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親切ポイント減税

作者: 妙原奇天
掲載日:2025/10/05

 会見は拍手で締めくくられた。

 画面の隅に新しいロゴが出る——優しい税。

 認定された親切をすると、翌年の税が少し軽くなる。レシートには徳ポイントが印字され、申告すれば控除になる。

 ぼく——甲斐は、優しさ評価室の審査係だ。証憑を見て、還付額を計算する。丁寧な仕事ほど、疲れは遅れてやって来る。


国税庁・優しさ評価室

件名:優しい税(控除)申請のご案内


認定行動の証憑は、動画・第三者評価・位置・時刻の4点が基本です。


演出・やらせ・自作自演は禁止です。


還元率は地域・危険度・波及効果により変動します。


採算が悪い案件の継続には、地域寄付プールをご活用ください。


 翌週から、街に看板が増えた。

 「お手伝い承ります:本日ポイント2倍」

 「ベビーカー昇降キャンペーン(雨の日+5pt)」

 駅の階段に、親切待ちの列ができた。上り口の前にはカメラ、誘導員、タスキ。親切は、列のできるサービスになった。


     *


 審査の画面は、四分割で動画が流れる。

 ひとつ目の窓で、学生が高齢者の荷物を持ち上げる。角度がいい。顔は自動でぼかされ、位置と時刻は一致。+8pt。

 ふたつ目は、横断歩道での傘のシェア。構図がきれいだ。+6pt。

 みっつ目は、河川敷のゴミ拾い。ビブスが新しい。+5pt。

 よっつ目は黒い画面。夜間の見守り。音だけが入っている。証憑不十分。

 ぼくはコメント欄に打つ。「寄付プールをご活用ください」

 送信すると、画面は次に進む。

 仕事は進み、心は進まない。


優しさスコア表(抜粋)

・買物代行(高齢者)……+8pt

・ベビーカー階段補助……+12pt

・横断介助(雨天)……+10pt

・夜間見守り(単独)……+25pt(証憑困難)

・孤立者訪問……+30pt(拡散不可)

・SNS共有……+0pt(影響係数は別算出)


 昼休み、同僚の田沼が言った。

「この制度、いいよな。街が明るくなった気がする」

「そうかもしれない」

「昨日も駅で手伝った。二倍デーだったから」

「そうか」

 会話は続かなかった。続けるほどの言葉が、見当たらなかった。


     *


 窓口に一組の老夫婦が来た。

 妻が喋り、夫は頷いた。

「夜の見守りをしています。近所の独り暮らしの方、認知症で。何度か家まで送って。動画は……撮れなくて」

 ぼくは、定められた手続きを説明した。第三者評価、日時の記録、位置情報。

 妻は黙り、夫が小さく言った。

「その人、カメラは、嫌いで」

「そうですか」

 ぼくは、寄付プールのパンフレットを差し出した。

 夫は受け取り、少し考え、返した。

「採算が悪いので、今回は見合わせ、でしょうか」

「制度上、証憑が必要です」

 夫は頷いた。

 頷きは、よく使われる。何かを受け入れたときも、諦めたときも。


     *


 街は、親切で賑わっていた。

 ビルの壁面スクリーンに、徳ポイントランキングが流れる。

 「本日のトップ:ベビーカー補助 74件」

 歓声は出ない。数字は静かに人を動かす。

 アプリを開くと、親切代行のボタンがある。

 **“需要高”**の時は単価が上がり、“供給過多”の時は下がる。

 供給は、晴れの日に多い。需要は、雨の日に多い。

 差額は、寄付プールで埋める予定だった。埋まらなかった。


 審査件数が跳ね、査定は自動化が進む。

 自動化は正確で、冷たい。冷たさは、仕事の温度から独立している。

 ときどき、偽装が混じる。

 倒れているふりをして、周りが助ける動画。

 同じ老人が、別の駅で何度も登場する動画。

 ぼくらは判定し、減点し、無効にする。

 演出は禁止されている。演出は、いつも美しい。


     *


 ある日、断りテンプレが出回った。


この案件はポイント原価が高く、現状の還元率では継続困難です。

 掲示板に貼られ、SNSで共有された。

 作為的な親切を提供する団体が、採算の悪い依頼を断る文面だった。

 「孤立者訪問」「夜間の見守り」「路地の汚泥清掃」——いずれも証憑困難、拡散不可。

 田沼が言った。

「原価って言うの、おかしいよな」

「おかしいかもしれない」

「でも仕事だからさ」

「そうだな」

 ぼくは、机の引き出しにテンプレのコピーを入れた。紙は薄く、角は少し丸い。


     *


 制度の見直し会議が開かれた。

 ぼくは発言の順番を待ち、手元のメモを見た。

 “映える親切”偏重の是正、“見えない助け”の上乗せ、例外条項の運用。

 順番が来て、ぼくは淡々と提案した。

 反応は、淡々と返ってきた。

「市場は賢く調整するはずだ」

「寄付プールを厚くしよう」

「映える善意で入口を広げ、見えない助けに流す」

 言葉は整っていた。整っている言葉は、よく滑る。

 会議は終了し、薄い拍手が起きた。

 拍手の音は、角がない。


     *


 雨の日が続いた。

 審査画面には、傘の共有や階段の昇降が並ぶ。

 夜間見守りは少なかった。

 電柱の向こうで、救急車が止まった。音は控えめで、停止位置は正確だった。

 ぼくは帰り道、スーパーの屋根の下で立ち止まった。

 雨は細く、途切れなく落ちる。

 軒先で、少女がしゃがんでいた。靴に穴があいて、靴下は濡れていた。

 母親は、手提げ袋を二つ持っていた。ベビーカーポイントのポスターが風に揺れた。

 ぼくは声をかけ、袋をひとつ持った。

 家は近く、階段は狭かった。

 玄関の前で、母親が「ありがとうございます」と言い、少女は軽く頭を下げた。

 ぼくはスマホを取り出さなかった。

 レシートは出なかった。

 濡れた靴下は、乾いた。


     *


 翌日、優しさ評価室に一通の申請が届いた。

 「無申告の親切に関する控除願い」

 添付は、手書きのメモ。

 > 近所の人に、よくしてもらっています。記録はありません。

 ぼくは規定を確認し、控えめに却下した。

 証憑不十分。

 メモはスキャンして返却できず、原本は破棄扱いだった。

 破棄は、簡単だ。

 残す、はむずかしい。


 昼、田沼が席を立った。

「午後、撮影手伝ってくる。ベビーカーデー」

「そうか」

「甲斐は?」

「審査」

「相変わらず、地味だな」

「地味だ」

 地味は、悪口でも褒め言葉でもない。

 ぼくは画面を見続けた。流れていく善意は、粒が揃っていた。


     *


 審査終わり、ぼくは窓口へ降りた。

 雨は止んで、空は白く、湿りは残っていた。

 一人の男性が座っていた。作業着。泥が乾いている。

 番号を呼ぶと、立ち上がり、帽子を取った。

「清掃の件で」

「はい」

「路地の排水溝。夜だけど、詰まってて。水が引かなくて。やりました」

「動画はありますか」

「ありません」

「第三者評価は」

「誰もいませんでした」

「位置情報は」

「古い携帯で」

 ぼくは、寄付プールのリーフレットを差し出した。

 男性は受け取り、読まずに戻した。

「採算が悪いので、今回は見合わせ、か」

 彼は小さく笑い、帽子をかぶった。

「採算を合わせるのが、そちらの仕事じゃないのか」

「制度上、証憑が必要です」

 男性は頷いた。

 頷きは、よく似合っていた。

 窓口の時計は、正確だった。正確さは、慰めにはならなかった。


     *


 制度の季節が巡り、徳ポイントランキングは安定して高止まりした。

 テレビのワイドショーは、親切の“映える瞬間”を編集して流す。

 笑顔は明るく、音楽は軽快だ。

 ぼくは音を消し、字幕だけを見た。

 「社会がやさしくなった」

 字幕は、主語と述語を正しく繋いでいた。


 その夜、例外条項の改定案を仕上げた。

 「孤立者訪問」「夜間見守り」「汚泥清掃」を上乗せ項目にする。

 証憑が取りづらい行為は、第三者評価の代替を認める。

 寄付プールは専用会計にする。広告とは切り離す。

 文面は短く、丁寧で、角があった。

 上司に送ると、返事は早かった。

 > 重要な論点だが、時期尚早という声が一定数あり、いったん見送りたい。

 いったん、はよく使われる。戻る意思を示し、戻らない場合に備える語だ。


     *


 翌週、寄付プール壮大化キャンペーンが始まった。

 街頭ビジョンには、美しい映像が流れる。

 笑顔の子ども、手を差し伸べる若者、輝くポイント。

 寄付の使途は、映像制作費に含まれていた。

 使途は正しい。映像の波及効果は、評価式に組み込まれている。

 数字は黒字で、心は薄赤字になった。


 夕方、田沼が戻り、椅子に座った。

「すげえ列だった。今日、ボーナス出るかも」

「良かったな」

「お前も来ればいいのに」

「審査がある」

「地味だな」

「地味だ」

 ぼくらの間に、静かな肯定が置かれた。

 置かれた肯定は、すぐに冷えた。


     *


 ある雨上がり、窓口にまた人が来た。

 女性ひとり。目の下に薄く影。

「申請は、できないんですよね」

 言い方は、確認ではなく報告だった。

「何の件でしょう」

「隣の部屋の人。倒れてて。救急車、呼んで。だいぶ前から変だったんです。何度か声をかけて。動画はないです」

「そうでしたか」

「ポイントが出るなら、もっと早く誰かが来たでしょうか」

「分かりません」

 女性は笑い、首を横に振った。

「採算が悪いと、断られるんですってね」

「誰が」

「あちこち」

 ぼくはリーフレットを出さなかった。

 代わりに、メモ帳を出し、紙を一枚ちぎって差し出した。

「すみません。制度では、助けられません」

 女性は受け取り、読まずに折りたたみ、ポケットに入れた。

 顔を上げると、目は濡れていた。雨ではなかった。


     *


 夜、机にひとつの封筒が置かれていた。差出人は記載なし。

 中にはレシートが数枚。

 金額は0円、品名にやさしさと印字されている。

 裏面に、鉛筆で一行。

 > レシートの出ない親切を、記録してください。

 ぼくは、しばらく動かなかった。

 封筒を引き出しに入れ、灯りを落とした。

 夜は静かで、審査画面の光だけが残った。

 光は、評価を照らし、影を濃くした。


     *


 翌朝、システム改修要望を書いた。

 未証憑申告という項目を追加し、地域の相談窓口に接続する。

 申告者には控除は出ないが、受け手を繋ぐ。

 救いが遅れないよう、徳ポイントの外側に回路を作る。

 文章は短く、乾いていて、反論が付きやすかった。

 昼前に、返事が来た。

 > 重要な視点だが、制度趣旨(税制による行動促進)から外れるため、別途検討。

 別途は、先延ばしの別名だ。

 ぼくは文書を閉じ、画面を開いた。

 数字は増え、窓はきれいだった。


     *


 季節が変わり、ランキングの順位はほとんど動かなくなった。

 動画の編集は上等になり、善意は光の粒になって流れた。

 ぼくは点検し、承認し、時々は却下した。

 却下理由は、言葉を選ぶ。

 選びにくい理由ほど、丁寧になる。


 夕方、田沼が小さく言った。

「さっき、路地でさ」

「うん」

「倒れてる人がいて」

「うん」

「声をかけたら、断られた。『採算が悪いから』って」

「断られたのは、誰」

「周り。人が集まってて、みんなスマホ持ってた。単価、低いんだって」

「そうか」

 田沼は机にうつむき、少しして顔を上げた。

「地味だよな」

「地味だ」

 彼は頷いた。頷きは、重かった。


     *


 ある日、審査画面に、短い申請が現れた。

 添付は無し。本文だけ。

 > もう一回だけ、申請します。あの人は、動画が嫌いです。

 氏名は、以前の老夫婦と同じだった。

 ぼくは規定通り、却下にチェックを入れ、コメント欄に打ち込んだ。

 「制度上、控除はできません。それでも、ありがとうございます」

 送信したあと、指先を見た。

 震えはなかった。

 震えがないのは、良いことかもしれない。

 良いことは、たいてい、誰かにとって良い。


     *


 夜、街の掲示板に新しい広告が出た。

 「やさしさ控除・年末調整まつり」

 音量は控えめで、フォントは丸い。

 画面の下を、テロップが流れる。

 「寄付プール、達成」

 達成は、よく使われる。数字は、揃う。

 揃わないものは、どこかで余る。

 余ったものは、捨てられるか、こぼれる。


 帰り道、あの路地を通った。

 排水溝の蓋は、最近、よく開いている。

 泥は、少なくなっていた。

 どの申請にも、載っていなかった。

 誰かが、やっている。


     *


 年度末、ぼくは机の引き出しを整理した。

 封筒。レシート。メモ。

 やさしさ 0円のレシートは、色褪せていた。

 紙は薄く、角は少し丸い。

 紙は、簡単に破れる。

 破ったら、何も残らない。

 残すと決めたら、少し残る。


 画面に、最終の判定ボタンが現れた。

 承認/却下

 申請は、病院の待合室から。

 本文は短かった。

 > 今から向かいます。証拠はありません。

 ぼくは却下にカーソルを合わせ、止めた。

 制度を外れたクリックは、できない。

 制度は、制度だから。


 窓の外は静かで、遠くで救急車の音がした。

 音は控えめで、正確だった。

 ぼくは画面を閉じ、席を立った。

 ロッカーからコートを取り出し、廊下を歩いた。

 自動ドアは、軽く開いた。

 軽く開くものは、軽く閉まる。


 外に出ると、風は弱く、空気は湿っていた。

 路地の曲がり角で、人だかりがあった。

 誰かが、座り込んでいた。

 周りの人は、様子を見ていた。

 スマホを握っていた。

 画面に、徳ポイントのアイコンが光っていた。

 誰かが、小さく言った。

「採算が悪いな」

 ぼくは足を止めた。

 胸の内で、何かが落ちた。

 落ちた音は、外へ出ない。

 ぼくは近づき、声をかけた。

「救急車は——」

 隣の男が、ぼくを見た。

 目は疲れていた。

 言った。


 「採算が悪いので」——その人は、目を閉じた。

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