☆ 沈みの森の慰め
「申し訳ありません」
二頭立ての護送馬車の中に、罪人の見張りで乗り込んだ騎士は、何度も頭を下げてくれた。
帝国騎士団の第六班だという彼らは、不思議とリオリーヌの事情を分かってくれているようであった。
護送役に付いたのは、若い四人の騎士だった。
御者役が一人、護送警備の騎馬が二人、馬車内の見張りが一人という構成である。
裁判も無しに国外追放なんておかしいと分かってはいるものの、彼らは命令を実行するしか無いのだ。
「申し訳ありませんが、逃がして差し上げられません」
皇帝との面会まで時間を延ばそうと試みたリオリーヌだったが、それは却下された。
「ラクアス皇子から、ご令嬢がどう移動したか判る魔法を掛けてあるとの事ですので、それは出来ないのです…」
「…そう」
と相槌を打ちながら、リオリーヌは簡素な手紙の文面を思い出していた。
新たな婚約者を立てて自分を遠ざけて、それが分かるように聖術を…聖女の魔法を施す計画が成されている…と。
触れられたのはあの時…恐らく彼女がドレスを握った時に施されたのだろうと予想した。身体に魔法は感じなかったから、多分ドレスであろうとは思う。が、パーティードレスのまま、荷物も何一つなく追放されているリオリーヌは、着替える事も出来ない。
注意喚起されていながら、まんまと術中に嵌った自分が情けなくなる。
「…南に向かうのね」
「そうですね」
「…ここまで嫌われているなんて、思いもしてませんでしたわ」
学園のあった帝都から北に向かうと、コンネル領に行き着く。
他国への出入り口、文化の交流する道。
普通、国外追放と言うと、そこへ向かうのが一般的であるのだが。
「…沈みの森ですか」
「はい。そうするように、と、七日前から指示が」
「…そう。そうなの…そんなに前から、もう決まっていたの…」
注意の手紙が着いたのが三日前だったろうか。
あの時はもう色々と…パートナーとかドレスの事も諦めていたリオリーヌは、どこか考えるのを放棄していたと今更に気付いた。だからこそ、「パーティーが終わるまでは、もうどうでもいい」が意識の中で全てに蓋をしていたのだ。
調べていたら、どこかに逃げ道が有ったかも知れないと思った所で……もうどうしようもないが。
はあっと大きく息を吐いて、リオリーヌは目を閉じた。
この騎士たちが丁寧な対応をしてくれている事にとりあえず感謝をしつつ、瞼の裏に二度と帰れない故郷の景色を浮かべていた。
ミルシアナ王国との国境、帝国の北側には、年間を通して雪を頂く高い山脈が連なっている。高い標高と雪は人間を寄せ付けない。代わりに魔獣が棲み処としている、通称『不帰の山』だ。
その麓に広がるのが、リオリーヌの父が治め、護っているコンネル辺境伯領である。
北の山脈に対して東から南にかけては、暗くて鬱蒼とした森林地帯が大きく広く横たわっている。今、帝国の皇帝夫妻が滞在している『ゼント国』との国境だ。
オオカミやクマの他に、魔獣も闊歩する森…うっかり入ったら沈んだように二度と出て来ない事から、『沈みの森』という名で知られている場所であった。
『山』も『森』も、国の間で不干渉地帯になっている。
開墾しても無駄だからだ。
過去に領土の拡張を目指した領主が森の近くに集落を作ったものの、魔獣によって全て消えてしまった…という話を聞いたことがあった。
その出来事以来、森の近くは誰も管理する貴族が居ない空白地帯になっている。
とは言え、長い時間と調査の末、魔獣の少ない場所や時期を選んで森を切り開き、ゼント国まで延びる道が出来てはいた。使うのは護衛を沢山雇える大商人か、貴族がたまに使用する程度で、そこから開発や開墾がされているわけでは全く無かった。
そして夕刻…リオリーヌと騎士は、魔獣によって荒らされて廃村になったと判る場所に辿り着いた。
話に聞いていた通りの荒れ具合と、人では無いものが付けた傷跡は、風化しかけていても嫌なものだ。そこに先の無い自分を見た気がして、リオリーヌは廃屋の隅に力なく座り込んでいた。
希望など持てるはずも無い景色は、明日の自分と同じだ。
誰かが助けに来てくれるとは思えなかった。これが北に向かうならそれもあったかも知れないが、まるで救いの手から隠すように、南に向かったのだ。
希望など消え、ただただ疲れた顔をしたリオリーヌに、騎士たちは皆優しかったが、逃がしてはくれなかった。
自分でも確認できないものの、聖女の掛けたという魔法術のせいであるのは間違いないだろうし、リオリーヌ自身も、もう逃げようとは思っていなかった。
逃げる先が無い、そして悪意と共に追手は確実にやってくる。
…私が何をしたと言うのでしょうね…
あからさまに酷いやり方だった。そして、計画を企んだ人間は、この先に起こる顛末を全く考えていない。…笑えるほどに全く、だ。
…お父様はお怒りになるでしょうけど…その後は皇帝に言い含められて歯噛みしながらお引きになるかしら…
コンネル領にはそれなりの軍が揃っている。内乱を起こそうと思えば起こせるだけの力を持っている。が、そうする父では無いと、リオリーヌは思ってもいる。
親不孝だと、夕闇の中父母の顔を思い浮かべて、ただ俯く事しか出来なかった。
護送用の馬車だったにも関わらず、毛布とシーツが積んであったのは、騎士達にも何か思う所が有ったのだろうか。罪人であるはずのリオリーヌに対して、簡単な寝台まで整えてくれた。
おかげでリオリーヌは屋根のある廃屋ではあったが…一応は横になる事ができた。
一応扉の付いた部屋で、勿論鍵なんて付いてもいない。逃げようという気持ちはもうとうに無かったけれど、遠くからずっと異様な鳴き声が響くだけで、その気持ちは削られていたに違いなかった。
言葉少なく廃屋にて一晩を過ごし、再び馬車に乗せられる。
罪人として、ほんの少しの温かい薄いスープと乾いた食料を与えられただけのリオリーヌは、そのまま森沿いの景色を眺めているしかなかった。
「ご令嬢」
対して進まないうちに、不意に掛けられた言葉にびくりと肩が震えたが、リオリーヌは何も言わずに顔を上げた。
ゆっくりと馬車が止まり、扉が開く。
目の前には、壁のように暗い森が広がっていた。
後ろを振り返ると廃村の朽ちた門が見える。村外れ、森のギリギリまで移動しただけだと気付いた。
叫び出したい衝動を理性が押し留めたが、足の震えは誤魔化せないまま馬車から降りる。
「申し訳ありません。国境まで御供はできませんが、ここからは歩きになります」
「…そう」
暗に森に置き去りにすると言われて、リオリーヌは深く息を吐いた。
「少しだけ道案内を」
「…そうね。お願いするわ」
人としての会話は最後かと思いながらリオリーヌは力なく笑う。
彼らの手で殺されるなら、街道沿いから見えない奥の方が良いのだろうとぼんやりと思う。
「あの、ご令嬢…」
「はい?」
「…たんぽぽの群生地が…今だと綿毛がたくさん飛んでいると思うので…せめてそれをお見せしたい」
予想外の誘いに一瞬きょとんとして、リオリーヌは思わずその兵士を振り仰いだ。
今まで彼らの顔はわざと見ないようにしていた。間違っていると分かっているのに、なぜ助けてくれないのかと、責めたり恨んだりしたくは無かったからだ。
彼らの方が苦しいとリオリーヌには解っていた。皇族からの直接命令なのだ。抗えるはずもない。
その言葉の主は、馬車に同乗してくれていた彼だった。よくある茶色い髪と目をしていて、右眉の上に刀傷が残っているのが小さく印象に残る。
「たんぽぽ…ですか………そうね。それはきっとステキね」
騎士二人に挟まれるように森に入って、どれくらい歩いただろうか。
ドレス姿のリオリーヌでは、そんなに距離が稼げたとも思えないが、やがてその場所に辿り着いた。
ドレスはもう、裾は裂けて身頃は汚れて無残な状態になっている。それが死出の旅路の衣装かと情けなくもあったが、案内されたその場所、目の前に広がる光景は素敵なものだった。
森の中の開けた場所には、暖かな陽の光が満ちていた。
それを吸い込んだかのように、地面低く咲き広がる黄色いたんぽぽ…花の終わった株から、大きく膨らんだ綿毛が、緩やかに吹く風に乗って空高く舞い上がっていく。
その周囲の少し陰になる場所や木々の根元には、小さな白い花が群れ咲いて、華やかでは無いが優しい花畑になっていた。
一人の騎士が周囲を見張り、もう一人がリオリーヌと共に花畑の真ん中まで付いてきてくれた。
「…ここでお別れです」
馬車内に同乗していたあの騎士であった。
「…よくご存じでしたのね、この様な場所を」
「昔、近くに住んでおりましたので」
あの廃屋は彼の思い出の場所だったのかと気付き、リオリーヌは頭を下げた。
「ありがとうございます。良い思い出になりましたわ」
「ご令嬢…」
「罪なく死なねばならない事に憤りはあります…けれど、何だか馬鹿々々しいというか…どうでも良くなってしまいましたね…父母や領民には申し訳ないのですけれど…ここまで来てしまってはもう………ふふっ…どうにもなりませんしね」
国のためにと考えて、学び、働いてきたはずであった。自分も伴侶と力を合わせて、国のために尽くすつもりであった。
その思いが、考えがあっても、自分の存在そのものが裏切りの象徴だと論われてしまっては、もうどうにもならないし、関係が戻る事も絶対に無いのだろう。
「どうか皆様は…命令に従っただけです。ここを離れたら忘れて下さいな…だから、気に病まないで頂けると…嬉しいわ」
「……勿体ないお言葉です」
不意に差し出された騎士の手を、リオリーヌはそっと握り返していた。
ふわりと風が舞い、綿毛を天高く舞い上げる。
「………私も」
それを目で追いながら、思わずリオリーヌは呟いていた。
「たんぽぽみたいに飛べるかしら」
その小さな声に、騎士は両手でリオリーヌの手を握りしめた。
それに少しだけリオリーヌは目を見開く。
どこかで甲高く、ピー…ッと鳥が鳴いた。
どこからかそれに答えるように、同じような鳴き声が繰り返される。
ひとしきり力を込めて握られた手が、リオリーヌからするりと離れていく。
無言で遠ざかっていくその背中を、舞い上がる綿毛が覆い隠した。
そうして…
そっと…自分の手の中に残されたそれを、リオリーヌはしばし呆然と眺めていた。




