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☆ 天上よりの啓示


 クルニは辺境伯領の孤児院育ちだ。

 しかしこれまでに色々と恵まれて、帝都の学園の奨学生にまでなる事が出来た。

 帝都ではそういう奨学生を支援するミニト男爵に助けられ、下位貴族のマナーまで学ぶチャンスを得ることが出来ていた。


 そして今、クルニは胸を張って卒業の時期を迎えていた。卒業後は城のメイドとして就職も決まっている。

 今までの成績から言えば、メイドとして働くのは勿体ない事かも知れなかった。けれど卒業を機に、仮親となってくれていた男爵の庇護を離れる事になっている。平民でしかない辺境の孤児院出身の自分には、これでも良かった方だろうと納得もしていた。

 この後に続く子は、辺境伯領からならきっと来る。そしてその子に自分の知識を渡した後は、辺境伯領に戻って、今度は送り出す方になろうと考えていた。

 クルニは、そんな確信にも似た思いを巡らせて、新しい自分に思いを馳せながら……生活の変化に合わせるために、色々と準備に忙しい時であった。




 その日。

 学校での授業に出なくてもよい日で、クルニは研修も兼ねて城の下働きを手伝っていた。

 メイドとしての仕事は、配属されてから覚えるつもりだ。でもその前に、城の中での動線や主要な部屋の場所、他の仕事の主な事や時間などを、大まかにでも一通り知っておきたかったのだ。その旨を管理官に伝えて、了承も貰っている。


 今日は指導に当たってくれた先輩の指示に従い、コツなどを聞きながら床を磨き、窓を拭き、洗濯物を干し、食器を洗い、拭き上げ、ゴミを捨て、野菜くずを運び……

 手伝う事はたくさんあり、短い時間でも良いから一つでも体験したいクルニは、色々やらせて貰っていたのだ。

 気が付けば午後の遅い時間が迫っていた。食事の仕込み時間が近付くと、クルニは厨房には入れない。指導してくれていた先輩も傍に見えず、急に仕事がぷつんと途切れてどうしようかと思った時、メイドの一人から声を掛けられた。


「あの、あなた、手が空いてるかしら? 出来れば庭の灯りを灯すのを手伝って欲しいのだけど…」


 一緒にやるはずの人が熱を出してしまったとのことで、クルニは喜んでそれを了承した。

 灯火道具と言う名の、腕位の長さの棒の先に魔法力を込めた石が着けられたものを受け取る。その石を庭園灯に向ければ良いと教えて貰った。

 クルニには魔法の力は無いので、一旦は断ろうとしたが、これはその力を持たない人のための灯火道具だと教えられた。近くの庭園灯で試しにやってみた所、簡単に出来たので、クルニは手伝う事にした。

 先輩メイドから、多少点け漏らしがあっても叱られない、城の裏側に当たる庭園の担当を頼まれた。受け持ちのルートを確認すると、かなり広そうだ。しかし、城内に不慣れなクルニでも、庭園の縁をなぞって歩くくらいはできそうだと思えたし、こんな仕事はもうやれないかもと、クルニは素直にそこへ向かった。

 庭園灯は木々に隠れない、少し高い位置に設置されていて、夕空に黒く硬質な質感を浮かべている。初めてのクルニでも、まず見落とすことは無かった。

 何かを指図するかのように、灯火道具の石を近付けると、水晶の透き通った火屋の中にぽぅ…と頼りなく灯りが灯る。だんだんと暗くなる闇の中、増えていく光が幻想的に連なっていき、木々を浮かび上がらせてつつ、その存在感を増していく。


「ああ、きれいね…。夜でも庭をこんなに明るく出来るのね……」


 いつの間にか、目の前の非日常が楽しくなっていた。

 灯しては振り返り、次を探し、見付けては夢中で灯すうち…ふとクルニは迷ってしまった事に気付いた。

 先に見える庭園灯が既に灯されている。淡い花の香りが漂ってきて、急いで暗がりの中を見渡した。そして…さっきまでいた庭園の拵えとは、何となく趣が違うのに気付いた。


 …ああ、いけないいけない!…


 暗い中うっかりと先輩担当の城の正面側まで来てしまったのか、もしくは入ってはいけない場所に迷い込んだか。何にせよ面倒事になるのは分かっていたので、クルニは急いで戻る事にした。

 灯し忘れを確認しながら戻れば良いかと、足音に気を付けながら振り返って歩きかけた時…


 頭上から聞き捨てならない言葉が降ってきたのだ。



「聖女ハルミナ………私と将来結婚して欲しいんだ」



 知らない声なら、その場を急いで離れていたと思う。

 けれどクルニは、その声を良く知っていた。学園で良く聞く声だ。

 そして、その声の持ち主が、自分が敬愛するリオリーヌ様の婚約者だという事も。


「ラクアス殿下…」

「君が、良いんだ。どうしても」


 二人はクルニの頭上、二階のバルコニーに、話しながら出てきた所だった。

 せり出した真下…自分の足の下に人がいるなんて思ってもいないのだろう。


 クルニは出来るだけ壁に身を寄せ、身を小さくして蹲った。


「今の婚約者様はどうなさるの?これからも顔を合わせ続けるのは、私とても嫌よ」


 聖女が戸惑うことなくそれを受け入れたことに、クルニは少なからず驚いた。

 今婚約者として存在している貴族令嬢の事…その気持ちや立場や将来の色々を…何も推し量る事無く、全く考えていない口ぶりだ。


「婚約が破綻したという事実を…先に作ってしまおうと思っているんだよ…大勢の人の前で宣言してしまえば、反論もし辛い。すぐに向こうも諦めるさ」

「大勢の前?」

「ああ。学園の卒業パーティーがあるんだ。その時にね。そうだ、一緒にハルミナを新しい婚約者として紹介してしまおう。…ちょっと慌ただしいけど良いかな?」


 あんまりな計画に、クルニは思わず上を振り仰ぐ。

 貴族の決まり事を全て知っている訳では無いが、平民から見ても有り得ない仕打ちだ。

 いや、平民同士でもこんな事をしたら大問題だ。

 契約の一方的な破棄が、簡単に出来る訳が無い。


 でも、それを、この国の皇子の一人が画策している。


 それを当たり前のように話す事と、それを疑う事無く受け入れている、聖女らしき女性が、怖い。

 

「あ、え、そんな…あの、学園ってお邪魔したことも無くて…いきなり行くって…何だか恥ずかしいわ……」

「大丈夫、ハルミナはとてもきれいだよ。他の男に目を付けられる前に…だから少しでも早く婚約してしまいたいんだ」


 自分だけに都合のいい事を…と、憤る人物が足元にいるなどとは夢にも思わずに、皇子は実に軽く続ける。


「丁度、皇帝夫妻が外遊に出ている時なんだ。帰国された時には全て新しくしてしまっておけば、何の問題も無いよ」


 そんなに上手く行くはず無い!と、クルニは頭を抱えた。

 クルニでさえ、この婚姻の理由と重要性は何となく解る。

 決めたのは皇帝と辺境伯のはず。それを蔑ろに出来るはずなど無い。


「ただ…今の婚約者と顔を合わせて貰わなければならないと思うが」

「…でも、でも……心配だわ、私…」

「気にしなくていいんだ。適当に決められただけの、大した女じゃないから。国の一番端の…まあ田舎だな。そこのちょっと大きな貴族の娘さ。聖女の君とは雲泥の差だよ」


 ふざけるなー!と、クルニは叫びだしたいのを必死で堪えた。

 リオリーヌ様の事、何も知らないくせに! と、手にしていた灯火道具にすがるように額をこすり付ける。

 貴族でも辺境育ちと言うだけで、ここまで酷く言われるのだと…皇子の知識の無さに苛立ちが止まらない。


「…でも、そこで睨まれたりしたら、怖いわ」


 リオリーヌ様がそんなことするかー!

 目の前に聖女が居たら、この灯火道具を振りかざしてしまいそうだ。

 そんな怒りで思わず立ち上がりかけたクルニの動きを、皇子の次の言葉が縫い留めた。


「大丈夫だよ、その場ですぐに追い出して、私たちが二度と目にしない場所に追いやってしまうから…」


 二度と目にしないって、どういうこと?


 クルニの中に言い知れない不安が広がった。


「そうだ、ひとつお願いがあるんだ」

「何でしょうか? うふふ……殿下のお願いでは断れませんね」


 最初から断るつもりのない声音で、聖女が可愛らしく笑う。


 追跡するための聖魔法をリオリーヌ様に施すという企みに、クルニは目を見開いた。

 皇子の黒々とした本気を見たような気がして…二人が室内に入って行った途端、転げるようにその場から離れる。




 その後、クルニがすぐにやれたことと言えば、辺境伯とリオリーヌに注意喚起の手紙を送る事。

 男爵に相談して、魔法石を手に入れる事。



 そして、自分の味方になってくれそうな人と、連絡を取る事であった。








「それで、これがあの時の出来事です」


 コトンとテーブルに置かれたそれを、トルカナはただ眺めた。


「これは?」

「音声だけですが、あの場での記録です。ミニト男爵様に用意して頂きました。音声を記録できる魔法石です」

「…ほう」

「お聞きいただいて、価値があると思われましたら、男爵に代金をお支払いを頂けると……」


 もじもじと言うクルニの様子に、トルカナは察した。


「まさか、君が代金を払ったのか?」


 魔法石は、貴族の邸に仕える下働きの者たちに、仕事や作業を円滑に回すために必要な物として、火や水を供給するための物が安価で一般的だ。

 しかしこれはこの特殊性からして、入手自体が困難であり、かなり値も張ったであろうことが察せられた。

 この令嬢が貴族の家に仕えたとして、十年分の賃金で賄えるかどうかも危うい。


「お恥ずかしい事ですが、出世払いにして頂きました…ので…出来るならば、です」

「…なんと思い切った事を…」


 そうなると決まったわけでも無いのに、自分に大きすぎる借金を作ってまで何とかしようと動いた娘に、呆れのような感心のような、小さな感動に似たものを感じてトルカナは苦笑した。

 そしてそうしても良いと思わせたのは、間違いなくわが娘のリオリーヌであった。


「聞かせてもらおうか」

「あ、あの」


 心配そうな視線に、何か?と視線で問う。


「とても酷い内容なので、そこは…」

「わかった。留意しよう」


 貴族は、平民よりは魔法力が大きく強い。そのおかげで貴族と言う支配者層に居られるのだ。

 トルカナは躊躇わずに石に魔法力を注いだ。



 石から流れ出る内容を側で聞いていた家令のベルノは、男爵令嬢が室内に防音魔法を希望した本当の理由を察した。

 このような内容、うかつに流せるものではない。

 聞いている主人は、座ったままピクリとも動かない。けれどその背中からは、怒りのオーラが溢れ出ている。

 真正面に座るご令嬢は威圧されて、可哀そうに涙目のまま動けないでいた。

 大量の魔獣討伐であったとしても、辺境伯はこれほどの威圧は滅多に出さない。


「旦那様」


 音声が終わったと同時に、ベルノは主人の背中を軽く叩いた。


「ご令嬢が御可哀そうですよ」


 トルカナがはっとして威圧を消し去る。そしてクルニの様子に眉尻を下げた。


「済まない、怖がらせてしまったな」


 クルニは呼吸を繰り返して、何とか頷いた。


「クルニ嬢は、私の味方と思って良いのだろうか?」

「あ、は、はい! 勿論です! 私が今ここに居られるのは、コンネル様とリオリーヌ様のおかげですもの!」


 死んだって、裏切ったりしません… と、確かめるような呟きに、トルカナは軽く笑みを浮かべていた。


「では、作戦会議と行こう」

「え」

「え?」


 クルニと共に、ベルノも驚いた。

 その表情に、反対にトルカナが笑った。


「今現在、帝都で私が信用できるのは、この部屋にいる者だけだ。それに、クルニ嬢には、君が信用に値する、確実な協力者がいるな?」


 とん、と指さすのは封筒の裏書だ。

 コナリ商会がどれほどのものかは知らないが、協力者として危険な橋を渡っているらしいと知れる。


「はい。出来るなら…この先困るようなことになったら、皆も助けて下さい」

「解った。まずそこの詳細から聞こう。…ベルノ、軽食を出してくれ。それと、遅くなるだろうから、クルニ嬢に部屋の用意を」

「では、少々お待ちくださいませ」

「その間にメドロアに至急の文を書くから、信頼できる奴を走らせてくれ」

「ゴーリーがおりますので、用意させておきます」

「…そうそう、男爵に建て替えて頂いた代金を、早急にお支払いするように。勿論、遅れてしまった分上乗せだ。我が家から渡ったと分からぬようにな」

「そちらも直ぐに手配いたします」


 ベルノが笑うと、クルニもほっとしたように笑い返した。


「それから」


 声のトーンを一つ下げて、トルカナが悪い顔をした。


「リオリーヌは、周囲には亡くなった事にしたまま通す。勿論、この家の者たちにも、な」


 その表情に、二人は口を引き結んで、大きく頷いた。







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