MMTの考える"信用創造"
古典的な"信用創造"の説明は次のようになる。
銀行は現金を預かり(これを一般に本源的預金と呼ぶ)、 その一部を準備預金として中央銀行に預け、残りを貸し出しに回す。これを繰り返すと、銀行は初めに預かったお金の何倍もの額を貸し出すことができる。
銀行は預かったお金を何度も貸すので、又貸し論とも言われる。
MMTはこの説明に異を唱えている。現実にはこのようなことは行われていないからだ。
MMTが説明する実際の信用創造はこうだ。
銀行は貸し出すときには準備預金を必要とせず、借り主の預金を増やすだけで貸し出しは完了する。
これは万年筆マネーとか、現在はコンピュータでデータ上の預金額を操作するだけなのでキーストロークマネーとも言われる。
ただこの辺もかなり誤解があり、MMTでは貸し出す際には必要がないと言っているだけで、結局のところ中央銀行が発行したマネー(日銀当座預金)は必要になる。
ネットでよく言われているように「貸し出しには原資が必要ない」のではなく、「貸し出し時には必要ないので後から調達すればよい」のである。
銀行が日銀当座預金を必要とする理由は主に2つ。
1つ目は、他銀行への送金や預金引き出しに対応するため。
2つ目が、法定準備預金の充足のためである。
例えばA銀行がB銀行の口座へ送金要求を受けると、中央銀行を介して預金を移動させる。そのとき中央銀行はA銀行が持つ当座預金を送金額だけ減らし、B銀行の当座預金を同額増やすのである。
また預金者が現金を引き出すとき、ATMから出てくる紙幣は、銀行が自らの日銀当座預金をあらかじめ現金に両替しておいたものである。
準備預金は日銀当座預金と同じもので、銀行が日銀に持つ決済預金である。
銀行は"準備預金に関する法律"によって、一定額の準備預金を保有する義務がある。法律上保有義務があるそれを法定準備とか所要準備と言う。
ただこれも古典的な信用創造論とは違い、貸し出し額ではなく銀行が預かっている預金額によって決まる。
具体的には、準備率が1%の場合、古典的な信用創造の説明では貸し出し額が100万円なら1万円を預けると説明するが、実際には同じ日に100万円の預金が送金などで流出すれば、必要な準備預金額は変わらない。
さらに言えば、法定準備預金額は1ヵ月間の積算で算定されるので、その期間内に満たしていれば問題ない。極論を言えば、期間中当座預金口座がゼロであっても、最終期日に1ヵ月間分の準備預金を入金すれば、それでクリアできるのである。
上記のように、日銀当座預金には複数の役割があり、送金などの決済需要と、準備預金としての需要は区別する必要がある。というのも、準備預金制度は信用創造と不可分のものというわけではなく、国によっては準備制度がない場合もあるからだ。
もちろん準備制度がなくても当座預金は必要になるので、「貸し出しに原資は必要か否か」という議論はあまり重要ではない。
大切なのは、MMTが強調するように説明が現実に沿っているかどうかだろう。
ちなみに、今回タイトルをMMTの考える"信用創造"としたが、正確には標準的な金融論で以前から説明されてきた内容であり、決してMMT固有のものではない。マクロ経済学の解説でも古典的な信用創造モデルから現実に即した解説に変わってきている。
現在はその過渡期と言えるだろう。