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六年前3

 アナグマ。それはキャンディが構えている飲食店の名前だった。ただ具体的にどんな店かと言われれば、バーでもあるし、酒場でもあるし、カフェでもあるし、難しいんだ。従業員は彼女だけでさ。路地の深い所にあって、底冷えする様な街の闇の中に佇む店だからね。

 やっぱりずっと遠くで響いているはずの戦闘音も、冷えたこの裏路地までは届かない。錆や埃が絡みついた室外機やよくわからない管が繋がった両脇の建物の壁は、きっと表通りから見れば華やかで堅牢なんだろうけども、こっちから見れば点滴に繋がれている末期患者のようだ。

 何年も戦ってきた壁。傷付いて、弱って、汚れた肌。毎年ゴーストウォーズの為に改築を繰り返されるこの街は丘の上から眺めているだけじゃわからないくらい複雑で美しく、単純で痛々しい。

 ただ、戦うためにだけある街。それこそ昨晩、決戦前夜のこの街を粉々に砕けた、ぎらついた宝石のようだと思った様に、触れれば呪われてしまいそうな死の香りが染みついた空気。

 勿論、殆んどの人間がそんな街の空気に馴染み、奮起し、一年間戦いの為に打ち込んで勇む。

 でも、やっぱり死者と言えども人間だからさ。みんな同じってわけにはいかないんだ。

 ぼくは霊能に目覚めていないからいわずもがなだけど、目覚めていたとしても、戦いたくないって人は居る。

 それがキャンディであり、こういった裏路地でひっそりと生きる死者達だ。

 だからぼくは、この影が剥き出しの裏路地が好きだった。

「やあ」

 ビルとビルの間。奥の細道と手書きで書かれた看板の下をくぐって路地に入ると、人一人とすれ違うのがやっとの小路の左右に小さな店々が軒を連ねている。小さな小さな商店街さ。そのうちの一つ、開け放たれた木製の扉に手書きの黒板のメニュー表が立てかけられてあるアナグマを見つけ、覗き込む。

「ん」

すると、半円のカウンターしかない狭い店内の、客席の一つに腰掛けたキャンディがひらひらと片手を振ってくれた。根元が黄色くなってしまっている褪せた染め色の黒髪は光沢を帯びて、その腰をくねらせた毛先がシルバーアクセサリに覆われた耳元や病的に白いうなじに絡みついている。革のエプロンはしているものの、その下には黒と白のボーダーのシャツにチェーンが付いたジーンズというラフなスタイルで、ダウナーでパンクな彼女の出で立ちはこの裏路地に良く馴染んでいた。

「早かったね」

 手元のタブレットから目を離しつつ、キャンディは長い足を組み替えた。カウンターの中の厨房では古びたガスコンロにかけられた鍋がぐつぐつしている。美味しそうなカレーの匂いがした。

「朝飯を食べ損ねてさ。お腹空いてて、で、早く君のカレーが食べたくて」

 ぼくは嬉しくなりながら早速キャンディの隣に座った。すると彼女は「ふうん」と口を尖らせながら、ぼくの格好を頭の天辺からブーツの先まで見回した。

「……勝負服じゃん。こんな日にまで女の子に会いに行くとこなの?」

 この店はぼくのとっておきでね。冗談抜きに聖蹟街で一番おいしいカレーが食べられるんだ。長年街を練り歩いているぼくが言うんだ、間違いないぜ。だからデートの時、よくここに女の子を連れて来ていて、だから彼女はぼくのこの勝負服を知っているんだ。

「まあデートじゃないけどね。ちょっと謝らなきゃいけないことがあって」

「珍し。あんた、色々毎年こじれてるけど、いつもこの日までには整理付けてるのに」

「それが聞いておくれよ。今度こそは本気で女の子に恋をしてさ。君にも何度も相談したゴーリーだよ。彼女、熱心に好きだって言ってくれるから、ぼくも今度こそ本腰で向き合おうって思って、『ずっと君とこの街で暮らしたい』ってプロポーズしたんだ。でもまあ、いつものごとく結局こっぴどく振られちゃって、昨晩自棄酒しちゃって、そこにレオがいて……」

 すると、キャンディの目が一瞬だけキッと獣の様に細くなった。

「レオントポディウム? あんた、これからあいつに会いに行くの? それもわざわざ謝りに?」

「え、そうだけど……」

 するとキャンディは急にきらきらなリップで整えられた口を尖らせて不機嫌になった。料理人だからこそきちんと爪を切りそろえた綺麗な指先で乱暴にタブレットの電源を落とし、踵を鳴らして立ち上がって、カウンターの中に入って行く。

「まあなんでもいいけど。でも、友達として言わせてもらうと、やめときなよ。大体想像は付くけどさ、振られたなら愚痴るくらい当たり前じゃん。わざわざこんな日にまで、危険を冒してさ、謝りに行くことないよ。明日でも良いじゃん」

「でも……レオが今日いなくなったらって思うとさ」

 カウンターの上で指を揉んでいると、キャンディは呆れたようにため息を吐いて、ぼくの前に銀のスプーンと、お手拭きと、グラスに注がれた赤ワインを並べてくれた。

「私は、そうやって無茶して、ジャンが今日いなくなったらって思うよ」

 それから沈黙があった。その間に漂わせた視線はひっそりとしたアナグマの店内を彷徨っていた。壁際の戸棚には様々な種類の酒瓶が並んでいて、天井ではとってつけたような羽の欠けたファンが静かにゆっくりと回転している。もう少し早く回ってくれれば部屋の空気と一緒にこのぼくとキャンディの間の気まずい雰囲気も吹き飛ばしてくれそうなのに。このおんぼろめ。

「ぼくはいなくならないよ」

 鍋の蓋を開けたり閉めたりしながらカレーの面倒を見ていたキャンディに、ぼくは言った。

「知ってるだろ? むしろぼくはどこにもいけないのさ。霊能に目覚めていないから組合の戦闘部隊にも勿論入れないし、こっちの街で試せる〝自殺〟は思いつく限り試した。でも、死ねなかった」

 ぼくたちは死者だ。そしてここは、そんなぼくたちの街。転生するために、自分の影、ゴーストを殺さなくちゃいけない。

 でもね、そもそも死者だからさ、〝ぼくたちは普通には死ねないんだ〟。

 〝自分の生前の死因と同じ死に方をしないと死ねずに、街のどこかで蘇るんだ〟。

 だから、誰も自分の死因を人に話すことはない。もし自分の死因がバレちまえば、〝殺される〟かもしれないからね。

 つまり、この世界じゃあ〝自分は自分にしか殺せない〟のさ。

 そして逆に言えば、みんな自分のゴーストだけは、〝殺せる〟んだ。

 一人の人間の表と裏。ゴーストは、あくまでも自分自身だから。

 自分の死因は、自分が良くわかってるから。

 でも記憶の無いぼくは、思いつく限りの死に方をこの街で過ごす長い年月で試したけど、死ねなかった。つまりきっと、とんでもなく珍しい死に方をしたんだろうさ。

「だから、ぼくはいなくならないよ」

 苦笑すると、カウンターに肘をついて彼女の目を見る。

「でも、心配してくれてありがとう。そういう優しい所があるから、君のごはんは美味しいんだろうな」

「……はぁ? それ、何か関係ある?」

「あるよ。君の料理はとても優しい味がするから。振られた男には良い薬だ」

 するとキャンディは重たい癖ッ毛の前髪の下で、満更でもなさそうに笑った。

「なにそれ、私のご飯は薬みたいに不味いって?」

「いやいや、そうじゃないよ。確かに身体に効く薬は口に苦いもんかもしれないけどね、傷付いた心に一番効く薬は美味しいごはんだ。人間、どんなことがあっても美味しいものを食べてれば意外とへっちゃらだからね。これ、長生きのコツね?」

「もう、適当ばっかり」

 くつくつと笑いながら、キャンディは楕円形の白い深皿に特製の牛煮込みカレーをよそってくれて、ピクルスの壺と一緒に出してくれた。お皿よりも更に白くてつやつやしたお米の山を浸らせる具だくさんの牛カレーは濃厚な辛口の色合いで、スパイスの香りが胃にいち早く飛び込んできて空腹を擽ってくる。たまらず手を合わせて、早速銀のスプーンで一掬いしてやるとどろっとしたルウからごろっとした牛肉が出てきて、そのとろとろ具合といっちゃあ一口放り込んだだけで溶けちまうくらいだ。

 口の中に残ったずっしりした牛カレーの余韻を酸味の強い赤ワインで綺麗に浚っていると、キャンディがカウンターの向こうで切り出した。

「それで、今のゴーストウォーズの状況だったね」


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