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☆ 膨れ上がる夢

「聖女との婚儀を認めよう」


 あのパーティーから十日目。


 皇帝の執務室に呼び出された皇太子キルレと第三皇子ラクアスは、聞き間違いでは無いかと、父である皇帝の顔を見遣った。

 叱責を受けてきつい処分を覚悟していた…特にラクアスにとって、予想外の言葉であった。


「宜しいのですか」


 キルレがそっと訊ねる。皇帝ゴドリーはただ口の端を苦く歪めた。


「こうでもせねば収拾が付かぬわ。すでに無視はできぬだろう」


 ここでラクアスと聖女を罪に問えば、噂を疑いもせずに酔っている、平民たちのいらぬ反感を買う。

 何しろ世間でのこの二人は、悪を糾弾し、愛を貫いた素晴らしい恋人と認識されてしまっている。


「……あ、ありがとうございます」


 少し後ろで控えるように立っていたラクアスが、嬉しさを溢れさせた声で礼を述べた。

 先日、自分に見せていた絶望的な顔色を忘れたその姿に、キルレは内心呆れていた。


 実母に話して、己が何をしたのか解ったはずではないのか。

 その影響と今後の事…帝国にとって酷くまずい事態になるかも知れないという、危機感も憂いも無いと言うのか。


 少なくとも、あの話をした時点でゼラ妃はそれなりに把握していたようだが、彼女ほどの危機感がラクアスから全く感じられない。

 五日ほどあった。教えられるなり、諭されるなり、話し合う時間はそれなりに在ったはずだ。

 その上で…その上でこれなのかと…下の弟皇子の中身が、考えが全く見えなくて、キルレは唖然とするほかは無かった。


「神殿との協議次第では、すぐに決まるであろう。…ただし、ラクアス」

「あ、は、はい」


 隠せない嬉しさに僅かの困惑を浮かべて、すこし間の抜けた返答をしつつ、ラクアスは皇帝に向き直った。


「今回の事、許されたわけでは無い。式は縮小し、神殿内で小さく行うだけだ。文句は無いな?」

「ご、ございません、陛下」


 ふっと不満そうに唇が揺れたが、それをごまかすように言葉を発したのをキルレは見逃さなかった。


「その後…これだけの騒ぎを起こしたのだ。今後、皇帝と皇太子、第二皇子の命令には絶対に従うと誓え。それが呑めぬなら、今の話は無しだ」


 そう告げられたラクアスが、ほんの少し迷う素振りを見せた。が、直ぐに何かに思い至ったのだろう。何かを強く決めたらしい視線を、皇帝と皇太子に向けた。


「誓います。ですからどうか、ハルミナと結婚を」

「……良いだろう」


 皇帝はそう言うと、文箱から一枚の真っ白な書類を取り出した。

 それを机に置くと、ラクアスに手を置くように言い、その上に自らの手を乗せる。


 そして、先ほどラクアスに誓わせた言葉をもう一度繰り返し、ラクアスも同じように誓いの言葉を述べた。


 シュウッと魔法の力が紙に走り、誓約書の形態となる。

 手を退けると紙は二枚に分かれ、一枚はラクアスに、もう一枚は別の文箱へとしまわれた。


「…この様なものをご用意いただかなくても、私は…」


 誓いを反故には致しません。と、真面目な笑顔を浮かべて続けようとしたラクアスに、皇帝は下がれとただ手を振った。


「父上!」


 この場所。皇帝の公的な執務室という場所で、皇子だからこそ、その言葉は有り得なかった。特に今、学園を卒業したことで、既に成人という扱いになっているのだ。

 その甘えの言葉がまだ躊躇いなく出ることに、皇帝はきつく眉を潜めた。


 皇子らしい皇子と言う見た目のラクアスは、今まで周囲に愛され、甘やかされて来てはいた。成績や剣術などは兄達には及ばないまでも、酷く劣っている訳でも無く、それなりに成長していると思っていたのだ。

 けれど、この状況においてなお、悪びれもせずにそう言い放つ顔を見て、ゴドリーは奥歯を噛みしめた。婚約者を決めた時に逆らいもせずに従ったのは、その重要性や意味が分かっていた訳では無く、今の流れのように、ラクアスにとってはただの、その場しのぎでは無かったか?と思い至ったのだ。

 周囲に見せる大人としての立ち回りと、見目好い姿に隠されてきたのは、大人の貴族…そして為政者としての思考が、全く育っていない中身だ。

 それにはっきりと気付いてしまうと、今の見た目の印象は、考えと思慮の足らない軽薄さに加え、権力に守られて我を通す、取り柄の無いわがままな皇子となっている。

 国のトップからも、家族の立場と視点からも、頼りにならないどころか愚鈍な皇子と位置づけられた事に、本人だけが気付いていなかった。


「既にお前は、契約を無断で破棄しているのだぞ!その口が何を言うか!」


 皇帝からのきつい言葉に、ラクアスは一瞬真顔になったものの黙り込む事は無く、


「皇帝陛下と辺境伯では、重みが違います……」


 と、口の中でもごもごと呟いた。


「解ったならば、下がれ。色々と準備もあるであろう」


 皇帝の苛立った声音であったが、そう告げられた途端に、ラクアスは驚くほど表情を明るくした。

 横からそれを眺めていたキルレは、思わず目を見開いていた。


「はい!ありがたき幸せにございます! では、失礼いたします!」


 下げた頭を上げる時間ももどかしいように、無作法に辞して行くラクアスの背中が、勢いよく開かれた扉の向こうに消える。

 それをキルレは唖然と見送り、皇帝ゴドリーは大きく音を立てて閉まった扉に、冷たい視線を向けていた。


「…まさか、辺境伯ご令嬢の安否を訊きもせぬとは…な…」

「私も意外でした。仲も悪くなかったと報告されていましたが…そこそこ付き合ってきた相手を、ここまで切り捨てている事には驚きです。謝罪なり、自らの今後の立ち回りなど、不安に思う事などいくらでも有るでしょうに……」


 ラクアスの頭の中には、婚約者だった御令嬢の事と、それに伴っていたはずの自分の将来が、全く存在していないようだと気付く。


「しかし…最初は逆らいもせずに、令嬢と上手くやっておったでは無いか」

「恐らくですが…その間に少しづつ、周囲の者の言葉に踊らされて行ったようです。悪意ある辺境の噂や、令嬢に対する侮蔑の言葉を、自分で調べもせず、伝えられたことをそのまま信用していたようです」


 皇帝はゆっくりと髪をかき上げて、心底呆れたというため息を漏らした。


「………仕出かした事への影響を考えもせず、したことも顧みず、自らが持つ力の意味を欲だけに向けるか。…わが息子とは思えん愚かさよの」


 その言葉にキルレは、思っていたことをきちんと両親に伝えるべきだったと反省していた。

 けれど、母の違う弟の素行に口を挟むのは余計なお世話ではと、子供ながらに考えたのだ。色々なしがらみが重なり合っていると理解もしていたキルレは、伝えることが出来なかったのだ。

 それに、子供の自分が気付くような事なら、大人なら分かっていると思っていたのもある。

 自分も、教育係や指導者に個人的に呼び出されて、裏で叱責を受けたことが有る。

 弟二人も…ニーズセンはそうされているのを見たことが有ったので…全員そういう教育を受けていると思っていたのだが。

 子供目線でしか見えない事もあったのかと、父である皇帝の沈んだ呟きに心が痛かった。


「……今更ですが…ラクアスは子供の頃から、難しい事から気持ちが逃げておるように見ておりました。昔から嫌な事や辛い事は避けるのに、それでいて同じ指導を受けているニーズセンを笑って、張り合う事だけは止めませんでしたから」

「……ああ。なるほどな」


 ゴドリーは椅子の背凭れに重く身体を沈めた。


「その見栄の為の聖女か。下らん考えを起こしおって」


 近い将来、ニーズセンは皇太子の補佐として据える予定でいた。その姿を近くで見て過ごすよりは、剣の腕が有ったラクアスには、辺境で己の力を奮う方が良いであろうという、周囲の思惑もあった。

 勿論、辺境伯の持ちすぎる武力を、皇家支配下に置くという意味もあったが。

 婚約の話が出た時に、その話をしたはずだった。しかし今の様子を見る限り、その考えや思惑の事など、無関係と考えている節も見えた……いや、あった事さえ忘れ去っていると言うのか。


「聖女、か…神殿側からは、何か?」

「…何も、です。事が有れば連絡が参ります」

「対応が遅れたこちらの出方待ちなのだろうな」


 不意にこの世界に現れた『聖女』という稀な存在が、鬱屈とした思いを持っていたラクアスと出会った事が、悪かったとも言える。

 特別な立場と力を持つ存在は、それを所有した人間の、社会的な立場と価値を変えることが出来る。

 聖女と出会ったラクアスが、そこまで自覚していたかどうかは分からない。が、ラクアスの持っている強い自己顕示欲を知っていた周囲の人間が上手く囁いて導き、それにわざと気付かせたように思えた。

 都合のいいように進まされ、恋情に流され、何も考えず、立ち止まる事もしないまま、ラクアスは進退窮まったこの局面まで来てしまったとしか思えない。

 その証拠のように、さっき聞いたパーティー会場でのラクアスの物言いは、皇帝も周囲も驚くほどに尊大であった。

 そして、あまりにも良すぎたその手際は、ラクアス一人の考えではない事が分かってしまう程には明白であった。


 ただその最悪の状況を、本人だけが解っていない。


「…踊らされているのに気づきもせぬ愚か者め。……此度の事、私が居らぬうちを狙ったのは分かっておるわ」

「申し訳ありません。目が行き届きませんでした」


 キルレは深く謝罪する。


「…愚かな上に小賢しい、か」


 ふう、と天井を仰いで、皇帝は目を閉じた。


「キルレ」

「はっ」

「帝国領は縮小せざるを得ない事になったようだ」

「…陛下?」

「辺境の英雄が消える事となった。もう、戻らぬ…どうあっても、戻せぬ」


 差し出された書状は、爵位と領地を返納するというもの。

 それを見たキルレも頭を抱えた。


「こんな、こんな下らない事で、あの防衛網が消えるというのですか!」


 しかし、元をただせば皇家の失態であった。国の弱体化を、その国のトップが原因で招いたのだから。

 そして何より腹立たしいのが、それを引き起こした原因が、それを全く理解していない事にある。 


「頼みの綱の令嬢も…手遅れだった」


 皇帝から見せられた箱の中の大きなエメラルドのネックレスは、どす黒く血に塗れて、良く見れば髪の毛らしきものもへばり付いている。獣や魔獣のそれではなく、手入れされていたらしい艶やかなその色は、キルレも良く知っている茶色をしていた。

 華やかなパーティー会場から、いきなり森へ捨てられた令嬢の恐怖を思うと、キルレの口からうめき声が漏れた。


「そしてこれだ」


 机の上から徐に聞こえてきた魔法石からの会話に…キルレの顔色は瞬く間に青くなっていく。


「本当、だったのか……なぜ…なんて馬鹿な……事を…」


 報告された新聞記事を読んで得ていた話の流れ。半分は嘘や創作だろうと考えていたが、ほぼ真実だった事に今更ながらに驚く。

 

「どうにも償いきれぬか…」


 皇子が非公式に、無実の貴族の令嬢を公の場所で処分した。その家にもあらぬ疑いと蔑みの言葉で泥を塗った。

 ただ、気に入らないという理由だけで。

 周囲をどんな美談で飾り立てようとも、その事実は決して消えないのだ。


「大勢の前で婚約者を蔑ろに出来るほど、よくここまで誑かされたものだの」


 皇帝のその疑問にキルレは頷いた。実際、この音声を聞いて、自分もそう思ったからだ。


「調べた報告では、…聖女と知り合ってからはのめり込むようだったと、報告を受けました」

「なるほど…」

「あと、聖女との仲を近侍候補達が焚きつけていた話と、辺境関係の噂を話していたのも彼らが中心だったのではないかと報告を受けています

「止めるでなく、か?」

「はい。おそらくこれは近侍候補側の思惑でしょうが、あの愚か者はそれに気付かなかったかと」

「……何かしらの利害の一致か。なるほど」


 皇帝は苦い笑いを浮かべた。


「それでいて結婚は…責任はどう取らせるお積りですか」

「もちろん取らせる。国を危険にさらし、国益を大きく損ねたのだ。責任ある皇子であるわが子だからこそ、黙っている訳には行かぬ」


 皇帝の言葉にキルレは息を呑む。

 視線だけで射殺せる、そんな恐ろしさが、皇帝の背中から溢れているように見えたからだ。

 キルレは一度深呼吸をすると、一連の事で報告をしていなかった件を思い出した。


「陛下。…それと共に、色々とおかしい点が出てきております」


 ラクアスの近侍候補の動きに加え、騎士団での不可解な問題点について報告する。


「なるほど。早急に調べ上げろ。」

「はっ」


 皇太子として、確実にやり遂げなければならない案件だと、キルレは背筋を伸ばした。










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