第三部 2章 恐怖! 国立魔法剣術学院 009
開け放した窓から、緩く風が流れてレースのカーテンが揺らめく。
日向ぼっこをしている猫のマーコは、窓の欄干で小さく丸くなったままで、短い体毛が微かに揺れる。
そして、鳥の囀りがその風に乗って、寝息を立てる小さな英雄にまで、そのささやかな歌を届けた。
ふと目を覚ましたアルルは、ベッドから身を起こし、ぼやけた視界で部屋を見回す。
「あふぁ……」
「アルル様、おはようございますぅ」
アイーニャはベッドの少し先、リビングの壁際のソファーに座り洗濯物を畳む。そして、その手を止めてアルルに挨拶をする。
「アハー、起きましたかアルルさん」
ルビーは、そのリビング中央にあるテーブルで、透明のコップに注がれた葡萄酒を飲みながら、にかっと笑ってその特徴的な八重歯を覗かせた。
種族固有の縛りで眠れないルビーは、基本暇な時は酒を飲んで時間を潰すのだ。
だがそれも、毒に耐性があるゾンビは酔う事は無い。
アルルは、何時も不思議に思っていたから「酒を飲む意味があるのか?」と、聞いてみた事がある。が、雰囲気で酔えるんだとルビーは言ったので、そっかと返してそれきりだ。
「あぁ、おはよう……」
アルルは、さて今日はどうしようかと考えながら。ベッドの下から、自身の靴を出して履いた。
と、その時。
玄関の扉が荒々しく開かれ、顔を真っ赤にしたフレイ・イーベンゲェルが、なんの躊躇もなく飛び込んで来たのだ。
「ちょっと、アルル! 今、何時だと思ってるのっ! このアンポンタン! 朝の八時って、約束したじゃないバカ!」
寝起きの脳みそに、その良く通る声は凶器だとアルルは思った。目が霞む。
ーー誰も、ドアを閉めなかったのか……
一瞬の眩みを経て、声の元凶に目を向ける。
するとアイーニャが包丁を片手に(昨日、ルビーと一緒に食材ついでに買った物だ)、フレイの眼前に突きつけている光景を目の当たりにした。
「え、アイーニャ……?」
いつ包丁を出したのか。なんで包丁を突きつけているのか。それは、急にノックも無く突入してくるフレイもだが、現状の光景は寝起きの頭では追いつかない。
「ちょっと、何よこの子。物騒な物突きつけるじゃない」
「お姉ちゃーん。流石に知り合いだからって、急に入った、ら……え?」
後から姉の愚行を嗜めつつ、入って来たフレイの双子の妹。フレア・イーベンゲェルも、その光景に思わず言葉を止める。
「アハー、なんだか楽しそうですネー」
からからと笑い、気にせず葡萄酒を煽るルビー。いや、お前もどうにかしろよとアルルは思ったが、一旦落ち着く必要を感じた為。
「あ、アイーニャ……取り敢えず、この人達は大丈夫だから。ね? 包丁は人に向けるもんじゃないよ、魚とか肉とか野菜とか。ね? だから……」
まずは、アイーニャに包丁を納めて貰おうと、包丁の存在意義を引き合いに出してみるアルル。
「はぁい、アルル様ぁ……」
包丁の存在意義を、アルルがアイーニャに説得できたかは置いておくとしても、アイーニャは素直に、その矛を収めた。
手の中で器用にくるくると回し、腰の後ろに装備した二対の鞘の片方に、その包丁を素早く戻す。
アルルはぎょっとした。
アイーニャの腰の後ろに、ばってんの様に交差して装備された二対の鞘。そこに収まっている、二対の包丁に。
「え? アイーニャそれ……」
昨日の時点では、アルルは全く気が付いていなかった。
基本、正面でしか話をしなかったからだろう。
「あ、えへへぇ。昨日ルビー様に買って貰っちゃいましたぁ。中々の業物みたいなんですぅ」
「アハー、アイーの為に奮発しちゃいましたヨー」
「え、ゾンビお金持ってたの!?」
「アハー、まぁねー。アハハー、毎夜毎夜アルルさんの財布から、少しずつへそくりしてた甲斐がありましたヨー」
「ちょっと、待てお前っ」
アルルが、ルビーをジト目で睨む。が……
「ちょっとあんた達っ、私らほっぽって楽しそうにするんじゃないわよっーー!」
フレイが何故か叫んで、ルビーのへそくりの話は中断されてしまう。
ーー楽しそう、とは……?
猫のマーコはずっと我関せずで、耳だけをひょこひょこと動かしていた。
……
…
「アルル、あんた達の目的は何?」
少し落ち着いて、リビングのテーブルに腰を掛けたと思ったら、フレイはそう切り出した。
「も、目的って……歴史の勉強、と。観光……ですかね」
「何よ歴史の勉強って。観光は分かるけど……もう、ズバリ言うけど。あんたが只者じゃない事位、わかってるんだからね」
フレイは、すっと人差し指を、テーブル挟んで立っているアルルに向けた。
「た、只者じゃないって……」
指差しをして身を乗り出すフレイに、若干後ずさるアルル。妹のフレアが言葉を補強する。
「すみませんアルルさん。昨日の決闘での事を言ってるんです、お姉ちゃんは。ーーかなりの修練を積んでいる事、封印指定のナーサ様と知り合いな事。それらを含めて只者じゃないと、私達は感じているんです」
「と、言われてもなぁ……」
アルルは困惑する。
「ズバリ言いなさいよ、アルル! なんの任務を負っているのっ? あんた、連邦の監査部に所属してるんでしょ! お見通しよっ」
ーーに、任務って何!? 監査部?
アルルは自問自答するが答えは無い。目を泳がせて、ルビーに視線を合わせる。
「アハー」
ルビーは笑いつつ、両手をひらひらと振って分からないの意を示す。
「うっ……アイーニャ」ーーに、振ってもダメか。
アイーニャは、フレイを睨みつける様に見ていて、アルルを見ていない。
「こら、アルル! こっちを見なさい!」
「いや、その……多分、何かを勘違いしてるんじゃないですかねー」
それしか言える事はなかった。
「へぇ……あくまで、しらを切るつもりね」
ーーしらを切るも、何もなぁ。何を言ってるんだろう、この子ほんとに。
額に汗を一筋流して、アルルは空笑いをしてしまう。
「ふん……いいわ。昨日はお父様の手前、大人しくしてたけど。これから、あんたの秘密を暴くために付き纏ってやるんだから! いいこと、アルル」
フレイは席を勢いよく立って、アルルにまた人差し指を向ける。
ーーなんだそれっ! と、アルルは内心で突っ込む。もはや、二の句も告げない。
「お、お姉ちゃん、言い方っ! 言い方悪いよっ」
フレアは、勢いよく立った姉の肩を掴んで、フォローのため言葉を続けた。
「ええと、すみません。姉は感情で喋るので、なんか言い方がアレになってしまって。その……包み隠さず言うとですね。ーー知っていると思いますが、私達は魔法剣士見習いの身でありまして。日々、魔法や剣術の技能向上を目指している所なんです。それで……アルルさんの強さを垣間見てですね。是非、ご教示いただけないか。と、いうのが一つ。それから……これは非常に言い難いのですが、夏休みで暇な部分もありまして、その。ははは……」
フレアはここで一呼吸の間を取った。そして……
「アルルさんの雰囲気、醸し出す雰囲気が……非常に、そのー。面白そうなんですっ! 何かが、起こりそうでワクワクするんです!」
嬉々とした表情で、フレアはそう言い放ったのだ。隣のフレイは、そこまで言う必要ないじゃないと言って、何をかぶつぶつと言っている。
アルルは、フレイのヤバさを身を持って知った気でいたが、やはり双子の片割れもそれなりにヤバい奴なのではと思った。
「アハハハー、いいね君達〜。アハー、いいよいいよその着眼点。アハハー」
黙って酒を飲んでいたルビーが、急に口を挟む。
アルルは嫌な予感がして。
「おい、ゾンビ。やめろ……」
「アハー、いいじゃないですかアルルさん。愉快な仲間が増えるのはネー、アハハー」
「くっ、このお気楽ゾンビめ」
苦虫を噛み潰すような顔になるアルル。
「ゾンビー! ゾンビってなんですか? この方はもしかして、ゾンビなのですか!」
アルルはしまったと思いフレアを見る。
理知的で大人しいと思っていたが、年相応に興味を引くものに胸を踊らしている様だ。
「フレアは意外と、そういうの好きなのよねぇ。スケルトンとか……まぁ変な子なのよ。でも……喋るゾンビって、見た事も聞いた事も無いわよフレア」
「お姉ちゃん……分かってるよ。でもきっと、ルビーさんはそんなのをあだ名に付けられているぐらいなんだから、きっと。ーーネクロマンサーとかって知ってますか?」
「アハー、なるほど。その単語は、フッフッフ。何千何万というワタシの蔵書に、それこそ数えきれない程、出てきましたヨー、アハハー」
ここでもはや、アルルは会話に入っていなかった。
少し離れて遠巻きに、双子とルビーを視界に入れる。
そして思った事が、口から零れてしまう。
「思春期の少女の好奇心と妄想力って……すごいな」




