☆ 後始末を見届ける
真っ暗な地面を馬が疾走する音だけが、足元から聞こえる。
闇雲に目指しているのは、離れ邸の窓からもれる頼りない灯りだ。
「……戻る?」
メドロアの問いに、傍らに立つ女性は小さく首を横に振った。
「あの人たちに囲まれて、死にたくはありません」
怒りで暴力を受けるか、一人の女性として尊厳を踏みにじられるか…見えてしまう未来に背筋が震える。
どんどんと遠ざかる音だけが届く。
そしてそれも消え……身を取り巻く風の音にとって代わっていった。
「…では、どうしたいの?」
「………」
暗闇の中見上げても、問われたその顔は見えなかった。
自分が殺してしまったような娘の、その母親に、一体何を言えと言うのか。
ハルミナはただ、唇を引き締めた。
「…ここで死にたいわけでは無いのでしょう?」
「…でも、生きていて良いのか分かりません」
「そうね。…今はそうね」
メドロアはふっと空を仰ぎ、少し考えた後、ハルミナに向き直った。
今までの事を思えば、苛立たしいにも程がある。が、それもリオリーヌが生きていた事で、少し冷静になっていた。
そして冷静になって…この魔法の才能を、素直に惜しいと思ったのだ。
だからこそ、騎士に変装させた使用人を潜り込ませ、聖女に接触する機会を窺っていたのだが、これが流れるようにうまく運ぶとは思ってもいなかったのだ。
勿論、鼻持ちならない性格だと知れれば、素直に元の場所までお帰り頂く積りではあったが、目の前の娘はきちんと常識を弁えて、そこそこマナーも履修した、ごく普通の娘でしか無かった。
帝国でまだ殆ど魔法について教えられていない逸材。
これからきちんと育成することが出来れば、どこまで化けるかメドロアにも予想が付かない人材である。
だから、これはそういう意味でのチャンスであった。
こちら側がいくらでも強気に出られる今、畳みかけろと経験が騒ぐ。
「…一つ教えてあげるわ」
「……はい」
「…リオは生きているわ。無事よ」
「え…」
「本当よ。私も知らない人たちが、助けてくれたわ」
メドロアの顔を凝視したまま、ハルミナはその場にへたり込んだ。
そして、ゆっくりと両手で顔を覆うと、声を上げずに泣き出した。
良かったの気持ちが胸に満ちる。と同時に、たまらなくひどい仕打ちをした自分がますます許せなくて、リオリーヌに申し訳なくて。
「本当に……申し訳、あり…ません…」
額を石畳にぶつけるように何度も下げて、ハルミナは謝罪を繰り返す。
何度かそうした後、メドロアが口を開いた。
「あなた…今の自分を捨てて、王国に仕える気はない?」
「…王国、ですか?」
「その力、王国で使わないかと尋ねているのよ?…今までのように使われるのが嫌というなら、ここでサヨウナラね」
「あ、い、行き、ます…王国で、働きます」
ハルミナは即答した。最初から選択肢など無いのだ。
それに、どうせ死ぬと言うならこんな所で死ぬよりも、誰かを嬉しいと思わせて、喜んでもらえて……そんな優しい事をしてからの方が良い。
無理にやらされた浄化の魔法は辛かったけれど、その土地に暮らす人たちからの感謝は嬉しかったのだ。
自分はそれをする事ができる。自分がやれることを、進んでやろうと思うならそうするべきだと、ハルミナは自分の手のひらを見つめて思ったのだ。
「…じゃあ決まりね」
冷えるからもう立ちなさいと促されて、ハルミナはしっかりと立ち上がった。悪く甘く苦かった夢から、やっと覚醒した気分だった。
それを見たメドロアは、何も言わずにただ微笑む。聖女と言う立場を憐れむ訳では無かったが、事魔法に関しては、王国側に現れてくれていた方が、苦しい経験をしなくても済んだのでは無いかと思っていた。
「失礼致します。お二方ともそろそろお戻りを…」
「お行きなさい」
「…はい。失礼致します」
ハルミナは所作の手本のようなお辞儀をすると、様子を見に来た使用人に手を取られて、館へと歩き出した。
「奥様もお早く」
「ええ、今行くわ。 ……ああ、ふふっ…誘蛾灯はきちんと使えたわね」
遠くから、意味の聞き取れない音が風に乗って聞こえてくる。
何度も、何度も。乱れた間隔で繰り返すそれは、長く短く途切れ途切れて…
「…ここは帝都では無いのだから、夜にふらふらと出歩くのは危険なのよ。…月の無い夜なんて…特に、ね。…………ふふっ…おバカさん」
綺麗な仕草で身を翻して、メドロアは階段へ向かう。
その脇で静かに佇んでいたカレッサは、恭しく頭を下げた。
「帝都の邸の後始末が終了したと報せが参りました。使用人たちもそれぞれに王国へ向かうと」
「そう。……ああ、こちらも終わったようよ?」
薄く笑みを浮かべて、メドロアはちらりと振り返る。
広がる闇の中、風の音だけが石壁の上を渡って行った。




