目指す先の未来
麻美のアドバイスは的確だった。ハイタッチ、それは右手でも左手でもいいらしく、強く握られる心配もなくなった。
会いたい人に会えたって、その気持ちはすごく分かる。でも両手でぎゅうって、そんなに力入れなくてもなんて思っても、不機嫌になったら不機嫌だって周囲に言われそうで我慢してた。
「葉山くんおはよー」
「おはよ」
昨日から友だちって言い張ってるこの子の名前はなんだっけ? 僕の横で上目遣いのこの子は何年何組の子?
カーストーー学校内の最上位は芸能人、そんなことが誇らしいらしい。
◇◇◇
僕がいない間にグループのみんなが修学旅行の班別行動の行き先を決めてくれていた。大阪城、道頓堀、アメリカ村、清水寺、金閣寺、祇園、嵐山、桂川。
大阪の巨大テーマパークは学校側からNG食らったらしい。まあ、確かにそれで1日終わっちゃうしね。
「なあ、観光スポットだし人多いよね」
「まあそうだろうな」
「僕の身バレ、大丈夫かな」
「あ、ヤバくね?」
「変装とかいろいろやってみるよ」
竹内、梶さん、須藤さん、川上さん、授業を割いてのみんなで修学旅行の予定決め、こういう時間は楽しい。それと北原陸ーー。
「北原、お前アイドルオタクだったの?」
「あ、うん、そ、そう。あの……」
「ん?」
「人と、話すの苦手で緊張でドモって」
「いいよ、気にするなよ。友だちだろ?」
「う、うんうん!」
僕も昔はこんなだったな、なんて今も昔も中身はそんな変わってないと思う。
「ねえねえ北原くん」梶さんが興味津々。「愛内さんのことはどれだけ知ってる?」
・本名、安城あさみ
・出身、沖縄県名護市
・血液型はB型
・身長158センチ、体重43キロ
・足のサイズは23.5センチ
・誕生日は9月10日の乙女座
・4人兄弟の3女、結婚してるお兄ちゃんとお姉ちゃん、それに妹がいる
・高校に通いつつ那覇ボイススクール卒業
・18歳でロキシー・エージェントから『パラドックスラブ』で歌手デビュー
「へえ、そうなんだ」
「葉山知らなかったのかよ」
「うん、いろいろ初めて知った」
「そこは知っとけよ!」
隣りで須藤さんと川上さんも笑ってる。
「誕生日9月10日って、学年で言ったら5つ差?」
「そうじゃね?」
へえ、そうなんだ。
「北原、お前スゲーな……」
竹内の言葉に同調する。
「ネ、ネットの情報だからこれくらい。あ、でも僕の予想だと、彼氏、俳優とかバンドマンとか実業家とか、10人、とかなってるけど多分いない、っていうか処女って……あ、ごめん」
「北原、前半は合ってるけど後半は違うぞ」
「あ、そ、そうなんだ」
北原がモジモジしてて、自分で言って顔真っ赤にして照れてる姿が面白い。
「ねえ葉山くん、どうして知ってるのかな?」
梶さんが立ち上がるくらい身を乗り出してる。目が座っててなんか怖い。
「どうしてって、愛内さん今まで彼氏いたことないって言ってたし……」
「そっちじゃなくて後半!」
「わたしも思った」
「え、え、マ?」
後半? ……あ。
「葉山テメー!」
「いやいやそういうんじゃ……」
「ちゃんと話しなさい!」
「ねえどういうことなのかな、葉山くん!」
「ほら、なんか空気とか雰囲気とか」
「神、白状しるーー!」
◇◇◇
「久しぶりだね」
「古川さん!」
古川さんは家で僕の帰りを待っててくれたらしい。
「愛内さんに様子を見て来いって言われてね。鬼の居ぬ間に洗濯かな?」
「ははは……」
心許せる大人との会話は安心出来て楽しい。
「将来はどうしたい?」
「高校を卒業したら音大に行って、プロのピアニストを目指したいって思ってます」
勝手に僕も冗舌になるのは自然。
「葉山くんにひとつアドバイスしておこう」
「アドバイスですか?」
「そう。葉山くんは愛内さんと出会うまでは、ほとんど1人でピアノ弾いてるだけだって聞いてね。けれど今、すごく有名になってこれから先、たくさんの出会いがあると思う。急に環境が変わっていろいろ大変なことも起きるだろうけど、それは自分の成長の過程のひとつだってことを忘れないようにね」
◇◇◇【ある日の回想】◇◇◇
東京都港区
明和大付属病院内個室ーー
何年経つだろう、僕は確かに高校3年の春にパリで行われた世界ピアノコンクールで優勝したーー。
思い返してみればこの時、古川さんは丁寧に教えてくれていた。でも当時は高校2年生の17歳、気付けと言う方が無理だった。
周囲との付き合い、距離感、本来ならそういうものは幼少期から少しずつ培われ、けれどその経験がなかった僕には到底無理な話しだった。
僕は確かに優勝した。
けれどもし優勝しなかったら、この世界に足を踏み入れなかったら、病気が悪化することもなかったのだろうか。人の寿命の半分すら届かない身体にならなかったんだろうか。
当時ボロボロの僕の心に、そんな余裕は一切なかった。パリでプロポーズ、その目標すら果たせなかった。
人と人との出会い、それは良い面もそうじゃない面も全部ってこと。笑って、たくさん笑って、怒って、怒鳴って、泣いて、泣きじゃくって、殴って、殴られて、苦しんで、死にたくなって、本当に死にそうになって。
ましてや、僕が人を殺そうとしたなんて……。
懐かしい、全てが懐かしい。これは僕が、まだピアノを弾けた頃の記憶ーー。




