祈りを聞く魔法
変身さんの一件が落着して一週間。今日から黄金週間が始まる。もちろん私は毎日がホリデーなので関係ない。とも言えない。街を徘徊するときに人が多いと怯むし、反対に駅前のロータリーなんかは朝夜の利用客は減るので狙い目だったりする。ともかくそんなこんなで今日も私は徘徊している。今日は街の外れの小さな公園に来ている。あの鉄塔と土管とノワの公園とは正反対の位置にある。人気がほとんどない憩いの場所となっている。私はここのベンチに座って空を眺めながら考え事をする。有る事無い事。無い事の方が多いかもしれない。職がない、パートナーがいない、安心して帰れる家がない……。いろんなことを考えていると、不意に可愛い顔が飛び込んできた。祈りさんだ。
「こんにちは、祈りさん」
「こんにちは、Sさん。一人?」
相変わらず囁くように話す。
「そうですよ、お隣どうぞ」
「うん」
頷いてスッと隣に座る祈りさん。ラムネっぽい何かの匂いがした。
「どうしたんですか、こんなところで」
「教会に帰る途中」
「教会?」
「ノワさんから聞いてないんだ」
それもそうだ、ノワから他の魔法使いのことを聞いたことがない。かれこれ一ヶ月近く一緒になんやかんやしているけれど、意外とそういう話をしていない。あえて避けているのかもしれない。魔法は今でも差別や迫害を受ける口実になり得る。そういう時代だから。
「私、教会で働いているんだ、雑用見習いとして」
雑用見習いってなんだ。自由だな。
「そうなんですね、じゃあそのお使いとかの帰りですか?」
「そういうことです」
それから二人きり黙り込む。黙り込んで空を眺める。一番ないのはお金だなあ、と考える。祈りさんは何を考えているのだろう。なんて思っていると、
「あなたは静かな人」
祈りさんが耳元で囁く。くすぐったい。くすぐったくてのけぞると、祈りさんがイタズラっぽく笑う。うーんこの子悪魔さんめ。
「私は結構おしゃべりな人ですよ」
そうだぞ、からかわれると饒舌になって自滅するタイプの人間だぞ。
「そういうことじゃない。祈りが静かな人」
祈りが? そういえば祈りさんは祈りを聞く魔法さんだった。
「どういう意味ですか?」
率直に訊くと、祈りさんは優しく微笑んで首を傾げる。
「さあ、どういう意味でしょう?」
「わかんないですよ、欲望がないってことでもないような気がしますし」
「その通り、あなたならいつかわかるようになるかも」
なんだか期待の眼差しで見つめられてしまう。そういうことを言われると照れてしまう。照れてわけわからんことを言いたくなってしまう。
「嬢ちゃん、飴ちゃん食べる?」
「いらない」
そして断られる。でもいるって言われても飴ちゃん持ってない。なんで言ったんだ。ばか。
そんなこんなで祈りさんと楽しくお話ししているとどんよりしていた曇り空からとうとうポツリポツリと雨が降ってきてしまった。まずい、傘を持ってくるの忘れてた。予報は見ていたのに。濡れてしまう、と私は慌てて立ち上がると、そのシャツの裾を祈りさんに掴まれる。
「こっち、きて」
なんだなんだ、と言う前に祈りさんが私を引っ張って公園の外へ行く。
「どこへ行くんですか?」
「きてのお楽しみ」
私はなすすべなく少女にどこかへ連れ去られていった。
公園から程なく、ついたのは小さな教会だった。なんの教会かは知らないけれど、確かに教会だった。祈りさんに連れられて中に入り、礼拝堂の椅子に座らされて少し待っていると祈りさんがタオルを持ってきてくれたのでそれで髪と頭を拭いて人心地ついたところ。
「ありがとうございます。公園から家までは遠かったので助かりました」
祈りさんの親切心にぺこりと頭を下げる。
「いいの、これも雑用見習いの仕事だから」
どういう仕事なのだろう。客引き? なんでも買ってあげちゃうぞ、百年ローンで。
「祈りさんも濡れてますよ、こっちの使ってない面をどうぞ」
「いらない」
すげない。祈りさんは後ろ手に持っていたタオルで自分の髪と頭を拭き拭きし始める。なんだか小動物めいていてとても可愛い仕草だ。ニコニコしながらそれを見守って、私は祈りさんに質問する。
「ここはどういう場所なんですか?」
何せ教会に入ったのはこれが初めてなので、礼拝堂で礼拝をするといっても、何をどうすればいいのかとか細かいことはわからない。無作法なことをしでかさないか不安だったので最初に聞いておくに越したことはないと思った。すると祈りさんは軽く頷いて隣にスッと座る。そして、見てて、というのでそれじゃあとガン見していると、気が散るからもう少し静かに、と言われてしまったりしつつ、祈りさんの所作を見つめる。
それはとても静かで、柔らかくて、暖かくて、見ているだけで優しい気持ちにさせられるような祈りだった。両手を組んで、目を閉じて、頭を少し下げる。たったそれだけの所作で、どんな心のさざなみも凪いでしまう心地にさせられるようだった。静かな時間だった。やがて祈りさんが目を開けて、私を見つめて言った。
「あなたもやってみて」
「私なんかがそんなことしていいんでしょうか」
なんとなく気後れしてしまう。すごく神聖な雰囲気がしたから。
「祈っちゃいけない人なんていないよ」
それでも祈りさんがそう言ってくれたので、せっかくだからやってみることに。
えっと、両手を組んで、目を閉じて、頭を少し下げて……。お金欲しい。職が欲しい。パートナーが……ぐうすか。言ってるうちに眠くなってしまったけれど神妙な面持ちで目を開けて、いいですね、これ、なんて言ってみたりしたけれど、祈りさんには、聞こえてるよ、と言われてしまった。やはり無敵か。
それから二人誰もいなかった礼拝堂で少しだけお話しして、私は家路についた。傘は貸してくれた。祈りさんは小悪魔気質だけれどとても親切な人だ。それになんだか一緒にいると安心する。帰り際、またきてね、と言われたので、徘徊代わりにここにお祈りしにきてもいいと思った。
「聞こえない」
それが祈りさんの口癖だった。誰にともなく時々そう呟いてため息をつく。最初に礼拝堂に来てから1週間、黄金週間もあと2日となった日のこと。私はほぼ毎日、夜になると礼拝堂に来るようになっていた。今日も来ていた。一日一回と決めているお祈りを済ますと、祈りさんが隣にスッと座って、そう呟いた。聞こえない。何が聞こえないんですか、と聞いても、いつも教えてくれない。でも今日は違った。
「聞こえないの。私の祈り」
「え?」
「聞こえないの、私の声」
「いや、聞こえてますよ。私の祈りが聞こえないってどういうことですか?のえ?でした」
「そうなの」
やけに祈りさんに元気がない。聞こえない。どうやら深刻なお悩みのようだ。
「よかったら相談に乗らせてください。いつもこの場所で迎えてくれるお礼がしたいと思っていました」
私にとって居場所というのは何よりも得難いもので、しかも室内だとなおさら。土管の中はそろそろ腰痛がひどくなりそうなので最近は入っていない。
「Sさんは親切な人」
「いえいえ、祈りさんには負けます」
「それじゃあ聞いてもらおうかな」
「何なりと」
「何なりと?」
「私にできる範囲で、何なりと」
「そうなの」
祈りさんが少しためらっているようなので、しばらく黙って待つことにする。やがていつものように囁くように祈りさんは話し始めた。
「私は祈りを聞く魔法。他人の祈りを聞くことができる。生まれつき、そういう生き物。でも、自分の祈りを聞いたことはない。それはここ最近気になり始めたことだけど、なんだかとても胸がザワザワする。うまく言葉にはならない」
それは自分の祈りを聞いてみたいという祈り、なのではなかろうか。と、思ったけれど、そんな単純な話でもないのかもしれない。
「それは祈りとは呼ばない。祈りはもっと特別。言葉にできない、ただ祈ることしかできない対象のこと。私にはそれがまだないのかもしれない」
とりあえず聞いてみたけどやっぱり違ったらしい。それにしても祈りさんの祈りに対する考え方はとても神聖なもののようだ。祈りを聞く魔法、本人にしか知り得ない、祈りというものがあるのだろう。私にはよく分からない。分からない以上、どうしようもない。でも、
「いつか見つかるといいですね」
「……うん」
静かな夜だった。私にも祈りさんの祈りが少しだけ聞こえるような気がした。




