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☆ あたりまえは、まい、おどる



 …まさか、こんな展開になって行くなんて…


 神殿内に割り当てられている自分の部屋で蹲り、自分の腕を所在なく擦りながら、聖女ハルミナはただただ青ざめていた。


「『それが悪役令嬢には普通でしょ?』なんて、何で馬鹿みたいに酔ってたのよ、私は!」


 リオリーヌを悪役令嬢の立場に置いて、ハルミナは確かに、そして疑う事無く、ずっとそう考えていたのだ。


 ハルミナは転移者であった。元は高橋春美という、ごく普通の高校三年生の日本人だった。

 どうやってこの世界に来たのか憶えてはいない。記憶にあるのは受験戦争で身も心も疲弊しきっていた…それだけである。

 学校と塾と家を回りながら、試験と偏差値と不安に沈んで…気が付いた時には、この神殿の祭壇にうつ伏せていたのだ。

 それを見つけた神官にいきなり叱責されて、訳が分からない、怖いという気持ちのままに溢れ出た力。

 この世界で春美に与えられたのは、とても大きな聖の魔法術であった。

 そして、春美自身が戸惑う間に周りが動き、あれよあれよという間に、聖女として祀り上げられて今に至っている。


「…上手く立ち回ってると思ってたのに…ああ、もう…」


 やり込む程では無かったが、乙女ゲームとかいうものの内容は知っていたし、幾つかには手を出していた。そこから派生したアニメやコミックなどは、ちょくちょく目にして楽しんでもいた。

 そのほとんどが、最終的に悪役令嬢は何らかの形で酷い目に合う事になっている。そしてヒロインと攻略対象の男性は、艱難辛苦を乗り越えて、ハッピーエンドを迎える…というのが王道だ。


 今の自分が、その状況にとても似た状態に居る…それも確実にヒロインの立場だわ!…と気付いて、ハルミナは舞い上がってしまったのだ。


 もしかしたら、それこそここはゲームの世界なのかと思ったりもした。けれど、遊んだことは有れど、設定が記憶に残るほどやり込んだことも無いので、作品名を推測するのはさっさと諦めた。

 もしもゲームの世界だとしたら、ストーリーを知らないその分、楽しめるのではないかと思ったのだ。

 どうやら今の自分は、ヒロイン枠に似た立場で間違い無いようだ。ならば断罪などと言うルートには決して入る事は無いだろう。だったら…それに思いっきり乗っかろうと決めたのだ。


 ただ王道物とは違い、自分は学園生では無かった。

 悪役令嬢との接点が殆ど無い為に、嫌味を言われたり、叱責されたりという嫌な目には合わない。

 代わりに、悪役令嬢に虐められたと訴えられないと言う…方向性が少し違う、困った出来事もあったけれど。


 その攻めきれない何か。それを……皇子側が補填していくとは思わなかった。


 神殿で紹介された第三皇子は、ゲームの補正が掛かっているのかしらと思えるほど、すぐに自分に好意を示してくれた。

 これが王道路線だったならば、ヒロインの何も知らない天真爛漫さが愛され、そのまま真実の愛とやらに突っ走るのだろうが、ハルミナはそこの所は慌てないようにと自分を抑えた。

 皇子ラクアスの伝手を使い、まずはこの世界の一般常識を求めた。そして学業と、貴族社会にも通用するマナーを教わることにも成功した。

 必要だと考えて真面目に向き合えば、そんなに難しい物でも無かったのは幸いだった。

 変なルートに入ってしまって皇子から嫌われたとしても、この世界で生きていく足がかり…道具を身に付けたと思えば、掛けた時間も惜しいと思わない。



 やがて、それなりの気品と立ち居振る舞いを身に付けたハルミナは、ヒロイン然として自信を持ってラクアスに微笑みかける。

 たちまち彼の視線が熱を帯び、それが態度に現れるまで時間は掛からなかった。

 花もドレスも宝石も、強請らずとも手に入り、小規模ながらも連れ出されていく舞踏会や夜会では、煌びやかで楽しい時間を何度も過ごした。

 物凄く嬉しい気持ちそのままに、その都度可愛らしくはしゃいで見せる。けれどその仕草の中に、ハルミナの打算は常にあった。

 今までのハルミナの人生では手に入る事の無かった物品と、全く無かった経験が繰り返されて、それが当たり前のようになってきている。けれどそれを表には決して出さないように、いつも気を使っていた。

 皇子と共に人前を歩くだけでも恥じらう…でも、二人きりの時はもっと素直に、少しだけ感情を出して…と言うようにしたのだ。

 控えめな愛らしさと奥床しさに足すように、少しだけ感情の乗った笑顔にはいつも気を付けた。

 そして、聖女は皇子の事を好いていると周囲に悟らせつつも、どんなに皇子が懇願しても命令しても、聖女としての立場と仕事からは決して手を抜かないという姿勢は貫いた。

 その真面目さに嫌われるかとも思ったが、それがまた、ラクアスの興味を引いているようで、彼が離れていく事は無かったのだった。


 実際のところ、皇子らしい姿と顔形は確かに素敵な部類だとは思っているけれど、ハルミナは自分でも、ラクアスの事が本当に好きかどうか分からない。

 ただ、他に寄る辺ないこの世界で生きていくために、結婚すれば楽に生きて行けるだろうとは思ったのだ。


 そして…何よりも。そう、将来におけるそのビジョンよりも。


 本来それを受け取るはずの悪役令嬢の手から『奪い取ったという快感』が、その時のハルミナの胸の内をいっぱいに染め上げていたのだ。


 …だって、恋愛中心の乙女ゲームなんだし。ストーリーの終焉はこういうもんだから、仕方ないでしょ。

 皇子の横に立つのはヒロインに決まっているんだから。それ以外って有り得ないでしょ!これが普通。これが当たり前なんだもの…


 やがて、何となく予想していた通りに、ラクアスから婚約の打診が来た時、ハルミナの中で彼に対する恋愛感情よりも、その思考が大きく弾けていた。

 そして、ハルミナはごく普通の…女性の感情として、自分の考えを罪悪感なくラクアスに告げたのだ。


「今の婚約者様はどうなさるの?これからも顔を合わせ続けるのは、私とても嫌よ」


 それに対してラクアスは柔らかな笑みを浮かべた。

 二人だけで立っている夕闇が迫る城のバルコニーは、ぽつぽつと灯されていく明かりにぼんやりと浮かんで、とても幻想的な場所になっている。

 彼の微笑みは、その美貌も相まって、景色にぴたりと合わせたように実に優美なものに見えた。


「婚約が破綻したという事実を…先に作ってしまおうと思っているんだよ…大勢の人の前で宣言してしまえば、反論もし辛い。すぐに向こうも諦めるさ」

「大勢の前?」

「ああ。学園の卒業パーティーがあるんだ。その時にね。そうだ、一緒にハルミナを新しい婚約者として紹介してしまおう。…ちょっと慌ただしいけど良いかな?」


 学園の卒業パーティーというシチュエーションに、ハルミナの気持ちは思い切り舞い上がった。

 乙女ゲームの断罪シーン、そこにヒロイン役で立てるのだ。

 思わず嬉しさが顔に出たのを隠すために、必死で俯いた。薄暗がりで助かったと胸を撫でおろす。


「あ、え、そんな…あの、学園ってお邪魔したことも無くて…いきなり行くって…何だか恥ずかしいわ……」

「大丈夫、ハルミナはとてもきれいだよ。他の男に目を付けられる前に…だから少しでも早く婚約してしまいたいんだ」


 かすめるようにサラリと触れられた頬の感触に、ハルミナは思わず手のひらで両の頬を抑えてしまっていた。

 ゲーム感覚でいたはずなのに、恋愛感情だって良く分かっていないのに、急に胸のドキドキが大きくなって止まらない。


「丁度、皇帝夫妻が外遊に出ている時なんだ。帰国された時には全て新しくしてしまっておけば、何の問題も無いよ」


 耳元に近く囁くような声。夕闇の中で近付いた翠色の瞳が怪しく光る。

 ハルミナの背中がぞくりと震えた。


「ただ…今の婚約者と顔を合わせて貰わなければならないと思うが」

「…でも、でも……心配だわ、私…」

「気にしなくていいんだ。適当に決められただけの、大した女じゃないから。国の一番端の…まあ田舎だな。そこのちょっと大きな貴族の娘さ。聖女の君とは雲泥の差だよ」

「…でも、そこで睨まれたりしたら、怖いわ」

「大丈夫だよ、その場ですぐに追い出して、私たちが二度と目にしない場所に追いやってしまうから…そうだ、ひとつお願いがあるんだ」


 その言葉を信じて、ハルミナはあえて聖女としての簡素な姿であのパーティーに臨んだ。

 貴族の令嬢を相手にするとは言え、そう呼称されている全員が、言うほど美人でも無いと知って居たからだが。

 けれど、怒気を含んだ声でラクアスが呼び出したのは、とても見目好い令嬢であったのだ。

 確かに派手さは無いが、落ち着いた佇まいは美しい部類に確実に入る。

 ハルミナは一瞬そのいでたちに見惚れたものの、ある事に気付いて笑みを浮かべていた。



 …あ、そうか…私はこの美しい人から、皇子ラクアスを奪った事になるんだ…わーすごい事になっちゃった…私すごい!…うふふ!…やだー、私この人とラクアスを取り合って、勝っちゃったんだ…!



 目の前の令嬢を綺麗だと思うほど、その思いが快感となって背中を駆け抜けていく。

 それ以上に、ラクアスへの思いを溢れんばかりに装った目の前の彼女が、実に滑稽でたまらなく哀れに映る。


 皇子がそんなに好きなの?

 そんなにも想っている自分を見て欲しかったの?


 その考えが一気に胸の内に膨らんで、ラクアスの瞳色した令嬢の姿が目障りなものへと変わった。

 もう負けは決まったのだから、とっととこのパーティー会場から出て行って欲しいとハルミナは思った。そして田舎だという領地に引っ込んで、二度と帝都に出て来なければ良いのだ。


 そんな勝ち誇る気持ちの中、ふと、ラクアスのお願いを思い出した。同時に彼の気を引こうとした装いがどんな品かと、興味も沸いて駆け寄っていく。

 手に取って確かめたドレスの生地も、間近で見るアクセサリーも、上質でしっかりした作りの品物だった。

 ラクアスが過去に贈ったものだと知って少し興が冷めたが、直ぐに同じグレードを強請れると気付いて、ハルミナは途端に機嫌を良くしていた。

 その嬉しさではしゃいでお話ししながら、ラクアスにお願いされた通りに、令嬢のドレスに少しだけ聖魔法を掛ける。

 本来なら複数の杭や石碑に魔法を施し、それらで囲った場所に広く結界を張る術であった。その際には位置的なものを考慮して設置する為、掛けた術者にのみ、術を掛けた物の場所が分かるのだ。


「遠くに…帝都から離れたかどうか、判れば良いんだ」


 夕暮れの淡い光の中、すごく助けて欲しそうな雰囲気の、ラクアスからのお願い。

 神殿の神官の基礎訓練で習得したその術は、ハルミナにも容易く叶えられるものであった。叶えれば…自分の将来も明るく開けていくのだ。


 …早く退場してもらって…そしてラクアスと婚約者宣言をして、聖女の私を皆に知って貰わなければ…


 願い通りに彼女は退場した。

 そしてラクアスと取り巻く周囲の人たちに請われるままに、ハルミナは聖女として覚えたばかりの浄化魔法を室内に満たし、その場にいた多くの人たちから惜しみない称賛を得た。


 …ああ、これでもう、大丈夫!…


 浄化の光の中、ハルミナは幸せだった。

 乙女ゲームをヒロインとして体感している事実にも、言い尽くせない喜びが溢れてくる。


 頭の中では、ゲームのエンディングに似たものが踊っていた。

 花に囲まれた中で皇子と自分が笑っている。時に甘く、時におどけた表情で、様々な場所でのシチュエーションとそれに合わせた衣装をまとう…そんなカラフルな絵が何枚も浮かんでは消えていく。

 そしてもう一枚。モノクロで描かれた物寂しい荒野。遠ざかる小さな背中は追われた悪役令嬢だ。


 この世界の悪役令嬢は、ハルミナの目の前から『正しく』消えていった。

 ゲームの中で、悪役令嬢の行く先など誰も心配はしない。考えもしない。この先彼女がどうなろうと、スポットライトを浴びたままのメインキャストには関係ない。

 このままひっそりと退場して行くのが、負けた脇役の在り方なのだから。


 …そう、終わったのよ。もう関係ないわ。私はこれからラクアス皇子と二人、聖女として国を盛り立てて、国民に慕われて、誰よりも幸せに暮らしていくんだから…!……


 幸せで幸せで。嬉しくて嬉しくて。

 皇子に抱き締められて、周囲に冷やかされて、笑って、何度も何度も皆に祝福を受けて……

 皇子に選ばれたという自分が誇らしく、幸せだった。







 …その夜、神殿で大神官に呼び出されるまでは。





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