M2 interested in her
6年前のQueen Special Liveで中道鞘花の最古参オタである杉並ルナと偶然連番した俺。
そしてライブ後にルナに自己紹介をしてから帰路についた俺。
だがルナに対する返事がおかしかったと気付くのに時間はかからなかった。
私は杉並ルナ。届けてくれてありがとう、か。表情からしてそれは違う。焦りというか必死な感じがした。しかし俺はとっさにそれが汲めずトンチンカンな対応をしてしまっていた。
ライブ中、厄介2人組に毅然と立ち向かった時のようにハッキリ話してくれれば良かったのだが、あの時はとても声が小さかった。
あの場はライブ後の興奮から他の客が大声で話しているし、何よりスタッフが拡声器で物販の案内をしていた。もう一度聞き返せば良かったか?落とし物を届けたらすぐ合流すると村人に言ったのであまり時間をかけていられなかった。
それとやはりライブ後に彼女にコミュニケーションを拒絶されたのが効いていた。あの対応をされた後になおもじっくり会話を試みるメンタルは俺にはない。
今、思えば俺が名乗った時彼女は困惑した表情だった。それを思い出して後悔した。彼女の中で俺は落とした会員証を届けてくれた人ではなく会話の通じないおかしな痛いヤツになってしまったことだろう。恥ずかしさがこみ上げると同時に(いや、でもあの時周りうるさかったし。それにアイツが小声で喋るから聞き取れんかったんだ。うん、そうだ)と自己弁護もしていた。
お、カナちゃん来たな。カナとは杉並ルナの妹。つい先日、俺は身分証必須のイベントへ行く途中で直前に立ち寄ったラーメン屋に免許証の入った財布を忘れてしまった。自分で取りにいくと恐らく間に合わないのでカナちゃんにダメ元で頼んだところ、財布を届けてくれた。今日はそのお礼で焼肉ランチをごちそうする。
「カナちゃん、この前は本当にありがとう。危うく入場で弾かれるとこだったわ」
「良太郎さんクラスでもそんな失敗するんですね(笑)」
「誰でもうっかりの一つや二つ…ルナはしなさそうだな。早速注文しようか。値段気にしんでいいよ」
「お伺いしまーす」
「上ハラミランチと冷麺下さい」
「俺は…カルビハラミランチで」
「上ハラミランチと冷麺とカルビハラミランチですね。お待ちくださいませ」
「そういえばさ、カナちゃんは俺とルナが初めて会ったライブのこと知っとる?」
「クイーンなんとかですよね?お姉ちゃんから聞いたことあります」
「あの時のことルナはなんて言っとった?俺が考えてもそれは推測でしかないから」
「えっとですね。良太郎さんに伝えたかったのは『私は杉並ルナだけどそれを他人に知られたくない。あなたは私のことを広めないでほしい』ってことです。お姉ちゃんはかなり人付き合いが苦手で世間で言うところのコミュ障です。それで他のファンと関わりたくなくてSNSなんかも一切やってなかった」
「ところが会員証を見た俺に杉並ルナだと知られてしまったという訳か。不覚にも」
「はい。それでもし自分のことを広められてしまうとファン同士のオフ会に誘われたり、男が寄ってきたりするかもしれない。そういった面倒事は避けたい。せめてこの人にはこれ以上広めてほしくない。そんな思いから言葉を絞り出したけど目の前の人は自己紹介をし始めた。なぜ?完全に会話が嚙み合ってない。ライブ後にお姉ちゃんはどうにか良太郎さんとコンタクトが取りたくてSNS上を探してました」
「でも見つからんよね。俺があの時ルナに言ったのは本名で、ソイッターとかではRYOだから」
「そうなんです。当然見つかりません。個人サイトのライブレポやミッチーのファンサイトなんかもチェックして杉並ルナについては特に書かれてないのを確認してたけどそれでも安心はできなかった。もし自分のことがネットで拡散されたらどうしよう、今後の活動に支障が出るかもしれないっていう不安がしばらくあったみたい。私の知る限りはこんな感じです。」
「なるほどねー、そんなに他人に知られることを恐れとったのか。俺には理解できん。人それぞれだけど」
「私にも理解できませんよ。他のファンと交流してワイワイやった方が楽しいって思うけど…。お姉ちゃんは自称軽度のコミュ障だけど普通にコミュ障だから。良太郎さんが聞き取れなかったのも小声でボソボソ喋るからでしょ。ねぇ良太郎さん?」
「お待たせいたしました。カルビハラミランチのお客様」
「はい」
「上ハラミランチです。こちらは冷麺です」
「はい」
「以上でお揃いでしょうか?」
「はい、ありがとうございます」
「これ、写真よりもうまそうに見えるわ。…あれ、さっき何の話しとったっけ?」
「お姉ちゃんがコミュ障だって話です」
「あ、そうだそうだ。俺は厄介を相手に堂々と立ち向かったルナしかあの時点では知らんもんで実はコミュ障だったなんて思いもしんかったんだわ」
「大体あの頃のお姉ちゃんは仕事以外で男の人と喋ったことなかったですよ。20代半ばでそれはあり得ないくらいヤバい。お姉ちゃんったら普段から人から話しかけられても」
「まーまー。そのくらいにしときゃー。コミュニケーションは苦手でも人間不信とかではないでしょ。結局俺とも喋ってくれたんだでキッカケさえあれば話せるようになるんだわ」
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Queen Special Liveが終わり、4月になった。そしてある日、我々にビッグニュースが飛び込んできた。
Garden of Mitchieの公式ソイッターでミッチーの3年振りのツアー開催が発表された。7月から8月にかけて、東京・名古屋・大阪・福岡・札幌の順に5公演を行う。
「久し振りのツアー嬉しいです!絶対行きます!」
「札幌来てくれるなんて、なまら嬉しいべ!」
「高校生ですが、東京だけは行こうと思います。がんばってバイトします!」
続々と喜びの声が上がっている。
「ツアーは行けませんが応援してます!」
出た出た。こういうのホント意味分からん。行けないのはしょうがないよ。人それぞれ事情はあるだろうし。
でも、それを伝えることに何の意味がある?ツアーの告知をするのは来れる人はなるべく来てくださいってことなのに。こういうコメントをしてどう思われるかって考えないのだろうか。
俺はこうだ。「ずっとツアーを待ち望んでました!もちろん全部行きます」
ツアーが発表された時にすべきことは、まず日程を見て曜日を確認する。俺の会社は祝日は出勤なので祝日開催だと有休を使うことになるからだ。今回は全公演土日なので問題なかった。
それと会場までの交通手段。札幌だけは事前に航空券の購入が必要である。それ以外は新幹線で行ける場所だ。会場近くのホテルの場所も確認する。
あと俺はMOを使うのでとりあえず60本買っておく。足りなさそうなら後で買い足せば良い。
すぐ村人に確認するとすべて参加するそうなので各公演チケットを2枚ずつ、計10枚申し込もう。
5月のある土曜日、同僚達と飲みにいった。黒川さん、麻衣ちゃん、大高君と俺の4人だ。この4人は独身組なので時々こうして集まることがある。
「大高君は彼女おるのに呼んだらいつも来るよな。ええか?」
黒川さんが言った。確かにそうだ。大高君は入社3年目の21歳、ガタイが良くパワー系の仕事を回されている。
「僕らはお互いの自由を尊重してるんで束縛したりされたりとかないんすよ」
「ふーん。そういうもんか」
「リョウはミッチー以外の女は興味ないもんな?」
うおっ、流れ弾が飛んできた。
「いや別にそんなことないですけど」
「30年間彼女おらんだろう?」
「作ろうとしてないだけですよ」
「なんだその作ろう思ったらいつでも作れますみたいな言い方は」
「そうは言いませんけど彼女いなくてもそれなりに楽しいんで」
「リョウのミッチーに対する好きはどういう好きなの?結婚したい?」
「結婚したいと思ったこともありました。10年くらい前までは。今は遠くから見守る気持ちです。立派になった娘を嬉しく思う父親みたいな。訳分からんかもしれませんが」
「ちょっと俺には訳分からんわ」
「彼女おらんくても楽しいんだ?欲しいとは全然思わんの?」と麻衣。
麻衣は入社した時2週間経っても緊張した様子だったので、もうちょっとリラックスしていいよ、俺には敬語使わんでいいからと言ったところ、俺にだけタメ口キャラになってしまった。年下だが俺よりも方言が強い(笑)。
「いや全然欲しくないことはないぞ」
「彼女にするならどんなタイプ?」
「えっとねー。他人に流されない、悪口を言わない。あと俺の趣味を否定しない」
「同じ趣味じゃなくてもいいんだ?」
「そりゃ同じ趣味だったら楽しいだろうけどそれは求めすぎ。じゃ、ライブ行ってくるわ。いってらっしゃい。それで充分」
「ミッチーファンの女性の知り合いはおらんの?」
「ソイッターで多少絡んだくらいかな。それは知り合いと呼べるのだろうか」
「もしミッチーファンの女の子と仲良くなれたらどう?」
「そりゃ嬉しいね」
ふと杉並ルナのことが脳裏によぎった。あの時はライブに集中していたが、今、思い出してみるとスレンダーで地味かわいい感じだった。お互い現場に通い続けていたら再会する可能性もなきにしもあらずだな。
ダラダラと2時間ほど喋ってその日は解散した。まともな男なら俺くらいの歳なら結婚しているか、そうじゃなくとも彼女くらいいるだろう。俺はまともじゃない。これでいいのか?などと帰宅中に珍しく考えてしまった。
翌週、仕事を終え帰宅するとミッチーの会報が届いていた。早速読む。
ミッチーの写真が満載だ。ずいぶん緑豊かな場所だがどこだろう?伊豆と書いてあった。雑誌「声優ウォッチャー」の仕事で伊豆へ行ったらしい。これは…薄いグレーのワンピース、丈は長め。最近ミッチーは若干大人路線にシフトしたようだ。よし、この号の声優ウォッチャーは買おう。
イラストコーナーを見る。もう大体同じ人のしか載っていない。こういうのってミッチーに似せて描くんじゃなくて自分のが描きたいイラスト描いとるだけなんだ、俺からしたら。
No.00012杉並ルナか。あっ、今回はミッチーじゃない。これはアニメ「没個性女子高生」の三樹愛華。ミッチーが演じた中でもかなりの人気キャラである。そして「絶対秘密だよ…お願い!」というセリフ付き。これは正直うまいと思った。力作感がある。
しかし今までずっとミッチーを描いてきた杉並ルナがここでキャラクター。何か意味が?趣向を変えただけか?
ふとクイスペのことを思い出した。そういえば彼女は俺に何か伝えようとしていたが、その内容が分からなかった。もしかしてこれはメッセージなのか?
・・・いや考えすぎだろう。そもそも彼女が俺に秘密にしておいてほしいことが思い当たらない。いくら考えても俺に口止めするようなことは起きていない。だから今回はたまたまキャラクターを描きたい気分だったのだろう。
7月。ミッチーのシングル「君と過ごした夏」がリリースされたので買いにいった。あとライブに向けてMO60本も買った。
そして5公演分のチケットがまとめて到着した。毎度のことながらチケットが届いた時の高揚感はすごい。ライブは席が命。確認したところ、東京と福岡が良席だった。
クイーンレコードのサイトで物販リストが出た。Tシャツが会場ごとに色が変わり、他は全会場共通。
何を買おうか。これを考えるだけでも楽しい。Tシャツは初日の東京と俺の地元名古屋を買おう。あとはペンライト、タオル、キーホルダー、マグカップ、ポストカード。サンダルとか珍しいのがある。これも買うか。初日に買ってしまえばそれ以降並ぶ必要がないので初日は朝から並ぶぞ。
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「カナちゃん、ルナはカナちゃんにミッチーの話する?」
「しますよ~。めっちゃします。私が小学生の頃に突然ミッチーミッチー言い出して。お姉ちゃんは中3だったと思います。『野に咲く月見草』ってマンガあるじゃないですか。元々あれのファンだったんですけど、アニメ化された時に最近注目してた中道鞘花って声優がヒロインをやるんだってもう大喜びで。良太郎さんも見ましたよね?」
「見た。あれ面白かったな…。初めてアニメで泣いたわ。あと声優ってすごいんだなとも思った」
「あの時、アニメ放送前に新宿かどっかでイベントがあったんですよ」
「あったあった。俺も行ったわー、懐かしいな。観客は9割女だった」
「良太郎さんはもう働いてましたか?」
「いや。まだ高校生だった」
「高校生がアニメのイベントのために名古屋から東京まで来るんですか?昔からすごかったんですね」
「すごいかどうかは分からんけど当然金なんかなかった。初遠征は18きっぷで片道6時間だった」
「大変ですね…お尻痛くなりそう。あ、それでそのイベントから帰ってきたお姉ちゃんが『天使がいた』って。生で見たミッチーのかわいさに心を撃ち抜かれたらしいです」
「分かる…ありゃ撃ち抜かれるわ。ちなみにミッチーの女性ファンにいつからファンになったか聞くと大体『野に咲く月見草からです』って言う」
「へー、そうなんですね」
「ところでライブが迫ってきた時のルナはどんな感じ?俺はソワソワするんだけど」
「お姉ちゃんは座席がいいとチケット眺めてニヤニヤしてますね。あとは直近で出たアルバムをすごく聴き込んだり過去のライブDVDを見たり。ミラクルオレンジ?ってのを買いにいったり」
「さすがにルナクラスはしっかり予習・復習するんだな」
「お姉ちゃんはその界隈ではすごい人なんですか?」
「うん。集計したことないけどルナはラジオでもFCの会報でも採用数1位じゃないかな。ミッチー界隈で杉並ルナを知らんかったらモグリもいいとこ。俺は絵も描けんしラジオで読まれたこともない。お姉ちゃんはすごい人なんだよ」
「へー。全然知りませんでした」
「関東在住だと高校生くらいでもライブ行けてオタ活は断然有利だよね。ミッチーは初期のライブはずっと関東だったから」
「けっこう前、大阪でありませんでした?」
「第3回FCイベントのことかな。あの時は初の大阪開催だった」
「あの時お姉ちゃんがまだ高校生だったんですけど、ウチ、父親が堅くて一人で大阪行こうとしてることが知れて大揉めでした」
「そっかー。若い女の子が一人で遠出すると知ったらそうなるよね。でも行ったんでしょ(笑)」
「お父さんが寝てる隙に出ていきましたよ。お母さんは見て見ぬフリ(笑)」
「さすがだ!それでこそ今の杉並ルナがあるって感じだな」
「今はもう杉並ルナはいませんけどね」
「あっそうか…そうだったわ」
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7月X日、今日はいよいよツアー初日。予定より自然と早く目を覚ました俺は新幹線で東京へと向かった。
俺のここ数年で一番の昂りを迎えていた-。
─第3話へ続く─