ソレ
形。そう呼べるかどうか、でもとりあえず曲として成り立ったのは17時を回った頃だった。
「遅くなってすいません……」
「ヘイキだって。じゃあ1回聞かせてもらえる?」
細かい点はたくさんあって、愛内さんとの声合わせもしてなくて、まだ雛がぴょって言ってる段階だけど始めて作った曲としてはとは思うけど、日本の歌姫が堂々と歌える楽曲とは到底考えられない。
『あなたへ』
イントロからAメロBメロ、そしてサビ、構成はまた考えるとして、時に静かに時に激しく、分かりやすく言えばボーカルの負担が半端ない、普通の歌手なら歌えない。
普通なら。
「どうでした?」
「うん、すごくいい」
あんなにいっぱいしゃべってて、あんなにテンション高かった? あれが普通? 愛内さんの目が潤い、涙が頬を伝う。それにどう反応したらいいのか分からなく、ピアノの前でただそれを見てた。
「やっと、やっとだよお、嬉しいよお」
「いつからおれのこと知ってたんですか?」
「実はね……」
愛内さんは元々ピアニストを目指していた。中学のときに県大会に出て負けちゃったけど、友達が全国大会に出るっていうから親に無理言って応援しに行った。
「そこに小学生の葉山くんが出て来て、えって思ったら物凄い演奏するんだもん」
それ聞いて絶対勝てないって思って、ピアノ辞めて歌に転向した。でもその時の記憶が鮮明で、いつしかおれのピアノで歌うっていうのが目標になった。
学業とかゆるい学校行ってその分ボイストレーニング。頭の中の記憶にあるおれのピアノで、歌の練習を毎日してた。
「葉山くん大会あんまり出ないでしょ、全日本の映像見つけた時はすごく嬉しくて、でもあの時よりすっごく上手になっててもうヤバイってなって会いに来た」
それが理由なんだろう。普通なら歌えない歌、でも愛内さんだから歌える理由。
「その映像、どのくらい見たんですか?」
「あは、分かんない」
たくさん練習してる人は、おれもたくさん練習してるからたくさん練習してるって分かる。すごく頑張ってる人はすごく魅力的で、全力で来るなら全力で返したいって思う。
「葉山くん、本当にありがとう」
「曲としてはまだですけど」
「録音したいからもう1回いい?」
「はい」
別に芸能人になりたいわけじゃない。でも1ヵ月後に本当に演奏出来て、それで愛内さんが笑ってくれるならいいと思った。
頑張ってる人のお手伝い、それでまたありがとうって言ってもらいたい。
帰り支度をする愛内さんに、遅くなってすいませんともう1度謝る。気にしないで、そう笑顔を返してくれた。
「じゃあ明日、事務所で待ってるね」
「……え、事務所?」
「ロキシーエージェント、知ってるでしょ?」
「名前はなんとなく……」
「それと、完成したら送っといてね。あ、それとピザあっためてちゃんと食べるように。じゃ、明日ね」
言い残して小走りで帰って行った。
「え、明日? おれの都合は? ロキシーエージェントってどこ? 東京? それと送っといてって、何をどこにどうやって送るの?」
呆気に取られてぼーっとしてる場合じゃなかった。でも玄関開けてももう間に合わないと思う。なんか多分、芸能関係の間では通じる話しなんだろう、だろうけどさ。
マネージャーって立場の人がいないとこの人はこうなんだろうなって、おれ悪くないよね?
コホッ。
その咳が現実に連れ返す。すぐさま高校の上着を探す。注射器、発作が始まったらもう止まらない、ソレで痛み止めを注射して、あとは落ち着くまで我慢するか救急車を呼ぶかだ。
大丈夫、大丈夫だ、疲れたからだ。
額の汗を拭う。愛内さんが持ってきた資料には病気のことは書いてなかった、こうなるって思ってなかったからわざわざ伝えてもいない。明日、東京、言おう、ちゃんと言おう。
「ピザあっためてって、ごめんなさい……うち電子レンジないし、それに、パンと水と、塩とゼリーくらいしか食べれないし……」
寝てる彼女にかけた上着、ソレの存在にもうすでに気付いてるなんて思うわけない。




