☆ 真相からの逃亡
帝国騎士団・第六班に所属しているのは、現在ケールたち四人だけだ。
『その命令』が、六班の全員に『口頭』で伝えられた時、ケールは前日聞いたばかりの、幼馴染の話を信じるしかなかった。
そして同じように、自分たちの運命が大きく動き出したと確信した。
ケールたちは帝国騎士団・第六班などと言う括りになっているが、それは騎士団内だけの事である。
表向きの本当の所属は、第五班である。
帝国騎士団の班分けは、高位の爵位を持つ貴族とそこに繋がる貴族関係から順に組織され、分けられている。
そこからも分かる通り、この五班に所属する騎士は、低位の爵位持ちの子弟と平民出身者で固められていた。
何か大事があれば、真っ先に命令が下される班であり、そしてその手柄は何故か、他の班のものになるのだ。
そして、表に出せない汚れ仕事も、だ。
その汚れ仕事を負わされるのが、第六班という名前に括られた者だった。
ケールが希望に満ちて騎士団に入団した時、六班に配属されたのは、見習い期間のようなものだと思っていた。
平民だから仕方ない一面もあると思っていた。
しかし、そこで忙しく日々を過ごすうちに、何となく違和感を覚えるようになっていった。
やがて、仲間内の雑談から、その正体に気付いてはっとした。
…六班に所属しているのって、身内が居ない者ばかりじゃね?…
自分の当たり前が、気付かせるのを遅らせたのもあったが、それが間違い無いと気付いた時……その意味を一人考え、勘繰るようになっていた。
やがて、任務を受けたという六班の仲間が、その途中で亡くなったと聞くことが、間は空いたものの続いた。
それも、なぜか帝国の法律を破って捕まり、地下牢で拷問を受けて死んだとか、違法な品物を他国流そうと隠し持っていたのがバレて、処刑されたとか。
騎士団のメンツのためにと隠蔽され、緘口令が敷かれ、その悪行や経緯が広く知られることは無かったが、団内部での六班への風当たりはそれは酷いものになっていった。
仕事も増やされ、厩番や装備のメンテナンスなど、汚れる仕事ばかりが押し付けられることが多くなり、剣の練習時間など全く与えられなくなっていた。
そんな中ケールは、どうしても信じられないまま過ごしていた。
まず、死んだ彼らが受けた任務内容の詳細を知ろうとした。彼らは仲間として付き合っていた限りは、そんな人間では無かったからだ。騎士として強く、騎士として真っすぐに生きていこうとしていた人達だ。それが、何故そんなことを?
その時から、騎士団そのものに物凄く嫌なものを感じ始めていた。
そしてその『嫌なもの』は、それとなく意識して見ていると、だんだんとはっきりしてきたのだ。
六班への命令は、口頭でしか伝えられない事実に気付いた。
疑問に思い、殴られるのを覚悟で上に一度訊ねたら、
『六班に集められたお前たちには学が無い。特にお前は孤児院出身で、まともに字が読めないだろう?だから私は親切でそうしているのだ』
と、吐き捨てるように言われた。
その上官の目が泳ぐのを見て、ケールは嘘だと確信する。
しかしその時は、
『ありがとうございます。恥ずかしながらその通りです。団長殿の深い思いやりに心から感謝いたします』
と、深く頭を下げておいたので、殴られることは無かった。
やがて、字が読めないと思われたケールは、重い書類運びをやらされることが増えた。
団長の執務室に出入りすることが、ごく当たり前の仕事になっていく。
立ち回るその姿と仕事が、自分にも周囲にも馴染んだ頃。
ケールは決定的なものを見る機会を得た。
投げ出すように置いてあったのは、獄中で死んだはずの仲間の死亡報告書だった。しかし何故か、魔獣退治で亡くなった事にされている。
名前の下には、国からの見舞金として、少なくない額が書かれていて…その受け取りが、全く知らない、聞いたことも無い、ましてや居るはずの無い、彼の家族だという。
けれどケールはその筆跡を知っていた。
それは五班の事務方のもので、承認サインはきちんと五班団長の男爵のもので…
…ああ、そうか。俺たちは…
平静を装えたのは奇跡に近かったと思う。
知らぬ素振りで、丁度持っていた書類をその上にきちんと重ねた。
後ろに居た事務方の視線が怖かったが、いつもと同じ仕事しかしていない。
その日の書類運びと掃除を終えたあと、表情を繕いながら、一人宿舎に戻った。
この先どうしたらいいか分からないまま、与えられた個室の扉を閉め、『ああ、やっと一人になれた……』そう気が抜けた時だった。
『どうしても、文字の読み書きと計算だけは覚えてもらいます!……でなければ、剣の先生に、今すぐ、あなたの指導をお断り致しますわ!』
その言葉と光景が、唐突にケールの脳裏に蘇った。
怒っている令嬢の後ろには、剣聖と世間が畏怖する男が、困ったように苦笑いをしている。
「わざわざ呼んできた師匠が、真後ろにいるっつーのにな」
くくくっと思い出し笑いをして、ケールは粗末なベッドに横たわった。
「ああ…リオ様。あなたは本当に…本当に正しかった……」
剣聖からの剣の指導という最高の「飴」が欲しくて、嫌々勉強という「鞭」を受け入れた。けれど、文字も計算も憶えてしまえば、何があんなに嫌だったのかと思ったくらいに、色々と面白くなったことを思い出した。
それに、読み書きが出来るようになったことで、師匠とのやり取りも密になっていった。
師匠も最初のやり取りを見ていたせいか、指導中にメモを取らされたり、反省文を書かされたりが当たり前になっていた。しまいには遠くに出かけた師匠に向けて手紙を書かされ、いつの間にか正式な手紙の書き方まで仕込まれていたんだよなーと思い出し、今更ながらケールは笑うしかない。
「そう、『侮られないために』」
小さな領主様の希望と願いだ。
何度も何度も、お節介だと嫌に感じるほど、繰り返し聞かされた言葉だ。
ケールはむくりと起き上がると、もう一度状況を整理する。
この夜を境に、真剣に考え始めた。
この先どう立ち回り、自分と仲間を助けられるかと。
ケールがまずやったのは、仲間に文字を教える事だった。
残った全員が孤児院出身だったが、そこで受けた教育内容にはかなりの格差があったのだ。キャロは何とか読み書きが出来たので、残りの二人に、あやふやでは無く、しっかりと自分の名前を書けるように練習を繰り返させた。
それを見ながら、ケールは嫌な確信を持っていた。
騎士団の試験は基本、剣技が出来れば誰でも受けることが出来る。
しかし、実技試験をそこそこの成績で通過しただけで、筆記試験を受けることなく、自分は五班に配属させられていたのだ。
五班に正式に配属された平民出身者は、試験を受けてきちんと通って来た者だったのに。
そして、もう一つ。
今お互いに名乗っている名前は、ここに所属して与えられたものだ。
六班として集合させられ、今から与える名はここでの愛称だから、これからはそれで行くと団長から言われれば、嫌という訳にはいかなかったのだ。
つまりは最初から、何があってもあと腐れが無いように、別人として登録されていると思われる。
もしも誰かが訪ねてきても、試験に落ちたその後は知らないと言い抜けるのに使うのだろう。そしてそれは、今迄うまく運んでいたのだろう。
まず、自分の本名だけを書けるようにする。
それが出来るようになったら、正式に使用できる身分証を、探索者ギルドという外部でこっそり作らせ、同時にそれぞれに合った武器を買わせた。
三人の説得には、騎士団を辞めた後、つなぎの仕事としてすぐやれるようにするためと言いくるめた。
本当にそうならそれで良いと思っていた。
出来るなら、騎士団から円満に出た方が良いからだ。
と、そこまではしたものの、ケールはそれ以上にはどう動いていいのか分からないままに過ごす日々が続いていた…のだが。
七・八日前だったろうか。
ケールは休みの朝から幼馴染に呼び出されて、探索者ギルドに併設されている酒場のテーブルに着いていた。
そこには久しぶりに会う年長の幼馴染もいて、一体何事かと身構えた。
そして…我々の恩人に、命の危険が迫っているかも知れないと伝えられる。
その時のケールには、その実行されるかどうかも分からない計画に対して、何も出来なかった。今の立場的に大きく動くことも出来無い。
騎士団に何か動きがあれば伝えるというだけで、その時は別れたのだ。
しかしその次の日。
整列した六班だけを前に、口頭で告げられたその命令に、ケールは俯いたまま、拳を握りしめる事になったのだ。
学園の卒業パーティー時に炙り出された犯罪者をその場で確保、国外追放は既に決定している為、そのまま護送する事。
追放先はゼント国方面とする。
任務期間は三日。
ケールは知っていた。三日で隣国ゼントまで、普通の旅程では辿り着くことすら出来ない事を。
つまり、令嬢を命令通りに国外へ連れて行けば、日数がオーバー。
命令期限の通りに三日で帰還すれば、令嬢を国内で逃がした事になり、命令違反となる。
命令された任務は、どう処理したとしても、絶対に中途半端な遂行具合にしかならないのだ。
そしてそれは、命令違反と言う言い掛かりに繋がっていくと容易に予想できた。
ケールには、六班が地理的なものを知らないと踏んでの命令だと確信できる。
そしてその予想は当たっているようだ。三人の顔には疑問の一つも浮かんではいないし、上に思惑がある事さえ、全く気づいていなさそうだ。
そもそも騎士団は、人の住まないゼント方面には用が無いからだ。距離的なものは把握しているだろうが、今回皇帝陛下がゼント国へ訪問することになって、初めて派遣されて出向いた位では無いだろうか。
用は済んだと言わんばかりに背を向けた、上官の背中を目で追いながら、ケールはたった一人、必死で、使えると思われる全てを頭の中に描き出す。
あれもこれもと浮かんだそれを、纏め切れないまま、その場から歩き始めていた。
そして……そこからどう動いたのか………後で思い返しても、ケールはよく思い出せなかった。




