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六年前6

 餓死をしよう。そう思い至って、あの時ぼくは聖蹟街の外れの森の深くで両腕を縛った。それもわざわざ高い木の枝にロープを括って、飛び降りることで結び目が締まる特殊な結び方だ。五回くらいやり直して、ようやく宙ぶらりんになりながら両手を腰の後ろで縛り上げられる、理想の状態に落ち着いた。

 それからぼくは、ただただじっとしていた。丁度秋の頃だったからさ、昼間には木々がたっぷりと色づいて実っているのが目の保養だったし、夜は星空に響く虫の音がぼくの死を祝福してくれているようだった。

 今度こそ、きっと死ねる。四日か五日くらい経ってそう思っていたよ。ぼくは存外我慢強いタチでね。というのももう何十年もかけて、数えきれないくらいの自殺を図ってきたわけだから、忍耐力ってのに優れてるのさ。毒だって飲み慣れてるし、痛みや苦しさには安堵さえ覚える。

 だから体の渇きを感じつつもさ、干し柿みたいだなぁなんてぼんやり思いながら瑞々しい秋の陽を眺めていた。空には薄い白雲がぽつぽつ浮かんでて、木々の隙間から聖蹟街のビル群が霞んで見えた。くたばる寸前だったから視界も朧気だったんだ。だから空の上でぴかぴかしてる太陽が一番眺めやすかった。

 そんな時にこう思っていたよ。あの太陽はきっとインチキだ。それだけじゃない、秋を始めとした季節も、乾いたぼくを撫でていく風も、体の中に響いてくる虫の声も、全部がインチキだ。

 だってここは死後の世界だぜ? なのに元の世界と同じらしい空に、季節に、生き物。

 だからさ、これはぼくの持論なんだけれども、本当の意味じゃどいつもこいつも死んでないのさ。本当はね、死後の世界なんてあっちゃいけないんだ。

 何せ死んだ後に生前の記憶があって、それに基づく人格があったならさ、それはただ遠い場所に引っ越ししてきただけじゃないか。生前の金とか土地とか、そういう資産は置いてくることになっても、自己認識があったならそれはやっぱり引っ越しだ。生前、体一つで右も左もわからない国に乗り込んでいくのと同じだよ。

 その上で、この死後の世界はどいつに聞いても「死んだ実感がないくらい現実的」なんだとよ。奴らに言わせりゃ、死ってのは随分生半可なものらしい。

 違うんだよ。死ってのはさ、消失でなければならないんだ。

 死んだ後まで生きてたくはないだろ。

 そんなことを思いながら、当時のぼくが目を閉じかけた時、声がしたんだ。

「あなた、何してるの?」

 もう太陽を見上げるために顔を上げる力も無くてさ。真下から声をかけてくれて助かったよ。

 そこには、雑に染められた黒髪の、じゃらじゃらチェーンファッションのキャンディが居た。森なんて似合わない、ダウナーでパンクな格好だったよ、その時から。

「自殺」

 ぼくはおしゃべりなんだけど、死にかけだったからさ、それだけ言った。

 すると彼女は目を細めて、べっと舌を出した。

 次の瞬間、〝キャンディの歯が軒並み鋸じみて鋭利に変化し〟、その人外じみた強靭な顎でぼくを吊る木の幹を食い千切った。たったの一噛みでさ。

 霊能者。全く、奴らが一番インチキさ。字面からして、霊能者なんて実にぽいだろ?

 その上で、どいつもこいつもやっぱり死人だからさ、共感しやがるんだ。

「なに、してるの?」

「自殺の邪魔」

 簡単にぼくを助けてしまったキャンディは、ぼくを受け止めた後におがくずを吐き出しながら言った。

「死んだ後まで自殺することないでしょ」 

 そういう考え方もあるのか。そんなことを思いながら、ぼくは意識を失った。 


 次に目が覚めた時には、ぼくは洞窟の中で目を覚ました。しとしとと細やかな銀色の雨が降っている夜だった。洞窟の入口から吹き込んでくる湿った夜風が柔らかくて心地よかったことを、今でもよく覚えているよ。

 そして、そんな芳醇な土の匂いの微風の中にスパイスの利いた美味しそうな匂いも混じっていたんだ。

「寝坊助ね。本当に死んじゃったのかと思ったわ」

ぼろい寝袋から起き上がると、キャンディが燃やした薪の上の鍋の面倒を見ている所だった。暗い洞窟の中にぼうって橙の火色が踊って、丸太の上に座っていた彼女の影が壁の上で水面に浮かぶ木の葉のように揺蕩っていた。

 そんな彼女の影を見て、ぼくはようやく自分がおかしなことをしちゃったって思ったんだ。その時のキャンディはさ、まだ死後の世界なんてものを受け入れられなくて、殺し合いなんてのも嫌いで、森の中でひっそり暮らしていたんだ。だからぼくたちは出会ったわけなんだけど、それがまずかった。

「ごめんよ、見苦しい所を見せたね」

 少なくとも、当時のぼくは〝彼女に見つかっちゃったのが〟まずいと思ってしまったんだ。

「君は〝死走兵〟だろ? ここら辺には居ないと思ってたんだけど、読みを間違えちゃったみたいだ」

 死走兵っていうのは、キャンディみたいに戦うこと、つまり自分のゴーストを殺す事を放棄している霊能者のことだ。彼女みたいに戦うことを怖がっている霊能者だって当然いるし、他にも色々な要因でゴーストウォーズから離れている霊能者はいる。

 ただ、そんな死走兵はてんで〝役立たず〟だ。街には受け入れられないから、それこそ奥の細道のような路地裏のスラムじみた所で暮らさなきゃいけないし、洞窟で生活してた彼女みたいにホームレスになる。聖蹟街を運営する霊能者組合の奴らが、死走兵を雇うことも、戸籍を与えることも禁じているからだ。

「次は、別の所でやるよ」

 すると、そう言った瞬間にがつんとこめかみに固くて熱いものが当たった。悲鳴を上げながら、ねっとりした熱い液体を拭う。投げられたのはカレーを掻き混ぜていたおたまだった。

「馬鹿。自殺なんてすんなって言ってんの」

「でも、君には関係ないだろ」

「関係あるよ。今、目の前にいる」

 そうしてキャンディは、じっとぼくの目を見つめた。夜のように深くて静かな、それでいて恐ろしさも孕んだ黒い瞳だった。厭世的で、それでいて鋭い怒りを秘めた目をするんだ、彼女は。

「自殺したって良いことなんかない。この街を見なさい。どうせ死んだって、〝あの世じゃ自分として生きなきゃいけない〟。自殺なんて無駄なこと、ただの苦痛にしかならない。絶対にやめて」

 その静かなれど、凄みのある声にぼくははっとしたんだ。ようやく、自分がどんな間違いを犯していたかを悟った。そして、彼女の死因も。

 〝きっと彼女は自殺をしたんだ〟。

 だから、死走兵。

 単純な話さ。この世界では、〝前世の死因じゃなきゃ死ねない〟。それ以外の死に方をしても蘇る。

 そして、転生する為には自分のゴーストを殺さなきゃいけない。自分は自分の死因を分かってるから誰にもそれを教えないし、自分だけがゴーストを殺せる。

 なら、前世で自殺した人間は?

 例えば、〝自分で自分の舌を噛み切った〟とか、そういう自分の手で自分を殺した場合は?

 〝自分で自分を殺さないと、転生することが出来ない〟のさ。

 そうやって自殺した場合は、というか自分がゴースト相手じゃなくても前世の死因で殺されたら。つまりゴーストより先に死んだら、転生するのは生き残ったゴーストの方だ。

 つまりこの世界で自殺するのは無駄死にってわけ。

 だから死走兵の多くの死因は〝自殺〟なんだ。

 全てから解放されるために前世で自殺したはずなのに、それをもう一度強制される。

 でも、今こうして聖蹟街で目覚めて、みんな思うんだ。

 また、同じことの繰り返しじゃないのか。

ここで自殺しても、また訳のわからないところで自分として目覚めるんじゃないか。

天国に行っても地獄に行っても、自分としてそこで生きなきゃいけないんじゃないか。

生前の苦しみは永遠に消えないんじゃないか。

 勿論さ、そうやって死ななけりゃずっとこの街で生きることになる。そういうことも踏まえて、霊能者組合は死走兵に唯一とある制度を無償提供している。

 それが自殺補助。

 放っておいたらただ増えるだけだから、生き疲れた奴らの死ぬ手助けをしてやってるんだ。

 事実、毎年この街にやってくる〝自殺者〟と同じくらいの量の死走兵がその制度を利用してる。

 自殺したって救われないんだよ、何も。

「……ごめんよ、軽率だった」

 そう言うと、ぼくはすぐに話を変えなきゃと思ったね。雨が降る夜の洞窟の中で、初対面の女の子を怒らせた時の気まずさったら生きていて一番気まずいんだから。死にたくなるぜ、本当に。

「それはカレーかな。随分美味しそうだ。良ければ分けてくれよ。腹ペコなんだ」

 するとキャンディは不機嫌そうに鼻を鳴らしてから、飯盒で焚いていた白米の上にそのまま煮込みカレーをかけて寄越してくれた。これがまた美味かったんだな。おかわりまでしちゃって、気付いたらぺろりと鍋のカレーを平らげちゃってたくらいだ。

「ごちそうさま。驚いたよ、ぼくはもうここに随分いるんだけど、これまで食べたカレーの中で一番美味しかった。優しいカレーだね。身体にすっと馴染む美味しさだ」

「どーも。お世辞が上手いのね」

「いやいや、馬鹿を言っちゃいけないよ。こう見えてもぼくはグルメでね。なんなら街のめぼしいカレー屋を案内してやってもいい。ただ君のカレーに比べたら奴らのは水だね。カレーが飲み物っていうのは太っちょが良く言うけど、あいつらもグルメだからさ、その気持ちがよく分かったよ。とにかく素晴らしく美味しかった。毎日食べたいくらいさ」

「……もう、適当ばっかり。でも、ありがと。そうやって手料理を褒めてくれるのは嬉しいよ、適当でも……ずっと、ここで一人だったし」

 そこで初めて彼女が笑ってくれてさ。まあこの時のぼくは名誉を挽回するために必死にぺらぺらしてたからそれがおかしかったんだろうさ。それに膝を抱いて少し寂しそうに、虚しそうにしてるところから、彼女も他の死走兵と同じでこの街に生き辛さを感じてるんだと思った。

 だから、そういうことならって思いついたんだ。

「ねえ、これからも食べに来て良いかい? いいや、食べに来るよ、絶対だ。君が自殺をするなって言ったんだ。生存報告に通ってあげる」

「厚かましい奴ね」

「そりゃそうさ。街でのぼくの渾名を教えたげる。死に損ない、根無し草、〝脳無し〟。まあ一番おススメなのは美男子のジャンってやつだけどね。どれも厚かましそうだろ? にしてもセンスがないよね、街の奴らも」

「ええ、最後の一つとか特に。絶望的ね」

「うーん、やっぱり死にたくなってきたかも」

 おどけて言ってみてから、ようやくぼくは切り出したよ。

「てことで、渾名じゃなくて名前を教えよう。ぼくはジャン・ジャック・ジェボーダン。好きに呼んでくれ」

「変な名前ね。どこの国の人?」

「生憎と生前の記憶がないんだ。だからかっこ良さそうな名前を勝手に名乗ってる。趣味はお酒と自殺。弁明しておくと、さっきのは本当に死のうとしてたっちゃしてたんだけど、記憶がないからさ、自分がどうすれば死ぬかもわからなくて、その研究の一環みたいなものだったんだ。だから本当に、気にしないでよ。悩んでたりしてるわけじゃないんだ」

「ああ、そういう……変な奴ね、やっぱり」

「それでレディの名前をお聞きしても? 名乗りたくなけりゃあカレーシェフって呼ぶけど」

「じゃあ……キャンディ」

「キャンディ?」

 苦笑した彼女は、ぎざぎざな歯がとびきりキュートでシニカルだった。

「忘れたいの、昔の事。だからあんたに習って可愛い名前を勝手に名乗るわ。甘くて……噛まなくても、きっといつか溶けて消えちゃえるような、素敵な名前でしょ?」


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