☆ やっと気づいたけれど
ぐるりと見回すラクアスの苛立った視線の中、近侍の一人マクロミルがホールに走り込んできた。
「だめだ、使用人は誰もいない。厨房も使用人の部屋も、物置まで探したが、誰も居なくなってる」
その報告に、騎士たちがますます狼狽える。
「嘘だろ…」
「そういや、向こうに邸があっただろ。あっちは」
「もう向かってる。そろそろ帰ると思うけどな」
心配げに言うその近侍の肩を掴み、ラクアスは乱暴に振り向かせた。
「お前、何をした?」
「はい?」
「リオリーヌの事だ!お前たちは、お任せ下さいと言っただろ!お前たちが上手くやらないから、私はこんな事になったのだぞ!」
ラクアスは掴んだ肩に力を込めて揺さぶり、怒鳴りつける。
しかし近侍…軍務卿の息子マクロミルは、ただヘロリと笑みを浮かべた。
「ですから、殿下のご命令通りに国外追放に致しましたが?」
「う…だ、だが…」
「通常の追放ですと、御自分の領地へ帰してしまう事になるとお気付きでしたか?なので反対の方角を示しておきました。それが?」
マクロミルの言っている事に間違いは無かった。命令の通りに彼らは動き、その命令の穴まで塞ぐように立ち回った事は、責めるよりも褒めるべきであった。
「そっ…それでも、お前は、お前たちは分かっていただろう?なぜあの女を助けなかった?上手く誤魔化して生かしておくことも出来ただろうが?!」
血まみれのネックレスの衝撃は、ラクアスの頭にやっと現実を叩きつけていた。
空想の中では、既に溶け切って消えていたリオリーヌという存在。それが今、血生臭さと凄惨さをあからさまにした品物に姿を変えて『死』という、生々しい現実を突き付けてきている。
しかしマクロミルはさらりと反論した。
「ご自身のご命令をお忘れですか? あの方には聖女様の魔法が掛けられていたのですよ?誤魔化す事など出来るはずが無いではありませんか」
ガタン!と大きな音がして、全員が視線を送る。
ホールの入り口の扉に身体をぶつけ、そのままズルズルと座り込む聖女の姿があった。
「 わ、たし、人を殺し、殺して…殺しちゃった、の? 何の罪も無い子を、私、死なせて……」
「ハルミナ!」
「だって だってあの、ネックレス…血塗れで、髪の毛もついてて、ぶ、無事な訳、無くて、」
「言うな、ハルミナ!」
「…生きたまま、魔獣に食べられ、た…の?…よね?…私たち…貴族のご令嬢を、魔獣の………」
うふっ、うふっ…と低く笑うような呼吸をしながら、ハルミナは取り返しのつかない過去に身悶える。
確かに見つかったと聞いた。
でも、生きていたとは伝えられなかった。
死体が見つかった事を詳しく教えられないまま、生きていると思ったのは、ただの自分の希望であり願望だ。
ああ、ああ、私は……なぜこの世界に来たのですか?
天井が見える。
目の前が暗くなる。
傾いていく身体を支える事を放棄して、ハルミナは固く冷たい床へと身を横たえていた。
誰一人、駆け寄ろうともしない。
それを冷たく一瞥し、マクロミルはラクアスに告げた。
「…それ故に、出来るだけ遠ざけろとのご命令は、果たしましたし、二度と顔を見たくないというご希望も叶っていたはずですが」
何も言えないまま、ラクアスは近侍の顔を見つめていた。
信用して任せたのだ。だから、皇太子の兄の問いに、安心して答えられていたのだ。生きていると思っていたから気にしなかった。だから忘れられていたのだ。
「殿下は令嬢が連れ戻されてはお嫌だったのでしょう?ですから、他に気付いた誰かが追うことが出来ないように、任務実行に伴う命令系統は、はっきりしないままにしましたし…」
誰かが追って保護していると思っていたそれが、全く出来なくされていた事実に驚いた。令嬢の生死が今の自分に繋がっていると気付いている。きちんと生かしておいてくれたら、こんな場所には来ることも無かったと、湧き上がる怒りを止められない。
「殿下は国外追放を命令されはしましたね?」
「……ああ、でもそれは、」
「何の取り調べも無いまま貴族の令嬢を国外に追放して…責任問題にならないとお思いだったんですか」
「………それ、は、お前たちが上手くやる、と…言ったから…」
「その点はこの上もなく、上手くやりましたが?そうでしょう?あなたの命令通りに令嬢を消し、護送した騎士団の責任問題にもならないようにね」
怒りながらも青白いラクアスの顔を見返して、マクロミルは笑った。
「…どうして、そんな、ことが、で、きる?」
「あの命令を受けた騎士団員は、書類上存在していないのですよ」
「は?」
何の事だとラクアスは思う。現にあの場所に、騎士と護送馬車は存在していたし、自分もそれを遠くから確認したのだから。
「…騎士団内にも、どう扱っても良いクズっていうのは居るんですよ。いざという時の身代わりとして…ね」
「…は?」
「こういう無茶な命令が出たときは、そいつらを使っているんですよ。あいつらは上からの命令に絶対に逆らえませんからね」
「…な、んで」
「もちろん、騎士団が責任を避けるための知恵ですよ。殿下の命令をきちんと実行しつつ、令嬢の一件はそいつらの責任として処理されて…問題は片付く」
「で、でも…リオリーヌの事は…?」
ラクアスの察しの悪さにマクロミルは肩をすくめる。
そして、天を振り仰ぐと、
「…あーあ。ここまで来たらもう良いかあ!」
と叫んだ。
そして、見下すような視線をラクアスに向けた。
「…最初から、令嬢を助ける予定など無かったんですよ」
「な」
「殿下、あなただってそうでしょう?今になって令嬢の命が問題と仰いますが、これまでは気にも留めていなかった筈だ。ここまで、あなたの望んだとおりに事が運んできたはずではありませんか。…連れ戻す?匿う?…はは…それが出来なくなったのは、殿下自身が聖女に頼んだ魔法のせいでしょう?あれが無ければまだやりようも有りましたがね」
ふと動いた視界の隅の動きにマクロミルが目をやると、倒れたままだった聖女を騎士が抱き上げて連れて行く所だった。
マクロミルの視線に気づいて返す目礼に、早く消えろと顎で強く指図する。
「何が有ったか知りませんが、元婚約者の身柄の事など、今の今まで考えもしなかったはずだ」
「………」
マクロミルの肩を掴んでいたラクアスの力が弱まった。
「ご令嬢が消える。殿下は自由になる。聖女も皇子に嫁ぐことが出来る。聖女と言う特別な女性を娶られた殿下は、皇子としての信頼も上がり、帝都にて足場を固めることが出来て…そういう筋書き、ですよね?」
くつくつとマクロミルが笑った。
「今の今まで叶っていたじゃないですか。違いますか?」
「……ぐ」
「そして…ここに居る我らは、そんな殿下の計画に便乗しただけですよ。クズ達の存在を消した後、死亡届を利用して見舞金を受け取る…という筋書きで……」
さっきの書類を思い出して、ラクアスは愕然とした。
ここに居る騎士たちは、仲間を殺して金をせしめてきた人間ばかりなのだと青ざめる。
「あーあ。潮時だとは思ってたけどな。予定通り戦争になっていれば、簡単に誤魔化せてたのに。まさか、辺境伯が帝国から抜けるなんて予想外過ぎる」
「戦争?…何の、話、だ」
解らないという顔のラクアスに、マクロミルは心底呆れたという顔を見せて、手近な椅子に腰を下ろした。
そんな不敬な動きをしても、ラクアスには咎める余裕が無かった。
現実と向き合わされ、あまりに雑多な情報を伝えられ、教えられ、気付かされて、全く思考が回っていないのだ。
そんなラクアスを一瞥し、マクロミルは言い聞かせるように口を開いた。
辺境伯と王国の繋がり。辺境伯の強さ。後継ぎと分かっている令嬢にした仕打ちの理不尽さを。
それが原因となって戦争になる可能性を。
それ以上に、帝国の内戦になる可能性が高かった事。
内戦になった場合、王国の後押しを受けるだろう辺境伯の軍勢には、恐らく勝てはしないだろうことも。
「皇帝陛下も皇太子殿下も、身内から出た戦争の火種に巻き込まれないように随分ご苦労なさってましたよ。……ま、それも全部、辺境伯が爵位と領地の返還をして平民になる事で、今まで何事も無く済んだのですけど…皇子の御立場でありながら、分かっていなかったのですか?」
「……そ、れは…」
あの日から今日まで、ラクアスには誰もそんな話を伝えては来なかった。
確かに母からその話はされたが、ただの考えすぎだと笑ったのは自分だったのを思い出した。その原因を作っていながら、自分がずっと考えていたのは、結婚式の準備と装いの豪華さだ。
民衆に見せるために威厳を保ちたい事と、皇子としての矜持と聖女を娶るという誇りの為に、時間の無いままにあれこれと走っていた事しか思い出せない。
「………そんな、私が…」
婚約者を遠ざけたかった。
聖女を娶れば帝国に居られると思った。
そうすることが、国にも自分にも最善の策だと思ったことが……戦争の火種になり、皇帝や皇太子の不興を買ってこの状況になったのだと、ラクアスはやっと理解したのだ。
自分は皇子として呆れられて、諦められたのだと。将来、国の重鎮には必要ないと。
浮かれて笑って楽しく過ごしていたその間、父や兄や…周囲に集っていた人々は、どんな顔をして自分を見ていたのだろう。
「謝る…皇帝に謝らなければ……て、帝都に、すぐに帝都に帰ろう。皆で帰れば…」
全員で謝れば何とかなる!という世迷い事は、帰還したもう一人の近侍、デラッシと、聞きなれた女性の声で掻き消された。
「ラクアス!」
「え、母上?!」
母のゼラが、とても疲れた顔をして立っていた。
「離れ邸にお一人で居られたのでお連れしました」
恭しくお辞儀をするデラッシを無視し、ラクアスは母へ駆け寄った。
「何故、母上が」
「結婚した息子夫婦と暮らすようにと、陛下からご命令を……」
眩暈に似たものを感じ、ラクアスは目を強く閉じた。
母を巻き込んだ事に、この事実に絶望する。
「取り合えず、ここを出よう。出て、」
母の手を引いて歩きだしたラクアスの前に、走り込んできた副指揮官の姿が見えた。
彼はとても焦った声で、皆に向けて叫ぶように言いながら走ってきた。
「大変だ!入ってきた扉が消えている!どこまで行っても石壁が…続いている」
そんな馬鹿なと全員が思う中、ラクアスの震えた声が響いた。
「出られ、無いのか」
そんなはずは無いだろうと、騎士たちが動いた。
厩から馬を引き出して、壁伝いに走り出す。
近侍二人も目くばせをすると、恭しく二人に頭を下げた。
「我々も探してまいります。ご心配なさいませぬよう」
「わかりました。気を付けて」
何も知らないゼラがそう言うと、ラクアスが口を開く前に二人は弾かれるように走っていく。
嫌な予感を憶えつつも、母のそばから離れられないまま、椅子に腰を下ろしていた。
気づけば、空には夕闇が広がりかけている。
使用人が消えたことを思い出して、ラクアスはハルミナを見てこようと立ち上がった。
母にはここで皆が帰るのを待ってもらい、ハルミナに食事の支度をさせようと思ったのだ。
「…ハルミナ?」
入りたくない部屋だったが、仕方なく扉を開ける。
夕闇が濃く広がる室内は、かなり暗い。
ベッドのある方へ足を進めたものの、そこにハルミナの姿は無かった。
「…ハルミナ?…どこへ? …まさか…まさか一人で逃げたのか!?」
そう思ってしまったら、それが真実になってしまった。
「どこだ!ハルミナ!」
放り出してあったプレゼントの剣を拾い上げ、部屋という部屋を乱暴に探し回る。
苛立ち紛れにカーテンを切り付け、まどガラスをたたき割り、ソファーやテーブルをひっくり返しながら、闇に沈んでいく邸の中を当て所なくさまよう。
やがて、遠くに火がぽつぽつと灯ったのは、出て行った騎士団なのだろう。揺らめいて移動していくのが見える。
しかし、邸の中に灯りらしいものは、ただの一つとして灯らなかった。




