青い王子と不確かな自分
高校生には不釣り合いなはずのスーツ。初めは服に着られるように感じたが、今はすっかりと馴染んでしまった。
任された仕事は十全にこなせている。……期待に応えられているはずだ。
豪邸の敷地内にある離れ。玲次は疲れた体を引きずるように、その扉を開ける。
「ただいま」
「おかえりなさい坊ちゃん。お父様が母屋に来るようにと伝言を残されています」
その言葉に眉を動かす。離れから見えるあの洋風の屋敷に呼ばれるのは、月に一回のはずであり、今日はその日ではなかったはずだ。
「わかった。風呂の準備だけ頼む」
「かしこまりました」
初老の使用人が、軽く礼をして奥に引っ込む。玲次は眼鏡をかけ直し、襟を正した。
その足取りは重々しく玲次は母屋へ向かう。
中に入り、母屋の使用人に上着を渡す。父の書斎の前で足を揃え、三度ノック、きっち五秒後に返答があった。
「入れ」
「失礼します」
ワイシャツにベストを着て、髪型をきっちりと整えた自分の父親が鋭くこちらを向く。
「急に呼び出してすまなかったな」
「……いえ。用件はなんでしょうか?」
「なに、いくつか話があってな。まず、任せた仕事は順調のようだな、きっちり目標まで業績を上げれそうだ」
「当然のことです」
目標など達成して当たりまえ、それ以上の結果を出して初めて認められる。
幼少期から玲次はそうして、この家で必死に自分の存在を証明してきた。
「もちろんだ。ところで――」
言葉が遮るように、背後からノックの音が聞こえる。
父が返答するより前に、不躾に扉が開かれる。入ってきたのは美しいと形容できる、やや濃い目の化粧をした女性だった。
「入るわ。あら、いたのね」
「お久しぶりです。お母様」
氷のような声音の言葉が喉から絞り出される。自分とは違う栗色の髪の毛をかき上げて、その女性は玲次を見た。その視線は到底我が子に向けられるものではない。
「そう呼ばれると、寒気がするわね」
明らかな侮蔑の言葉。玲次が何かを言う前に、父親が静かに発言する。
「やめなさい。用事はなんだ?」
「えぇ、実家から『リスト』が送られてきたの。しっかりとした『血筋』の子よ」
玲次に見せつけるように、写真付きのリストがめくられる。学業の成績、血統書、性格傾向と様々な個人情報が羅列されている。良く読み込めば、その下に億単位の金額が書かれていることを玲次は知っていた。
「趣味が悪いぞ……下がりなさい」
「フフ、そうね。あぁ、そういえばこの前買ったピアノが調子悪いから、買い替えたわ。やっぱり、ブランド物じゃなくちゃダメね。音が良くても、気品が無いのよ」
見せつけるようにリストを机に置いて、香水の匂いを振りまきながら玲次が母と呼んだ女性は部屋を後にした。
「お母様は僕が来たことを知って、わざわざ来たようですね」
「……お前が気にすることじゃない」
「そのリストの誰よりも、僕の方が優秀です」
そうでなければ、自分の代わりにリストの誰かがこの家に来るのだろう。『血統』が伴わない自分は、結果を示すしかない。
「気にするなと言ったはずだ。そうだ、もう一つ話がある。『龍造寺』の名前は聞いたことがあるか?」
玲次は微かに頷く。ごく最近、手に入れたいと思った人物の実家だ。父親は玲次を見て資料を差し出した。
「近々、龍造寺グループは、アジア地域でのエネルギー関連の企業を買収し勢力を拡大すると見られている。今度、本社がある九州でその関連の催しがあってな。うちとしても関係を強固にしておきたい。噂によれば、普段めったに表に出てこない龍造寺グループの会長の孫娘が、今年は参加するらしい」
「……お父様はその孫娘について何か知っているのですか?」
喉が渇く。学園は卜部が龍造寺の血縁であることを知っていた。もし父親が日葵のことを知っていたのなら、学生会に引き入れながらも、逃してしまったことが気づかれている。
自分の失態がバレてしまう。
「いいや、不自然なほどに情報が無い。会長の長女は時折、社交の場に出てきたらしいが……結婚した話すらないな。何か知っているのか?」
「……いいえ」
まさか、その孫娘が同じ学園に通っていて、しかも自分が代表である学生会の失態の尻ぬぐいをさせていたとは言えるわけがない。
「そうか、任せた仕事は順調なようだし。代わりを派遣しておく。少し羽を伸ばすつもりで言って来ればいい。龍造寺会長が現れるタイミングでは私も行くが、前後の催しはお前に任せる。無論、できるだけコネは作って置け、エネルギー関係の企業は使い勝手がいいからな」
「わかりました。龍造寺の孫娘は必ず手中に収めます」
「……そこまで言うつもりはない。玲次」
「はい」
「……いや、なんでもない。下がれ」
「失礼します」
椅子を回し、窓を見る父親の表情は見えない。
書斎の机には、伏せられた写真立てがある。玲次はその写真立てを横目に見ながら、母屋を後にして離れへ戻り、ソファーに体を投げ出した。
「フン、これで手に入れざるを得なくなったな。……卜部」
スマフォを起動させて、パスワードを入力する。フォトのアプリを起動させて画面に映したのは、学生会室でPCに向かっている日葵の姿だった。そのまま玲次は使用人が起こしにくるまでスマフォを胸において泥の様に寝ているのだった。
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