☆ その責任の在り方
魔法と薬の作用で眠らされたゼラを連れてきたのは、探索ギルドに雇われただけの男であった。
魔法で保護され、古い寝台馬車に乗せられた質素なドレス姿の女性は、誰が見ても側妃だとは思いもしない姿だ。
故郷で静養させたいという理由付けの依頼であったが、本当はろくでもない理由だろうと、彼は自分の為にもそれ以上の詮索はしなかった。
行く先を辺境伯領とは聞いていた。依頼でたまに足を向けていた場所だ。しかし、辿り着いたそこはあまりにも様変わりしていて、驚きながらも丁度そこにいた門番に話を聞いたのだ。
依頼を受けて女性を運んできたのだが、ここは辺境伯領なのかと。
門番はそれを聞き、ギルドの依頼書を確認した。
そこにトリーゼンの名を確認した門番は、女性の身柄を預かると伝えた。そして男には、魔獣除けの壁を作っている最中で危ないから、今は中に入れられないと説明してきた。
男は用意された別の馬車に女性を乗せ換えると、門番から依頼達成のサインを貰い、それ以上何を聞く事も無く帰途についた。
何かがヤバい。そうとしか言えない勘のようなものに追われるようにして、男はなるべく早くそこから離れて行った。
馬車に乗せ換えられたゼラは、メドロアの使用人たちによって離れ邸へと運び込まれた。
しばらくして目を覚ましたゼラは、相当強い薬を飲まされていたのだろう。記憶が所々曖昧になっていた。
そこで、ここの主人が馬車の事故を助けたのだという事にしたのだが、それが誰かと疑問にも思わなかったらしい。そうされて当たり前の地位にいるゼラは、その出まかせをあっさりと信じた。
そして自分は皇帝の側妃だと名乗り、皇帝に連絡をするように当然のように命じてくる。
自分の侍女が全く居ない事も、怪我をしているとの理由をあっさりと信じた。
代わりのメイドたちが付くことも、甲斐甲斐しく世話をしてくれるのも、至極当たり前に甘受し、時には苦言を言い放って悪びれもしない。
そんな、ゼラの生活がしばらく続いたある日。
昼食までは確実にいたメイドや使用人たちの姿が、一斉に消えた。
おかしいと思った切っ掛けは、読書後のお茶を頼もうとベルを鳴らしたからだった。
いつもならすぐに来てくれるメイドが、何度鳴らしても、いつまでたっても来ない。
苛立って部屋から出ようと扉まで歩いたゼラだったが、その足元に一通の封筒が落ちているのに気付いた。
拾い上げて早速開いた中には一枚のカード。
そこには短く一文が認めてあった。
結婚した息子夫婦と、そこで暮らすように
皇帝の文字と、証明するように印章まで入っているそれは、ゼラと共に運ばれた荷物の中に既に入っていたものである。
その事を先の手紙で知らされていたメドロアは、それを保管しておいて、使う機会を待っていたのだ。
そして…役者がそろった今。
辺境の主従は密やかに動き始めたのだ。
…そこ、で?…
カードを見たゼラの中に、初めてここがどこか疑問が浮かんだ。
周囲のやさしさと、安心して良いとなだめる言葉に、過不足なく与えられる全てに…側妃としての立場と視点から、何も疑って来なかったことに思い至る。
自分を助けてくれたというこの邸の主人というのも、一度も顔を見たことが無い。
何より、なぜ自分は馬車に乗ったのだろうという疑問が浮かんだ。
立場上、城から外出するのはまれであった。用があれば向こうから出向いて来るのが当たり前の生活なのである。
ここで暮らせという命令ならばそうするしか無いのだけれど…と、再びカードに目を落として考えた。
結婚式の後すぐに視察に出た息子は帝都に帰ってくるのだし、世話になっているこの邸は、帝都の外れで合っていると思っていた。
窓からの景色は、沢山の木々に囲まれていて遠くまで見えない。
前に聞いていた…帝都の郊外に贅を凝らして作られている、深い森を模した庭園と邸のどこかかしら?とずっと思っていた……のだが。
…違うと、したら?…
今までの、ここで過ごした間の矛盾が、一気にゼラの中に湧き上がった。
慌てて部屋を出て、解決の手がかりを求めて邸内を探し始めたゼラだったが、誰もいない事に気付いて、やがてその顔を青ざめさせた。
「どういう事なの…?」
ゾッとする気持ちに押されるように、邸内から出ようと玄関ホールへ向かう。
すると、いきなりそこに誰かが飛び込むように入ってきて、思わず足が止まった。
驚くままに誰なのかと顔を見るうちに、見知った顔だと気付いた。
「あら、あなた…」
「…え…ゼラ様?」
驚いた顔を見せているのは、息子の近侍の一人だった。…という事は、ラクアスがここに居るのだとほっと息をつく。
「ああ!ラクアスはどこ?」
心から頼れる人間を見つけて、ゼラは喜びの声を上げると、急いで近付いて行った。




