止めることは、できなかった。
そして。
召喚されて、一夜が明ける。




