六年前1
二日酔いの朝ってのは、世界で一番惨めなもんだ。気分は最悪、後悔ばっかりが頭にある。
まあでも、そりゃあ仕方がないだろう。だって呑んだんだから。酒飲みとしてそんなことを思いつつ、二日酔いでがんがん痛む頭を抱えて起き上がったよ。
すると、毛布に絡まった硝子片がぱらぱらと床に落ちた。
昨晩の事は鮮明に覚えている。ちくしょう、これじゃあ二日酔い損だ。この痛みが昨夜の過ちだとか、虚しさだとか、寂しさだとかを一掬いでも攫ってくれたなら体が幾分軽くなったんだろうけれども、生憎とぼくは酒に強くてね。昨夜みたいな馬鹿な飲み方をしてもものを忘れるってことはないのさ。
そこでベッドの頭の所にある小棚を手探りで漁って、灰皿を掴むと粉々に硝子が砕けた窓のさんにそれを置いた。そしてズボンに入れっぱなしだったくしゃくしゃな煙草の箱からやっすいしけもくを取り出して、懐からは幾分値の張る金色のガスライターを取り出す。
ぼくは仕事をしてないからね、基本貧乏なのさ。でもモテちゃいるからさ、こういう立派なライターみたいなものを貰ったりもするんだな。見栄っ張りなぼくにはぴったりのプレゼントさ、ガスライターなんて。
そうやって安物の煙草に高い火をつけて、すぱすぱとしながら朝になった聖蹟街を見下ろす。
相変わらず街は戦場だった。ゴーストウォーズは一年で一日、冬至の日の二十四時間だけ開催される。隣街の穢堰街とこちらを隔てる壁が壊されて、この聖堰街に暮らす〝オモテ〟の魂と、あちらの〝ウラ〟の魂が衝突する戦争だ。
というのも、この聖堰街と穢堰街は二律背反の存在なんだ。
つまり、〝死んだ一つの魂は二つに分かたれてそれぞれの街に振り分けられる〟。人間ってのは多面的な生き物だからね。その中で最も大きな二面性を死後、個別に確立させるんだ。
だから例えば、この街にグッチが居た様に、向こうの街にも〝ウラ〟のグッチがいる。
ドッペルゲンガーって言えばわかりやすいかな。まあこの二つの街じゃ、分岐した二つの互いのことを〝ゴースト〟って呼んでるんだけど。
だから、ゴーストウォーズ。
〝もう一人の自分を殺す戦争〟。それがこのゴーストウォーズの本質だ。
そしてもう一人の自分を殺せた暁には、その片側の魂が転生権を得られて来世を獲得できる。殺された方、つまり負けた方は生前の〝穢れ〟として消し去られ、殺した方、つまり勝った方は生前の〝聖性〟と認められて来世を与えられる。
ただ、勿論そう簡単にはいかない。だってゴーストウォーズはたった一日しか開催されないし、それぞれの街の霊能者が何万人って入り乱れて自分のゴーストを探し、暴れ回るんだ。その日のうちに自分のゴーストと出会える確率だけでも片手の指の本数以下だ。
そしてこの一日が終われば二つの街を隔てる〝レテの壁〟は再構築され、また一年、来年のゴーストウォーズに備えた日々が始まる。
壊れた街の再建、つまり〝より戦いやすい陣地〟の構築。霊能者たちの鍛錬、部隊編成……そう、これはあくまでも〝自分のゴーストを殺す〟っていう個人戦に見えて、戦争らしくチーム戦なんだ。
なぜならば、レテの壁は〝冬至の日を終えた途端に再構築される〟。そして何人たりともその壁を越えることはできない。
つまり、〝冬至の日が終わる時に相手の街に居た霊能者は取り残される〟んだ。
そうなれば一年間のサバイバル生活の始まり。敵ばかりの街で生き残れるはずもなく、捕らえられて、縛り上げられて、自身のゴーストの前に無防備な状態で首を差し出すことになる。
逆に言えば、〝とにかくこの冬至の日のうちに相手の街の霊能者を数多く自分の街の中に捕えられれば〟、後からどうすることだってできる。
だからチーム戦。何万人の中から一人の自分を探すより、連携して千人を捕らえて、その中から自分のゴーストを探すのが効率的だし、死の危険も少ない。
「……ぼくには、何の関係もない話だけど」
そもそも霊能に目覚めていないぼくは、ゴーストウォーズに参加するだけただのお邪魔虫だ。そして霊能って言うのは、片側の街の魂が目覚めればもう一つの街の魂も目覚めるようになっている。あくまでもゴースト同士は繋がり合っている、二律背反だからね。
つまり、聖蹟街のぼくが何十年も霊能に目覚めていないということは、穢堰街のぼくも同じく無能ってことだ。
ぼくにあるのは、ただ何十回とゴーストウォーズを観戦してきたという、今世での記憶だけ。
そうして紫煙を遊ばせつつ、相変わらずがんがん痛む二日酔いの頭で思う。
今日はこれまで生きて来た中でも、最悪のゴーストウォーズだ。
だって、ぼくは昨晩のことを鮮明に覚えている。
「……レオに、謝りにいかないとなぁ」
彼女はこの聖堰街の古株でね。腐れ縁なんだ。
そして今日、レオが向こうの街の自分のゴーストを殺すか……もしくは殺されれば、二度と会うことはない。
そうすれば、謝ることも出来ない。
それは少し、後味が悪い。
ため息を吐いて、箪笥からツイードのジャケットを取り出す。ぼくの勝負服だ。一年でも女の子との最初のデートの日にしか着ないイかした黒色の柄。中には赤いシャツを着て、スラックスもブーツも黒色。ポマードで寝ぐせばっかりの赤髪をしっかり撫でつけて、身だしなみを整える。
これで、〝戦場に遊びに行く〟準備は完了。
まあぼくはさ、霊能に目覚めてないから戦えないよ。
でもね、これまで何十回とゴーストウォーズを、こんな聖蹟街の端から眺めていただけじゃない。
そもそもゴーストウォーズは街全体が戦場だ。本当に安全な所なんかは、ないんだから。
それでもぼくは向こうの連中に捕まって攫われることなく、何十年と生きて来た。
これでも、もう、戦争には慣れているんだな。