17 正直な世界
※浅野ケイ視点
最初に壊れたのは、世界だった。
あの日、教室の空気が歪んで、床に見慣れない模様が浮かび、次の瞬間には、見たこともない化け物がそこに立っていた。
牙を剥き、唾を飛ばし、意味の分からない声を上げる生き物を前に、人は等しく混乱する。
叫ぶやつ。
固まるやつ。
逃げるやつ。
――そして、俺を見た。
最初に襲ってきたのは、モンスターじゃなかった。
高校に入ってから何度か絡んできた男だ。
人数を頼りに、視線で圧をかけて、笑いながら距離を詰めてくるタイプ。
殴り返したことは一度もなかったが、あいつの中では、それが「勝ち」だったのだろう。
世界が壊れた瞬間、あいつの目が変わった。
混乱と恐怖と、それから――
「今ならいける」という、薄汚い確信。
俺に掴みかかろうとした、その背後から、モンスターが飛びかかった。
結果は、単純だった。
俺は逃げなかった。
あいつも逃げなかった。
モンスターも、止まらなかった。
気づいたときには、三つとも床に転がっていた。
人と、獣と、
それから――
血に濡れた俺自身。
荒い呼吸の合間に、水たまりに映った自分の顔を見た。
目だけが、やけに冷えていて、ひどく澄んでいたのを覚えている。
「ああ……」
そのとき、妙に納得した。
正しいかどうかは、分からない。
ただ、生きているかどうかは、分かる。
それだけだった。
その後は、簡単だった。
戦う。倒す。生き残る。
誰かを恨む理由もなければ、正義を語る気もなかった。世界は変わった。
だから、人の在り方も変わった。
それだけの話だ。
やがて、戦いの中で気づいた。
俺は、闘争そのものを嫌っていない。
殺しが好きなわけじゃない。
苦しむ顔に興奮する趣味もない。
ただ、戦っている瞬間だけ、世界が異様に正直になる。
言い訳が消え、立場が消え、
結果だけが残る。
その純度が、心地よかった。
ルールの説明を聞いたときも、特別な感情はなかった。
結晶を集めろ。集めた数で、自由が決まる。
なるほど、としか思わなかった。
やることは同じだ。
戦って、拾う。
拾う理由が、少し増えただけ。
その途中で、あいつに会った。
回復する男。
坂崎雪男というらしい。
殴られても、立ち上がる男。
最初に戦ったとき、奇妙な感覚があった。
あいつの目が、血に映ったあのときの俺の目と、同じだった。
――ああ、こいつも見ている。
世界を、また近い距離で。
あいつは、まだ抗っている。
世界と、話をしようとしている。
悪くない。ただ、遅い。
それからも、俺は戦い続けた。
数を数えるように、結晶を拾い続けた。
途中で気づいた。
俺は合理的だから戦っているんじゃない。
合理性と、感覚が、ちょうど噛み合っているだけだ。
だから、静かだ。興奮も、怒りもない。
ただ、少し楽しい。
再び坂崎と、その集団を見たとき、
一人、気になる存在がいた。
金髪の男。
藤原・光。
騒がない。煽らない。
視線が、冷え切っている。
あれは、観測者の目だ。
世界から、半歩引いている。
坂崎とは、違う。
あいつは、最初から距離を取っている。
――面白い。
そう思ったのは、久しぶりだった。
そして今。
俺の方から近づく前に、
向こうから動いた。
藤原・光が、こちらに歩いてくる。
その歩き方を見ながら、俺は考える。
世界は残酷だ。
だが、残酷なのは世界の性質であって、俺の責任じゃない。
俺は、この世界を憎んでいない。
期待もしていない。
変えようとも思っていない。
ただ、どう使い切るかを考えているだけだ。
「さて」
口元が、わずかに緩む。
どんな言葉を持ってくるのか。
それとも、言葉などいらないのか。
世界が正直になる瞬間は、
たいてい、こういうところから始まる。




