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8歳の少年は霊が見えない

由緒正しい陰陽師の家に生まれたかすみ

しかし霞は今日までお化けを見たことがなかった。



「霞や。」

 

おじいちゃんはいつものように僕の隣であぐらを組み空を見上げる。

広い広い日本家屋の中庭の一角、縁側に立つ僕はおじいちゃんの隣に腰を下ろし、足はぷらんと外に投げ出した。

石に囲まれた池では赤白鮮やかな鯉が舞い踊るように泳ぐ。

空は雲一つない澄んだ青空。

おじいちゃんのたばこの煙がぷかぷかと空に吸い込まれるように消えた。

「昨日、森に入ったってな。お前の母さんが嘆いてたぞ。」

おじいちゃんは笑顔だ。

どんなにパパが怒っても、ママが泣いても、おじいちゃんは僕を叱らない。

笑顔でのんびりと、たばこを蒸しながら諭すように言う。

「うん。でも奥までは行ってないよ。」

「なぜ、森は危ないと思う?」

「森にはお化けがウジャウジャ居て、子供を攫うって。」

昨日パパに聞かされた言葉をそのまま言った。

そんな話はもう耳にタコができるほど聞いていた。

「信じていないんだね?」

「おじいちゃんは信じてるの?」

間髪入れずに訊ねれば、おじいちゃんはたばこの灰を土に落とし、口に咥えなおす。

「昔は信じていなかったよ。

お化けがいるのは森だけじゃあない。

森の中も、外も、お化けは等しく存在する。

結局どこも危ないのだから森に入っても良いと、自信満々に毎日森を探検しては親に怒られていたよ。」

「ふはっ」

僕は笑った。こんなだから僕はおじいちゃんが好きなのだ。

「お化けなんて居ないよ。」

僕が言えば、おじいちゃんは困ったように眉尻を下げた。

「どこもかしこも居るものさ。だから私たちには仕事がある。」

「居ないものを居るって嘘ついて、脅かしてるんじゃないの?」

「そっちの仕事のほうがウンと安全で、ウンと楽な仕事だなぁ。」

おじいちゃんは一人で「あっはっはっ」と大きく笑う。

僕にはおじいちゃんが冗談を言っているようにしか思えなかった。


僕達の家は陰陽師をやっている。

大昔にものすごい偉業を成した陰陽師の遠い遠い子孫で、蔵にはその家系図が分厚い巻物となって大事に大事に保管してあるらしい。

陰陽師っていうのは天気を当てたり、占ったり、時には悪いお化けを退治したりするお仕事。

おじいちゃんは「何でも屋さん」だと言った。

陰陽師の家に生まれた人はみんな強い霊感とやらを持っている。

生まれたその瞬間から世界にかけられた布を1枚めくったかのように裏側の世界を見ることができる。僕にはそんなものは見えない。

パパも、ママも、おじいちゃんも、子どもの僕をからかっているんだと思ってた。


でも、それは誤りだと知った。







今日も今日とて僕は意気揚々森の中に入っていった。

パキパキと落ちている枝を踏み、低木から花を摘んでは蜜を吸い、パタパタと鳥が羽ばたけば後を追う。

深く、深く、森の奥へと進んでいく。

目的もなければ理由もない。

ただ青々とした葉がざわめく音を聞き、枝の隙間からこぼれる太陽を全身に浴びて、草花や土の匂いを胸にいっぱい吸い込むこの瞬間を楽しみに来ただけだ。

いつの間にか『折り返し地点』に辿り着いた。

折り返し地点とは、あの幹の太い大きな木の事だ。

僕の家が付けたと思われる紙垂がぐるりと巻いてあり、分かりやすい良い目印となっていた。

でも今日は何故か、その木の横をすり抜けていった。

ただ何となく、何かに惹かれるように僕は森の奥に進み続けた。

森に入って随分と経った。二十分、三十分、いやもっとだ。

僕は足を止めた。視界の端でひらりと白い布が舞ったように見えたのだ。

その方を振り向けば、艶のある長い黒髪の女性が一人歩いていた。

つばの大きな白い帽子を目深にかぶり、顔ははっきりとは見えない。

でも僕は綺麗な人だと確信した。

陶器のように青白い肌とさくらんぼのような赤い唇が僕の目を釘付にした。

風が吹けば光沢のある真っ白のワンピースがはためく。

足は棒切れのように細くて、森の中ではとても歩きにくそうな紐の細いサンダルを履いていた。

彼女はそんな事など一切関係ないといった足取りでサクサクと小道から外れ、木と木の間を縫うように歩いている。

不思議に思った僕は彼女の後を追った。

小道を外れ、草や木の根っこで荒れ果てた道をずんずんと進む。

女性は僕なんかには気付かず無我夢中で歩み続けている。

ある時彼女は進路を変えた。大きく左の方へ逸れ彼女の体は木々の陰に吸い込まれていく。

僕は見失うまいと走り出した。

ザクザクと草を踏みつけ、驚いた鳥たちが近くの低木からバサバサ飛び立った。

いよいよ彼女の姿は完全に見えなくなった。

僕はさらに足を速め、最後に彼女の姿を確認した木の裏側へ飛び込んだ……その瞬間、ズルリと僕の足が滑った。

「うわああああああ!!!!」

体が完全に宙に舞った。

僕が強く踏み込んだ地面は鋭い斜面だったのだ。

利き足は前に滑り上がり、尻もちをつきかけた所で反対の足で踏ん張る。

その足さえズルリと滑って、今度は完全に尻もちをつき、尻が斜面を滑り落ちる。

途中木の根に引っかかったと思えば体勢を崩して上半身の左側を強く地面に打ち付け、そのままゴロゴロと斜面を転がり落ちる。

死んだ……と、そう思うくらいに落ちて、落ちきって、僕はいつの間にかぼんやりと空を見ていた。

全身がジンジンと痛む。痛むってことは、僕はまだ生きているのだろうか。

でも、とても手足を動かす気にはなれなかった。

チュンチュンと小鳥の囀りが聞こえる。

木の葉がざわめき、枝が揺れる。その瞬間かすかに太陽の光がのぞいた。

枝が再び太陽を隠した。木々の隙間から見える少しの青色。

空が、あんなにも遠い。

パキパキと音がした。枝が折れた。カサカサと音がする。木の葉を踏んでいる……。

何だ。何かがいる。音が近づいてくる。

皮膚が粟立つのを感じる。寒い。急激に気温が落ちたかのようだ。

背中に触れる地面がやけに冷たいように思う。

極度に緊張しているのか、口がカラカラになっている。

潤いを求めるように無意識に唇を舐めた。妙な味がした。土の味かもしれない。

次第に、鼻にツンとくる臭いがし始めた。

何だこれは。嗅いだことのない匂いだった。

ツンとして、グロテスクで、吐き気を催すような酷い臭いだ。

突然、視界に女が現れた。

僕の頭の上に立ち、彼女の頭が空も、木の枝も、葉っぱも、何もかもを覆い隠す。

白い帽子から生えた黒髪がバサバサと舞う。

なんだろうこれは。何故か、その髪が生きているのではないかと感じ始めた。

白いワンピースから伸びた手足は青白く棒切れのようだ。

肉がなく、血の気がない。それはジワリ、ジワリと黒く変色し始めた。

さくらんぼの艷やかな唇が三日月のように歪む。

開いた口に歯はない。真っ黒な空洞が、大きく、大きく、僕を飲み込むように開く。

 

__だめだ、食われる。


直感的に感じた。目尻に涙が浮かぶ。

黒い髪が触手のように、ヘビのように、僕に向かってくる。

嫌だ、嫌だ、嫌だ。死にたくない。気持ち悪い。やめてくれ!!!

その時、僕の心臓にイカズチが落ちたような感覚を覚えた。

いや違う、それは内側から走ったものだった。

心臓から突き上がるように電気のようなものが駆け抜けたのだ。

飛び上がるように起き上がり、彼女に相対する。

震える足で、少しずつ、少しずつ、ジリジリと後退る。

なぜか僕は、倒さなきゃと思った。

でも倒し方が分からない。

距離を置きながら僕は思考を加速させた。

何とかしなきゃとグツグツ煮えたような感情が湧き上がる。

僕の足はガクガク震え、歯がカチカチと鳴る。

目にいっぱいに溜まった涙が溢れる。

すると、コツンと踵に何かが当たった。大きい何かだ。

それが太く長い、バットのような木の枝だとわかった時、僕は迷わず拾い上げ、女に向かって走り出した。

体が熱い、力が漲ってくるようだった。

あのイカズチが僕に力を与えたに違いない。

木の枝を握りしめる手にビリビリとした痺れが走る。

知らず知らず、僕は口角を上げていた。笑っていた。

女は手を伸ばす。僕の頭を掴めるほどの大きな手を目一杯広げた。


「うわあああああああああ!!!!!!!」


僕は渾身の力で木の枝を振った。

上から下へ、ヘナヘナへっぴり腰で、僕が理想としていたよりも遥かに弱い力だった。

ぽすん、と女に当たる。女はその瞬間霧散した。

真っ白な煙のようになって、シュワシュワと消えた。

僕はしばらくその場に立ち尽くしていた。

木の枝を力いっぱい握りしめ、女の立っていた場所を見つめ続けた。

待てども、待てども、もう二度と女は姿を現さなかった。


「……帰らなきゃ。」


僕は木の枝を足元に捨てた。

くるりと右斜め後ろを向いて、トボトボ歩き始めた。

どうしてだろう……僕には帰る道が分かっていた。

何かが道を示してくれている。僕にはそう思えてならなかった。


三十分も歩けばあの折り返し地点が見えた。

紙垂が風に揺れてカサカサと言っている。

僕は招かれるように大樹の元へ向かい、いつの間にか手を合わせていた。

太い木の幹に巻かれた紙垂がさっきと同じように優しくカサカサと揺れている。

木の陰で小さな何かがクスクスと笑うのが聞こえた。

僕はパチパチと瞬きを二度繰り返した。

ストンと、僕の中で何か腑に落ちたような感覚があった。

「……ありがとう。」

そう言って僕は駆け出した。真っすぐ、ひたすら真っすぐに……。

間もなく眼前に外の光が現れる。

鬱蒼とした森を抜け、眩むような光が僕の全身を焼いた。

森のひんやりとした空気とは違う、暖かな風が頬を撫でた。

外だ……。僕は森を出ることができた。

日は高い。森に入った時と何一つ変わらぬ空が僕を迎えた。

全身に染み渡るような安堵感が広がり、一気に力が抜け落ちてしまった。

疲労がずっしりと重く僕にのしかかる。

急に体重が二十キロ増えたかのように足が重く動かなくなっていた。

僕は体を引きずるように家に帰った。

庭掃除をしていたママは僕の姿を見るなり鬼の形相で駆け寄ってきた。

「霞!!何よその格好!!泥だらけじゃない!!!

また森に入ったのね!!!」

僕は小さく頷いた。

ママに腕を引かれ、家の外周を回るように中庭に連れて行かれた。

その間ママはずっとプリプリ怒っていた。

でも、僕はママの怒鳴り声も、自分の泥だらけの服も、なぜか遠い出来事のように感じていた。

中庭にはおじいちゃんがいた。

いつものように縁側でたばこを吸っている。

僕の顔を見るなりおじいちゃんはにっこり微笑んだ。

「また森に入ったのかい?」

「お父さん!今日こそはこの子を叱ってください!

こんな泥だらけになって、怪我してないでしょうね!!」

「うん。」

不思議と、痛みは引いていた。

森で転がっている時は全身あんなに痛かったのに、今はどこも痛くなかった。

「ねぇ、おじいちゃん。」

ママが僕の顔や腕や足をキーキー言いながら見て回っている中僕は尋ねた。

「どうしたんだい?」と、おじいちゃんは柔らかな目で僕の言葉を待っていた。

「僕、僕ね、お化けを見たよ。」



これが、僕の人生で初めてのお化け退治だった。



練習とキャラクター作りで執筆しています。

不定期で続きを上げるのでよろしくお願いします。

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