第三部 エピローグ
本来であれば、一ヶ月の旅程で組んでいたサイ・ダート共和国への慰安旅行(本来の目的は、情報収集だったが)。
予定は未定とは、よく言ったものだ。
一週間とちょっと。という、短期間の旅行になってしまった。
「はぁ……」
ウシロロ・ダート共和国の、小高い丘の宿屋。そのベランダから、欄干に頬杖を突きながら風景を見る。
一人と一匹が居なくなって、随分と広くなったという訳では無いけれど。赤髪の友人と自分での二部屋は、それなりに広さを感じてしまう。
ここ最近のルビーは、何故かやたらとベタベタとくっついてくる。
鬱陶しいと言えば、そうなのだが……
アイーニャが居なくなったのが、それなりに応えているのだと、大目に見ている。
かく言う自分も、やはり寂しかった。
もう、夜中に寝床に侵入してくるマーコもいないし。温かい、アイーニャお手製の料理も食べられない。
何故、アイーニャとマーコは同時にいなくなったのか。アイーニャのしなければいけない事とは、一体何なのか。
全てが同時多発的に動いていて、時はそれを一つ一つ解決する為の暇を、与えてはくれないのだ。
「はぁ……」
溜め息が、癖になっている自覚はある。やめなければ……
そして、今日の予定を思い出す。
ウシロロ・ダート公立図書館に行き、ナーサ・ミ=ショーオに事の顛末を話さなければいけないのだった。
ルビーに一応の予定を伝えておくべきか、と考え。椅子に掛かっている皮のベストを着用する。
「おーい、ゾンビー。いるかー?」
隣の部屋の扉をノックして、反応を待つ。
「ヤアヤア、アルルさん。どうです? 中に入って、一杯など。アハハー」
扉を開けた赤髪の吸血姫ゾンビは、手に酒瓶を持っている。
こっちに帰って来てからというもの、ルビーはお酒を毎日の様に飲んでいた。
そして、ちょくちょくと晩酌を勧められるのだ。
「いや、昼間だし……それに、オレは飲めないだろ。歳的に……」
「アハー、でも元の世界の時には大人でしょうヨー。お酒で、一日の色々な事を洗い流していたんじゃないんですカー?」
酒に酔わないはずのルビーだったが、実に絡み酒の雰囲気を発して、面倒くさい。
ん……? 普段も変わらず絡んでくる……か?
「肉体的には十五歳なんだ。飲むのは違反だぞ。まぁいいや、ええと……これから図書館に行ってくる。ナーサさんに呼ばれてるんだ」
「チェー、じゃあ一人で飲んだくれてやりますワー。フンだ、けちんぼアルル。ベー」
舌を出して扉を閉めるルビー。ベタベタとくっつく他に、最近は幼児化も進んでいる。
誰の金で飲んでるんだ……と、言いそうになったが止めておく。
吸血鬼だしゾンビだしで、食費は酒のみ。代謝もないらしく、洗濯物も出ない。
「はぁ……」
また、溜め息をついてしまった。
取り敢えず、図書館に行くか……
……
…
ウシロロ・ダート公立図書館。
久々に嗅ぐ古い本の、なんとも言えないカビ臭さは健在だ。
慣れてくると、香ばしいと言えなくもないのが不思議ではある。
「どうも、ナーサさーん! いますかー?」
誰も居ない図書館の、そのカウンター越しに声を張って呼ぶ。
すると、奥から何かを倒した音や、ばさばさと紙が落ちる音がする。
一旦の静寂。
ばん、と何かを投げる音がして、ナーサが出てきた。
諦めたな……
「おはよう御座います、ナーサさん。来ました」
「やぁアルル、すまない。我を忘れるとそこら中に、どんどん物を積んでしまってね……はは」
「結果、出れなくなると?」
「そうそう、そうなんだ。なんとも……君に指摘されると、なんだが面映いね」
ナーサは長い黒髪のポニーテールを翻し、大きな丸眼鏡の奥で、恥ずかしそうに歯に噛んだ。
「それで……その、話を伺いたいって事ですが」
「ああ、そうそう。一応の報告は、カツの方から聞かされているんだけどね。直に君に会いたかったんだ、すまない」
「あー、いえ。その……こちらこそ、すみません。ナーサさんの母校、でしたよね? その……」
「うん、立ち話もなんだから、あっちで話すとしよう」
ナーサに促され、図書館の中庭に移動する事となった。
学院の破壊や、あの双子や、学長の事を色々考えたら気が重くなる。
カツさんが何処まで話したかも、分からないしな……
中庭に設置された長椅子に、二人で腰を掛けた。
噴水が、ちょろちょろと水を循環させ、青々と繁る何かしらの植物が、吹き抜けからの陽の光を反射させて、全てで生命力を体現している。
外では、夏場で蒸した石畳がもうもうと陽炎を産んでいるが、ここではそんな事は無く。
清涼感に包まれて、避暑的にはものすごい穴場でもあるのだ。
「さて、と……」
ナーサは座ると襟を正し、まっすぐにこちらを見た。
「アルル……アルル=エルセフォイ。君に深く、この度の事をお詫びする」
座ったままだが、深く頭を下げたナーサ。
「え? ナーサさん……そんな」
「僕の母校の事はいいんだ。なるべくして成った……そう捉えているよ。それよりも、君に預けた手紙……あれが、事態を進めてしまった。と、報告を聞いて僕なりに分析したんだ」
ナーサはすっと目線をまっすぐに、こちらを見据える。
「僕の考え足らずで、君にはすごく辛い思いをさせてしまった」
「え、いや。その……え?」
手紙が原因なのだろうか……
あの手紙の内容は、確かに見てはいなかったが。どんなに酷い事が書かれていたとしても、あそこまでになるだろうか。
急な、ナーサの謝罪に戸惑ってしまう。
「ナーサさん……ボクの事を慮って言ってくれるのは、ありがたい……です。カツさんも……でも」
でも、自分で選んで校舎を破壊したし。そして、自分の手で人を殺した。
それは、どうする事もできない事実で。そして、それをどう払拭するべきかの方法論は持っていない。
周りに、気を使われない様に振る舞って来た。が、限界に近い気がしている。
自分が進めば進むほど、被害が増えていく。
そんな恐怖の夢を、最近は殊更に夢で見る。
うなされて目覚めると、そこには誰もいない……
今はもう、ぼんやりとしか思い出せないが、彼女に会いたくて堪らなくなってしまう。
けれども、それも叶わないのだ。
「ナーサさん……ボクは、人を殺しました。もしかしたら気付いてないだけで、今までも……」
「アルル……」
「ちゃんとしなくては、いけないんです」
そう言った瞬間に、ナーサは瞳にぐっと力を入れてこちらに向き直った。
そして、一呼吸。
そして最初の言葉を選ぶ様に、ゆっくりと。
ゆっくりと、口を開く。
「罰せられたい……と、いう事かな?」
静かに優しく紡いだ言葉。それを受けて、自分なりに間を持たて首肯した。
「……はい」
ナーサはふぅむと腕を組み、うなだれる様に押し黙る。
それから、二度見、三度見。はぁと、嘆息をして続けた。
「君は、なんというか。ふむむ……」
それでも言葉を選ぶのだろう。ナーサの瞳は、少し潤っている様に見受けられる。
「なんというか、参ったな。ーー僕が謝って、それでちゃんちゃんとはならないかい?」
「ちゃんちゃん? いえ、そんな……ナーサさんが謝る事ない、ですよ」
「そうか、うぅん。じゃあ、一つ……答えてくれないかな?」
「……? はい、なんでしょう?」
「君は……いや、止めておこう」
「ん?」
「その代わりに、僕に君を抱きしめさせるんだ!」
「え? 何を言ってるんです?」
本当に、何を言っているのか分からない。
「抱きしめさ・せ・ろぉぉ」
無理矢理に抱きしめられた。
何故だ……
「君のその倫理感は正直、僕にはあまり理解できない……」
ナーサの鼓動が直に伝わる。前もこの様な状態になったなと、思い出される。
「ここに生きる人々は、少なからず死を身近に生活をしているんだ。ーー外を歩けば、魔獣や獣に殺される。天災で日出れば、作物はすぐに駄目になって餓死もする。お金がなくなれば、隣の家の財産を奪って人を殺す。どんな生きてく為の行動にも、死があるのが当たり前なんだ。子供でも知っている、普通の事なんだよ?」
頭に回すナーサの腕は、優しかったが。言葉は自分の内側に、容赦なく入り込んでくる。
「もちろん、人が死ねば悲しいし、ちゃんと死を悼む。なるべく争わないで済む様、法律もある。ーーだけどね……誰がいつ死んでも、それは有り得る事なんだ。そういう世界なんだよ……」
それは……その通りだ。元の世界の事を思い出す。理不尽な事は、山ほど起きていた。
世界中で……
「君の、その倫理観は……まるで。まるで、誰も死なない世界の考えの様に感じてしまうんだ。そんな世界は、無いんだよ。何処にも……」
誰も死なない世界の考え。
じわりと、その言葉は心臓を鷲掴みにする。
確かに……そんな世界は知らない。オレも知らない……
なのになんでこんなにうちのめされるのか……
ナーサは優しくも、淡々と喋っている。
「オレ……ボクは勘違いをしてるんでしょうか?」
「ふふ……それすらも、僕には答えられない。見つけるのは君だからね」
「ああ、そうか……」
自分はまた重要な回答を人に、ナーサに委ねていたのかと知る。
「迷えばいいよ、少年。僕だっていつも迷って、迷って……どうにか生きてる」
「はい……」
抱きつきは終わって、ようやく解放された。
「ああ、でも……友人として。君の話を聞く事はできる……話してみなよ、ふふ」
「ナーサさん、ありがとう御座います」
ぽつりぽつりと、自分の中で整理しながら話していく。
人に話す意味は、無いのだと知りながら。
それでもナーサが敢えて、自分に整理する時間を与えてくれてるのだと分かるから。
自分のために、整えてみる……
敢えて。
水上都市カラットは、言われた通りすごく綺麗な場所だった事。
アイーニャと猫との仲が悪くなった事。
そして、とある双子の女の子に出会った事。
一人は口が悪く、出会って早々罵倒されまくった。もう一人は、そんな姉に振り回されつつも、自分を持ったしっかり者で、ルビーとすぐに打ち解けた事。
学長に会った時の印象は最悪である事。
姉の方とアイーニャは、相性が最悪で……
自分もあまり得意ではなかった。
でも、何かを頑張って目指していて、志が高くて。
なんだろう、話がまとまらない。
父親とはうまく行ってなかった印象で……
でも、普通の……
頑張って、愛されたかっただけの、普通の女の子だったんじゃないか。
境遇を受け入れて、ただただ頑張っていて。
あの双子のきらきらとした瞳が、ふと浮かぶ。
ああそうか……きっと、良い子達だったんだ。
何処にでもいる。
普通の……
目の奥が熱くなっていた。
あの双子は、報われた事があるのだろうか。
頑張って頑張って、ただ父親に、愛されたかっただけなのかもしれないし。
あるいは、他の誰かに。
認めて貰えたり。
そんな普通の……
すでに涙は、頬を伝ってこぼれ落ちていた。
最初は、まさか自分のだとは思わない。
ナーサに手拭いを渡されて、気付く。
あの子達の境遇がなんであれ、あの双子は……
自分よりも、この世界で頑張って生きていた。
自らが出来る事を見極めて、頑張って努力して、試行錯誤して。
真面目に生きていたのだ。
オレはどうだろうか。
ワケが分からず、分からないまま、流されて、それで良いとどっかで思ってて。
気付けば人のせいにしてる。
一層、涙が止まらない。
ナーサが優しく、肩に手を掛けてくる。
「ナーサさん……だ、大丈夫……です」
なんとか、それだけが声に出せた。
そうか……ここも現実なんだ。
そう思った。
もうここは、知らない何処かの、よく分からない世界ではなく。
自分の現実の一つなのだ。
人は生きているし、自分も生きている。
ルビーもアイーニャもマーコも……みんな生きてて、それぞれで頑張っている。
現実なんだ。
「アルル……君は」
「あ、はは……すみません。何となく分かりました……何となくですが」
ずずっと鼻を啜り、精一杯に何とか口角を上げる。
ナーサはそれを見て、むむむと唸って腕を組む。
「アルル……やっぱり、さっき聞くのをやめた問いをしていいかな?」
「え? あ、はい。全然……」
ずずっとまた啜る。
ナーサは真っ直ぐにこちらを見て、幾分の間を持たせ口を開く。
「君は……君は、これからどう生きるんだい?」
「え……オレ、は。……ま、真面目に、生きようと思います」
静まり帰る中庭。
噴水に流れる水の音が、さらさらと聞こえてくる。
「ぷふっ! あっーーはっはっはっはっはぁー」
ナーサは盛大に吹き出して、大いに笑った。
何がそんなに彼女のツボに入ったのか、全然分からない。
「え……あのー」
「あっはっは、いや。ご、ごめん、ごめん! その、ははっ。いや、実に君らしくていいなと思ってさ。大笑いしちゃったよ、ごめん本当に」
「いえ……別に」
涙は幾分乾いた様で、瞼がぺりぺりとする。
「ふふ、いいね。ーー真面目に生きるっ。あはっ」
きりっと顔を作るナーサ。これは絶対に、イジる時のヤツだ。
「くっ……」
「可愛いなぁ、アルルは。もう、ちゅーさせてくれないか?」
「ふ、ふざけないで下さい、ナーサさん」
「いや、真面目真面目ー」
くぅぅ、やっぱりこの人……
このままでは新たにおもちゃにされると思い、帰る事にする。
ごめんごめんと彼女は言って、見送ると申し出た。
そのまま図書館の入り口まで、二人で歩く。
「それじゃあね、アルル。これは……極秘なんだけど、さ。結構今回の事件は大事でね。もしかしたら、連邦全土を巻き込んだ戦争になるかもしれないんだ。正味な話ね……」
「ナーサさん……え?」
戦争……まさか。
「だからさ、アルル。君にはこの連邦を離れた方がいいと、忠告をしようと思ってたんだ」
「え、どういう……」
「君はやらなくてはいけない事があるんだろう? 戦争になったとしても、それは君には関係ない。だからさ……この連邦を出た方が良い。そうだな……ここより東南の方に、ファフ・ア・ニール聖王国という所があって……」
「ちょ、ちょっと待って下さいナーサさん!」
話の行方が、どうにも掴めない。
と、去り際の言葉に混乱している後ろから声が掛かる。
「おーい、アルル! アルルー!」
「アルルー! ちょっと〜」
カツミカの夫妻が、慌てた感じの声色で自分を呼ばわるのだ。
「え? カツさん、ミカさん……どうしたんです?」
「ど、どうしたじゃなくて、はっは……」
「アルル〜、大変! 大変なの〜」
カツミカは一様に、息切れしている。
「ど、どうしたんです?」
「これっ……これ見てっ!」
ミカが手紙を差し出す。
それにはこう書かれていた。
◆
アルルとばかゾンビに告ぐ
お前らのアイーニャは預かったにゃ
アイーニャの命が欲しかったら
指定の場所までくるといいにゃ
イヤウア・ダートの外れにある
古びた教会で待つにゃ
来ない場合はアイーニャは殺す
エリス・エリリスより
全体的に書き慣れていないのか、微妙に文末がどうしても『にゃ』に見えてしまう。
が、これは明らかに誘拐の手紙。
「これって……」
「アルル、アイーが危ないぞっ!」
「そうだよアルル! アイーが危ないったら、危ないのよ〜!」
助けないとぉと、見事にハモる夫妻。
心臓が早鐘の様に鳴った。
アイーニャ……どうして、なんで……
上を見ると、ウシロロの空に珍しく曇天が立ち込めている。
ナーサがぽつりと呟いた。今日は荒れるね、と……




