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☆ 望んだのは未来の夢



 ラクアスは実母である側妃ゼラの居室でゆったりと座っていた。

 母であるゼラは、ただただすすり泣いている。たまに聞こえるつぶやきは、疑問だけを闇に問いかけるばかりだ。



 自分はただ、希望した未来に進みたかっただけだと、ラクアスはため息とともに思い返した。

 断れなかったから婚約も受けた。その時に何か話は有ったけれど、目の前の地味な見た目の令嬢を大切にすれば良いだけだろうと思って終わった。

 それが一番面倒が無かったからだ。

 辺境伯から剣の腕を大きく認められたのも嬉しかった。だから…そこまでは仲良くやって来れたのだ。


 けれど、聖女と…ハルミナと出会ってしまった。


 肩の力を抜いたままの会話、素直な笑顔に魅かれて行くのを止められなかった。

 近侍の二人からも、時間を上手く合わせて貰ったりしながら何度か会ううちに、国の言いなりにされている、今の自分に気付いてしまったのだ。

 これではまるで人形では無いかと。兄弟と同じ立場、支配者側であるはずなのに、卒業したら自分だけが臣下に落とされ、帝都から辺境という田舎に引き籠らされてしまう事に、納得など出来る筈が無かった。


 でも、あの女がいなくなれば、すべて消えるではないか。


 辺境への誘いも臣籍降下も、婚約者が居なくなれば消える話だとラクアスは気付いてしまった。

 逆に言えば、側に存在する限り消えない話となり得た。

 だから、ラクアスは半月ほど前から、近侍候補のマクロミルとデラッシと計画を練り始めたのだ。

 皇帝夫妻が居ない時期を狙い、かなり離れた場所に追いやって、なかなか戻って来れないようにしようと。

 計画を練り上げ、伝手の多いマクロミルとデラッシに準備をさせ、それでも不安だったので、ハルミナに魔法術まで頼んだ。



 そして、迎えた当日。


 ラクアスにとって、自分を縛る呪縛を解いて自由になれる……そんな気持で臨んだ一日であった。


 ラクアスはリオリーヌを愛していたわけでは無かったが、嫌っても居なかった。面倒だからそこそこ付き合い、煩い指摘を避けるために、婚約者として色々と贈り物をするくらいには交流もあった。

 けれど……その事がハルミナに知れたのが、ラクアスの心に思い掛けないダメージを与えていた。

 もう取り返しがつかない程、物凄く恥ずかしくて、居たたまれないほど嫌な事に思えたのだ。



 この女が、目の前から消えてくれれば!



 この時からラクアスは、明確にそう考えるようになっていた。 

 贈り物をした事も、交流があった事も、相手の存在ごと消してしまいたかった。

 婚約解消のきちんとした手続きの事など、考えるだけでも煩わしいだけだった。辺境の噂も、婚約者の血筋も、その生活も、聞けば聞くほど汚らわしさが増していく。

 そのような汚らしいものと、高貴な血筋の自分が添える筈も無い。王国に攻め入ろうともしない意気地無し…いや、反逆者は消えてしまえばいい。恥ずかしい思い出と共に一気に消えろと思ったのだ。


 そして……実際に消えてしまえば、もうどうでも良かった。


 もう去りましたよ。と言うハルミナの声が、たまらなく優しくラクアスを包む。

 張り詰めていたものがほどけた安心感で、傍らに立つハルミナを抱き締めていた。

 この柔らかさを手に入れた事と、周囲からの祝福の声に、ラクアスは呪いが解かれたと、本気で感じていたくらいだ。



 パーティー終了後、ラクアスは普通に城の自室に戻り、ベッドに倒れ込んだ。

 乱高下していた気持ちが、昂りながらも疲れていた。けれど、計画したままに行った安堵感がそれを上回っている。

 想像したハルミナとの未来が、幸せ過ぎて……もうそれしか見えていなかった。







 その日からすぐにハルミナに手紙を書いたが、返事は一通も来なかった。仕事には一切手を抜かない彼女の事を知っていたため、ラクアスはさほど気にしてはいなかった。

 ただ、将来の事を共有し、相談もしたかったため、その相談を認めた何通目かの手紙を侍女に手渡した所だった。

 その侍女と入れ違いに、皇太子であるキルレが良い笑顔で訪問してきて…そのままラクアスは、実母である側妃ゼラに与えられている部屋へと共に来ていた。


 殆ど訪問してこない皇太子のいきなりな訪問にも関わらず、側妃付きの侍女は見事に対応し、命令されるままに茶の準備を終えると、さっと姿を消して行った。

 味方も無く、たった一人で皇太子を迎え入れる事になったゼラは、ひどく青い顔を見せていたが、この時ラクアスはその理由を考えもしなかった。

 


 ラクアスはそこで、皇太子である兄キルレから、今回の婚約破棄の一件の詳細を訊ねられた。

 ラクアスは多少気まずいと思ったものの、ハルミナとの事も訊ねられて、これはきちんと伝えなければと思い、背筋を伸ばした。


「…それで?今回の事は陛下に御報告申し上げるつもりか?」

「はい、兄上。聖女を娶るとなれば、陛下もお喜びになって下さると思います。それに、聖女の力を以て、帝都で陛下や兄上の補佐に務めたいと思っております」

「……そうか。期待している」

「はい。お任せください」


 ラクアスは胸を張ると、にこりと笑って見せた。

 やはり、自分のしたことは正しかったのだと確信した。辺境の娘より聖女の方が皇族が娶るに相応しいに決まっている。あのニーズがどんな相手と結婚しようが、自分より上の立場には成れないだろうと思うと胸のつかえが下りた。このまま行けば未来は明るい。自分が望んでいたままの未来を、自分で選んで歩いていける。

 それを、皇太子の兄が認め、約束してくれたと信じた。


「……これで、訳の分からない田舎に行かなくて済みました。一人になってしまう母とも、離れなくて良かったです」


 つい漏らしたと思えるその言葉に、キルレは何も言わずに紅茶を飲んだ。

 しかし内心は眩暈がしそうなほどに、目の前の弟の考えが信じられない。

 手にしていたカップをそっとソーサーに戻して、キルレは重い声でラクアスに問いかけた。


「それでだな、辺境伯令嬢はいまどちらに」


 ラクアスは途端に不機嫌な顔をキルレに見せた。

 膨らんだ希望と来る未来に嫌なものをぶつけられた気分を隠せない。いつものように怒鳴るわけにもいかず、ただ不貞腐れたように俯いて、兄から視線を逸らした。


「私は知りません。全て近侍候補に任せました」

「しかし、国外追放の命令を下したのはお前なのだろう?」

「命令に従ったなら、もう国を出ているのでは無いですか?」

「…なるほど」


 キルレは皇太子の顔で、近侍に指示を出した。

 言葉で命令された訳でも無いのに、彼は風のように室内から辞して行く。

 側妃のゼラはその様子を、どこか遠い目で見ていた。


「…ラクアス、一つ聞く。…もしもお前が予定通り辺境に行っていたら、近侍候補はどうする積りだったんだ?」

「連れて行くことは出来ませんから、騎士団にでも行くことになっていたのでは?」

「そうか…」

「ですが、辺境には行かないのですから、もうこのまま近侍として取り立てても構いませんよね?兄上」

「そうだな。とりあえず陛下に相談を」

「はい」


 そうして徐にキルレは立ち上がると、ラクアスを見下ろして言った。


「ラクアス」

「はい」

「お前がどう考えていようと、今回の事は少し話が大き過ぎる」

「……え?」

「婚約破棄の一件も、国外追放の事も、陛下の判断を仰がねばならぬ」

「で、でも、代わりに娶るのは聖女なんですよ?聖女なら、どこにでもいる田舎貴族の令嬢より、余程格上ではありませぬか」

「……陛下がお戻りになられるまで、母と共にこの部屋から出ることを禁ずる」

「な、なぜですか兄上!」


 ラクアスには訳が分からない。ハルミナと会えない苛立ちを、キルレに遠慮なく向ける。

 しかしキルレはそれをいなすと、ゼラに視線を飛ばした。


「お前がしたことを、後におられるゼラ様に正直にお話し申し上げろ」


 振り向いたそこに、母が静かに控えていた。

 その顔色はとても悪く、小さく震えているのが分かった。


「母上…?」

「ゼラ様、婚約破棄の件、ご存知では?」

「い、いいえ、いいえ!そのような愚かなこと!」


 側妃は結い上げた髪型を気にすることも無く、頭を大きく横に振った。


「殿下、信じて下さいまし!私、知っておりましたら、何としても止めておりました!王命を反故にするなど……!」


 皇太子の問いに、側妃ゼラが震える声で叫ぶように答える。

 その母の怯える姿に、ラクアスは訳が分からなくなっていた。


「なるほど?まあ、手遅れでしょうが」


 キルレが嘲笑うような声音で答える。

 そして、事態に困惑するしかないラクアスをちらりと一瞥すると、軽く笑みを浮かべた。


「…では、私はこれで失礼する」


 呆然としたままの二人を残し、飄々とした足取りの皇太子が部屋を出ていく。その姿を隠すように扉が占められると、鍵の掛かる音が低く響いた。


「ああ…何故、何故、そのような事を!」


 親子二人だけで過ごす室内は、母の嘆きで埋められていく。

 そこでやっとラクアスは、自分の立場と行動が、求めた希望と未来が、ひどくまずい状況であると知った。


 母の言葉だから届いたという事実もあった。

 嘆く母がどんどんと憔悴していく。取り返しのつかない出来事にただただ泣き続ける。


 その姿を見ながら、ラクアスも考えていた。


 リオリーヌとは、国の命令で婚約したのだ。結婚して臣籍降下し、将来辺境伯として立つのが役目だと教えられていたが、その時は深く考えていなかった。

 やがて辺境で育った女という思いが、彼女の所作を野暮ったく思わせ、帝都で暮らしてきた親しいご令嬢たちとの違いが浮き彫りになっていく。


 そして…近侍候補の二人、マクロミルとデラッシに何度か嘆かれた。殿下が辺境に引っ込んでしまっては、近侍として仕えられないのが残念だ、と。

 ラクアス自身も彼らと離れるのは辛いと感じていたのだ。

 さらにラクアスは、そんな頃だったと思い出す。

 婚約者が王国人の血を引いていると。

 辺境と王国は繋がっているのではないかと。

 後継としての殿下を、王国の傀儡にしようとしていないかと。

 そんな話を彼らから告げられるようになったのは。


 そして時を前後してハルミナと出会って、親しくなったのもこの頃だ。


「ラクアス殿下が、聖女のハルミナ様とご結婚なされると良いのですが。今のあの方よりは…」


 マクロミルが言葉尻を濁しつつそう言うと、


「確かに聖女様の方が殿下に相応しいと…そうすればこのまま帝都で、我々も喜んでお仕えいたしますのに」


 と、デラッシも残念そうに続けた。


 その時は、ラクアスも無理を言うなと笑った。が、自分もハルミナに魅かれているのをはっきりと感じてもいた。


 そして…そして…


 育った思い。捨て去りたい過去。消えて欲しい邪魔者。

 ラクアスは皇帝の留守を狙い、断罪を計画し、実行した。


 リオリーヌが汚らしく、愚鈍に見えて仕方が無かった。

 存在が近くにあっては、婚約が蒸し返されそうで、それが嫌でたまらなかった。

 死んで欲しいと思っていたわけでは無い。が、新しい未来を欲する自分の側に存在することが厭わしかったのだ。


 今しかない、今しかない、という思いだけで、計画を考えて準備をした。他の意見なぞ必要としていなかった。


 帝都で暮らしたかった。

 側妃の母も心配だった。

 ハルミナを愛していた。

 気の合う近侍とも離れたくなかった。


 そのために、それの全てに対してリオリーヌの存在が邪魔だった。

 敵国だった相手の血が混じる彼女を、本気で汚らわしいと、自分に相応しくないと思ったのだ。


 そう思えば思うほど、聖女の名を持つハルミナの存在が胸の内で膨らんでいく。可憐でひたむきな様子や仕草に目が離せなくなっていく。

 やがて、皇子である自分こそが聖女である彼女に相応しいと確信したのだ。

 そして…このまま帝都に居続けるためにも、どうしてもハルミナが必要だと気付いたのだ。

 これで、余裕をもって第二皇子の上になれるとも思った。聖女以上の価値がある女性などそうはいないからだ。

 そうすれば、この帝国での地位を確実に強固に出来ると疑いもしなかった。


 そうして…上手く行くと信じて計画を実行したのだ。


 ただ、自分からリオリーヌが物理的に離れたことを知りたくて、ハルミナに魔法術を頼んだ事が、今になって悔やまれた。

 ハルミナに何度手紙を送っても返事が来ない理由に、ラクアスは今やっと思い当たったのだ。


 ハルミナも同じような状況か、リオリーヌの捜索に加わっているのだろう。

 少なくとも、良い状況では無いらしいと思えた。



 …いや、大丈夫だ。あの二人が上手くやっているはずだ…


 軍務卿をしているデライネン家の三男マクロミルと、騎士団総団長をしているアリアッサ家の三男デラッシである。機転の利く彼らに任せておけば、上手く行くに決まっていた。

 お任せ下さいと笑った、未来の近侍二人の顔を思い出して、ラクアスは笑った。

 田舎娘が見つかったら、少し脅しが過ぎたと謝って、金を握らせれば済む話だ。その間、かわいそうに大変な思いをしているハルミナには、何か贈り物を……

 

 母のすすり泣きが耳に戻ってきて、ラクアスは顔を向けた。


「母上」

「…辺境伯が、帝都に攻め込んできたら、どうする気ですか?」


 その問いに、ラクアスはいったん驚いた顔を見せ、そして笑った。


「何だ、そんな事を案じられていたのですか、母上」

「あそこには強い兵が揃っていると聞きます。そことの王命を反故にしたとあっては……」

「王命とは言え、たかが婚約破棄ではありませんか。そこまで愚かでは無いでしょう?御心配には及びませんよ」

「けれど、そのためにお前を陛下が…」

「帝都には騎士団も兵士も数が揃っています。王国にしっぽを振って攻め込まなかった相手ですよ?田舎の戦力なぞ知れておりましょう。御心配には及びません」

「で、でも」

「母上。私の幸せを応援して下さい。私は聖女を娶るのですよ?城で彼女の魔法を使って貰えば、国の繁栄は確実なものになり、私の立場も強くなりますから」


 騒動の後始末はしっかりとしていて、全く心配いらないと説明をする。そしてそれ以上の言葉を尽くして、ハルミナの素晴らしさを母に伝えた。

 ゼラもその話を聞くうち、持っていた不安が少し消えていった。辺境伯軍の強さは良く知られていたけれど、ここまで攻め込んで来るには余りにも遠すぎると思い直した。それに帝都には多くの騎士や兵士がいてくれる。攻め込まれてもきっとすぐに終わるだろうと思い、落ち着いた顔を見せた。

 けれど、皇帝の命を無視したことは見逃せなかった。


「でも、もう皇帝陛下に逆らうようなことは止めるのよ。私も一緒に謝罪に参ります」

「それは大丈夫です。自分一人で参ります。ご心配かけて申し訳ありません。陛下にはきちんと説明した上でご理解頂きたいと思います」


 母に要らぬ心配をかけてしまった事が悔やまれた。

 兄も今は怒っているようだが、帝都での補佐を認めてくれたのだから、これからは大丈夫だろう。

 今はここでおとなしくしていれば、すぐに怒りも収まるだろうと思い、ラクアスはソファーにゆったりと腰を下ろした。






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