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六年前8

 それからさ、霊能者組合の本部から放り出されて、戦後の街の路地でぼろ雑巾みたいになっていたぼくに手を差し伸べてくれたのが、キャンディなのさ。

「……何やってんの、あんた」

「君こそ、どうして街に居るんだ。危ないから……攫われるから、森にいろって言っていただろ……まあ、ゴーストウォーズはもう終わったから良いケド」

 辺りはさ、崩れた城壁やら黒煙を吐き出す家屋が連なっていて、レテの壁付近の塹壕からは火薬と血の匂いが流れてきていた。でもそれを打ち消すほどの歓喜が聖蹟街の中を駆け巡っていてね、お祭りムードさ。そりゃ穀潰しを減らせて、その上で屈指の戦果を得られたんだから。砲弾跡やらなんやらでアスファルトの禿げた大通りをさ、鎖に繋がれた穢堰街のゴーストたちがずらずらと連れられていて、こっちの街の連中はパレードでも見ているみたいに色めき立っていたよ。

 その声が甲高くて、ぎらぎらしてる刃物みたいで、路傍に座り込んでいるぼくには怖かったんだな。なんでそんなに喜べるんだって、この時犠牲になった死走兵たちのことばかり考えていた。ぼくはさ、万年霊能にすら目覚めないごみで、だから長生きしがちで肩身の狭い死走兵の連中とは仲が良かったのさ。

「何も……良くないわよ。ぼろぼろじゃないの」

 ふと顔を上げると、キャンディは悔しそうに唇を噛んで、ぼろぼろと大粒の涙を流してた。でもさ、見上げたもんだぜ彼女は。それでも嗚咽なんて漏らさないんだ。涙は溢れさせてるけど、キッと瞳の奥には気高い怒りの芯を固く持ってて、一切目を逸らさないんだ。

 それを見て、安心したよ。ちゃんと彼女は犠牲にならなかったんだなって。彼女は守れたんだ。この年のゴーストウォーズは、カトリシアが非人道的な作戦を決行したから珍しくぼくも四六時中、寝ずに戦線を駆け回っていてね。逃げ惑う死走兵を保護して隠れ家に案内してやったり、手当たり次第に知り合いの霊能者に直談判しに行ったりしてたんだ。

キャンディはお洒落好きで、この時は森暮らしだってのに服が汚れることを気にする変な奴だったんだけど、泥の中に膝を付いてぼくの手を握ってくれた。

「あんたは、ゴーストウォーズには参加しないんじゃなかったの? なんで、こんなぼろぼろなのよ。戦わないんじゃ……なかったの?」

ずっと不安がっていた彼女にこう言っていたのさ。「ぼくは大丈夫さ。霊能に目覚めてないから兵役義務もない。そもそも死にたくても死ねないんだ。君はいつもの洞穴で、いつものカレーを仕込んでてくれ」。だけども、蓋を開けてみれば一日駆けずり回って泥だらけになった挙句に、最後には霊能者組合の連中にリンチされて放り捨てられてんだ。びっくりもさせちまう。

 これが最初のゴーストウォーズだなんて、可哀想だ。そう思ったことをよく覚えてる。

「そのつもりだったんだけど、やむを得なくね。でもいざ戦ってみるとこの様さ。全然……守れなかったよ。ははっ……恰好悪いな。肝心な時は、いつもこうだ……幻滅したかい?」

 そうして俯いちゃったぼくの手を、キャンディは掴み直して言った。

「慣れないことして、疲れたでしょ」

「うん」

「お腹空いてる?」

「うん」

「じゃあ、帰りましょう。カレー、仕込んでるから、沢山」

「……うん」

 そうしてぼくたちは親友になったわけだけど、同時にとある人物との関係も、この辺りからこじれていったんだ。

 キャンディの細い肩を借りて立ち上がり、闇に沈むように、熱狂する大通りから一つ路地に入った時だった。

「待って! お願い……ちょっと、待って」

 酷く息を切らせていて、焦っているみたいな声だったから最初はだれかわからなかったよ。

 二人して振り返った後、キャンディが纏う空気がきりっと敵意剥き出しの刺々したものに変わってさ。ぼくを庇うみたいに前に歩み出た彼女の肩越しに、芯から純金で出来てるんじゃないかってくらい煌びやかなあの金髪が見えた。

「〝鉄華面〟の英雄様が、生贄にぴったりな穀潰し共に何の用?」

 キャンディにそう言われて、レオは唇を噛んだ。怒りとか、申し訳なさとか、後悔とか、色んな感情がグチャ混ぜになった顔だったな。唇は右の端が何か言いたげにぱくぱくしてたけど、逆の左端は硬直しているみたいで、目も瞬きの度に感情を入れ替えて、永遠に止まらないスロットみたいだった。顔の上の絵が揃わないんだな、全く。

 鉄華面。そう呼ばれるほどのレオがそこまで取り乱す程、この年の戦争は壮絶だった。

「ごめんなさい、知らなかったの。その、特に私たち退路確保班は壁際の攻防に手いっぱいで、カトリシア組合長がまさか裏で特務執行委員なんてものまで配置して、死走兵を攫っては向こうに送り込んでいたなんて……ついさっき戻って来て、ジャンが組合に乗り込んできたって聞いて、それで初めて知ったくらい……」

 レオの言い分も、まあわかるよ。そもそも死走兵ってのはゴーストウォーズの時は、大抵街の深部の戦線から最も遠い場所に身を隠すものだ。戦うことを放棄しているからね。

 それに比べてレオは壁際の最前線でずっと激しく戦っていた。だから安全地帯にいる死走兵をいくらカトリシアの特務執行委員とやらが攫ったって、気付くことは不可能なのさ。

 ただ、そうやってよろりと一歩歩み寄ってきたレオに、キャンディが冷やかに言った。

「だから?」

「……え?」

「知らなかったら何なの? あのカトリシアとかいう冷血女を倒してでもくれるの?」

 キャンディはさ、この時は確かに森住みだったけど、ぼくの伝手もあって、奥の細道の連中とはある程度面識があったのさ。実際今彼女が構えている〝アナグマ〟は、この六年前の〝氷葬戦争〟と呼ばれる、〝氷姫〟カトリシアの初陣の生贄と成った死走兵の空き家を利用してるんだ。

 そして闇の中に半身まで浸かった路地裏から、キャンディは熱狂に茹った大通りを背にしたレオに言った。

 氷の女王が灯した、熱狂。

 その中に響く、〝鉄華面〟を始めとした数々の英雄を称える歌。転生を果たすことが出来るもの達の興奮の絶叫と、その仲間たちの歓喜。そしてそれらに注がれるのは、大通りの真ん中を連行されている捕らえられたゴースト達の涙。彼らが流す涙は油の様で、熱狂の焔をさらに強く、激しく弾けさせる。

「あんたは本当に……あの光景が〝間違い〟だって、言えるの? あの死者達の興奮が、悪だと言えるの? 沢山の人が喜んでるみたいだけど?」

「それは……」

 カトリシアが言っていたように。そしてキャンディが指摘したように、〝多くの死者が転生を得られた〟ことは確かだ。

 ぼくのように自分の死因がわからなかったり、あるいはキャンディのように自殺しなきゃ転生できない穀潰しとは違って、普通の霊能者達は、より多くのゴーストの確保を望む。

 単純に、十人よりも百人、百人よりも千人向こうの街から攫って来れたなら、その中に自分のゴーストがいる確率が上がるからだ。絶対数、分母の話さ。

 それは英雄といえども、健康な霊能者であるレオも例外じゃない。

「あの冷血女についていけば、来年も勝てるかもしれないのに? ジャンから聞いたわよ。今回の作戦、例年よりも壁際の退路確保班の人数が激減していたみたいね。それは貴女という英雄様がいるから。そして浮いた人員は特務執行委員に割り振られて、死走兵を攫いにきた。貴女の鉄壁は、あの冷血女も随分頼りにしてそうだね」

「……それは」

「別に私は、あんたを責めやしないよ。所詮私たちはこの世界の性質上、お荷物だから。あんたらがやったことは、正しいんだと思うよ」

 それからキャンディは、すうっと目を細めて冷やかにレオを睨んだ。

「悪いのは、そういう社会的な〝正しさ〟に耐えられなくて自殺した、私みたいな奴だもんね。私たちは、死んだって、死ぬしかないんだ。私たちが、私たちである限りは」

「……」

 とうとう口をつぐんでしまったレオに、「でも」とキャンディは続けた。

 ぎゅっと、背中でぼくの手を握って。

「この街がどんなものか、あんたらが何をするのか。戦争ってのが何なのかよくわかったよ。戦わないだけなのは駄目なんだ。私たちは、戦いを拒否するために戦うよ。〝次〟、私達に手を出したら……ただじゃ済まさない」

 事実、そのキャンディの言葉通り、この次の日には生き残った死走兵が団結し、霊能者組合に非公認ながらも〝自警団〟を作り上げた。キャンディも勿論その一員で、創設メンバーだ。

「その時は、地獄を見せてやる」

 彼らは普段はこれまで通りひっそりと暮らしているが、有事の際の秘密の避難場所や経路は常に隠し持っているし、霊能者組合の目が届かない場所、酒場の地下なんかで夜な夜な力を磨いている。

 戦争に参加したくない。巻き込まれたくない。ただ静かに暮らしたい。そんなささやかな願いを叶える為にも一定の力と団結が必要なのは、この氷葬戦争でみんなが理解した。

「……行こ、ジャン」

 そうしてぼくはキャンディに連れられて、その路地裏を後にした。もう口を開く元気も、この時のぼくには残っていなかったんだ。

 でも、もし一言でも喋れたとしても、多分何も言えなかったと思う。

 路地に取り残されたレオは、振り返って大通りに戻るでもなく、ただ叱られた後の子供みたいにじっと立ち尽くしていたから。


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