葉山一志
「はーいじゃあみんな聞いて。実はピアノ弾けますよって人手を挙げて」
音楽の先生は相変わらず楽しそうな口調で、私音楽が好きだから音楽に携わる仕事をしたくて音楽の先生やってるの、なんて言いたそうな笑顔で話す。どことなく愛嬌もあるから生徒からも人気ある。
「はーい」
3人くらいの生徒が手を挙げた。自身なさげな声で、挙げたっていうより肘から先を上下に運動させただけ。
「えっと鈴木さんと宮田さんと細貝さんね」
「やっぱムリムリムリムリ」
「え、いいじゃない細貝さん」
「だって何されるか分かんないし、中学で辞めちゃったし……」
こういう発言は積極的に発言できる人がすればいい。おれはできるだけ目立たなく、髪は多少ボサッとさせて黒メガネかけて、あんまりしゃべらないようにして隅っこにいる。
当然さわやかな笑顔なんてもってのほかで、でも身長178もあるとなんか目立つのはしょうがない。
「そんな緊張しなくていいのよ。ただ授業の一貫よ」
「人前で弾くのはちょっと」
「鈴木さんも?」
何事もなく静かに。
そう、静かに高3の春まで過ごしてあと1曲、それで全てを終わりにする。あと1年、長いようできっとあっという間だろ。
「はーい先生! わたしもムリーあはは」
「宮田さんも? んーじゃあしょうがないわね」
あと1曲、あと1曲、そう何度も念じてどんくらい経った? 音楽の授業が終わればお昼、外は春って感じの青空で風は少し冷たそうで、穏やかな日差しは眠気を誘う。
「葉山いるぢゃん!」
「竹内……」
クラス中の意識がおれに向かう。この人ピアノ弾けるの? へー知らなかった意外。「え?」なんて漏れる声の裏にあるのはちょっとした驚きだろう。
「葉山くんピアノ弾けるの?」
先生の頬にえくぼか浮かぶ。
「葉山、マジで超うまいらしい」
「竹内、もうしゃべんな!」
高校生活はおとなしく過ごそうなんていう理想は、高2の春にいとも簡単な一言で崩れそうだ。
「まあいいけど1曲くらい、今さらだし」
「お、初ぢゃん!」
「小中高って一緒で?」
「お前がずっと断ってたんだろ?」
「ああ、まあ、はは」
席から立ち上がりピアノに向かう。歩を進める度にクラスメイトの顔を黒メガネの視界が映し出す。好奇の目? 驚き? 調子良さそうな男共はニヤニヤして、無関心なやつらももの珍しそうな視線を向けている。
女の子たちは、なんかポカンとしてる。それってどんな表情なの?
ピアノのすぐ目の前に座ってる前田さんと目が合った。多分今まで話したこともない。
「なに聞きたい?」
「え……わたし?」
「うん、目が合ったから」
多分、静かな高校生活は今日終わる。まあここまで来れたのも竹内のおかげ? おかげ、おかげ……せいだし、ちょびっとの、アリの足くらいの小さな恩を返してもいいんじゃないかっていう気紛れだ。
「じゃあ、レーベンバッハ」
「クラシックつまんなくない?」
「え、じゃあRICKs……とか?」
「RICKsなら『ドリヴン』『ロングシーザー』『フラッシュバック』なら行ける」
その発言で空気が変わった。え、マジ? 本当に? 恋愛と下ネタにしか興味なさそうな男たちも身を乗り出し始めた。
「あ、え、じゃあ『ドリヴン』」
「『ドリヴン』ね、うんいいよ」
「でも楽譜とか……」
「ヘイキ」
余裕な感じで返されて、両手を口元に運びながら、肩にかかる黒髪の中に顔を赤らめた。前田さんはタイプの女性じゃないけど、女の子がこんな顔するのなんかいいなって思う。
「先生どこまで弾けばいい?」
「え、あ、出来るとこまでで……」
出来るとこまでーーそれは全部な訳で、キョトンとした先生を横目に椅子に座って鍵盤に指を置く。コンクール、家、協会、どこで弾こうが視線を下ろせば白と黒、特にこれといった緊張もない。
「竹内、超うまいからよく聴いとけよ」
「自分で言うかよ!」
あと1曲。
RICKs『ドリヴン』
ボーカルにギターとベースとドラム、普通のバンド構成。ボーカルのユーヤの高音が、凄まじく速いテンポに乗る。中でも『ドリヴン』は異質で、低音メタル的な感じながらもその速さは異常、年末に発表された甘いバラード『ヘブンズリー・ブルー・スカイ』とは全く別の、恋は激しく燃え君がどこへいようとも。
だから?
10の指で鍵盤を叩き出す。左手でドラムとベース、右手でギターとボーカル、中指が結構ひまになるのでそれ意外の音を加える。高校の音楽室に低音と高音を轟かせる。
「何事?」
「え、ヤバ、マジ?」
「なんだこれスゲー!」
何人か立ち上がったのを黒メガネのフレーム外で捉えた。曲は一気にサビ部分へ、さらに力を殺さないよう加速させる。
「葉山スゲー!」
「ちょっと待って、ヤバイって」
確かに速い、すごく速いとは思う。
だから?
勉強になるかななんて、流行りのJーPOPの曲も200曲くらい覚えてみた。あれはあれのバリエーションで、これはこれの展開で、なんて感じで特になんの苦労もなく、なんでこういう曲を弾いてみようなんて思ったんだっけ。
歌姫、愛内麻美ーー。
そうだ、愛内麻美の歌声を聴いてJーPOPに興味を持ったんだ。結果、興味があったのは愛内麻美の声、愛内麻美の歌声だけ、それだけだったのが分かった。
おれはどうやら、クラシック音楽を弾くことが性に合っているらしい。今この音楽室で起きてる現象も、はたから見たらちょっと面白いけど、こんな演奏で喜んでくれるのなんて、まあ別にそれならそれでいいんだけど。
曲の終盤、おおよそは尊敬とか畏敬とかの感情が、こっちに流れ込んできて、それに応えるように更に加速させた。
「ぎゃああ!」
「マジでヤバすぎだって」
「神ーー!」
あと1曲、そんなことを考えながら曲を終えた。
「ヤベーヤベー、さすが日本代表、来年は世界大会なんだろ?」
「言うなよ竹内!」
「え?」
「日本代表ってなに?」
「マ?」
「すごっ!」
いわゆる感動とクラスメイトの歓声の中、軽くお辞儀して席に戻った。
来年の春、フランスで開催されるパリ国際ピアノコンクール、そこで日本代表の選手として1曲弾く。
その後は、その日の夜でもいい、おれは首吊りでも身投げでも包丁で刺してでもなんでもして、この現実っていう地獄を終わりにするーー。




