六年前7
それからぼくは、週に一、二回キャンディの洞穴に通うようになった。勿論男としてさ、ただで女の子に飯を食わせてもらうってのもいけないから色んな服を持って行ったり、家具に使えそうな廃材なんかを引っ張っていった。こう見えてもぼくってば、結構力持ちなんだぜ。まあそれは、生前の〝この身体〟の持ち主の努力によるものなんだろうけど。
死者はこの街に来た時点で、成長も変化もしなくなる。勿論怪我をすりゃ治るのに時間はかかるし、髪を切れば伸びるけど、そのどちらも〝この街に来た時点の身体に戻ろうとしている〟だけさ。ここに来た時から病気を患っていたり、怪我をしていたりする奴はそれが治ることはないし、髪を切ったって切る前の〝デフォルト〟の長さ以上には伸びない。そして、自分の死因以外の要因で死んで蘇った時には、デフォルトの状態に戻される。
だからぼくが存外に力持ちですらっとした筋肉質なのも、これがデフォルトだから。きっと、生前の〝コイツ〟は勤勉な奴だったんだろうよ。軍人みたいに良い身体してるんだ。
「よく食べるよね、あんた」
「君のカレーが美味いからさ。それにこの世界じゃたとえ太っても、健康に生活してればこのデフォルトの体型に戻る。食べ放題って素敵だよね」
「それはあんたがお気楽で悠長な素敵な性格してるからよ。毎日楽しそうだよね、ホント」
「長生きのコツは日々を楽しむことだからね。つまんない生き方してたら身体よりも先に心が老いちまうし、そんな心に身体も引っ張られる。病は気からだぜ、キャンディ」
「ジジイは口うるさくて困るわね」
会うたびにそんな軽口を叩き合っては、傷をなめ合う様に笑い合ったよ。そんな日々が二、三か月続いたかな。出会ったのが秋だから、丁度真冬になる頃合いだ。
つまり、冬至の日が近付いてきた。
六年前のゴーストウォーズだ。
キャンディにとって、初めての戦争。
特にさ、この六年前、つまり〝鉄華面〟のレオが現れた翌年のゴーストウォーズは、レオの前年の無双鉄壁の活躍もあって、イケイケムードだったのさ。だから聖蹟街の霊能者組合は調子に乗っちゃって、この機に守備は最低限、まあ言ってしまえばレオに任せて、余力の全てを攻勢にぶち込み、相手方に大打撃を与えようって企んでいたんだ。
そしてそんな時、白羽の矢を突き立てられたのが〝死走兵〟だ、
霊能に目覚めていながら戦うことを拒否している、いわば、〝非国民〟。街の為に戦わない臆病者たち。
一度死を経験してるくせに、死ぬことも出来ずにびびっている腰ぬけども。
そんな奴らを強制的に召集する動きがあったんだ。どれだけ嫌がられて、戦術なんかを学ぶことさえも拒否されてもさ、無理やり向こうの街に投げ入れちまえば、死にたくない死走兵共は霊能を使って抵抗して、生き延びるしかないだろ? つまり、この六年前の霊能者組合は、日付が変わると同時、つまり〝ゴーストウォーズの開戦と同時にできる限り多くの死走兵を穢堰街に無理やり送り込んで〟、戦わせようとしたんだ。
結果から言えば、そうして送り込まれた大半の死走兵は戻ってこなかった。
そしてそれがどういうことかといえば、簡単なことだ。
向こうに捕らえられた死走兵は、自殺を望む程の拷問にかけられて、〝向こうの死走兵が蘇る為の礎にされている〟。
この世界じゃ、前世の死因じゃなければ死ねない。つまりそれは、どれだけの苦痛を与えられても、〝正しい死に方〟をしなければ死ねないということ。
だから、捕らえられた死走兵は自死を望む程に痛めつけられ、自ら消失を選択する。
勿論、この年の戦果は何十年以上と生きる僕が記憶するうちでも、五指に入る程だった。数多くの死走兵の犠牲と引き換えに、沢山のゴーストを捕らえられた。全部、死走兵たちが命懸けで抵抗してくれていて、それにより生じた隙を突くことが出来たからだ。
そして今、霊能者組合を率いている組合長は、この〝最悪の年〟に組合長に就任して、悪魔の作戦を決行した化け物だ。
そして、ぼくの元カノでもある。
「おいカトリシア、これはどういうことだ。一から十まで全部説明しろ。どうして〝奥の細道〟を襲撃した? 大体この作戦はなんだ? 無理やりひっつかまえた、戦うつもりもない死走兵を向こうにぶち込んで、気でも狂ってるのか!! 答えろって言ってんだよ!」
六年前のゴーストウォーズが終わった直後。つまり、冬至の日が終わってすぐの深夜だ。ぼくは煤だらけの身体で霊能者組合の本部にずかずか入って行って、組合長室で紅茶を飲んでいたカトリシアに詰め寄ったんだ。まあすぐに護衛の連中に取り押さえられたんだがね。
高級そうな寄木細工のデスクの向こうで、カトリシアは真後ろの窓を眺めたままだった。しゃらくさいくらい良い匂いがする紅茶の湯気がほっそりと彼女の白髪に絡みつくようで、真っ白な霊能者組合の軍服を着た後姿は氷像みたいだった。紅茶の湯気なんかじゃ溶けるはずもない、真っ白な氷像さ。
「死走兵に罪はないだろ! みんな……みんな、戦いたくても戦えないのさ。怖くて、虚しくて、死んでなお、生前の出来事に苦しんでいる。死ぬ前よりも死を恐れている。なのに、君はなんてことをしたんだ。今頃、向こうに置き去りにされた彼らがどんな扱いを受けるか……少なくともこれから一年、どんな屈辱と暴力に晒され、辱められるか、知らないなんて言わせないぞ! ふざけるなよ! おい、聞いてんのか!! 答えろってばっ!!!! ばかっ!!」
護衛達に押さえつけられ、殴られながらでも叫んだよ。高そうな、毛足の長いカーペットをぼくの血で汚してやったのは気分が良かったな。ざまあみろってんだ。
「ぼくは君を許さないぞ。君はこの街で一番の罪を犯した。人の死を冒涜したんだ。予言してやる。ろくな死に方をしないぞ、カトリシア。君は取り返しのつかないことをした!」
すると、カトリシアは窓の向こう、日が変わって瞬く間に修復された白亜のレテの壁と、その向こうの空に立ち込める黒煙を眺めながら言った。
「この街で唯一、死を知らない貴方にそんな罪を説かれるとは。ええ、確かにわたくしは非道いことをしたのでしょうね」
そして、彼女は湯気立つ紅茶が注がれたティーカップにふうっと息を吐いた。それは熱い紅茶を冷ますようでいて、実際は、それどころではなかった。
たった一息。それだけでティーカップ諸共紅茶がびしりと凍結して、冷気を醸した。
「ですが、それが何か? その十倍の数の同胞が、今宵で転生を果たしました。成功に犠牲は付き物です」
「自分は何も犠牲にしてないくせによく言うさ。閻魔か神でも気取ってるのか? 勘違いするなよ。死は平等だ。この街じゃ、誰だって対等なのさ」
「勘違いしているのは貴方の方ですよ。確かに人と人の命は対等です。だからこそ、個々を〝一〟と数えることができます。ですので、〝十〟を救済するために〝一〟を犠牲にしたまでのこと」
「屁理屈ばっかり! 君のそう言うところ、昔から好かないな。嫌いだね。なんで……なんで、こんなことをっ!!」
食い下がると、カトリシアは半身だけ振り返った。すると右目だけが見えた。薄い青色の、氷みたいな目だ。でもその時、ぼくははっとした。その凍てついた右目から一筋、氷が解けたみたいな涙が落ちていたからだ。
「わからないでしょうね……誰もを愛し、誰も愛さない貴方には」
そんなカトリシアの様子に言葉を失ったよ。そして次の瞬間、護衛達に完全に床に押さえつけられて猿轡まで噛まされた。
「どうせ貴方は、わたくしの事なんて、本当に好きではなかったのでしょう。最初から、ずっと」
息も出来なくて、視界がふちの所から黒ずんで狭まっていく。そんな中で、やっぱりカトリシアの氷の頬に伝う雪解けのような透明な涙だけが目に焼き付いた。
「わたくしは貴方を、今でも愛していますよ、ジャン。だから約束します」
カトリシアが瞬きを一つすると、透き通るような涙は、その長くて綺麗な、霜が降りたみたいな睫毛に拭われた。次の瞬間、そこにあったのは薄氷じみた透青色の眼球だった。
「必ず、貴方はわたくしが殺します」