〈3〉借花献仏
「もっかい言っとくけど、今のあだ名はルミちゃんだから!そこんとこよろしく!」
「…………わかってる、何度も言わなくて良いよ」
「だって不安なんだもん……それじゃ、あたしは先戻ってるね」
結局、協力どころか「あの子の傍にいるからサクラちゃんとは話せないかも」と断られてしまった。録音は道徳がどうこう言われたし、何より呼び方の強要だ。普段のルナからはかけ離れた表情だったせいか、大人しく従っておくべきだと思ってしまう。
一般的に、名前呼びは距離が近いと思われがちらしい。僕と恋人と勘違いされるのが嫌なのか、僕のことが嫌いになったのかと気分が沈むが、あだ名で呼ぶことは許されている。どうでもいい相手、苦手な相手に呼ばせるなら苗字だろう。本当に、何を考えているのかわからない。加えてあだ名の付け方も不自然だ。
「……ルミ、か。鶴見から取ったのかな」
桜田からサクラ、東宵からアズマ、名月からルナ、それから、篠原からシノ。こんな感じで、僕たちのあだ名の大半はルナが付けている。ルナだけは僕が付けたけど、パターンはルナのを採用しただけなので実質ルナが付けたと言ってもいいだろう。
舞ちゃんの苗字は鶴見だ。僕たちとは違って漢字を跨いでいるせいか、少々違和感を覚えてしまう。うーん、ルミ、ルミか。漢字に出来ないから別の名前っぽいなぁ。
急に改名をされたような状況に、僕の頭はうまく働かない。そもそも、舞ちゃんは何故こんなことをしているのだろう? ルナの悪戯……じゃ、ないだろう。仮にあいつの仕業だとしたらあんな顔はしないはずだ。たった2ヶ月の付き合いでも、あれ程の真剣な態度を見せられては信用するしか無い。となると、やはり舞ちゃんの考えということになるが……
思考には時間を消費し、ベッドを占領することはこの部屋の主に目を付けられることと同義となる。
「桜田ぁ、元気になったなら出ていきなさ~い」
くそ、流石に長居しすぎたか。しかし何故バレたんだ? カーテンでこっちは見えないはずだ。
「名月が出てったんならお前ももう大丈夫だろ~? さっさと出てこいチビ助」
あいつか……どいつもこいつも、僕をチビだとかちゃんだとか子ども扱いするのはなんでなんだ。言い振りからしてルナのことを僕の保護者とでも思っているのだろうか? こんなのに従うのは癪だけど仕方ない。反抗を示したところで毛布を引っぺがされるのがオチだ。
からからと音を鳴らしたカーテンの向こうには、長髪のダメ人間がソファに寝そべっている。その姿は到底教師とは思えない。生徒の前だぞ。
「やけに素直じゃん。やっぱ熱あるんじゃない? 体温測るか?」
「しない、ていうかない。素直にしなきゃうるさいからね」
心配してるんだか煽ってるんだかわからないな。初対面の人間はこの人が養護教諭だなんて夢にも思わないだろう。僕だって未だに疑っている。実は学校とは無関係の人間が勝手に居座っているだけなんじゃないか?
「不調なら別にいいんだよ。実際倒れた訳だし、お前は体強くないんだから」
「チビだけじゃなく雑魚とまで……僕が成長期だってこと忘れるんじゃないぞ」
「そこまでは言ってないんだがなぁ」
言われた側がそう思ったんだから言ってるんだよ。僕は学んだんだ、被害者ぶって大げさに振舞えば周囲を味方に付けられるって。大体アズマが僕を怒らせるときの手法だけど、今やってるのは僕だから何の問題もない。
「ま、その調子ならもういいだろ。次はカノジョの話でも聞かせてくれ」
「…………」
挑発にも乗らないし、養護教諭らしくこっちのことをちゃんと見てくる。あんな人間に気遣われたり器の違いを見せつけられると本当にムカムカするな、くそ。というかカノジョって誰だ? 僕が興味あるのは舞ちゃんだけで…………
あ、そうじゃん。今から舞ちゃんに会うんじゃん。
「縺」縺翫o縺!!!!!!」
「どしたどした、誰もいないけど一応ここ保健室だぞ」
突然奇声を発した僕に対し、その人は心配と忌避が半々の表情を見せる。
そうだ、この人は曲がりなりにも養護教諭なんだ。それなら可愛い生徒のお願いの一つや二つ聞いてくれたってバチは当たらない。
「──先生」
「なに」
僕の呼びかけを聞いても目を見る事すらしない。けど聞き返してくれたし、これは行けるかもしれない。確信を胸に、僕は要求を伝える。うん、これは心の疲れというやつだ。生徒が困っているんだから力を貸してくれるに違いない。
「もう20分いさせて」
僕は追い出された。
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冷静になってくると頭も痛くなってくる。情けない話だけど、舞ちゃんをまともに見れる気がしない。きっと凄い美人になってるし、スタイルもいいんだろう。文武両道、完全無欠、この世の賞賛の言葉の大半は舞ちゃんのためにあると言っても過言じゃない。
……馬鹿馬鹿しい、昔の僕はそんな子に恋したのか。分不相応にも程があるだろうに。太陽に近づけば英雄だってただじゃ済まない、それが凡人であれば尚更のこと。いっそ早退してもいいんじゃないか。取り乱して迷惑をかける可能性だって十分ある。
でも、そんなんじゃあの子に顔向けできない。
僕が憧れた舞ちゃんが完璧なんだ。だったら、その僕がみっともないままじゃ駄目に決まってる。君に憧れたやつは君のお陰で凄いやつになったんだって、証明しなきゃいけない。だから僕は頑張ってきた訳で、これからも頑張ろうとしている訳で…………
「やっぱ無理……」
うん、無理なものは無理。そういう時もある。ぐらぐらと決意が定まらぬまま歩き続けた結果は、何も思いつかない状態での教室への到着だった。僕は別に人見知りじゃないのにドアが開かない。鍵なんて掛かってるはずないし、そこまで貧弱なこともない。怯えて、震えているだけだ。
教室の前で突っ立っている僕は、さぞ不思議に映るのだろう。そりゃそうだ、僕は倒れただけであって誰かに何かをされたわけじゃない。やはり一旦別のところに行こう、近くのトイレでもいいからこの場を離れたい。
しかしその判断は遅すぎて、グラウンドから帰ってきたと思しき男子生徒に話しかけられる。
「あれ、サクラじゃん。大丈夫だった?」
「全然平気、貧血じゃないかって」
そんなこと言われてないけど、まぁ適当な理由があった方が安心できるだろう。「そっか」と向こうも納得したようで、興味が別のことへと移っていく。……うん? なんだよ気色悪いな、急にニヤニヤしだしてどうしたんだ?
「いや、大ニュースがあったの思い出して。なんだろ、思い出し見惚れ?」
思い出し笑いの亜種を勝手に作り出したそいつは喋りたくて仕方が無いのか、聞いてもいないことをペラペラとまくし立てる。曰く、「凄い美人」で「凄いクール」な「ヤバい転校生」が来たらしい。なんとも曖昧で腹の立つ評価だ。どうやら怒りの感情が漏れ出ていたらしく、僕の顔を見て若干怯んだようなそいつは聞いてくる。
「な、なんだよ、美人に夢中になるのは誰だって一緒だろ!?」
「…………足りない」
「はい?」
「その程度の誉め言葉じゃまぃ…………んん"、ルミちゃんを表すには全然足りないよ」
美人なのは当たり前だ。その上でどこがどう綺麗なのかを表現するのであって…………いや、全部綺麗だからそんな雑な言葉になるのも無理ないか。うん、足りないのは僕の配慮だった。
「言い過ぎた、ごめん」
「感情の振れ幅デカすぎて怖ぇよお前」
好きなものの話に熱を上げる、悪いことをしたと思ったから謝る。至って普通のことだというのに何を言っているのだろうか? 引き攣った表情に疑問を浮かべていると、逆に問いかけられる。
「てか、一つ気になったんだけど」
なんだろう。あの子の素晴らしさか? だとしたらやっぱりこいつとは分かり合えないな。一つどころか、数として表すことなど不可能なほどに魅力しかないんだ。でも一応聞いておくべきかもしれない。僕如きに測りきれないのだから、他の視点も必要だ。
「もしかして、転校生と知り合い?」
「…………」
あぁ、どうしようか。幼馴染だと答えるのは簡単だ。しかし現状は接触禁止を言い渡されている身、下手に明かせば周囲に揶揄われるのは容易に想像できる。あの子の真意は読み取れなくとも、クラスから居場所を奪うのは絶対に避けなければいけない。繰り返すわけには、いかない。
とは言え、ここまで喋って「他人です」なんて通るはずもない。さっきまで保健室にいたのもあって、僕は「見てもいない人間の名前を知っているやつ」と思われているだろう。あの子に負の視線が向かうよりはマシだけど、僕が怪しまれてはあの子の傍に近づけない。変なやつと話す変な子、そんな印象を持たれてしまっては本末転倒だ。
悩めば悩む程不信は募る。現に目の前のこいつは眉を顰めており、その内僕を気味悪がり疎外するようになる。早く行動を起こさないと全部台無し……なのに、何もできない。肯定しても否定してもダメ、かといってはぐらかしたら信用が無くなる。こうなってはもう僕にはどうしようもない。僕にはどうしようもないので、僕以外になんとかして貰おう。もう少し待てば、そろそろ。
思考を放棄したところで相手は痺れを切らしたみたいだ。遂に僕を追求しようと──
「なぁ、もっかい保健室に行った方が……」
……先の顔は僕の思い込みだったのか、後に続く言葉は僕を案ずる旨。早とちりをしてしまったと反省したいが、その時間は無いだろう。何せ、ついさっきまで僕は困っていた。僕が困難に遭遇した場合、八割くらいの確率で奴の助けが入る。まるで発信機でも付けられているかのように。普段ならこんな風に委ねたりなんてしないけど、ここは教室前。つまりはすぐ傍に奴がいて、この会話も聞かれている訳で。
「やぁやぁ桜くん!元気そうで何よりだよ!」
勢いよく開けられた窓の向こうには、満面の笑みのアズマが座っていた。
仏様に供えるための花を人に借りる、罰当たりなことです。
自分がやらなければいけないことを人任せにしてはいけませんね。