トレーに乗せた「好き」の二文字 ~聖夜に響け、恋のファンファーレ!~
年の瀬も押し迫り、街路樹の葉もすっかり寂しくなった今日この頃。俺、真島蒼汰は、いつものようにファミレス「ジョイフルキッチン」の厨房で、油と熱気と戦っていた。ジュウウウ、と小気味いい音を立てるフライドポテトをバスケットごと引き上げながら、俺の視線は自然とホールの喧騒へと吸い寄せられる。
お目当ては、もちろん友野朱里だ。
「お待たせしましたー! こちら、たっぷりキノコとベーコンの和風パスタになりまーす!」
朱里が、いつもの太陽みたいな笑顔で、ほかほかの湯気を立てる皿を運んでいく。その声が聞こえるだけで、油まみれのフライヤーと格闘するこの薄暗いキッチンが、なんだか浄化されるような気がするから不思議だ。彼女が運ぶトレーの上には、ただの料理じゃなくて、幸せのかけらでも乗ってるんじゃないか? なんて、本気で思うくらいには、俺は朱里にベタ惚れだった。
朱里とは、このジョイフルキッチンでバイト仲間として出会って、もう一年が経つ。最初は、ただ「明るくて可愛い子だな」くらいにしか思っていなかった。それがいつからか、彼女のふとした瞬間の表情や、仕事に対する真面目さ、休憩中に見せるちょっとおっちょこちょいなところに、心臓がやたらと主張するようになった。
特に忘れられないのは、夏の終わり頃のことだ。その日は記録的な猛暑で、店のエアコンがまさかの故障。キッチンはサウナ状態、ホールだってお客様の熱気と外からの暑さで、スタッフ全員がグロッキーだった。俺も汗だくで朦朧としながらチキンソテーを焼いていた時、ふと朱里がドリンクバーの補充をしているのが見えた。額に汗をにじませ、一生懸命に重そうなドリンクのパックを運んでいる。その時、彼女がふらっとよろけたんだ。
「危ないっ!」
俺はとっさにキッチンを飛び出し、倒れそうになる朱里の腕を掴んでいた。
「だ、大丈夫か、友野さん!?」
「あ…真島くん…ごめん、ちょっと立ちくらみが…」
顔を真っ赤にして俯く朱里。その細い腕が、想像以上に熱かったのを覚えている。
「無理すんなよ。今日は特にヤバい暑さだし」
「うん…ありがとう。助かったよ」
そう言って顔を上げた朱里の笑顔が、なんだかいつもより弱々しくて、でも、それが妙に俺の胸を締め付けたんだ。「こいつのこと、俺が守らねえと」なんて、柄にもないことを思ったっけ。まあ、実際にはその後、店長が慌てて駆けつけて朱里を休憩させて、俺は持ち場に戻ってまた油と格闘しただけだったんだけど。でも、あの瞬間から、俺の中で朱里の存在は、ただのバイト仲間じゃなくなった気がする。
秋が深まり、冬の気配が近づくにつれて、俺の朱里への想いは、キッチンでコトコト煮込まれるデミグラスソースみたいに、濃厚さを増していった。休憩時間が一緒になれば、くだらない話で盛り上がった。
朱里が好きなバンドの話、俺がハマってる深夜アニメの話。彼女は俺の話をいつも楽しそうに聞いてくれて、それがまた嬉しくて、俺はますます朱里のことが好きになっていった。
「なあ、蒼汰。お前、最近やけに友野さんと仲良いよな?」
ある日のバイト終わり、同じキッチンの先輩、大学三年生のリア充、健太さんにニヤニヤしながら肩を叩かれた。
「な、何すか、健太さん。別に普通ですよ」
「普通って顔じゃねーだろ、それ。なんかさ、友野さんの話する時、お前、目がキラキラしてんぞ」
図星だった。俺は動揺を隠すように、慌ててロッカーに荷物を突っ込んだ。
「そ、そんなことないっすよ! もう、からかわないでください!」
「はいはい、ごちそうさまー。ま、頑張れよ、青春ボーイ」
健太さんはそう言って、さっさと帰っていった。残された俺は、ロッカーの扉に映る自分の顔を見つめる。…確かに、ちょっとニヤけてるかもしれない。
そんな日々を過ごしているうちに、あっという間に12月がやってきた。街はクリスマス一色。ジョイフルキッチンの店内にも、ささやかながらクリスマスツリーが飾られ、有線からはエンドレスでクリスマスソングが流れている。そのキラキラした雰囲気が、俺の焦りを一層掻き立てた。
(やばい、もう今年も終わっちまう…このままじゃ、ただのバイト仲間で卒業だぞ、俺…!)
告白するなら、クリスマスしかない。ベタだって笑われようが、これ以上のシチュエーションはないはずだ。問題は、どうやって朱里を誘い出すか、だ。
まず考えたのは、デートに着ていく服。俺のクローゼットは、見事に茶色と黒とグレーの三色で構成されている。Tシャツ、パーカー、ジーパン。以上。これじゃあ、あまりにも色気がなさすぎる。
「なあ、お前、クリスマスのデートってどんな格好してく?」
数少ない男友達の拓也に、SOSのメッセージを送った。拓也は、クラスでもお洒落なやつで通っている。
『え、蒼汰がデート? 誰と? もしかして、例のファミレスの?』
すぐに返信が来たが、内容は期待していたものとはちょっと違った。
『うるせえ! いいから教えろって!』
『まあまあ。落ち着けって。相手によるけど、とりあえず清潔感が大事だろ。あと、ちょっとだけ背伸びするくらいがちょうどいいんじゃね? いつもと違うギャップにドキッとさせろ!』
ギャップ、か…。俺のギャップってなんだろう。とりあえず、本屋でメンズファッション誌を立ち読みしてみたが、横文字ばかりのアイテム名と、現実離れしたモデルの着こなしに、早々に心が折れた。結局、数日間うんうん唸った末に、クローゼットの奥から引っ張り出してきたのは、去年買ったけど一度も袖を通していなかった、ちょっと細身のネイビーのダッフルコートだった。
これなら、いつもの俺よりは少し大人っぽく見える…はずだ。インナーは、白いタートルネックのセーター。うん、これなら清潔感もあるだろう。拓也のアドバイス、意外と的確かもしれない。
次に頭を悩ませたのは、プレゼントだ。女子高生が喜ぶものなんて、皆見当もつかない。アクセサリー? でも、どんなのが好きなんだ? マフラーとか手袋? 実用的だけど、なんか普通すぎるか…?
放課後、俺は一人で駅前の雑貨屋やアクセサリーショップを巡った。キラキラした商品に囲まれて、場違い感マックスの俺。店員さんの「何かお探しですか~?」という声にビクビクしながら、朱里の顔を思い浮かべる。
(朱里は、普段あんまり派手なアクセサリーはしてないよな…でも、小さいピアスくらいなら…いや、そもそもピアスの穴、開いてたっけ…?)
そんなことを考えながら、とある店のショーケースに目をやった時、ふと、小さな雪の結晶の形をしたネックレスが目に留まった。華奢なチェーンに、キラリと光る小さなジルコニア。派手すぎず、でも可愛らしい。
「これだ…!」
なぜか直感的にそう思った。朱里の優しげな雰囲気に、このネックレスはきっと似合う。店員さんに声をかけるのも緊張したが、なんとか購入し、可愛らしいクリスマス仕様のラッピングをしてもらった。プレゼントを抱えて店を出た時、俺はなんだか大きなミッションを一つクリアしたような達成感に包まれていた。
そして、ついに朱里をデートに誘う日がやってきた。その日のシフトは、夕方からラストまで。俺はキッチンで、いつも以上に集中できない自分と戦っていた。フライヤーのタイマーをセットし忘れそうになったり、オーダーを間違えそうになったり。
(落ち着け、俺! 今日のメインディッシュは、鶏の唐揚げじゃなくて、朱里へのデートの誘いだぞ!)
休憩時間が近づくにつれ、心臓の鼓動はどんどん早くなる。作戦はこうだ。休憩室で二人きりになったタイミングを見計らって、さりげなく声をかける。…うん、完璧だ。
そして、運命の休憩時間。俺が休憩室に入ると、そこには朱里が一人でスマホをいじっていた。チャンス!
「あ、友野さん、お疲れ」
「お疲れ様、真島くん」
朱里が顔を上げてニッコリ笑う。その笑顔だけで、俺の緊張は一気に臨界点に達した。
「あのさ、友野…さん」
声が上ずる。やばい、練習した通りに言えるか?
「ん? なあに、真島くん」
くりっとした瞳が、まっすぐに俺を見つめている。もう後には引けない。
「あ、あのさ、もし…もしもだよ? 今月とか、暇な日とか…あったり…なかったり…しますか…ね…?」
ああもう、なんだこの日本語! 自分でも何を言ってるのか分からなくなりそうだ。緊張で口の中はカラカラ、視線は明後日の方向を向いている。これじゃあ、不審者以外の何者でもない。顔から火が出そうだ。
ところが、朱里はきょとんとした顔で小首を傾げた後、ふわりと笑った。
「うん、暇な日、あるよ? どうしたの?」
え、マジで? 俺の壊滅的な誘い文句、通じたのか? 神様、仏様、クリスマス様!
「あ、いや、その…もしよかったらなんだけど…どっか、遊びに…とか…その、クリスマスとか…近いし…」
しどろもどろになりながらも、なんとか言葉を繋ぐ。
すると朱里は、「クリスマスかぁ」と少し考える素振りを見せた後、パッと顔を輝かせた。
「いいよー! どこ行く? 私、ちょうどクリスマスイブ空いてるんだ!」
まさかの即答!? しかも、クリスマスイブ指定!? あまりのあっけなさに、俺は鳩が豆鉄砲を食らったみたいに固まってしまった。
「え、あ、いいの? クリスマスイブ…」
「うん! 楽しみだね!」
朱里はそう言って、スマホでスケジュールを確認し始めた。…え、これ、夢じゃないよな? 俺、友野朱里とクリスマスイブにデートするのか? 信じられない思いと、じわじわと湧き上がる喜びで、俺はしばらくの間、休憩室のパイプ椅子に座ったまま動けなかった。
デートの約束を取り付けてからクリスマスイブまでの日々は、まさに天にも昇るような心地だった。カレンダーの24日のところに、赤いマジックで大きな二重丸をつけた。毎朝それを眺めてはニヤニヤし、バイトで朱里と顔を合わせるたびに、なんだかお互いにぎこちない空気になるのが、また初々しくてドキドキした。
「真島くん、最近なんか嬉しそうだね。いいことあった?」
休憩中に、朱里にそう言われて、俺は思いっきり動揺した。
「え!? あ、いや、別に…な、なんもないよ?」
「ふーん? そうなんだー」
そう言って意味ありげに笑う朱里。もしかして、俺の気持ち、バレバレなのか…?
一方、朱里も朱里で、その頃、クローゼットの前で一人ファッションショーを繰り広げていたらしい。というのは、後日談で聞いた話だ。蒼汰くんに会うんだから、いつもよりちょっとだけお洒落したい。
でも、気合入れすぎって思われたら恥ずかしいし…。そんな乙女心全開で、手持ちの服をあれこれ引っ張り出しては鏡の前で合わせてみて、親友のミキちゃんに「ねえ、どっちがいいと思う?」なんてLINEで写真を送りまくっていたそうだ。
「あんた、普段そういうの全然気にしないのに、どうしたのよ、朱里!」
ミキちゃんからの返信に、朱里は「ちょっとねー」なんてはぐらかしながらも、頬が緩むのを止められなかったという。結局、朱里が選んだのは、お母さんと一緒に買いに行った、ふんわりとしたオフホワイトのアンゴラのコート。それに、淡いピンクのマフラー。蒼汰くん、どんな顔するかな、なんて想像しながら、デートの日を心待ちにしていたらしい。
そんな朱里が、俺のために何か小さなプレゼントを用意していてくれたなんて、当時の俺は知る由もなかった。
朱里は、俺が休憩中によく缶コーヒーを飲んでいるのを知っていて、クリスマス限定デザインの、ちょっとお洒落なタンブラーを選んでくれていたのだ。これなら、実用的だし、蒼汰くんも気兼ねなく受け取ってくれるかな、なんて考えながら。
俺の方はというと、デートプランを考えるのに必死だった。ネットで「クリスマス デート おすすめ」「イルミネーション 都内」なんて検索ワードを打ち込みまくり、口コミサイトを隅から隅までチェックした。横浜の赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットもいいな、いや、表参道のイルミネーションも捨てがたい…。
結局、悩みに悩んだ末、王道ではあるが、やっぱりあの街で一番大きなクリスマスツリーの下で告白しよう、と心に決めた。そこまでの道のりも、朱里が楽しんでくれるような場所をいくつかピックアップした。
そして、ついにやってきた12月24日。クリスマスイブ。
俺は約束の時間より30分も早く、待ち合わせ場所の巨大なクリスマスツリーの前に着いてしまった。新品のダッフルコートはまだ体に馴染まず、なんだか落ち着かない。プレゼントの入った紙袋を握りしめる手に、じっとりと汗が滲む。道行くカップルたちがやけに幸せそうに見えて、俺の心臓は期待と不安で破裂しそうだった。
「蒼汰くん、お待たせ!」
軽やかな声に振り返ると、そこには、俺の想像を遥かに超えるくらい可愛い朱里が立っていた。白いコートが、まるで雪の妖精みたいで、普段ファミレスで見慣れているポニーテールとは違う、少しウェーブのかかった髪が、夕暮れの光にキラキラと輝いている。
「う、ううん、全然待ってない…っていうか、俺も今来たとこ…だし?」
まただ。緊張すると、俺の語彙力は小学生レベルまで退化するらしい。でも、朱里はそんな俺を見て、くすっと笑った。
「そのコート、すごく似合ってるね」
「え、あ、ありがとう…友野さ…朱里さんも、その、めちゃくちゃ可愛いです…」
しどろもどろになりながらも、なんとか褒め言葉を口にすると、朱里は少し頬を赤らめて「ありがとう」と呟いた。
その日のデートは、本当に夢みたいだった。
最初に、クリスマスマーケットをぶらぶら歩いた。色とりどりのオーナメントや、温かそうなキャンドル、甘い香りのするホットワインのお店なんかが並んでいて、見ているだけでワクワクした。
俺たちは、揃いのトナカイの角のカチューシャなんて買っちゃったりして、それを付けて写真を撮り合った。朱里の笑顔が、本当に楽しそうで、俺はそれだけで胸がいっぱいになった。
「ねえ、蒼汰くん、あれ食べたい!」
朱里が指さしたのは、大きなプレッツェルのお店。二人で一つ買って、半分こにして食べた。外はカリッとしてて、中はもちもち。ほんのり塩味が効いてて、めちゃくちゃ美味しかった。
「美味しいね!」
「うん、うまい!」
そんな他愛もない会話が、どうしようもなく楽しかった。
その後は、少し離れた場所にあるイルミネーションが綺麗な公園まで歩いた。何万個ものLEDライトが木々を飾り付け、まるで光のトンネルみたいだった。
「わあ…すごい…!」
朱里が感嘆の声を上げる。その横顔が、イルミネーションの光を受けてキラキラと輝いていて、俺は思わず見とれてしまった。
「…友野さん、寒くない?」
「うん、大丈夫。コート暖かいし、それに…」
朱里はそこで言葉を切って、少し照れたように俺の顔を見た。
「蒼汰くんと一緒だから、あったかいよ」
…反則だろ、それは。俺の心臓は、もう限界を超えて暴れまくっていた。
公園のベンチに座って、自動販売機で買ったホットココアを飲んだ。朱里は、可愛らしいクリスマス柄の紙袋を俺に差し出した。
「あのね、これ、よかったら…」
「え、俺に?」
中を開けると、お洒落なタンブラーが入っていた。
「いつも缶コーヒー飲んでるから。これなら、ちょっとはエコかなって」
「うわ、ありがとう! めっちゃ嬉しい!」
俺も慌てて、用意していたプレゼントを渡した。
「俺も、朱里さんに…」
朱里が小さな包みを開けると、雪の結晶のネックレスが現れた。
「わあ…可愛い…!」
朱里の目が、きらりと輝いた。
「つけてみてもいい?」
「うん、もちろん」
朱里が少し苦戦しながらネックレスをつけようとするのを、俺はドキドキしながら見守った。
「できた! どうかな?」
白い首筋に、小さな雪の結晶がキラリと光っている。
「…すごく、似合ってる」
我ながら、ありきたりな言葉しか出てこなかったけど、それが精一杯だった。朱里は本当に嬉しそうに微笑んでくれて、俺はそれだけで、このプレゼントを選んでよかったと心から思った。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。朱里が雪の結晶のネックレスを嬉しそうに何度も指でなぞっているのを見て、俺の心臓は温かいもので満たされていくのを感じた。公園のベンチで、他愛もない話をしながら、時折視線が絡み合っては、どちらからともなく照れ笑いを浮かべる。そんな時間が、永遠に続けばいいのに、なんて本気で思った。
空にはいつの間にか、ダイヤモンドをちりばめたみたいに星が瞬き始めていた。公園のイルミネーションも、夜が深まるにつれて一層輝きを増している。
「…そろそろ、行こうか」
名残惜しい気持ちを振り払うように、俺は立ち上がった。本当はもっとこうしていたいけど、今日、俺にはどうしても伝えなきゃいけないことがある。そのための最高の舞台が、俺たちを待っているはずだ。
「うん」
朱里も素直に頷いて、隣に並んで歩き出す。
目指すは、最初に待ち合わせした、あの巨大なクリスマスツリーだ。そこへ向かう道すがら、俺の口数は徐々に減っていった。いや、何か話そうとしては、言葉がうまく出てこない。さっきまでの饒舌さはどこへやら、頭の中は「好きだ」という三文字がぐるぐると渦巻いて、他のことを考える余裕なんてなかった。
(やばい、緊張してきた…どうしよう、もし断られたら…いや、でも、今日しかないんだ…!)
掌にじっとりと汗が滲む。何度もコートのポケットの中で拳を握りしめ、そして開いた。隣を歩く朱里が、時折不思議そうな顔で俺を見ているのに気づいたけど、うまく取り繕うこともできない。
「蒼汰くん、どうかした? さっきから静かだけど…もしかして、体調悪い?」
心配そうに俺の顔を覗き込む朱里。その優しさが、嬉しいけど、今はちょっとだけ、つらい。
「あ、いや、大丈夫! 全然、元気だから!」
慌てて笑顔を作ってみたけど、きっと引きつっていたに違いない。朱里は
「そっか、ならいいんだけど…」
と小首をかしげている。ごめん、朱里。今、俺、めちゃくちゃテンパってるんだ。
クリスマスツリーが近づくにつれて、周りの喧騒はどんどん大きくなっていった。楽しそうなカップルたちの笑い声や、遠くから聞こえるクリスマスソングの陽気なメロディ。そのすべてが、まるで俺一人の緊張感を際立たせるためのBGMみたいに感じられた。
そして、ついに、その巨大なクリスマスツリーが目の前に現れた。何万もの電飾が、夜空に向かってまばゆい光を放っている。その圧倒的な存在感の前に立つと、俺の決意は、否応なしに固まっていった。
深呼吸を一つ。冷たい夜気が肺を満たして、少しだけ頭がクリアになる。隣に立つ朱里の髪から、ふわりと甘いシャンプーの香りがした。この香りを、もっと近くで感じていたい。そのためには、ここで一歩踏み出さなきゃダメなんだ。
深呼吸を一つ。冷たい夜気が肺を満たして、少しだけ頭がクリアになる。隣に立つ朱里の髪から、ふわりと甘いシャンプーの香りがした。この香りを、もっと近くで感じていたい。そのためには、ここで一歩踏み出さなきゃダメなんだ。
「あのな、俺…朱里さんのことが、好きだ」
言った。
とうとう言った。声は震えていたかもしれない。ちょっと裏返っていたかもしれない。でも、紛れもなく、俺自身の言葉で、心の底からの想いを伝えた。
ツリーの無数の電飾が、朱里の大きな瞳にキラキラと映り込んでいる。彼女は何も言わず、ただじっと俺の目を見ていた。その数秒が、まるで永遠みたいに長く感じられた。風の音と、遠くで鳴り響くクリスマスソングだけが、やけに大きく聞こえる。
(ダメか…? やっぱり、俺なんかじゃ、釣り合わないのか…?)
ネガティブな思考が頭をもたげる。朱里の表情は変わらない。いや、少しだけ、困ったような、それでいて何かを堪えているような、そんな複雑な色を浮かべているように見えた。
俺は、次の言葉を待つのが怖くて、思わず俯いてしまった。握りしめたプレゼントの紙袋が、カサリと虚しい音を立てる。
と、その時だった。
「…私も」
え?
顔を上げると、朱里が、ほんの少しだけ頬を赤らめて、でも、まっすぐに俺を見つめ返していた。
「私も、蒼汰くんのこと…ずっと、気になってた」
え、え、ええええ!?
今、なんて…?
俺の耳は、都合のいい幻聴を聞き始めたわけじゃないよな?
「だから…うん。よろしくお願いします」
はにかむように、でもはっきりと、朱里はそう言って、ふわりと微笑んだ。
その笑顔は、どんなイルミネーションよりも、どんな星空よりも、眩しくて、綺麗で、俺はもう、言葉が出なかった。頭の中が真っ白になって、さっきまでの緊張とか不安とか、全部どこかに吹っ飛んでいった。ただ、胸の奥から、マグマみたいに熱いものがこみ上げてきて、視界がじわっと滲んだ。
「…へ?」
やっとのことで絞り出した俺の声は、自分でも驚くほど間抜けだった。
朱里は、そんな俺を見て、くすくすっと笑った。
「だから、私と、付き合ってくださいってことだよ、蒼汰くん」
追い打ちをかけるような、天使の囁き。
「…っしゃああああ!」
気づけば俺は、夜空に向かって、力一杯ガッツポーズを繰り出していた。周りのカップルたちが何事かとこっちを見ている気もするが、もうどうでもいい。嬉しすぎて、叫び出したい気分だった。いや、ちょっと叫んでたかもしれない。
朱里は、そんな俺の姿を、少し呆れたような、でもすごく優しい目で見守ってくれている。
「もう、蒼汰くん、声大きいよ」
「だ、だって…夢みたいで…」
俺はまだ興奮冷めやらぬまま、朱里に向き直った。
「ほんとに? ほんとに俺でいいの?」
「蒼汰くんがいいの」
即答。その力強い言葉に、俺はもう一度、天にも昇る気持ちになった。
「あ、あのさ…」
俺は、おずおずと自分の右手を差し出した。
「て、手…繋いでも、いい…ですか…?」
さっきまでの勢いはどこへやら、またしてもヘタレな俺が顔を出す。
朱里は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにふふっと笑って、その小さな手を俺の手にそっと重ねてくれた。温かくて、柔らかい感触。繋がれた手から、朱里のドキドキが伝わってくるようで、俺の心臓もそれに呼応するように、トクントクンと大きく鳴った。
「…あったかいな」
「うん、あったかいね」
二人で顔を見合わせて、どちらからともなく笑みがこぼれる。巨大なクリスマスツリーの下、無数の光に包まれて、俺たちはただ黙って手を繋いでいた。言葉なんていらなかった。繋がれた手の温もりだけで、お互いの気持ちが通じ合っているのが分かったから。
こうして、俺、真島蒼汰の高校生活最後の冬は、一生忘れられない、最高に甘くて、最高に温かいものになったんだ。
クリスマスイブの魔法が解けた後も、俺と朱里の関係は、まるで新しい物語が始まったみたいに、キラキラと輝いていた。
次のバイトの日、ジョイフルキッチンのバックヤードで顔を合わせた時、俺たちは一瞬、何を話していいか分からなくて、お互いに視線を泳がせた。でも、朱里が
「おはよ、蒼汰くん」
って、いつもより少しだけ甘い声で言ってくれたから、俺も
「お、おはよう、朱里さん…じゃなくて、朱里」
なんて、ぎこちなく名前を呼んだりして。そのたびに、二人で顔を見合わせて、照れくさそうに笑い合った。
キッチンからホールを眺める俺の視線の先には、相変わらず太陽みたいに笑う朱里がいる。でも、前と違うのは、彼女も時々、俺の方をチラッと見て、悪戯っぽく微笑んでくれるようになったことだ。そのたびに、フライヤーの油の温度が急上昇するんじゃないかってくらい、俺の顔は熱くなった。
健太さんには、すぐにバレた。
「おい蒼汰、お前、なんか雰囲気変わったな。もしや…友野さんと、ついに…?」
ニヤニヤしながら詰め寄ってくる健太さんに、俺は
「ま、まあ、そんなとこっす」
なんて、頬を掻きながら答えるしかなかった。健太さんは
「やるじゃねえか、青春ボーイ! 今度なんか奢れよ!」
なんて、自分のことのように喜んでくれた。
もちろん、すぐにファミレス中が知るところとなったわけじゃない。俺たちは、バイト中はあくまでも仕事仲間として、周りに気を使いながら接した。でも、休憩時間が一緒になれば、こっそり手を繋いだり、バイト終わりに一緒に帰る約束をしたり。そんな小さな秘密が、俺たちの毎日を、甘酸っぱいドキドキで満たしてくれた。
朱里がプレゼントしてくれたタンブラーは、俺のバイト中の必需品になった。休憩時間に、そのタンブラーでコーヒーを飲むたび、クリスマスイブの夜のことや、朱里の笑顔を思い出して、一人でニヤニヤしてしまう。周りからは「真島、最近なんか機嫌いいな」なんて言われるけど、その理由は、俺と朱里だけの秘密だ。
卒業までの残り少ない高校生活。受験勉強は相変わらず大変だし、ファミレスのバイトだって楽じゃない。でも、朱里が隣にいてくれるだけで、どんなことでも乗り越えられるような気がした。
春になったら、俺たちは別々の大学に進むことになる。もしかしたら、今みたいに毎日顔を合わせることはできなくなるかもしれない。でも、大丈夫。俺たちには、あのクリスマスイブの夜に誓った、キラキラした気持ちがあるから。繋いだ手の温もりがあるから。
あの巨大なクリスマスツリーは、もう片付けられてしまったけれど、俺たちの心の中には、いつまでもあの日の灯りが鮮やかに灯っている。そして、これからもずっと、二人だけの甘いメロディを奏で続けるだろう。
ファミレスのキッチンで、ジュウウウと音を立てるチキンソテーを焼きながら、俺はホールの朱里に、そっとウインクを送った。気づいた朱里が、花が綻ぶような笑顔で小さく手を振ってくれる。
うん、今日も一日、頑張れそうだ。
最高の彼女が、すぐそこにいるんだから。