第三部 3章 有限である事…… 003
かろうじて発したであろう、人としての言葉。
アルルとルビーの顔は、苦しく歪む。それは、肉体的な痛みなどでは無く、もっと精神的なものを抉ったのだ。
「ゾンビ……こ、これは、何かの冗談、だよな……?」
アルルは混乱から、押さえ付けていた手を離し後ずさった。
「アハ、ハ……そうなら、いいです、ネ」
ルビーは顔を伏せて、表情に影が入る。押さえつける大きな鉤爪はそのままだ。
ここで二つ頭は、再びルビーの手の中で身じろぎ暴れた。
赤髪の吸血姫ゾンビは、力を入れて押さえ込む。
「ギョォ、ろォォッジィーーデェエ“エ“エ“ーーーーー!」
二つ頭は絶叫する。それは、人のものなのか、異形の化け物としてのものなのか。
もはや、聞き取れる範囲ではなかった。
「おい、ゾンビ……止めよう。もう、帰ろう。明日になったら……み、みんなで、ウシロロに帰ろう」
アルルは自分で何を言っているのか、混乱の最中で分かっていない。
ただ、この場から逃げ出して……
「み、みんな……?」
言葉が出てこない。アイーニャもマーコも、何故か居なくなったのだ。
思い出が流れ込む。アイーニャにマーコ、フレイに罵倒された数々に、フレアの困った顔。ルビーの戯けた表情も。
ーー彼女の顔は……?
「アルルさん、逃げて……どうなるんでス? このままだと、誰か……誰か死にますヨ、大勢。ーーそれで……それでいいの、アルル?」
ルビーの問いに、はっとする小さな英雄。心がまた軋む。
「そ、そんな……ゾン」
と、そこで目の端を捉えたのが、アルルもルビーもすっかり存在を忘れて、認知の外に追いやっていた学長だ。
学長は、ルビーが二つ頭の腕を切り落とした時に、同時に地面に転がった青の剣を拾ったのだろう。
それを構えて、ルビー目掛け刺突の態勢で駆けていた。
「貴様らぁぁぁぁぁっ!」
もはや全身鱗だらけの男は、加速の世界から見れば明らかにノロマではあったが。
アルルは混乱して、見ていなかったし。ルビーは、二つ頭を磔にしている為に動けない。
「……っ!」
混乱した頭もそうだが、戦闘において初心者であるアルルは。どちらかと言えば、危機に陥っている方を反射で助けてしまう。
身体能力に明かして、さっさと学長を倒せば済むのに関わらず。その選択肢が、考えに入る事はないのだ。
だから、その脚力と膂力で以って、ルビーを二つ頭から引き剥がし、取り敢えずの危機を回避する。
「アルルさん!?」
急に引き剥がされるルビーは、困惑を声に出すが。その後の、二つ頭に突っ込む学長を見て、素早く現状を理解。
アルルの無茶苦茶な引き剥がしは、大きく距離をあける事になるのだが、やむを得ないと判断する。
「ご、ごめんゾンビ……急に」
アルルは、ルビーの腹にしがみついたまま謝った。
「アルルさん……うん、いいよ。助けてくれたんだ……アハ」
張り詰めた心は、少し回復したのか。ルビーは体勢を直し、学長と二つ頭を見据える。
「なんたる腑抜け! お前らはどこまでも使えない……このっこのっ」
学長は持っている剣で、二度三度と二つ頭を刺した。
「あんな! あんな奴らぁぁぁにぃぃっ! どいつもこいつも!」
学長はそこで、力ある言葉を発する。
「『融解合成』」
学長と二つ頭は、みるみると溶けて融合していく。
錬金術の基本は、融解と合成と抽出である。それらを繰り返して、万物の心理に到達する事を目的とした学問が錬金術でもあるのだが。
学長は、融解と合成のみに絞った価値観で、その魔法を行使するのだ。
二つ頭と白髪の男は一瞬で溶けて、そして融合していく。
英雄と向き合った者は、少なからず力の上限を超えてしまう。
意図に反して。
アルルに敵意を持つ者は、余計にバッドステータスの余波で、奇跡を起こしてしまうのだ。
本来であれば、召喚される事の無い破壊神。本来であれば、成功するはずの無い錬金術。本来であれば、人の身で到達し得ない超加速。
憎悪は増幅され、悪意はさらに巨大に。
小さな英雄を中心に、負の連鎖は加速していく。
誰もこの因果には抗えない。
溶けて融合した異形は、三つの頭に、太い腕が左右に二本。枝分かれした細い腕が二本、胴体と思われる所で何かしらの印を結んでいる。
足はヘドロのように境目は無くなって、宙に浮いていた。
三つの頭の中央には、男型の顔が。左右には、似た顔の女型が並ぶ。
そして、三つの頭の目玉は赤黒く光って、アルルとルビーを睥睨する様に見開いている。
アルルには、現在の状況を説明する事は、到底叶わないだろう。
「な……なんだよ、あれ……」
「アルルさん……どうしますか? ワタシはね、フレイちゃんとフレアちゃんを……アレから解放してあげたいんですヨ」
ルビーにとっては、新しく形を成した異形などどうでもいいのだった。
表情からは、ただただ怒りの感情しか浮かんでいない。
「解放……?」
「エエ、殺すんです。アレを……」
「ころ、す……」
アルルは、その意味を自身の心の裡で反芻する。
ーー殺す……コロス。
アルルは、判断が下せない。
三つ頭は再び、赤と青の剣を太い腕で持って、咆哮をあげて言葉を発した。
「こ、こ、殺してやるっーーーー!」
音が割れている様な、複数の音が重なる咆哮だった。否、慟哭なのかも知れない。
そして三つ頭は、加速の世界に入る。
宙に浮いたままのその体で、地を蹴る動作は無いが。残像を残し、アルル達へ瞬間で肉薄していく。
二対の剣は、炎と氷の属性を重ねて付与された様で、一段と赤と青の輝きを増していた。
時はぐっと引き伸ばされて、全てが遅く感じる。そんな間隙。
迫り来る赤の剣を視認して、ぎりぎりで下に躱すアルル。ルビーは、霧になって三つ頭の背後へ回る。
それを予期していたかの様に、胴体は反転して青の剣で斬りかかった。
ルビーは背後に回って、体を元に戻そうとする途中。
青の剣を視界に捉えて、途中で止めて霧に戻り剣の間合いの外に出る。
アルルは素手のまま、どうするのか考えた挙句。やはり決心はつかず、距離を取ってルビー側に飛んだ。
げんを担いで、持って来なかった長剣だが。事、ここに至ると、ただただ無意味だった。
「ハァッ!」
ルビーは気合いと共に手の鉤爪で、三つ頭への反撃に出る。
アルルはそれを見て、反射的にルビーに突っ込んでいた。
今度は、助けるという行為では無く。明確に、邪魔をする為の行為だ。
「ちょっ、アルルさん!?」
二人は錐揉み状態で、さらに三つ頭から遠ざかる。
「ダメ、だよ。殺せない……人は、殺せないって……」
「じゃあ、どうするんだっ! ワタシは見てられない、あの二人をこれ以上、見てられないんですヨ……」
ルビーはアルルに、厳しく問い詰める。
「ほっといても、あの二人が元に戻る保証はナイ。ほっといたら、アレはきっと、もっと酷い事をこの国で引き起こすかも知れナイ。どうするんでス、アルルさん……ワタシに教えて下さいヨッ! アルル!」
「うっ……」
言葉に詰まるアルルに、それを反論できる根拠は何一つとして無い。
アルルの心臓は、またずきんと痛む。
人を殺して、被害を最小にするのか。
知人だからと見逃して、その他の被害には目を瞑り。ウシロロに帰って、また普段通りに生活するのか。
答えは、出ている。
ルビーに言われた時から、答えは出ているのだ。
しかし、怖い。
たかだか何日かの触れ合いではあったが、確かにそこに居たのだから。
フレイとフレアは、確かに生々しくアルルの前に存在したのだ。
それをどうして殺せるというのか。
しかし、このまま逃げられたら、他の誰かが傷つくかもしれない。
その二律背反が、アルルの心を執拗に掻きむしる。
「アルルさん……今はまだ、向こうもこっちを殺す気だからいいけど。もし、アレが逃げの一手を打った時。アルルさんは、アレに追いつけますカ?」
「……っ!?」
早さで言えば、まだ余裕はある。しかし三つ頭が、あの早さで空中へと逃げる事だけに集中したら。
アルルは、拳を握る。
「……分かった。倒すしか……ないん、だよな」
「アルルさん……」
小さな英雄と、赤髪の吸血姫ゾンビは三つ頭を見据えて、立ち上がった。




