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今年

「ぼくの前世での死因は、きっと銃弾で胸を撃ち抜かれた事だ」

 薄暗いバーの端っ子の席で、じっとウイスキーグラスを見つめる。カウンターの上に絞られた橙色の天井照明を浴びて、丸氷が琥珀色の液体の中でぷかぷかしてる。そのぷかぷかに合わせて、酩酊して不安定になった焦点がゆらゆら揺れる。

「これがさ、例えば槍で胸を貫かれたならこうはいかないと思うんだ。まあ刀でもなんでもいいケドさ、とにかく凶器に胸を突かれたなら、突いたそいつはしばらくそれを抜かないと思うんだな。確実に殺すために捩じったり、押し込んだり、色々すると思うんだ。でもそうしたらさ、あんまり痛そうだから、来世でも胸の所が重たくなっちまいそうだろ? けれどもね、ぼくはそうじゃないんだ。胸の所がずっと寒いんだ。ぽっかり穴が空いたみたいに。だからね、前世での死因は銃弾で撃ち抜かれたことだと思うんだ。きっとそいつは凄腕のスナイパーだぜ。弾の破片なんて残らず、綺麗に貫通したんだ。だから風穴が空いたみたいに、ずっと胸の所が空しいんだ」

 千鳥足のような抑揚。自分でも何を言っているかわからない。ちきしょうめ、ぼくは酔うといつもこうなんだ。ミステリアスで陽気で秘密主義な色男ってのがぼくのはずなのに、酒が入るといつも洗いざらい吐いちまう。情けないったらありゃしない。

 そんなぼくを見かねたグッチが、隣の席で呆れたように顎肘を突いた。

「あー……なんつーか、〝よかったじゃねえか、死因がわかって〟。女に振られる度に相手のことを責めず、そうやって自分を顧みるところは美徳だと思うぜ、ジャン」

「ぼくは無駄なことはしない主義なのさ。だってあいつら、みんなぼくを振る時に同じことを言うんだぜ? 『本当は私の事なんて好きじゃないんでしょ』。女ってやつは傲慢だよ。何べんも、顎が外れるくらい好きだって言ってやってんのにさ、心が籠ってないとか抜かすんだ。分かり合えない。今度こそ、もう金輪際恋愛はしないと決めたんだ」

「だけどよお、お前結局好きって口で言うだけで、自分からは何も連絡しねえし、キスやセックスどころか、手繋ぐことも嫌だって突っぱねてんだろ? むしろそれで付き合うところまで行く手腕をご教授願いたいんだが」

「知らないよ、知り合って話してたら向こうが付き合おうって言ってくるんだ。そして時間が経ったら向こうから振られるんだ。奴らは嵐だよ。勝手に来て、勝手に去っていくのさ。そしていつもぼくは滅茶苦茶さ」

 ぐちぐちと言葉を口の中で飴みたいに転がす。グレープの味の飴さ。グレープの花言葉は好意、陶酔、酔いと狂気、人間愛。ああクソッタレ、甘ったるい。ぼくは親友に甘えてるんだ。彼は聞き上手だから、つい好き勝手喋っちゃう。

 アイラ・ジャーニーが注がれたウイスキーグラスを掴んで、ぐびっと流し込む。生憎とウイスキーに一番合う肴がチョコレートであるように、甘ったれた口にはこのピートの煙臭い後味が馴染む。

「ぼくはプラトニック主義なのさ。そして信仰深いのさ。だから肉体的接触は嫌なんだ。ロマンチストなんだよ。肉体関係なんてお断りさ。大体連絡とらなきゃ好きじゃないの? 手を繋がないと? キスをしないと? セックスしないと? 逆にそんなことをしてたら全部相手のことが好きってことなんだ? となりゃ人類みんな幼稚園児の頃からビッチだよ、くたばっちまえ」

「まあそう言うなって。つうかよ、そうやってアレも嫌だコレも嫌だ、どれもそれも嫌で全部違うってなるとよ、じゃあお前にとっちゃ何をすれば〝好き〟なんだ? 口で言うだけでいいのかよ?」

 尋ねられて、ぼくは唇をへの字にひん曲げて固まった。すると親友は、浅黒い筋肉質な腕でハイボールを傾けながらまたため息を吐いた。

「ああ、もしかして……ソッチに自信がねえとか? 心配し過ぎだろ、女は意外とサイズとか速さとか、気にしてないって聞くぜ」

「は? 僕のティラノサウルスを馬鹿にするなよ。こいつは凄いんだぞ。肉食で大食いさ」

 すると、後ろの方の壁際にあるテーブル席でがたんと勢いよく立ち上がる音が聞こえた。振り返ってみると、仕立ての良い赤いドレスを着たレオが口を尖らせてぼくを睨んでいた。

「黙って聞いてたけど、品がなくて仕方ないわね。我慢ならないわ」

 ぼくは振り返ったまま、カウンターにもたれかかって足を組んで返した。

「へえ、自分のことを棚に上げて良く言うさ。盗み聞きは品が良いのかい? なら一生その品ってやつを食いしばって黙ってな、レオ。この間〝貧者〟に聞いたんだけど、飢えを凌ぐには何か咥えてると良いって話だぜ? 噛み千切りそうだから、ぼくのティラノサウルスは貸してやれないけどね」

 するとレオはドレスと同じくらい顔を真っ赤にさせて、つかつかと歩み寄って来た。振り上げられた右の手の平の薄くて美しい様にぼんやりと目を奪われたよ。

 そして次の瞬間にはきつい一撃をお見舞いされちゃって、椅子から転げ落ちちまった。カウンターの上のグラスやらなんやらも纏めて落っことしちまって、頭から酒を被っちまう。冷たくて風邪を引いちまいそうだ。冗談が通じないんだ、彼女は。

「最っ低」

 それだけ言い残して、レオはバーを後にした。その後ろ姿はやっぱり美しかったよ。背中の開いた赤いドレスが良く似合う金髪は、髪の毛の一本一本が芯から純金でできてるんじゃないかってくらい煌びやかで、同じくまっきんきんな目の色は意志の焔に彩られて燃えている。白い肌は未踏の森の雪野みたいに真っ新で、誰も踏み入って触れたことが無いように潔白なんだ。とんでもない美人なんだよ、レオは。だから怒ると怖いんだ。

「……はぁ」

 彼女が蹴飛ばすみたいにしてバーの扉を開いて出て行っちまった後、堪え切れなくなって、口からため息が零れる。

 彼女に比べて、ぼくはなんて醜いんだろう。

「おいジャン、今のは……」

「いや、良してくれよグッチ。言われなくても分かってる。今のはぼくが悪かったよ。最低だった……」

 酒に濡れた赤い前髪を掻き上げて、倒れた椅子にもたれかかる。この〝奥の細道〟のバーにちらちらいる他の客から囃すような視線を寄越されてきて参っちまいそうだ。そして、そんな周りの視線に気付けるくらい酒も抜けた。

「酔いを覚ましてもらっちゃったなぁ……明日、謝りに行かなきゃ」

 頭ががんがんする。痛いってよりも煩いんだ。まともにものを考えられない。重たくて、髪を掻き揚げた手でそのまま頭を抱える。

「こんなんだから、駄目なんだろうな……本当に」

 すると、グッチは苦笑して床に座り込むぼくの肩を叩いてくれた。彼は色黒で、筋骨隆々なマッチョだから、座っていても上にも下にも手が届くのさ。

「まあよ、そんなに気にすんなって。いつものことだろ? レオだって許してくれるさ。それに……女にこっぴどく振られた夜に羽目を外すくらい、おかしなことじゃないさ」

 グッチは本当にいい奴だ。こんなぼくを気にかけてくれる。

「ああ、うん。じゃあいつものことついでにさ、よければ明日付いてきてくれると心強いんだけ……ど……」

 ただ、言ってるうちに思い出した。酔いも醒めてさ、わかっちまったんだ。

 いつもの毎日ってやつは、永遠には続かないのさ。

 顔を上げると、グッチが男らしい逞しい顔を申し訳なさそうに萎ませてた。

「そっか、グッチは……君たちはみんな、明日、〝ゴーストウォーズ〟だったな」

「ああ、だから……悪い」

「いや、謝るのは僕の方さ。一世一代の〝隙間〟の大一番の前夜にさ、こんなことに付き合わせてごめんよ。もっと気楽に君を送り出してやるべきなのに、君が聞き上手だから、ぼくってばつい愚痴って、悪酔いして……」

 すると、グッチはマスターから貰った布巾でカウンターの上を拭いてくれながら、笑ってくれた。

「そんなのお互い様だろうがよ。聞き上手なのはお前もだぜ、色男。これまでお前には随分世話になった。むしろ、最期がいつも通りの夜で安心したよ。これでもう……お前風に言うと、〝今世〟に悔いはねえよ」

 そんな彼の男らしい笑顔が眩しくて、思わず目が細くなっちまう。ぼくが女だったら確実に惚れてたな。そう錯覚しちまうくらい、恋慕と同じくらいの熱が目頭に過って涙が沁みて来ちまう。

ああ、やっぱり虚しいよ。淋しいよ。胸の所に、寒風が吹き込んでくる。

 この虚しさは、何度経験しても慣れそうにない。

 そうして汚した分をすっかり二人で片付けて、銭を払って、バーから出ると、冬の夜は透き通るように寒かった。

 毛皮のコートの襟に首を埋めながら、ぼくはグッチに言ったよ。

「応援してるよ、心の底から。君の来世に祝福があることを祈ってる。きっと、君なら勝てる」

 するとグッチは、ジャンバーの上からでも分かるくらい筋肉が発達した二の腕を叩いて頼もしく笑ってくれた。

「任せとけ。お前こそ焦らなくていいんだからな。きっとジャンなら大丈夫だ」

 そうして僕たちは、満天の寒空の下で拳を合せた。

「じゃあな、親友」

 グッチと別れてから、コートのポケットに手を突っ込んで、歩く。

 吐いた息が凍り、白く煙る。その白い煙が目にかかって、染みてきて、じんわりと目尻が熱くなった。

 その熱を冷ましたくて足を速く動かし、この聖堰街の坂をぐんぐん上っていく。走っていれば自分の息は置き去りさ。ずっと、ずっと、冷たい夜風が顔に当たる。

 そうしてこの街で一番高い丘の上。僕が住む廃墟まで帰ると、振り返る。

 そこに広がるのは、暗く美しい街並み。夜の闇の底に、砕けた宝石の破片の様に散らばる夜景。重要なのは、破片って所だ。

 どれだけ美しいモノでもさ、壊れてばらばらになっちまったら、その破片の輪郭は尖っているもんだろう?

 そんな風に、ぎらぎらと夜を斬りつけるような夜景だ。大通りの方は鮫の歯みたいに細かくて刺々しい七色のネオンが連なっていて、反面海の方の海岸線には灯台の強烈な橙色の明かりが飽きることなく海風を切り裂いている。夜だってのに、この街は眠ることはないんだ。

 何せ、死者の魂が行きつく〝霊都〟だから。

 この街に住む者は皆、死を経験している。生前の記憶を持ち、来世の沙汰を待っているんだ。あくまでも、この霊都『聖堰街』は転生する魂の腰掛けの街。

 ぼくはそんな街に、もう気が遠くなるほど暮らしている。

 理由は単純さ。

 〝ぼくには生前の記憶がない〟。

 ぼくにはこの街で目覚めた時からの記憶しかない。だからぼくからすれば、今この意識こそが今世だ。ぼくは今、生きているんだ。

 でもみんなは違う。みんなは生前の記憶を持っていて、死んだという自覚があって、この街での暮らしが腰掛けに過ぎないことを理解している。

 だから〝前世〟だとか、〝この街で生きている〟とか言うとよく笑われる。

 でもしょうがないだろ? 〝前世〟の記憶がないぼくは、自分の死因がわからない。

 つまり、〝霊能〟に目覚めることもないから、ゴーストウォーズにはいつまで経っても参戦できない。

 何の記憶も持たないぼくは、ずっとこの丘の上の廃墟から戦うみんなを眺めているだけ。

 何度も、何度も友達を見送っている。

 まるで微睡みながら見る夢の中のような美しい街並み。暗い夜の底を温める七色の夜景。郊外の丘の上の暗い廃墟から、そんな街を眺める。グッチやレオはあの街の中に帰っていくんだ。そう思うと奥歯に力が籠もった。

 そしてその力が、すっと抜けた。

 在るのはただ、胸の芯を突く虚無感。凍てつくように寒くて、力が抜け落ちる感覚。

 どうせという、諦観。

「……ちくしょう」

 ぼくが聞き上手なのは、話を適当に聞き流しているからさ。

 ぼくが女の子にもてるのは、〝この誰のかも知らない顔〟があるからさ。

 だから、ぼくは恋人に触れたくないんだ。

 ぼくには前世で生きていた頃の記憶がない。つまり今のこのぼくは、本来はいるはずのない、生まれることすらなかった意識。この身体は前世の誰かのもの。

 そんなもので、そんな他人のもので、愛する人に触れたくないんだ。

 それに、そもそもさ。例え手を繋いで、キスをして、セックスをして、愛し合ったって、どうせだよ。

 〝どうせみんな、いなくなるんだ〟。

 ぼくだけが取り残される。

 なら、心の底から人を愛することにも疲れちまうのは当然だろ?

 廃墟に入ると、真っ先に洗面所に向かう。蛇口をひねると冷たい水が出た。

 当たり前みたいに、帰って来て最初に手を洗う。石鹸を使って、念入りに。

 グッチと合わせた右拳を、丹念に洗う。

 そうして、親友────他人と接触した部位を洗い流す。

「ちくしょう……ちくしょうっ」

 白いタオルで綺麗に右手を拭うと、呟く。

 そうして、まっさらになった右手の甲で、目尻を拭う。熱い余韻。友情の後味はいつもこうだ。手の甲に付着した涙も、綺麗にタオルで拭った。

 死んで、生まれ変わる先が決まるまでの空白期間を、あらゆる魂がこの霊都で過ごす。

 その間に、魂たちは様々な〝仕事〟を与えられる。

 グッチならフットボーラー。レオならモデル。他にも一杯。生前の記憶を鑑みて与えられているらしい。記憶がないぼくは無職だから、詳しく知らないんだ。

 そんなぼくの仕事を強いて言うとすれば、一つだ。

「楽しかったなぁ……〝友達ごっこ〟」

 情けない声が響き、静寂が、劈く。

 その静寂を一秒一秒、丁寧に秒針が切り刻んでいく。窓から差す銀色の柔らかな月の光。しんと冷えた聖蹟街の気配。

 鼻をすする。

 ベッドの毛布にくるまる。

 かちり。

日付が変わる。

 轟音。数秒前までの静謐が粉微塵に吹き飛ぶ様な爆風が聖蹟街より生じ、遠く離れたこの廃墟の窓さえも一思いに叩き割る。砕けたガラスの破片が被った毛布の上に降って来て、熱気に絡みつかれた夜の冷気が怒号と爆音、戦音と共に雪崩れ込んでくる。

 身震いを一つして身を起こすと、窓からそっと、あの砕けた宝石群のようだった美しい街を見下ろす。

 しかし、そこにあったのは火の手や黒煙、崩れ落ちるビル群、夜空を舞う無数の魑魅魍魎、海から顔を覗かせる大怪獣。混沌とした、地獄。

 そうして、たった一瞬にして安らかなる死者達の街は────〝戦場〟と成る。

 これは死者達が、己が味わった死を賭して、あくる生を奪い合う戦争の物語。

 ゴーストウォーズ。

 ここはきっと、勝者には天国で、敗者には地獄だ。

 なら戦うことすらできないぼくにとっては……一体、何なんだろう。


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