〈4〉風月玄度
長らく逢えずにいる友を想うこと。
「さっきはありがとう。その、」
教室を離れて暫く経ち、ルミちゃんが話しかけてくる。数分前から歩き続けているけど、表情はずっと沈んだままだ。申し訳なさそうな顔で言葉が詰まっているのは何かあったのだろうか? …………そういえば、向こうからすればあたしは初対面なんだっけ。
「ルナ。ルナって呼んでくれたら嬉しいな」
あたしのあだ名。サクラちゃんがくれた、あたしの名前。せっかくならルミちゃんにもそう呼んでほしい。それに、ルミとルナって一文字違いでお揃いっぽい。
「そう、それじゃあ……ルナ、さん」
「ん~~~~ちょっと硬いけどそれもいいね!」
フレンドリーとはかけ離れた遠慮がちな態度。鶴見舞という少女とは似ても似つかないけれど、一体何が彼女を変えてしまったのか。すっごく、すっごく気になるけど、きっと聞かない方がいい。そんなことより今は仲良く話したい。サクラちゃんほどじゃないが、あたしだって待ち焦がれていたんだ。
あたしがグイグイ行くせいなのか、ルミちゃんは困ったように笑う。とてもかわいい。
「それじゃルミちゃん、改めてあたしが案内したげましょう。まずは図書室へごーごー!」
「あっ、えっ、うん」
昼休みは廊下の人も結構多い。だから逸れないように手を繋ぐのは自然なことなのである。白くて綺麗な肌は触り心地抜群だ、ちょっともちもちしててずっと触っていたくなる。えへへ、やわらかい~~。
「えっと、ルナさん?」
「はっ!」
ま、まずい、過剰なスキンシップはご法度なのになんてことを……。これで嫌われちゃったらおしまいだ、まずは言い訳を考えなきゃ。気持ちよくて我慢ができなかった。没、気色悪い。仲良くなりたくて。没、気色悪い。あう、どう足掻いてもあたしが悪いから何も言えない…………。
もう駄目なのか、あたしの青春は、人生はここで終わっちゃうのか。
「その、覚えてなくてごめんなさい。私、ルナさんと知り合いだったの?」
「えあ、あたしはルミちゃんとは初対面だよ? あはは……」
よかった、まだ嫌われたわけじゃなかったみたい。けれども流石に疑われてるのはなんとかした方がいい、よね? 初めて会う人にここまで積極的に話す人なんてそういないし、多分ルミちゃんもそれはわかってる。事実、あたしは舞ちゃんのことを知っている。でも、それはあくまで昔の舞ちゃんだ。今のルミちゃんのことは全く知らないし、実質初対面と言っていいと思う。そもそもあたし、舞ちゃんと話したことは無かったし。
「そう、そうなんだ。それなら…………どうして、こんなことを?」
あたしの嘘に気づかず、ルミちゃんは尤もな疑問を口にする。こんなこと、それは彼女の呼び名を指していて、更にはそれを決めたあたしの行動を指している。理由は単純だ、あたしは────
~~~
「ちょっ、桜くん!?」
HRまであと数分、数名が慌ただしく教室に転がり込んできた辺りでサクラちゃんは倒れた。人が倒れたのだからみんなも少し焦っていたけど、アズマくんの冷静な対処に固まった空気も緩んでいく。サクラちゃん係はアズマかあたしというのは、うちのクラスの共通認識だったりする。そのアズマが落ち着いているのだから、きっと大丈夫なんだろう。みんなはそう納得し、そのままアズマはサクラちゃんを連れ去っていった。
それからHRが始まって、緩急無く担任の口からあの言葉が聞こえてきた。
「転入生だ」
…………うちの担任は少しズレている。もう少し丁寧な言い方があるだろうに。教員としてちょっとどうかと思うけど、クラス内はそれどころじゃなかった。
転入生、または転校生。フィクションではありがちでも、現実では割と珍しい部類のイベントだ。まだ六月だからあっちは馴染みやすいだろうし、こっちも少し落ち着いてくる頃合いなので受け入れやすい。何より、まだこの学年は始まったばかり。より多くの時間を共に過ごすことが出来るというのが素晴らしい。さっきのサクラちゃん騒動をもう忘れたのか、みんなも浮足立っているみたい。
とはいえ、サクラちゃんがこの場にいないのは少し寂しい。転校生というのは凪いだ水面を乱す一石だ。いくら桜ちゃんが他者に興味が無くとも、多少なりとも反応を見れたはずなのに。
どんな子かな、もしや問題児かな。なんて呑気に考えていたあたしは、入ってきた顔を見て絶句する。だって、こんなの聞いてない。転校生が来ると知った瞬間も呑気でいられたのは、それだけはないと知っていたから。理解が全然追い付かない、出来すぎな状況と、あり得ない現実。何かがおかしい、どちらかが間違っている。でも、もし矛盾じゃないとしたら? そんな可能性があり得るのか?
なんとか状況を呑み込んでいる中、彼女は……舞ちゃんは、黒板の前に立っていた。
平均よりも高く伸びた背丈、スタイルの良さはモデル顔負けだ。腰に当たる程に伸びた長髪は、深い紺色にところどころ青が注し込んでいる。髪が放つ黒に反するように、肌の白さは輝かんばかり。そして二つ、両眼の蒼、碧、藍───。あの頃よりずっと綺麗で、あの頃よりずっと相応しい。寡黙な雰囲気を纏う姿は、まるで精霊のような美しさを放っている。絶句していたのはあたしだけじゃなく、その瞬間、全員が舞ちゃんに吞まれていた。
そう、あたしの贔屓目を抜きにしても圧倒的な美がそこに立っていた。の、だけど。
「……」
「どうした、チョークくらい使っていいぞ」
担任の言葉に舞ちゃんは頷き、チョークを手に取る。……震えている? あの舞ちゃんが? あたしは舞ちゃんと話したことは殆どない。だけども、舞ちゃんがどんな人なのかは知っているつもりだ。みんなに対する強気なところも、サクラちゃんに対する優しいところも。
だからこそ結びつかない。中学で何かあったのかもしれない、最初から演じていただけなのかもしれない。どちらにせよ、目の前の彼女と記憶の少女が同じ人間とは思えなかった。
いや、そもそも彼女は名乗ってもいない。全部あたしの勘違いで、他人の空似だってこともあり得る。そうだ、彼女が来るなら知らせがあって然るべきだ。そうじゃないということは、やはり人違いで…………
ううん、そんな訳無い。する意味が無い。
「……鶴見」
チョークを置いた舞ちゃんは小さく名乗る。黒板には、日直と日付以外は何も書かれていない。名前も、苗字さえも。
「鶴見、……です。よろしくお願いします」
姓名を書かず、名前も言わなかったのは緊張しているから、クラスのみんなはそう思ったのかもしれない。だけど、あたしにはどうしようもなく不自然な間にしか見えない。まるでその先を、名前を口にすることを恐れるような反応だった。
一体どういうことだろう。あの頃の舞ちゃんはみんなに優しくて、ちょっと仕切りたがりで、なによりサクラちゃんを大事にしていた。そのせいで、やっかむ周囲にいじめられてもいた。だけど、それは小学生の頃の話だ。高校生まで引きずるようなトラウマだったのか? 地元に帰って来て、また目を付けられるのが怖いのか?
理由はわからない。全部全部推測だし、もしかしたらただ恥ずかしがり屋になっちゃっただけかもしれない。でも、怖がっている。震えている。サクラちゃんがいない今、あの子を知っているのは多分あたしだけ。
行動を起こすべきか、それとも傍観すべきか。あたしの心配は杞憂に過ぎず、無駄なお節介を焼いたら嫌われちゃうかも。揺らいだ視線と意志を定めるためにも、もう一度、舞ちゃんの方を見る。
「っ……!」
その視線で、あたしは確信する。
あぁ、やっぱり違うんだ。
「っ………ルミちゃん!?」
驚愕、呆然、衝撃、困惑。それらを混ぜ込んだあたしの声は当然、教室中の注目を集める。ひそひそと続いていた会話は途切れ、あたしに対する疑問のみが残るだろう。「もしかして、知り合いなのでは」と。それは生徒だけに留まらず、この作戦の目標……担任もそう思うはず。
「なんだ、名月は知り合いか?」
よし、かかった。舞ちゃんにはごめんだけど、今は流されてもらおう。うちの担任のことだ、このままならきっと、
「なら席も隣にしとくか。蒼波、すまんが換わってやってくれ」
…………なんか、順調すぎて怖いくらいだ。いや、これが目的だったんだけども。恐る恐る後ろを見ると、酷く悲し気な顔をしたアオちゃんが。うん、ごめんね。朝から露骨に隣の席増えてたもんね、期待してたよね。
「ごめんアオちゃん、ジュース一本買ったげるから……」
「二本ね」
「やったー!」
交渉成立、お互いが笑顔になれるのが一番だ。
アオちゃんの許可も得たことで前に向き直ると、再び舞ちゃんと視線が交わる。その眼差しから不安が消えたわけじゃない。けれど、少なくとも、身体の震えは収まっていた。
〜〜〜
と、このように。あたしはルミちゃんにあだ名を付けたのだった。ついでに隣の席も確保してラッキー! サクラちゃんには悪いけど、同性同士で仲良くさせてもらっちゃおう。せっかくだし一番の友達ポジションもあたしのものに出来ちゃったりするかな?
「えっと、ルナさん?」
「ん? にゃ、ごめんごめん!そだね、理由なんて一個しかないよ」
ちょっと勘違いされちゃうかもだけどしょうがない、ここでルミちゃんを納得させられる理由はこれしかない。ルミちゃんの少し前に飛び出て、くるりと回って指を突き出して!
「可愛い女の子は助けないと、ね!」
決まった…………! あたしは確信した。これならルミちゃんは「ちょっとヤバいけど優しい人」と捉えるはず! 少しの信頼を犠牲に現状の地位を手にする、我ながら完璧な作戦だね。その証拠にほら、ルミちゃんも納得して…………あれ?
「そ、っか。うん、可愛い、よね」
…………曇っちゃった。なんだろ、顔の良さがコンプレックスなのかな? それとも女の子扱いがダメ? 性自認が男の子になっちゃってたらどうしよう、サクラちゃんに女の子に目覚めてもらうのは、う~ん、アリかも!
「…………」
あたしは学校案内を任されているのだけど、このテンションじゃあどうにも続けられそうにない。うーん、うーーーーん、どうしよう、ここで突っ込んじゃったら二度と口を利いてもらえないかも…………
黙々と歩き続けるあたしを心配してか、ルミちゃんから声がかかる。気づけば目の前には中庭があり、珍しいことに人影もない。や、違う。みんなが、ルミちゃんから離れている。
「あの、大丈夫?」
「え、あ、だいじょぶだいじょぶ!図書室もうそこだか、ら……」
続行か、中断か。ルミちゃんにとっては初めての場所で、初めての相手にどう話せばいいのかわかんない。それなら続けた方が………………ううん、あたしは、ルミちゃんが隠してることを確認したい。どうせ初対面じゃないことは感づかれてる、だったらここは、唯一無二を勝ち取れる可能性を選ぶべきだ。
だって、名月港はそのために。
「──────、───────────?」
返答を受け、ルナは静かに頷いた。