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☆ 無知と事実と現実と


 神殿に帰るなり、ハルミナは大神官の執務室に呼び出された。室内には大神官とその側仕えが六人ほど立ってこちらを睨んでいる。


「ようやく帰られたか、聖女ハルミナよ」


 大神官グロッザは、まだ四十台に入ったぐらいの若い見た目であった。銀の髪と青い目のとても冷ややかな、近寄りがたい風貌をしている。その上低く重々しい声がよく通るので、ハルミナは苦手としていた。

 ここで一番偉い人だと教えられ、見てきた周囲の様子からも、絶対に逆らってはいけない人だと認識している。


「…何でしょうか、大神官グロッザ様」


 執務用の大きなデスクの前で、教えられたように跪いて、手を前で組み合わせて頭を下げた。さらりと流れる黒髪で、不機嫌らしい周囲が見えないように角度を考える。


「話を聞いたのだがね………聖女殿は何でも……第三皇子と婚約したとか…?」


 声音が怖い。が、誤魔化しは出来ないとハルミナはとっさに判断し、腹をくくった。知っていて訊ねられているのだ。


「はい。ご報告が遅れましたことをお詫びいたします。その…皇子ラクアス殿下から直に請われて…お断りするのも不敬になるかと…そう考えてしまいましたので…」

「……なるほど…では、皇子に婚約者が居たことは?」

「お話を伺ってはおりました。けれど殿下がきちんとして下さるとの…ことでしたので…」


 私が一国の皇子の婚約そのものに手出しできるはず無いじゃない。と、ハルミナは心の中で毒づく。

 でも今の自分のこの状況が、良くない事だとも分かる。

 聖女の立場でありながら神殿側に相談も無く、婚約を決めてしまった事が大事になってしまったのかと、ハルミナはいきなり冷えたその頭で考えた。


 …けれどまだ、書類に残した訳じゃ無いし…今ならリセットできるはず…


「こ、婚約は未だ…」

「では、聖女殿はコンネル辺境伯の事はご存じか」


 早く謝った方が…と、謝罪を言いかけたハルミナの言葉を遮るように、グロッザは言葉を被せた。


「え…っと…」


 不意を突かれた質問に、ハルミナは何とか思い出す。確か令嬢の名がそれだったはずだ。皇子との話を思い出すように、ハルミナは小首を傾げた。


「…はい…確か…ラクアス様の婚約者様の…ですよね?すごく田舎の、ちょっと大きな貴族なだけだから、気にしなくて良いと…」


 その答えに、大神官の顔と周囲の御付きの顔が大きく引き攣る。

 ラクアスから伝え聞いたそのままを話しただけなのに、反応が重くてハルミナは身じろいでいた。


「なるほど、ね……そう聖女殿に教えたのは?」

「ラクアス殿下が…婚約のお話の時に、そう仰って…だから、婚約を解消しても、私は何も気にしなくて良いって…」

「それで…聖女殿はそれをそのまま信じた、と」

「あ、あの…はい、そう、です」


 自分で調べるべきだったと、今になってハルミナ唇を噛んだ。

 この世界の事を良く知らないのだから、一人の意見を鵜呑みにしないように気を付けていたのに。

 けれど、あの時の自分は調べようとも思っていなかった。後ろ暗い思いを抱える皇子の話を、疑いもしなかった。

 多分そう思ったとしても、運よく他人の意見を聞いたとしても、それを信じる事は出来ただろうか?


 …だってここは、私がヒロインとして振る舞う乙女ゲームの世界よね?違うの?もしかして、違ったの?!…


「…なんと…愚かしい事か」


 大きな革張りの椅子の背凭れに身体を預けて、大神官グロッザは大きくため息をついた。

 そのあとに続いた沈黙が怖くて、ハルミナは思わず顔を上げる。

 目の前にあるのは、横顔に沈痛な面持ちを浮かべた大神官であった。


「あ、の…私…?」

「…何故、王国に攻め込まないかと…皇子が言ったとか?」


 何故それを知っているのかと思うより前に、視線を合わせないままの大神官の問いに言い知れぬ恐怖を感じて、跪いていたハルミナは、その場でぺたりと腰を落としていた。


「あ…え…?…」

「さらに、王国に繋がる裏切り者とはな…何ともはや…」

「…だ…神官…様?だって、あんな学生、の、パーティーで、すよ?」


 ハルミナにしてみれば、たかが学生の卒業パーティーでの出来事でしかない。少し羽目を外したかも知れないが、成人前の子供の戯言だ。大人になったらあそこにいた大多数の人間には、笑い話だろうと思っていた。


 なのに、だ。


 そこでの内容を…割と正確に、全く接点の無いであろう大神官が知っているという事実と、違和感を感じるほどに重く捉えている様子に、ハルミナの背中を冷たいものが駆け抜けて行く。


 取り返しのつかない何かをしたらしいとは解った。

 では、私は、何をやってしまったというの?


「ご令嬢に、魔法で印を付けたというのは?」


 予備動作も無く、ぐるんと顔を近づけた威嚇するような大神官の問いに、ハルミナは思い切り仰け反った。


「お、皇子がそう言って…やって欲しいって言われて!ちゃんと遠くに離れたのか、知りたいって、言われて…だから!」

「なるほど……そこまでして殿下は、確実に彼女を国から追い出したいと御考えであったのか」

「え、まさかぁ」


 間の抜けたハルミナの声に、大神官が目を見開いた。


「何?」

「だってそんな事、いくら皇子様でも出来るはず無いじゃ無いですか。だってあれは……あれは、……追い縋らせ無いための、彼女へのただの脅しでしょう?」


 ハルミナは連れ出されていくリオリーヌを見ながら、少しきつい脅しだと思っていた。この出来事と婚約の破棄に対して、後々皇族に逆らわないようにするためのものだと思っていたのだ。

 あの会場を盛り上げる一種の演出に近いと思い、皇子の作る流れに逆らわずに、そのまま乗っかったのだ。

 それに……乙女ゲームに良くある展開だという認識が、何の疑問も抱かせなかったのは事実だった。悪役令嬢が舞台から降りただけという、ただそれだけの事でしかなかったのだ。


「脅し、だと?」


 大神官から、静かながらも怒りの感情が溢れた。


「取り調べも裁判も無く、ただの言い掛かりのような罪で国外追放だぞ?言い訳もさせないまま、着の身着のままで貴族令嬢を護送馬車に押し込んで、帝国騎士に護送させるのが、ただの脅しだと!?」

「…え…?ええっ!」


 ハルミナはそこで初めて真実を知った。

 リオリーヌという名の田舎貴族の令嬢が、あの後本物の護送馬車に押し込まれ、騎士に護送されるという非道にあっていたのだと。


「帝国騎士が皇子の命令に逆らえる筈も無い。ましてや」


 大神官の眼が、ハルミナを睨みつけた。


「聖女が手ずから掛けた術を誤魔化せると思う訳がない。事情が分かっていても助けることも出来ない。騎士たちは命令通り確実に国外へ向かっている…向かうしか無いんだ」

「あ、で、も…う…」


 時間をおいて帰すつもりという事もあるだろうと言いかけたハルミナは、大神官の視線に黙るしかなかった。

 その機会を、時間を、自分が全て奪ったと気付いたのだ。


 自分が、知らぬ振りが出来ない状況に立たされているのだと、ハルミナは愕然とした。


「…と、いう事で聖女殿。我らも危ない立場なのだよ。令嬢の国外追放に聖女が絡んでいるなどとなっては」

「え、でも…ラクアス様、私の知らない所で…きっと、戻って来るようにって命令…」

「ならば、今どこに令嬢が居るのか言え!」

「ひ!」


 いきなり詰問されて、ハルミナは震えあがった。

 そうされてやっと、やっとだ。嘘や冗談などでは無く、本気で令嬢を探さないと、この身が危ういとはっきり気が付いたのだ。


 もしも頼まれた術が、後で連れ戻すのを見据えたものであったなら、自分はラクアスの裏の真意をくみ取れなかったという事なのだろうか。


「む、無理です!本当に国から追い出すなんて思ってなかったから!私はただ、あの会場から出て欲しかっただけだし、ラクアス様も帝都から出たか判れば良いって言ってたから……!」


 ほんの少し、擦り付けるように施しただけだ。遠くに離れて追えるレベルではない事を、ハルミナ自身が一番解っている。

 中途半端な術しか掛けなかった令嬢を、かなり時間が経った今になって、見付け出して助ける事など不可能に近かった。


「無理でもいい!やるんだ!」


 ハルミナの困惑など関係無いというように、グロッザは怒鳴りつけた。周囲の神官が逃げられないようにハルミナを囲い込む。


「う、う……ヒィ…」


 経験した事の無い威圧と状況に怯えながら、それでもやらなければ解放されないと解ったハルミナは、必死で力を使った。

 本気ではない微かな力。その残りかすのようなものを必死で辿っていく。

 しかしそれは、広い帝都を囲う石壁を超える事は出来なかった。かろうじて……学園に近い南の門を通過したらしい事までしか辿れなかった。


「一縷の望みと思ったが…まともな聖女修行にも入っておらぬ身では、期待するだけ無駄、か」

「うぅ…」


 悔しいと思ったが、それは事実であった。今までこの世界の常識と、学生がするような一般教養を重点的に教えられてきたのだ。聖女としての修行には、最近手を付けた所であった。

 俯き、肩で息をするハルミナを見下しながら、大神官はがくりと肩を落とした。


「…これは…下手をすると…戦争になるな」


 その呟きに、ハルミナの周囲からいくつものため息が漏れる。それに驚いて、思わず顔を上げていた。


「……せ、戦争って…そんな…」


 …たった一人の令嬢のために?…


 声に出さなかったその疑問が聞こえたかのように、自分をゴミのように見下げる視線が集まる。理由が分からないまま、怯えた視線をハルミナは大神官に返した。


「…追い出したご令嬢が、王国貴族の血を引いていると聞いたのだろう?」

「は、はい…」

「その、向こうの貴族の関係者が、こんなバカげた事態を聞いて、おとなしく納得すると思うのか?」

「…あ…!」


 過去に敵国だった、その国の血を引いているなら仕方ないと…ごく自然にそう思い込んだ自分に、ハルミナは愕然とした。

 そう、皇子。その話をしたのが一国の皇子だったからだ。だから…あの場で、正しいと思ってしまった事に息を呑んだ。

 そんな事を言うなら、いまだに聖女としてきちんとした修行も勉強もしていない自分に、価値がある訳がないのに。


「……それも、命令したのは一国の皇子、手を貸したのが神殿の聖女だと知れ渡っている…どう言い訳をする?国と神殿を巻き込んだ火種になりかねない事態だ。……令嬢を無事な姿で探し出して保護する以外に、どう収めるというのだ?」

「……ぁ!…」


 それを回避するには、令嬢を無事に保護しなければならないのだと、やっとハルミナの中で繋がった。


 一人の令嬢を、皇子の婚約者から蹴落としただけの筈だった。ほんの些細な恋愛の駆け引きと勝敗を楽しんで、後は幸せになりました…のエンディングを迎えるだけのつもりだったのに。


 なぜ、どこで、どこから…こんな大騒動に繋がっていったのだろう。


 皇子の計画を聞かされたあの時を思い出す。恋に浮かれて、都合のいい未来しか頭に無かったあの時間を取り返したい。

 余りにも、この世界の常識を知らなさ過ぎた。自分の軽くて甘い考えが情けない。

 他人の立場を思いやる事が出来ていれば、もう少し人の繋がりに気を付けていれば、未来に来る、重大な問題の欠片にでも気付けただろうに。


「…ああぁ…嘘ぉ…」


 今更、逃げることも出来ず、知らぬ存ぜぬも通らない。

 知らされた己の立ち位置に思わず両手で顔を覆って、ハルミナは緩慢に首を横に振っていた。


「…はっ…やっと事態の大きさを飲み込んで頂けたようで」


 大神官の嘲りも、もうどうでも良かった。

 ここまで自分の取った選択肢が、ほぼ誤りに近かったと…それに気付いて愕然としていたからだ。


 ここへ来てやっと、本当に何がいけなかったのかをハルミナは悟った。


 ラクアスと知り合ってからの何もかも…自分が乙女ゲームだと思い込んだことが、一番愚かしい行動だったのだ。

 聖女として隙無く立ち回りつつ、恋愛も楽しむ。将来は結婚して、少しばかりチートで国を発展させて、大聖女として不自由なく生きていく……そんな道筋が約束されているのだと、ハルミナは心から信じ切っていたのだ。


 …世界は自分中心で回り、何をしようと咎められることは無く、不要になった他人は舞台から消えて、私は幸せだけを享受していける…


 ついさっきまで、それを確信していた自分にゾッとした。

 そして今、自分自身ではもう取り返しのつかない事態だと理解した。


「そうなったら…聖女殿。一番に使い潰されるのは君だからね」

「え…?」


 一瞬解らなかった意味が、直ぐに思い当って、体が強張った。


「急いで聖女としての修行に入れ。治療の一つもこなして貰わねば話にならないからな…それと、逃げ出さないように数人見張りをつけろ」


 …ああ…これで逃げられない。…もう逃げ出せない…


 まるで罪人を追い出すように退室を促されたハルミナは、後悔と絶望と状況の悪さに唖然としたまま、ふらふらと立ち上がると覚束ない足取りで歩きだした。


「ああ……すでに神殿から捜索隊は出した…から、今の所、君の命までは取られないと思うよ」


 君は一応、聖女としての立場が有るからね。と、慰めにならない声が背中から追いかけてきた。






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