親切ポイント減税
会見は拍手で締めくくられた。
画面の隅に新しいロゴが出る——優しい税。
認定された親切をすると、翌年の税が少し軽くなる。レシートには徳ポイントが印字され、申告すれば控除になる。
ぼく——甲斐は、優しさ評価室の審査係だ。証憑を見て、還付額を計算する。丁寧な仕事ほど、疲れは遅れてやって来る。
国税庁・優しさ評価室
件名:優しい税(控除)申請のご案内
認定行動の証憑は、動画・第三者評価・位置・時刻の4点が基本です。
演出・やらせ・自作自演は禁止です。
還元率は地域・危険度・波及効果により変動します。
採算が悪い案件の継続には、地域寄付プールをご活用ください。
翌週から、街に看板が増えた。
「お手伝い承ります:本日ポイント2倍」
「ベビーカー昇降キャンペーン(雨の日+5pt)」
駅の階段に、親切待ちの列ができた。上り口の前にはカメラ、誘導員、タスキ。親切は、列のできるサービスになった。
*
審査の画面は、四分割で動画が流れる。
ひとつ目の窓で、学生が高齢者の荷物を持ち上げる。角度がいい。顔は自動でぼかされ、位置と時刻は一致。+8pt。
ふたつ目は、横断歩道での傘のシェア。構図がきれいだ。+6pt。
みっつ目は、河川敷のゴミ拾い。ビブスが新しい。+5pt。
よっつ目は黒い画面。夜間の見守り。音だけが入っている。証憑不十分。
ぼくはコメント欄に打つ。「寄付プールをご活用ください」
送信すると、画面は次に進む。
仕事は進み、心は進まない。
優しさスコア表(抜粋)
・買物代行(高齢者)……+8pt
・ベビーカー階段補助……+12pt
・横断介助(雨天)……+10pt
・夜間見守り(単独)……+25pt(証憑困難)
・孤立者訪問……+30pt(拡散不可)
・SNS共有……+0pt(影響係数は別算出)
昼休み、同僚の田沼が言った。
「この制度、いいよな。街が明るくなった気がする」
「そうかもしれない」
「昨日も駅で手伝った。二倍デーだったから」
「そうか」
会話は続かなかった。続けるほどの言葉が、見当たらなかった。
*
窓口に一組の老夫婦が来た。
妻が喋り、夫は頷いた。
「夜の見守りをしています。近所の独り暮らしの方、認知症で。何度か家まで送って。動画は……撮れなくて」
ぼくは、定められた手続きを説明した。第三者評価、日時の記録、位置情報。
妻は黙り、夫が小さく言った。
「その人、カメラは、嫌いで」
「そうですか」
ぼくは、寄付プールのパンフレットを差し出した。
夫は受け取り、少し考え、返した。
「採算が悪いので、今回は見合わせ、でしょうか」
「制度上、証憑が必要です」
夫は頷いた。
頷きは、よく使われる。何かを受け入れたときも、諦めたときも。
*
街は、親切で賑わっていた。
ビルの壁面スクリーンに、徳ポイントランキングが流れる。
「本日のトップ:ベビーカー補助 74件」
歓声は出ない。数字は静かに人を動かす。
アプリを開くと、親切代行のボタンがある。
**“需要高”**の時は単価が上がり、“供給過多”の時は下がる。
供給は、晴れの日に多い。需要は、雨の日に多い。
差額は、寄付プールで埋める予定だった。埋まらなかった。
審査件数が跳ね、査定は自動化が進む。
自動化は正確で、冷たい。冷たさは、仕事の温度から独立している。
ときどき、偽装が混じる。
倒れているふりをして、周りが助ける動画。
同じ老人が、別の駅で何度も登場する動画。
ぼくらは判定し、減点し、無効にする。
演出は禁止されている。演出は、いつも美しい。
*
ある日、断りテンプレが出回った。
この案件はポイント原価が高く、現状の還元率では継続困難です。
掲示板に貼られ、SNSで共有された。
作為的な親切を提供する団体が、採算の悪い依頼を断る文面だった。
「孤立者訪問」「夜間の見守り」「路地の汚泥清掃」——いずれも証憑困難、拡散不可。
田沼が言った。
「原価って言うの、おかしいよな」
「おかしいかもしれない」
「でも仕事だからさ」
「そうだな」
ぼくは、机の引き出しにテンプレのコピーを入れた。紙は薄く、角は少し丸い。
*
制度の見直し会議が開かれた。
ぼくは発言の順番を待ち、手元のメモを見た。
“映える親切”偏重の是正、“見えない助け”の上乗せ、例外条項の運用。
順番が来て、ぼくは淡々と提案した。
反応は、淡々と返ってきた。
「市場は賢く調整するはずだ」
「寄付プールを厚くしよう」
「映える善意で入口を広げ、見えない助けに流す」
言葉は整っていた。整っている言葉は、よく滑る。
会議は終了し、薄い拍手が起きた。
拍手の音は、角がない。
*
雨の日が続いた。
審査画面には、傘の共有や階段の昇降が並ぶ。
夜間見守りは少なかった。
電柱の向こうで、救急車が止まった。音は控えめで、停止位置は正確だった。
ぼくは帰り道、スーパーの屋根の下で立ち止まった。
雨は細く、途切れなく落ちる。
軒先で、少女がしゃがんでいた。靴に穴があいて、靴下は濡れていた。
母親は、手提げ袋を二つ持っていた。ベビーカーポイントのポスターが風に揺れた。
ぼくは声をかけ、袋をひとつ持った。
家は近く、階段は狭かった。
玄関の前で、母親が「ありがとうございます」と言い、少女は軽く頭を下げた。
ぼくはスマホを取り出さなかった。
レシートは出なかった。
濡れた靴下は、乾いた。
*
翌日、優しさ評価室に一通の申請が届いた。
「無申告の親切に関する控除願い」
添付は、手書きのメモ。
> 近所の人に、よくしてもらっています。記録はありません。
ぼくは規定を確認し、控えめに却下した。
証憑不十分。
メモはスキャンして返却できず、原本は破棄扱いだった。
破棄は、簡単だ。
残す、はむずかしい。
昼、田沼が席を立った。
「午後、撮影手伝ってくる。ベビーカーデー」
「そうか」
「甲斐は?」
「審査」
「相変わらず、地味だな」
「地味だ」
地味は、悪口でも褒め言葉でもない。
ぼくは画面を見続けた。流れていく善意は、粒が揃っていた。
*
審査終わり、ぼくは窓口へ降りた。
雨は止んで、空は白く、湿りは残っていた。
一人の男性が座っていた。作業着。泥が乾いている。
番号を呼ぶと、立ち上がり、帽子を取った。
「清掃の件で」
「はい」
「路地の排水溝。夜だけど、詰まってて。水が引かなくて。やりました」
「動画はありますか」
「ありません」
「第三者評価は」
「誰もいませんでした」
「位置情報は」
「古い携帯で」
ぼくは、寄付プールのリーフレットを差し出した。
男性は受け取り、読まずに戻した。
「採算が悪いので、今回は見合わせ、か」
彼は小さく笑い、帽子をかぶった。
「採算を合わせるのが、そちらの仕事じゃないのか」
「制度上、証憑が必要です」
男性は頷いた。
頷きは、よく似合っていた。
窓口の時計は、正確だった。正確さは、慰めにはならなかった。
*
制度の季節が巡り、徳ポイントランキングは安定して高止まりした。
テレビのワイドショーは、親切の“映える瞬間”を編集して流す。
笑顔は明るく、音楽は軽快だ。
ぼくは音を消し、字幕だけを見た。
「社会がやさしくなった」
字幕は、主語と述語を正しく繋いでいた。
その夜、例外条項の改定案を仕上げた。
「孤立者訪問」「夜間見守り」「汚泥清掃」を上乗せ項目にする。
証憑が取りづらい行為は、第三者評価の代替を認める。
寄付プールは専用会計にする。広告とは切り離す。
文面は短く、丁寧で、角があった。
上司に送ると、返事は早かった。
> 重要な論点だが、時期尚早という声が一定数あり、いったん見送りたい。
いったん、はよく使われる。戻る意思を示し、戻らない場合に備える語だ。
*
翌週、寄付プール壮大化キャンペーンが始まった。
街頭ビジョンには、美しい映像が流れる。
笑顔の子ども、手を差し伸べる若者、輝くポイント。
寄付の使途は、映像制作費に含まれていた。
使途は正しい。映像の波及効果は、評価式に組み込まれている。
数字は黒字で、心は薄赤字になった。
夕方、田沼が戻り、椅子に座った。
「すげえ列だった。今日、ボーナス出るかも」
「良かったな」
「お前も来ればいいのに」
「審査がある」
「地味だな」
「地味だ」
ぼくらの間に、静かな肯定が置かれた。
置かれた肯定は、すぐに冷えた。
*
ある雨上がり、窓口にまた人が来た。
女性ひとり。目の下に薄く影。
「申請は、できないんですよね」
言い方は、確認ではなく報告だった。
「何の件でしょう」
「隣の部屋の人。倒れてて。救急車、呼んで。だいぶ前から変だったんです。何度か声をかけて。動画はないです」
「そうでしたか」
「ポイントが出るなら、もっと早く誰かが来たでしょうか」
「分かりません」
女性は笑い、首を横に振った。
「採算が悪いと、断られるんですってね」
「誰が」
「あちこち」
ぼくはリーフレットを出さなかった。
代わりに、メモ帳を出し、紙を一枚ちぎって差し出した。
「すみません。制度では、助けられません」
女性は受け取り、読まずに折りたたみ、ポケットに入れた。
顔を上げると、目は濡れていた。雨ではなかった。
*
夜、机にひとつの封筒が置かれていた。差出人は記載なし。
中にはレシートが数枚。
金額は0円、品名にやさしさと印字されている。
裏面に、鉛筆で一行。
> レシートの出ない親切を、記録してください。
ぼくは、しばらく動かなかった。
封筒を引き出しに入れ、灯りを落とした。
夜は静かで、審査画面の光だけが残った。
光は、評価を照らし、影を濃くした。
*
翌朝、システム改修要望を書いた。
未証憑申告という項目を追加し、地域の相談窓口に接続する。
申告者には控除は出ないが、受け手を繋ぐ。
救いが遅れないよう、徳ポイントの外側に回路を作る。
文章は短く、乾いていて、反論が付きやすかった。
昼前に、返事が来た。
> 重要な視点だが、制度趣旨(税制による行動促進)から外れるため、別途検討。
別途は、先延ばしの別名だ。
ぼくは文書を閉じ、画面を開いた。
数字は増え、窓はきれいだった。
*
季節が変わり、ランキングの順位はほとんど動かなくなった。
動画の編集は上等になり、善意は光の粒になって流れた。
ぼくは点検し、承認し、時々は却下した。
却下理由は、言葉を選ぶ。
選びにくい理由ほど、丁寧になる。
夕方、田沼が小さく言った。
「さっき、路地でさ」
「うん」
「倒れてる人がいて」
「うん」
「声をかけたら、断られた。『採算が悪いから』って」
「断られたのは、誰」
「周り。人が集まってて、みんなスマホ持ってた。単価、低いんだって」
「そうか」
田沼は机にうつむき、少しして顔を上げた。
「地味だよな」
「地味だ」
彼は頷いた。頷きは、重かった。
*
ある日、審査画面に、短い申請が現れた。
添付は無し。本文だけ。
> もう一回だけ、申請します。あの人は、動画が嫌いです。
氏名は、以前の老夫婦と同じだった。
ぼくは規定通り、却下にチェックを入れ、コメント欄に打ち込んだ。
「制度上、控除はできません。それでも、ありがとうございます」
送信したあと、指先を見た。
震えはなかった。
震えがないのは、良いことかもしれない。
良いことは、たいてい、誰かにとって良い。
*
夜、街の掲示板に新しい広告が出た。
「やさしさ控除・年末調整まつり」
音量は控えめで、フォントは丸い。
画面の下を、テロップが流れる。
「寄付プール、達成」
達成は、よく使われる。数字は、揃う。
揃わないものは、どこかで余る。
余ったものは、捨てられるか、こぼれる。
帰り道、あの路地を通った。
排水溝の蓋は、最近、よく開いている。
泥は、少なくなっていた。
どの申請にも、載っていなかった。
誰かが、やっている。
*
年度末、ぼくは机の引き出しを整理した。
封筒。レシート。メモ。
やさしさ 0円のレシートは、色褪せていた。
紙は薄く、角は少し丸い。
紙は、簡単に破れる。
破ったら、何も残らない。
残すと決めたら、少し残る。
画面に、最終の判定ボタンが現れた。
承認/却下
申請は、病院の待合室から。
本文は短かった。
> 今から向かいます。証拠はありません。
ぼくは却下にカーソルを合わせ、止めた。
制度を外れたクリックは、できない。
制度は、制度だから。
窓の外は静かで、遠くで救急車の音がした。
音は控えめで、正確だった。
ぼくは画面を閉じ、席を立った。
ロッカーからコートを取り出し、廊下を歩いた。
自動ドアは、軽く開いた。
軽く開くものは、軽く閉まる。
外に出ると、風は弱く、空気は湿っていた。
路地の曲がり角で、人だかりがあった。
誰かが、座り込んでいた。
周りの人は、様子を見ていた。
スマホを握っていた。
画面に、徳ポイントのアイコンが光っていた。
誰かが、小さく言った。
「採算が悪いな」
ぼくは足を止めた。
胸の内で、何かが落ちた。
落ちた音は、外へ出ない。
ぼくは近づき、声をかけた。
「救急車は——」
隣の男が、ぼくを見た。
目は疲れていた。
言った。
「採算が悪いので」——その人は、目を閉じた。




