3回目
《大会直前まで悩むと思う。けどそれが、ピアニストなんだと僕は思うよ》
朝、滝の前にいる。水の音を聞いてる。瀬名さん、その通りになってるんだけど僕はどうしたらいいかな。今日が4月3日、本番の7日までもうちょっとしかないんだよ。
やり残したこと、そんなものは何もない、全部やった。やったけど、なんか違うんだよ。音がさ、感覚的なものだから言えないけど絶対に違うんだ。
ヴァルハラ、演奏したらいきなりヴァルハラに行けて全部解決なんて、そんな運に頼ることは嫌なんだ。
《君に足りないのは必死さだ。余裕があるうちは、まだわたしには届かない》
ガブリエウ・ブラン、今、僕は必死だぞ。お前を倒すためだけにこんなにもたくさんの人を巻き込んで、素直に意見も聞いて、挙げ句の果てがこれだ。
いや、ダメだ、ダメでもピアノに向かってやる、最後まで足掻いてやる、颯爽とした王子様とは程遠い、泥臭く歯を食いしばって練習してやる!
走った、夢中で。
1階のピアノホールはだれかが使ってるみたいだったから、そのまま3階へと駆け上がる。息切らしてるとか、ハアハア言ってるとか、喉乾いたとか、どうでもいいから鍵盤を全力で叩いた。
100、
1000、
10000、
演奏する度に命を削る? この曲が完成させすれば、レファソが納得行く音が出たら、命なんてどうでもいい。どうせ元々死ぬつもりだった、死ぬ以上の苦しみを何度も味わった、人間としての僕は、もう、これを完成させることくらいしか……。
……死ぬ?
あ、分かった。
これ、もしかしたら転生物なんじゃ。
そうだよそうだよ、やってないことが1つだけあるぢゃん。死んで生き返ったら弾けるやつ、きっとそうだよ、なんでそんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
さあてどうしようと部屋を見渡すと、道具が見当たらない。ここは3階、飛び降りは失敗しそう。キッチンとか行けば何かしらあるだろうけど、出来ればすぐに済ませたい。
クローゼット?
クローゼットの扉を開けると見つけた、洋服をかける横棒。これ名前なんだろうね。グリーズマンが着てただろう洋服がじゃまなので、床に丁寧に並べた。
なんで首吊る人がクローゼットを選ぶんだろうって、なるほど、部屋の中でひもを掛けれる場所が他にないからか。
ヒモは、ネクタイでいいか。並んだグリーズマンの洋服から2本借りた。台はピアノのイスでいい。イスに昇ってネクタイで輪を作る。それを横棒に結ぶ。
何回か練習しことがあるからね、本番ではあっという間に準備完成。
ネクタイの輪に首を通す。
ヤバイね、ワクワクするね、テンション上がっちゃうね。じゃあ行こう!
「Ne viens pas(来るな)!」
「……は?」
台のイスを蹴飛ばす。僕の全体重が首の1点に集中して首から身体全体を引き剥がそうとしてる。腕も脚も体も、一切抵抗しようとしない。ただ視界だけがボヤけて、いないはずのだれかを見て、聞こえないはずの声を聞いた。
血管の中で血液が渋滞して逆流し始めた。不思議だよね、数秒後には死んでる僕を今、僕は客観的に見てる。
……あの夢、ああ、僕のことか。
ドゴッ!
その音は横棒が僕の体重に耐えられなくて折れた音、直後、僕の体は床に叩きつけられた。
《この建物自体が年代物なので、少しずつ修理しています》
「ゴホッ、ゴホッ、苦、ゴホッ……」
だれかが走る音が廊下から聞こえる。僕は今なにをした。
「僕は、ゴホッ、僕はなにをした、今、僕はなにを、なにをしようとした……」
「一志!」
膝から迫り上がって来る寒気、爆撃機のような心臓、真っ白な脳、溢れる涙の奥で何人かの影が揺れてる。
「どうし……」
駆け寄る声を左手で静止してゆっくり立ち上がる。首にかかったネクタイ、クローゼット、床に並べた洋服、幽霊のような存在感、きっと聞かなくても状況を把握してくれたと思う。
1歩、1歩、ピアノに近づく。視界がぐちゃぐちゃでも鍵盤の位置くらい分かる。
レファソ。
「……あ、できた」
曲が完成した。
◇◇◇
「(血液検査の数値は良好、病院に行けば検査入院は確実。そうするとカズシは大会に参加出来ない。もし1秒遅かったら死亡、もしくは半身不随。カズシが今こうしているのはたまたまです、まぐれです、奇跡です、いいですね)」
「……はい」
「というわけで、大会まで常にだれかが一緒にいることに決めたから。一志に拒否権はないからね」
「……ごめんなさい」
「全く、見てないとすぐ死のうとするのやめてくれる?」
「いや、なんか」
「なに?」
「……なんでもないです」
話し合いの結果、今日の夜はアンと麻美に挟まれて寝ないといけないらしい。
「なんか文句ある?」
「(カズシ・ハヤマ、ワタシも今回は怒ってるからね。ちょっと、ちゃんと聞いてる?)」
「……すいませんでした」
アンはいつも怒ってるとか、なにも言い返せないけどこの魚料理、ちょっと僕には味が濃いんだよね。




