M1 運命に導かれ
俺は今から約20年前、17歳の時にある女性声優と一方的な運命の出会いをした。将来の目標など何もなく、ただ漫然と日々を過ごしていた俺はそこから応援活動中心の生活へと大きく変わっていった。
そして今から6年前、その声優のファンの間で史上最高と名高いライブツアーに参加して様々なことを経験した。今でもあの夏のことを思い出すと胸が熱くなる。
またそのツアーの頃、俺にとってはとても重要な出会いもあった。
当時のことを少しずつ話していこうと思う。
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その日も23時にラジオを点けた。俺は毎週土曜日は「中道鞘花 夜はさやかに」通称夜さやを聴くことになっていた。
中道鞘花とは2000年代を代表する人気声優。俗にアイドル声優と呼ばれている。年齢非公表なので正確には分からないが、ラジオでの発言などから30歳は過ぎている。が、未だにアイドルっぽい扱いをされている。アニメ・ラジオのほか音楽活動もしている。
俺はRYO。SNSなどネット上ではそう名乗っている。29歳、独身、一人暮らし。倉庫作業の仕事をしている。そして俺の生き甲斐はこの中道鞘花、愛称ミッチーを応援すること。
応援というのは具体的にはCDを買う、ラジオを聴く、ライブやイベントに参加する、この3つだ。中でもライブに行くのは楽しい。楽しすぎる。ミッチーとそのファン達と同じ空間を共有したい。これはライブ映像では絶対に味わえない。だから俺はミッチーのすべてのライブに参加していた。
「続いてのメールです。東京都の杉並ルナさん」
またコイツか。今日2回目じゃないか。俺は以前から夜さやにメールを送っているが、一度も読まれたことがなかった。俺と採用常連のメールには何か決定的な違いがあるのだろう。それが何なのか、俺には分からなかった。ただ、番組自体が楽しいし読まれることがすべてだとは思っていない。
俺には大きな楽しみがあった。ライブが来週の日曜日に控えていた。クイーンレコード主催の声優系合同ライブ「Queen Special Live」。これまでも合同ライブはあるにはあったが、今回は少し規模が大きい。場所は横浜アリーナで、今回の出演者は16組。ベテランから若手まで一堂に会する、かなりの集客が期待できるライブだった。
3月下旬。今週を乗り切ればいよいよライブである。仕事も普段より気合いが入っていた。木曜日の昼休み、会社の先輩に声をかけられた。
「リョウ、明日の晩ヒマ?飲みにいくけどどう?俺と高辻さんと黒ちゃんと麻衣ちゃんと…誰だっけ。全部で7人くらい」
「いいですよ。行きましょう」
こうして金曜は飲みに参加することになった。
栄の居酒屋に7人が集まった。最初は皆たわいもない話をしていたが、俺に話が振られた。
「そういやリョウはまたライブで東京か?」
「今回は横浜です」
「よう行くなー、お前の情熱はすごい」
「そうですかね」
「名古屋から横浜って何時間かかるの?」
「1時間20分くらいです」
「ミッチー…だっけ?ミッチーのライブは全部行っとるの?」
「全部行ってます」
「ライブDVDじゃいかんの?」
「みんなと一つの空間を共有するのが楽しいんです。自分が会場にいないライブDVDなんか見ても悲しくなりますよ。だからライブにも行くし円盤・・DVDも買います。何より好きって気持ちは現場で伝えんと」
ここで後輩の磯村麻衣も口を開いた。
「年間どれくらいお金使うのー?」
「そうだなぁ。15万くらいかな。でもツアーのある年はもっとかかる」
麻衣は入社3年目の事務員。たまに検品作業なんかを手伝ってくれることもある。
小顔で色白。髪は栗色でメイクもギャル系に見えるが本人曰く、今はだいぶ落ち着いたらしい。
「全然惜しくないんだね」
「俺は必要経費だと思っとる」
「ミッチーってどんな人なの?」
「顔はかわいい。声優だで当然声もかわいい。おおらかで細かいことは気にしない性格。その反面、謙虚で礼儀正しいところもある」
という感じでライブがすぐ迫っている高揚感もあり、ミッチーのことを饒舌に語ってしまっていた。
帰宅してアパートの集合ポストを見ると中道鞘花オフィシャルファンクラブ「Garden of Mitchie」の会報が入っていた。写真をふんだんに交えたミッチーの近況報告、ファンからの質問コーナー、イラスト投稿コーナーなどがある。あとFCの特典として会員限定イベントに応募できる、ライブのチケット購入をFC枠で最速で申し込める、などがある。
部屋で会報を読んでいた。俺は写真のミッチーに見とれていた。俺にとってミッチーはかわいいという言葉を具現化したような存在である。
イラストコーナーを見るが、正直似ていないのが多い。多分ミッチーが美しすぎて絵では表現しきれないのだろう。そんな中、うまいイラストがあった。投稿者はNo.00012杉並ルナ。コイツは絵もうまいんだなと感心した。そもそも会員番号が二桁というのがすごい。最古参であり、かつ投稿者としてのスキルが高い。俺もFC開設時すぐに申し込んだが194番だ。
土曜日の夕方、俺は横浜へ向かうべく新幹線に乗った。横浜在住のライブ仲間の家に泊まり、翌日二人で会場に向かう。席は連番だ。彼の名前は村井仁志。俺の1つ年下。SNS上で村人と名乗っていたので俺もそう呼んでいた。
以前は他にもライブ仲間がいたのだが、様々な理由で現場を離れてしまった。こればかりはしょうがない。大人は忙しいのだ。
ライブ当日は12時に家を出た。ミッチーの単独ライブならもう少し早く出ただろうが今回は合同ライブなのでそれほど買いたいものもない。新横浜駅から少し歩くとすぐに白い建物が見えてきた。横浜アリーナは武道館や代々木体育館とは違い、シンプルな外観である。既に物販は始まっていた。14時頃、ペンライトとタオルだけ買って物販を後にした。村人とファミレスで2時間ほど過ごし、会場に戻った。
会場周辺はごった返していた。チケット完売の発表がされていたが、それでも当日券に僅かな期待を寄せて来た人達もいたようだった。もし今後もこの規模のライブをやるならもう少し大きいハコでやってもいいだろう。
さてミッチーのファンはどれくらいいるか。持ち物や服装から判断すると1割強だった。ミッチーも人気絶頂期は去り、今残っているのは割と熱心なファンといえた。若くてかわいければ誰だってファンが付く。だが30歳を過ぎて第一線で活動できる人はそれほどいない。
見た目は混雑していたが入場はスムーズにいき、着席した。アリーナ席のBブロックでステージまでかなり遠い場所だ。通路から3番目に村人、2番目に俺が座った。座席運はミッチーの単独まで取っておこう。
予定より10分ほど押して開演した。ミッチーの出番は終盤だと思われる。序盤はこれからクイーンレコードが売り出したい若手である。まだ知名度が低いので盛り上がりはそれなりだ。8組目が終わって15分のインターバル。その後は中堅どころ…という流れだ。
10組目に夏の渚というユニットが登場した。石川夏美と辻なぎさの2人組で、アニメの主題歌を多く歌っている。去年は初のライブツアーを開催した勢いのある活動3年目のユニットだ。
1曲目を歌い出した時、俺の2列前の2人がMOを折り出した。MOとはサイリウムのうち5分程度、つまり1曲分しか保たないが超強力に発光するというもの。
MOは気持ちの昂りを表現するのにもってこいで正直、興奮する。俺もミッチーの激しい曲では使っている。しかしこいつらは声優系のライブで一般的に迷惑行為とされている、MOを指と指の間に挟み一度に大量のMOを持つ、いわゆるバル○グをやり出した。もちろん名前の由来は某対戦型格闘ゲームだ。
なぜ迷惑か?MOを同時に複数折られると後ろの客は眩しすぎてステージが見えない。恐らくこの手の輩は自分が目立ちたい、気持ち良くなりたいという理由でやっている。
ライブで迷惑行為をする連中は割といる。以前はミッチーのライブにもいたが最近はめっきり減った。ミッチーは声優活動13年目、年齢的にも中堅に差しかかり以前のような圧倒的な人気はない。するとライト層は離れ、熱心なファンが残る。ファンの純度が高い現場は民度が高いことが多い。
さてこの2人組だが、今度は曲のサビで両手に1本ずつ持って高速で回転させる、通称MOグルグルを始めた。こちらも視界を奪われる、迷惑行為の代表格だ。至近距離に厄介がいて俺は辟易していた。
1列前なら注意したかもしれないが、2列前なので微妙に言いづらい。それと俺はこのライブのレギュレーションの詳細を把握していなかったのでそれが本当に禁止行為なのか分からなかった。
曲が終わると俺の前の席にいた、大変失礼だがヒョロくて気の弱そうな男が厄介2人組に注意しているようだった。がんばれ!俺は心の中で彼を応援した。
しかしそいつらはそれを無視して二人で喋っている。ヒョロガリ君が「警備員呼びますよ」と言うと「勝手にどうぞ」ということだった。夏の渚のMC中、彼は本当に警備員を呼びにいった。その間、厄介2人組はゴソゴソ何かをしたようだったが暗くて分からなかった。
ほどなくして彼が警備員とともに戻ってきた。警備員が2人組に声をかけると「この人の方こそMO折りまくってバ〇ログしてましたけど(笑)」とニヤニヤしながらヒョロガリ君の座席の、まだ明るさの残っているMOを指差した。そうか、さっきは偽装するためにMOの残骸を彼に押し付けたんだな。ヒョロガリ君は泣きそうな表情、一部始終を見ていた俺は怒りが爆発しそうだった。
その時─。俺の左隣の席にいた女が口を開いた。
「あなた達、いい加減にしなさい。警備員さん、この方はMOバル〇グをしていません。やったのはそこの2人組だけです。この辺りの観客が証人です」
さらに女は続けた。
「このライブでは最大でもサイリウム類は両手に1本ずつ、MOグルグルも禁止事項なのよ。もしこのライブを楽しみたいのならレギュレーションは守りなさい。主催者には守らない人を退場させる権利があるわ」
女の強い口調にたじろぐ2人。周りからもそうだそうだと同調の声が挙がる。結局、これ以降2人組はおとなしくせざるを得なかった。
改めて隣の女を見てみると黒髪セミロングでメガネ、そして何より俺と同じミッチーのファーストライブTシャツを着ていた。ミッチーファンだったのか。彼女はかなり開演ギリギリに来たために俺はそれに気付かなかった。
12組目のステージが終了、恐らくミッチーは次かその次だ。俺は緊張していた。隣の女はどうだろうか。少し視線をやったがクールな彼女の表情からは特に緊張は感じなかった。
♪♪♪♪♪~
ミッチーキタ────!!!!!!
これは「Get the dream」という曲でアニメ「ベストバッテリー」のオープニング。合同ライブでは知名度の高い曲を優先するので多分やるだろうと思っていた。イントロが流れてMOを折った。一応断っておくが1本だ。跳びはじめる俺。すると隣の女は俺を上回るほどの跳躍を見せはじめた。しかもMOを両手に1本ずつ。しかしアンタもそうかもしれないが俺だって最古参の一人なんだ。負けていられない。
さて合同ライブは単独と違い、当然ミッチーファンが少ない。普段は曲中で一体的なコール(合いの手)が入るのだが、今回はミッチーの楽曲だけならまだしもコールまで知る人は少ないだろう。なので我々ファンはより一層声を出さねばならない。
Aメロ終わりに警報と呼ばれる「せーの!はーいはーいはいはいはいはい!」。次のBメロはPPPHと呼ばれる動作に入る。ジャンプもすごいが声量もすごい。彼女は俺が今まで見てきたミッチーの男性ファン達を凌駕するガチ勢だった。しかも彼女は追い焚き(曲中で追加でMOを折ること)もしていた。
我々は競うようにコールしてジャンプした。Get the dreamが終わった。約4分20秒、彼女の実力を知るには十分だった。
跳び曲(観客が曲中に跳んでいる時間が長い曲。体力を消耗する)だったので疲れた。足元のお茶をゴクゴク飲む。そしてMCに耳を傾ける。
「横浜アリーナの皆さんこんばんは!中道鞘花です!皆さん、Queen Special Live楽しんでますか?」
あ~、いつもの元気なミッチーだ。ステージは遠いが大好きなミッチーが確かに存在している。
「皆さんに盛り上がっていただけてとっても嬉しいです。私は今日のクイスペに出られることをずっと楽しみにしていました。こんな大きな会場で歌わせてもらえる機会は滅多にないので。いつも私のライブに足を運んでくださる方もそうでない方も今日のライブが素敵な思い出になることを願っています。みんな、今日は本当に来てくれてありがとう。次が最後の曲になります。『踏み出す一歩』」。
なるほど。これまでの出演者は一人3曲だったがここからは一人2曲か。ベテランになるほど歌う曲数が少なくなるパターンか。この踏み出す一歩はミッチーの最新シングルなので当然歌われるだろうと思っていた。この曲は公の場で歌われるのは今回が初めてだ。
「いつも勇気をくれる~♪」
俺&隣の女「ミッチー!!」
できる!新曲なのでファンの間でもコールはまだ確立していない。しかし最初に聴いた時からここは名前がコールできると思っていた。曲中で名前を叫ぶのはとても楽しい。そして新曲で堂々とコールを入れてくる彼女はすごい。
あっという間にミッチーの出番が終わる。
「皆さん、最後まで楽しんでいってね~。中道鞘花でした~」
俺&隣の女「ミッチー!!」
あー今日もミッチーは天使だった。そして俺は隣の女に勝手に対抗心を燃やしまくりだった。
最後はベテラン藤原めぐが1曲だけ歌いQueen Special Liveは終わった。全員が一言ずつ挨拶して退場。
このライブは規制退場(混雑緩和のため、座席のエリアごとに時間差で退場)なのでスタッフの指示を待っていた。
そして、現場スキルがあまりにも高い隣の女のことが気になっていた俺は話しかけてみた。
「すごかったですね!」
「何が?」
「ミッチーの時めっちゃ跳んで、叫んでたじゃないですか」
「そう?」
うおっ!?なんだこの塩対応は。俺、なんか気に障ることしたか?
「悪いけど私、人と話したくないの。ナンパなら他を当たってくれる?」
「そんなんじゃねーて。ミッチーファンですごい人がおるもんで嬉しかっただけだて。言い方キツすぎるわ」
「キツくて結構。分かったらもう話しかけないで」
徹底的に他者と関わりたくないタイプなのか?にしても正直イラッとした。俺は話しかけたことを後悔していた。
スタッフから指示があって出られるようになったが、村人の方を見るとまだ荷物の整理をしていた。
「キャッ!」
声がした方を見ると階段で先ほどの女が転んでいた。そのすぐ近くで先ほどの厄介2人組がニヤニヤしていた。そのうち1人が「バーカ」と言った。足でも引っ掛けられたか。俺はとっさに声が出た。
「おいお前ら!」
「いいから。私のことはほっといて」
と言うので何もしなかった。2人は人混みに紛れていなくなった。
ケガがないか心配だったが、よほど話しかけられたくなさそうなのでそれ以上何も言わなかった。彼女は少し散らばってしまった荷物を再びまとめ、出口へ向かっていった。
右隣にいた村人は状況をよく分かっていなかった。
「何があった?」
「なつなぎの時、厄介2人組がおっただろう。で、あの時注意されたのを根に持っとって階段で女をコカしたっぽい」
「ひでえ奴らだな」
話しているとその場に落ちていたパスケースを発見した。
見るとGarden of Mitchie(FCの名前)の会員証だ。さっき彼女の荷物が散らばった時のだな。追いかければ間に合うかもしれない。
「すまん村人、落とし物届けてくる。後で連絡するわ」
俺はダッシュした。
「すいませ~ん。通してくださ~い」
俺は人混みを掻き分け走った。まだ遠くへは行っていないはずた。…あっ、あの水色のTシャツ。黒髪セミロングで背もあのくらいだった。
「あの、すいません」
肩を軽く叩いた。振り返ったのは先ほどまで隣にいた彼女だった。
「何?まだつきまとうの?いい加減にしてくれない?」
「あの、これあなたのですよね?」
パスケースに入った会員証を手渡す。
「あっ!!」
思わず声が出てしまった。そこに刻まれた会員番号はNo.00012。有名ファンの杉並ルナさんじゃないか。そうだったのか。
すると俺のリアクションを見た彼女は何かを言いたげだった。しかしうまく言葉にならないのだろうか、俺の方を見て「あ、あの…」と言ったきりだ。
少し間を置いてから、意を決したように話し出した彼女。しかしスタッフが拡声器で終演後物販の案内をしていて大変聞き取りづらい。
「確かに私は杉並ルナだけど〇※△×。あなたは〇※△×」
唐突に自己紹介タイムか?会話したくないんじゃなかったか?だが一応俺も名乗っておくか。
「俺は楠良太郎。また会うかもしれんけど今後は話しかけんようにするわ」
と言い残しその場を離れた。
─第2話へ続く─