赤い王子と絶望の海
笑顔で走り寄る錬と、表情を凍らせる樹。数時間前まで遡る。
高級ホテルの一室にて、赤井 錬は半裸でベッドに横になっていた。
日葵を見つけようと意気揚々と街を散々探し回ったが見つけることはできず、しまいには女性に逆ナンされてしまい。体力よりも精神力が枯渇してしまう始末。疲れ切ってしまった錬はホテルに撤退し、泥の様に眠っていたのだ。
「もう朝か……結局卜部には会えなかったな」
目を擦りながらシャワーを浴びて、身だしなみを整える。
錬が泊っている部屋の朝食はホテルのレストランで食べるか、部屋まで運んでもらうこともできる。やや迷ったが、錬はレストランに行くことにした。
早朝であったが先客がいた。玲次だ。空色の無地のシャツを几帳面に着こなし、前にはパンとコーヒーを置いていた。
「おっす、意外だな。朝食は部屋で食べるもんかと思ってた」
「今日は仕事なんだ。どうせ出るなら、外で食べた方が効率がいい」
「わざわざ九州まで来て仕事かよ。まぁ、俺も似たようなことはあるけどさ。そんなら、今日は俺だけで卜部を探せるな」
玲次のパンを一つ掴み取り同じテーブルに座る。ジロリと睨みつけられるが、お構いなしにスタッフを呼んでアイスコーヒーとスープを注文した。玲次はため息をついて、スマフォを取り出す。何かを確認しているようだ。しばらく咀嚼音のみが二人の間を流れる、ふいに玲次が口を開いた。
「……昨日、卜部に会った」
「ブフォ!」
盛大に咽る錬。アイスコーヒーで無理やりにパンを流し込んで玲次に詰め寄る。
「汚いぞ」
「んなことどうでもいいだろ。卜部に会ったのか? どこで? お前、変なことしてないよな?」
「……場所はどこでもいい、問題は男と一緒にいたことだ」
依然として玲次はスマフォに視線を落としており無表情だ。否、無表情に見えるだけで長い付き合いの錬には、玲次がそう装っているだけだとわかった。
男ってのは道明みたいな奴じゃないな。
そう直観し、その先を考える。卜部はこの街で男と一緒にいた。
それは俺達と同じ彼女を狙って訪れている御曹司達の一人ではない、少なくとも玲次をこんな表情にするような相手だったということ。
「やっぱ、彼氏……なのか? どんな奴だ?」
椅子に座り直し、天井を見上げる。考えないようにしてたが、ライバルである玲次から聞かされてしまっては直視せざるを得ない。普段は楽観的な錬ではあったが、今回ばかりは流石にショックだった。
「気に入らない奴だったよ。僕はあいつを認めない」
「認めないって、それは卜部が決めることだろうが……まぁ、俺も飲み込めるわけじゃねぇけどよ。そんなにいけ好かないのか? あの卜部がそんな適当な相手を選ぶとは思えねぇぞ」
色んな意味で卜部は規格外だ。自分で言うのもなんだが、そこいらの金持ちのボンボンを選ぶとは思えない。
玲次はコーヒーを飲み干し、上品な仕草で口元を拭う。立ち上がり、薄手のジャケットをスタッフから受け取りながら錬の横に立った。
「あの男は僕達とは決定的に違う。……君もわかるさ」
そう言って歩き出す背中に錬はもう一つ問をぶつける。
「諦めんのかよ?」
「そっちは?」
玲次から返されたのは問ではあったが、答えに等しい。
大口をあけてパンをもう一口頬張る。脳裏によぎるのは学生会室で見たヒマワリのような笑顔。
「……諦めれるわけないだろ」
我ながら、そうとう入れ込んでいることを自覚して錬は薄く笑みを浮かべた。
生まれて初めての恋は苦い味になりそうだ。
朝食を片付けた後、部屋に戻りベッドに倒れ込む。なんとなく街へ出る気分になれなかった。
もし、街でばったり卜部に出会ったら、その横に自分の知らない男がいて二人は良い雰囲気なのだ……。
「うがぁあああああああああ」
バタバタと足を動かして悶絶する。自分の中の葛藤を消化できそうにない。
なんか、運動でもしたいぜ。
そう思った錬は観光ガイドを開く。ここからそう遠くない場所に海水浴場があるらしい。
水泳は大好きだ。実家に併設しているジムやプールは足しげく通う場所であり、しかもここは九州。普段とは違う場所で思いっきり泳ぐ。なんかそれってめっちゃよくね?
ガイドには絶好の穴場スポットとある。ここなら苦手な女性も少なそうだ。
雑誌の売り文句をそのまま鵜呑みして、錬はフロントへ連絡してタクシーを手配させた。
それがいくつかの悲劇を生むとも知らず。
到着した海水浴場は確かに穴場のようだ。パッと見たところ人も少ないし、何よりも呆れるほどに綺麗な海が見える。これは泳がないと嘘だ。
「いいじゃん! よっし、ぶっ倒れるまで泳ぐぜっ!」
この胸のもやもやを海にぶつけようと、張り切って最低限の私物を突っ込んだリュックを持って進むうちに、嫌な予感がする。
「……なんか、人が増えてきたな」
送迎用のロータリーから更衣場に近づく道で急激に人が増え始めたのだ。当然、女性の姿も見え始める。
そもそも雑誌で紹介されるほどの場所が穴場であるはずもない。この海水浴場は規模こそは大きくないが、実は人気は高い。錬は人が多く訪れる時間帯よりも少し早く現地についただけだった。ちらほらと感じる女性からの視線に帰ろうかとも思うが、ここまで来て泳がずに帰るのはあまりにももったいない。
別にめちゃめちゃ女が多いってわけじゃない。さっさと着替えて、海に突撃すれば話しかけられることも無い。パッと着替えてダッシュで海に行く。
そう決めた彼が有料の更衣室から海パン姿で浜辺に出た時。
浜辺の温度が一度上がったような熱気が彼を襲った。
「きゃあああ、やっぱ、めっちゃイケメンじゃん!」
「あげなイケメン。声かけなっ! いくばいっ!」
「でしょ。絶対ヤバイって」
「あ、あの、おひとりですか? 凄く良い場所を取ったんです。良かったら私達のパラソルまで来ませんか?」
「あら、ごめんなさい。こんなお子ちゃまよりもキャンピングカーで私達と一緒に過ごさない?」
高校生くらいの女子から、妙齢の女性達が一斉に錬に詰め寄った。更衣室に入る錬を見かけた夏の猛者が獲物を見つけたのだ。男女問わず、出会いを求める者は早朝から狩りする。
普段あえて複数人の女子と交流を持つことで、女性恐怖症に対する耐性を上げていた錬だったが、目の前に狂喜乱舞する肌色はあまりに凶悪。
「え……えっと」
獅子を前にしたウサギのごとく、涙目でプルプルと震えてしまう。
あれほど目の前に見えた海が、今は遠くに見える。この女性達をかき分けて海まで行くのは無理だ。
更衣室は入り口と出口が別なので戻ることもできない。
このままでは気絶してしまいそうだ。すでに冷や汗が止まらない。
追い詰められ、プチパニックなりながらキョロキョロと退路を探す彼に信じられないモノが映る。
砂漠にオアシス。
女難に男友達。
なぜ彼がここにいるのかわからないが、頼らない手はなかった。
というわけで、偶然日葵達を待っていた樹に向かってわざと大声を張って走りだした。
樹から見れば、笑顔で走り寄って来る映像であったが、その実は……。
女性達を牽制しつつ、なんとか体裁を保とうとする引きつった笑みであったということを、樹は知らない。
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ハイファンタジーでも連載しています。よかった読んでいただけたら……(文字数100万字から目を逸らしつつ)嬉しいですっ!下記にリンクあります。
『奴隷に鍛えられる異世界』
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