☆ 重き報告
ゼント国の訪問日程から、急遽二日早く帰国させられたターズ帝国皇帝ゴドリー・ルハウ・ターズは、玉座で苦い表情を浮かべていた。
城へ戻るなり、緊急の謁見との事でここに座っている。
不在の間に起こされた不始末の大きさを考えれば、直ぐに呼び出すつもりの相手でもあった。
「…皇帝陛下に置かれましては、ご機嫌麗しく」
「コンネル辺境伯…」
事が起こってから、すでに八日が過ぎようとしている。
ゴドリーの前で跪く男は、かなりやつれた顔をしていた。顔色も今まで見たことが無いほどに悪い。
いつもなら、恐ろしいほど覇気のある男であった。
年齢も近く、良き相談相手でもあり、辺境にて孤軍奮闘してきてくれた一族として信頼を寄せ、また尊敬できる人物でもあった。
「コンネル卿、この度は…」
「いえ、陛下。お言葉を遮って申し訳ありませぬ。しかしながら今回の事は全て……我が家の責でございますれば」
「…何を…言われる?」
間違いなく、皇族の責任であった。
出来の悪い考えなしの皇子の暴走が、一人の令嬢の生命を脅かしているのだ。
そしてそれはもう、隠蔽など出来ない状態であった。
貴族はもちろん平民まで、学園の卒業パーティーでの出来事を大なり小なり知っているのだ。
「…いえ、我が家の在り様がいけなかったのでございますから」
皇帝がかける言葉を探す中、コンネル辺境伯の指示で、控えていた御付きがワゴンを押して来る。
白い覆いが掛けられている物が、二つ乗せられていた。
そのうちの一枚だけを、コンネル卿が静かに外す。
そこには手のひらより小さい、丸く平らな石があった。
「…それは?」
「魔法石です。音を貯めておける物なのだそうです。ここでお聞きいただいても?」
「いいだろう」
コンネル卿は御付きではなく、後に控えていた近衛を呼んだ。
帝国の人間は魔法の力を使う者が少ない。それは持っていない訳では無く、力として外に出せるものが少ないというだけである。
魔法石を使った道具などならば、動かすことが出来るのだ。
卿は近付いた近衛に向かい、この石に魔法力を少し流し込んで欲しいとその場で頼んだ。
「私が操作しては、あらぬ疑いが増えます故」
辺境伯の力なく揺らぐような笑みと言葉を向けられて、皇帝が頷き、近衛兵は仕方なく従った。
ふわりと魔法の力が揺れる。
するとその石から、女性の高い声が響いてきた。
『あ、ごめんなさーい。神殿って決まった服しか無くって……豪華なドレスって、こんなに近くで見たことが無かったから…それでこのドレスって、どちらでお仕立てに?』
『あ、あの、これは全てラクアス様から…』
『えーいいなあ!そうなんだ!いいなあ、いいなあ!そういうのステキステキ!すっごく羨ましいわ!』
『私には迷惑千万だ』
『それで、ラクアス様。お話は何でございますか?』
『そうだな、それをまず言わねばな』
『……よく聞け、リオリーヌ・コンネル辺境伯令嬢』
『はい』
『お前との婚約は、今この時を以て解消…いや、破棄だ!帝国第3皇子ラクアス・ゴーレ・ターズの名を以て、破棄とする!』
『あの、あの、申し訳ありませんリオリーヌ様。だってラクアス様は、この私との結婚を心からお望みなのですもの!』
『このハルミナは、聖魔法をこの美しき身体に宿した聖女だ。神殿が認めた聖女よりも、お前が格上だとはどうしても思えんからな!』
『私は、王国人の血が流れているような女を、妻に迎えたくなどないのだ!いつ寝首をかかれるか分からん!』
『もう辺境伯に大きい顔をさせる時代でもない!お前の父は帝国の重鎮と言われているのを良い事に、王国と手を結んだ裏切り者だ!そしてお前は、その裏切りの証拠でしかない!』
『そんな!違います!父は…!』
『ならば何故、王国を落とさない?王国を油断させ、先陣を切って攻め入る事も出来たはずだろうが!』
『出来る訳、ありません!』
『口答えするな、裏切り者が!……ああ、そうか。そうかそうか。私を婚姻で縛って人質にして、こちらへ攻め込む計画だな?そうに決まっている!』
『そのような事、考えてもおりません!』
『は!判るものか。どこで掌を返されるか生きた心地もせん!そうそう、お前たちは王国の暗部を手引きしているようだな?年に何回も王国へ行っていると報告が上がってきてるぞ』
『それは…!』
『この帝国の、皇子である、私が! こんな裏切り者と結婚など出来るか!』
『ここに集う未来を担う優秀な皆、聞いてくれ!私は裏切り者との婚約を破棄し!この美しき聖女ハルミナを心から愛し、結婚し、帝国を聖なる力で共に守る道を選ぶ!』
『…帝国第3皇子ラクアス・ゴーレ・ターズ殿下。婚約の破棄は受け入れます。…ですがどうか一度だけ、皇帝陛下と父とでお話をさせて下さい…』
『はぁ?陛下に会わせろとは、随分な物言いだな、裏切り者が!』
『わがコンネル辺境伯領は、帝国に対して裏切りなど、してはおりません』
『えー、でもー…自分から悪事を認める方など…居りませんわよね』
『ああ、その通り! 全くその通りだな、聖女ハルミナ!』
『この裏切り者を捕えろ!この私が命ずる!国外追放に処せ!』
『ええ?!』
『これで、お前の高慢な顔を二度と見なくて済むな!』
『お待ちください、いくら殿下であろうと、裁判も取り調べもなく…』
『裏切りの血はお前の中にある!必要など無い!』
『待っ…』
『さあ、皆の者!裏切り者は消えたぞ!仕切り直しだ!』
聞き終わってしばらく、そこに居た誰もが身動きすらしなかった。第三皇子の言動が、咄嗟に信じられなかったからだ。
何を言っているのだと思う。
何を考えているのかと思う。
信じられない高圧的な物言い。信じたくない疑惑の言葉。
愚かな指図と命令が下され、誰もそれを止めることが出来ない様子が、はっきりと聞き取れたからだ。
一番最初にゆらりと動いたのがコンネル卿であったのは、すでに何度も繰り返し聞いているからに他ならなかった。
「……これは、当日、参加者の一人が、自らの思い出のために記録していたものを譲り受けました。真偽は…他の参加者に確かめて頂いて構いませぬ」
「……なん、と………」
皇帝として捏造だと言いたいが、それは無理であった。
この魔法石は、内容の変更が出来ない事はよく知られていた。国家間で使われる信頼度があるものなのだ。無理に変更をしようとすれば、すぐに壊れるのだ。
辺境伯が第三皇子の暴挙を前もって知っていて、用意させていた訳が無い。声の似た役者を揃えて用意したとも考えられたが、時間的に無理である。
何より周囲の声が…会話や囁きや交わされる名前、喜びの声の多さや大きさが、卒業パーティーでの出来事であると証明していた。
「…今までこの国のためにと、曾祖父の時代より命を賭して仕えてきたつもりではございました…が、まさか…次代を任せようとしておりました方が、よもやこのようなお考えでおられたとは思いもせず」
「いや、違う、コンネル卿、待ってくれ」
「…このようなお考えの皇子だと知っておれば…いえ、我ながら何たる傲慢な事か。この数日、辺境伯としての在り方を…激しく反省していた次第でございます」
「卿、違う、違うのだ、待ってくれ」
玉座を蹴立てて、皇帝はコンネルの側へ走り寄った。
しかしコンネル辺境伯は、濁った眼をふわふわと揺らめかせて言葉を紡ぐのを止めなかった。
「何も間違ってはおりません、陛下。私が…裏切り者…そうです…傲慢な私の娘だから、婚約破棄の手続きも無く、取り調べも裁判も無く、その場で国外へ追放されたのですから…仕方がないのです……」
「卿、卿! ラクアスはきつい処分をする。ご令嬢は必ず探す、だから」
まだ希望はある!と、皇帝は友である辺境伯に叫ぶように言うが、辺境伯は、ふ、と視線を上げて、皇帝に頼りなく笑いかけた。
「……いえ、これ以上…こんな裏切り者の私に、そんな事をなさっては…なりません、陛下」
「コンネル辺境伯!頼むから!」
ふわふわと揺らぐ目を追いかけながら、皇帝は必死になる。
間違いなく国の重鎮なのだ。いざという時は一番頼れる男なのだ。
こんな風に、自らを卑下する言葉を吐かせてはいけない相手なのだ。
「なりません…皇帝陛下の御代に、翳りなどあってはならないのです」
「コンネル!」
「…これ、を」
震える指がワゴンの上に残っていた覆いを外す。
真っ白な封筒に入れられた、一通の書状がそこにあった。
ピリッとした緊張が一瞬で室内に満ちる。
近衛は静かに手持ちの武器に手を添えて、目の前の辺境伯に視線を向けた。
皇帝も最悪の事態かと息を呑んだ。
しかし、その書状は彼らが予想したもの…宣戦布告状では無かった。
「爵位と領地を…帝国に返上いたします」
まるで泣き伏して蹲る子供のように、くぐもった声が床から届く。
背を丸めたまま低く頭を下げるコンネル卿の姿に、皇帝ゴドリーは動けなかった。
皇帝として…辺境伯から宣戦布告される可能性を一番に考えていた。恐らく戦になるだろうと思っていたのだ。そう考えさせるだけの軍備と人材を、コンネル辺境伯は抱えているのだ。
周囲にいる近衛も文官も同じ思いだったと、その表情が物語っている。
「いや、コンネル卿…これ、は」
受け取れぬという前に、告げられた。
「…田舎貴族の娘が、皇子に不敬な事をして裁かれた。…それだけの事でございます、陛下。そしてその田舎貴族は裏切っていた可能性があると、ラクアス殿下が市井に大きく発表された後でございます。…今切り捨てた方が、帝国の未来に向けて安泰でございましょう」
コンネル辺境伯は一息にそう言い切ると、もう一度、床に付くかと思うほどに頭を下げた。
それを見つめながら、皇帝は拳を握りしめる事しか出来ない。
噂は真実味を帯びて国に広がり始めている。それを止める事は叶わず、辺境伯の子女は事実処断されていて、コンネル辺境伯の名誉を回復することはかなり難しいだろう。
その辺境伯を重用することで国民感情は荒れ、それを盾に一部の貴族が良からぬ動きを始めるであろうことは、火を見るよりも明らかだった。
辺境伯の背中を見下ろしながら、自分が情けを掛けられたのだと皇帝は悟った。
そして……見捨てられたのだと。
「…領地の整理や領民への説明期間として、二か月ほどお時間を頂きますが…」
「私にも、しばらく考える時間をくれ」
書状は受け取らぬと暗に伝える。
このままでも何とか通じる道が無いものかと、皇帝は分かっている悪あがきを止められなかった。国が、別の意味で揺らぐと分かっているからだ。
今はとにかく、一刻も早く令嬢を探し出し、それを糸口としてこの状況をひっくり返さなければならない。
そう考えねばならぬほど、この男の存在は帝国にとって大きく、信頼に足るものだったからだ。
その信頼を壊したのがこちら側だと分かっている分、胸の中が黒く重くなっていく。
山積みにされている問題を分かりながらも、何とか引き留めようと皇帝が思案を繰り返す中、コンネル辺境伯は、一人淡々と言葉を紡いでいた。
「…それと…平民が所持するには過分な……ラクアス皇子殿下より娘が頂いた装飾品をお返しいたします。そちらの箱をお渡しくださいませ…それでは…御前失礼致します」
顔を上げぬまま立ち上がると、コンネルはそう言いおいて、ふらふらと玉座の間から辞して行った。
その背中を仕方なく見送った皇帝は、受け取るつもりの無い書状を脇へ退けた。彼しか、今まで培ってきたその力でしか、あの領地を守り切れないと解っているからだ。
そして、敵に回してはならない相手だ。
この先、戦争に縺れ込む流れとなった時、たとえ帝国側が勝利したとしても、兵の消耗はかなりの物になるだろう。
その時、辺境の守りはどうなるのか。
その隙に王国が動く可能性が高い。
山に潜む魔獣を間引く戦力も足らない。
そのどちらに侵攻されても、反撃すら出来ない未来しか見えなかった。
ギリギリと奥歯を噛みしめつつ、皇帝はワゴンに残された箱を取るように近衛に命じた。
木製の彫刻が美しい良くあるデザインの宝石箱であった。その箱を手に取り、安全のために近衛が開ける。
「!」
中身を見て小さく呻いた声に、皇帝はその箱をひったくるように取り上げた。そして、同じように息を呑んだ。
元はネックレスだと思われる物が、美しい光沢のある布の上に収められていた。
無理やり引き千切られたと分かる鎖の歪みと伸び。宝石は台座から外れかけ、台座は酷く捩じれたり潰れたりしている。それら全てが黒く変色した血に塗れ、饐えた臭いを放っていた。
中央だった部分にあしらわれた大きな宝石には、確かめるように拭われた跡がついていた。宝石の色は緑。ラクアスの色である、それであった。
「……遅すぎた、か……」
何を言おうが手遅れだったのだと、やっと皇帝は知った。
ここへ足を運ぶ前から、既にコンネル卿には、希望など全く無かったのだと知る。
そして…辺境伯の望みを叶えるという選択肢しか、この手には残っていないのだと、ゴドリー皇帝は固く目を閉じた。
コンネル辺境伯は、この国を捨てたのだ。
恐らく彼は他国…王国に亡命を考えているのだろう。敵国に戦力を与えるようなものだと解っているのに、止めることが出来ない。
もしも強引に慰留すれば、長期間の内戦になるのは明らかだ。
彼は、国の事を考えて引いてくれたのだ。
内戦になっても不利。
王国の戦力を強固にしてしまうのも悪手。
今ここでコンネル辺境伯を見逃しても、亡き者にしたとしても、彼の育てた兵達は、少なからず王国へ流れていくだろう。
そして、管理する者の無い国境は無法地帯となる。
国境沿いの領地は、間引かれないままに増えた魔獣に対抗できず、使い物にならなくなって行くだろう。王国に向かう唯一の街道があっても近寄れず、輸出入は途絶えがちになり、護衛の数を増やさねばならなくなり、結果、流通は滞り、国内の物価は上昇していくだろう。
手に取った血塗れの宝石が、ギチリと鳴るほど握りしめていた。
あの戦力を。
その責任を。
皇家が易々と掌握する又と無い機会だったのだと、ラクアスは解っていなかったというのか?
皇帝は怒りを隠さないまま、執務室に向けて歩き始めた。




