六年前5
餓死をしよう。そう思い至って、あの時ぼくは聖蹟街の外れの森の深くで両腕を縛った。それもわざわざ高い木の枝にロープを括って、飛び降りることで結び目が締まる特殊な結び方だ。五回くらいやり直して、ようやく宙ぶらりんになりながら両手を腰の後ろで縛り上げられる、理想の状態に落ち着いた。
それからぼくは、ただただじっとしていた。丁度秋の頃だったからさ、昼間には木々がたっぷりと色づいて実っているのが目の保養だったし、夜は星空に響く虫の音がぼくの死を祝福してくれているようだった。
今度こそ、きっと死ねる。四日か五日くらい経ってそう思っていたよ。ぼくは存外我慢強いタチでね。というのももう何十年もかけて、数えきれないくらいの自殺を図ってきたわけだから、忍耐力ってのに優れてるのさ。毒だって飲み慣れてるし、痛みや苦しさには安堵さえ覚える。
だから体の渇きを感じつつもさ、干し柿みたいだなぁなんてぼんやり思いながら瑞々しい秋の陽を眺めていた。空には薄い白雲がぽつぽつ浮かんでて、木々の隙間から聖蹟街のビル群が霞んで見えた。くたばる寸前だったから視界も朧気だったんだ。だから空の上でぴかぴかしてる太陽が一番眺めやすかった。
そんな時にこう思っていたよ。あの太陽はきっとインチキだ。それだけじゃない、秋を始めとした季節も、乾いたぼくを撫でていく風も、体の中に響いてくる虫の声も、全部がインチキだ。
だってここは死後の世界だぜ? なのに元の世界と同じらしい空に、季節に、生き物。
だからさ、これはぼくの持論なんだけれども、本当の意味じゃどいつもこいつも死んでないのさ。本当はね、死後の世界なんてあっちゃいけないんだ。
何せ死んだ後に生前の記憶があって、それに基づく人格があったならさ、それはただ遠い場所に引っ越ししてきただけじゃないか。生前の金とか土地とか、そういう資産は置いてくることになっても、自己認識があったならそれはやっぱり引っ越しだ。生前、体一つで右も左もわからない国に乗り込んでいくのと同じだよ。
その上で、この死後の世界はどいつに聞いても「死んだ実感がないくらい現実的」なんだとよ。奴らに言わせりゃ、死ってのは随分生半可なものらしい。
違うんだよ。死ってのはさ、消失でなければならないんだ。
死んだ後まで生きてたくはないだろ。
そんなことを思いながら、当時のぼくが目を閉じかけた時、声がしたんだ。
「あなた、何してるの?」
もう太陽を見上げるために顔を上げる力も無くてさ。真下から声をかけてくれて助かったよ。
そこには、雑に染められた黒髪の、じゃらじゃらチェーンファッションのキャンディが居た。森なんて似合わない、ダウナーでパンクな格好だったよ、その時から。
「自殺」
ぼくはおしゃべりなんだけど、死にかけだったからさ、それだけ言った。
すると彼女は目を細めて、べっと舌を出した。
次の瞬間、〝キャンディの歯が軒並み鋸じみて鋭利に変化し〟、その人外じみた強靭な顎でぼくを吊る木の幹を食い千切った。たったの一噛みでさ。
霊能者。全く、奴らが一番インチキさ。字面からして、霊能者なんて実にぽいだろ?
その上で、どいつもこいつもやっぱり死人だからさ、共感しやがるんだ。
「なに、してるの?」
「自殺の邪魔」
簡単にぼくを助けてしまったキャンディは、ぼくを受け止めた後におがくずを吐き出しながら言った。
「死んだ後まで自殺することないでしょ」
そういう考え方もあるのか。そんなことを思いながら、ぼくは意識を失った。