見えない表情
どこまでも澄み切った炸裂音、顔面に炸裂したパイのクリームが宙に舞って、総額ウン十万(下手すりゃもっと)はするであろうスーツも飛び散ったクリームまみれになる。
静寂が満ちていく、火照った顔を夏の風が撫でる。
……………………………………………………………………………………えっ? 俺、今を何した?
「「「……」」」
誰も言葉を発せない。日本有数の企業のトップがパイ投げを喰らってしまったのである。
しかも、どこの御曹司でもないただの一般人に。
やっちまった……詰め寄る幹久さんに対して、自分でもほぼ無意識でパイ投げをしてしまった。
えと……ここからどうする? 静寂が解けて会場がザワめき始めた。不味い、こっからなんとかしないと。冷や汗が背中を流れる。すると、スピーカーから会場に似合わないチープな音楽が流れはじめた。
「はーい。皆様、ドッキリでしたー。プププ……面白すぎだわっ」
「お母さん。マイク、入ってますよ」
不意にマイクが入る。舞台に落ち着いたグリーンのパーティードレスを着た葉香さんがあがって来る。
後ろにはドッキリの看板を掲げた咲月ちゃんも着いていた。そして、こちらを見てパチンとウインクをして、会場に今の出来事がお爺さんからのドッキリだと会場に伝え始めた。
お爺さんも椅子から立ち上がり、幹久さんに歩み寄り懐から手ぬぐいを取り出して顔を拭いてあげる。静まり帰っていた会場の空気が弛緩し拍手が起きる。
「幹久。すまんかったなぁ、寂しい思いをさせてしまった」
「……私は、納得できません。父さんはまだ働けます」
クリームを拭った幹久さんは父親の手をとる。
「おうとも、しかし、お前ならばワシよりも新しい時代にこの『龍造寺』を進めることができる。自信を持ちなさい。ワシの息子が何をおびえることがある。ワシも葉香もおるではないか、困った時は皆が力になる。恐れることはないのだ。全ては変わるが、変わらんものもある。それが家族というものじゃ」
「私は……」
つま先立ちで幹久さんの顔を拭くお爺さんに対し、幹久さんは表情を崩さない。
手拭いを受け取って、前髪をかき上げる。そして、こちらへ向かってきた。
「日下部君」
「はい」
「この私にこんな真似をしたことは水に流そう。無礼な発言もだ」
「……大人の余裕ってやつですか?」
一瞬剥がれた鉄面皮はすでに被り直されていた。やっぱりこの人のこと慣れないな。それが生き様なのかトップに立つ人間の矜持なのかわからないが、玲次にしたことといい信用はできない。
「さてね。……私を止めるのは姉さんだと思っていたよ。負けることはわかっていた。もしくは日葵ならば、私を追放するくらいはするだろうと……それが、まさか私の地位を盤石にしてくるとは予想外だった。君の案かね?」
舞台上でマイクを握る葉香さんがチラリとこちらを見る。そして意地悪そうに笑って、前に向き直る。
「いいえ、この計画は全部日葵の考えです。俺は細かい所を手伝っただけです」
「そうか……義兄さんに伝えてくれ、今度、美味しい中華にでも招待すると」
「直接言えばいいでしょう……まぁ、言っておきます」
この期に及んでこの場所に来ないあたり、あの人も徹底してるんだよなぁ。
幹久さんはポンと俺の肩を叩き、そのまま玲次の前まで歩く。
「君にはすまないことをした。無論、約束は違えない」
玲次は眼鏡をかけ直して、幹久を正面から見据えた。
その玲次の顔を見て幹久は鉄面皮のまま、感情の見えない笑みを顔に張り付ける。
「その件ですが、結構です。そこの男によって父と僕は『青柳』を抜けることになりました」
「驚いた……その割には力のある瞳をしている。先日とは大違いだ。それにしても日下部君。君も酷いことをする」
「……」
うん、言い返せない。だけどなんだろう、この人には言われたくないな。
「その代わりと言っては何ですが、近い将来、僕が新しい事業を立ち上げた時に話を聞いていただきたい」
玲次はすでに将来を見ているようだ。
「フム……なるほど、今の君ならば益のある話ができそうだ。了解した、後で秘書に言っておこう」
そう言って、幹久さんはクリームで汚れた髪をかき上げ、背中を向けた。
「お前抜け目が無いな」
「他人事のように言ううじゃないか錬。言っておくが、こうなった原因の一つはお前だぞ。当然、手伝ってもらう」
「いいじゃん、共同経営とかやってみようぜ。樹も一緒にさ」
「無理に決まってんっだろ」
なにやらせようとしてんだ。
「叔父さん!」
舞台を降りようとする背中に日葵が呼びかける。満面の笑みで楽しそうに。
「また、遊ぼうねっ!」
「……」
振り向かず、幹久は背中越しに手を振った。その表情は見えないそれが残念だった。
だって……絶対変な顔をしているに決まっているのだから。
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