2章 「生ける屍」003
金の髪に碧眼、細身のエルフは少年とゾンビに訝しむ目線を向けつつ、軽く咳払いをした。
「ハロック=エルセフォイの名は聞き及んではいる。アルゼリア公国の重鎮。霊威を鎮める誉ある役職の者だな……。しかし、その子供が屍を連れていると?」
「あ……、まぁ僕はその血縁関係があるわけではなく拾われた子供です。このゾンビは見た目はこうですが一応人間です」
「一応人間?……何を言っているのだ?」
エルフはさらに訝しむ目線を強める。
――それはそうだよなぁ。アルルはどう説明したものか、頬をぽりぽりと掻いて思案する。が、しかし。
「エルフ来たぁぁぁ。異世界の醍醐味デスネー。いいデスネー。生エルフを拝める日が来るとは……ヨヨヨ」
急にテンションを上げて喋りだしたリヴィンは、くぅっと涙ぐんでいるような仕草をした。
「なんっ!?……ぞ、ゾンビが。しゃ……喋った……?」
エルフの端正な顔が崩れて、口をぱくぱくしている。
「そのー……まぁビックリしますよね。僕も最初は驚きました。でも人に害をなすようなゾンビではないので気にしないでいいと思います」
「ヘッヘッヘ」
ゾンビはエルフにピースをした。エルフは固まっている。どうしたものかと思案しているのかもしれない。
「とりあえず、本当に危害を加えるつもりはなくて。ただただ迷ってしまっただけなんです。なのでスーリヤ・ナンまでの方角とかを教えて貰えればすぐにこの森から出ますので」
「な……なるほど。わかった。我々エルフの国は今は戦時中で余裕があまり無いのだ。方角さえ教えれば、すぐに立ち去るというのであればそれに越した事はない」
取り敢えず危険はなさそうだと判断したのか、さっそく街の方角を説明しようとするエルフ。
もしくは面倒くさそうなので、早めに何処かに行って欲しいのかもしれなかった。
そんな中、突然と。
羽虫が飛ぶ時のような耳障りな音が沸き起こった。その音を聞くやエルフははたっと周辺を見やり、強張った表情で警戒態勢の姿勢を取る。
アルルとリヴィンは、きょろきょろと辺りを見回す。
「くっ……油断した。まさか……。ハッ!油断を誘うために!?」
エルフは、アルルとリヴィンを見る。きょろきょろと見回している少年とゾンビを。
緊張感の欠片もない、間抜けそうな雰囲気を感じ取り、考えた疑惑を胸の奥へとしまった。
そして、警戒態勢を戦闘態勢へ移行させる。
耳障りな音は大きくなり、その原因と思われるモノが現れる。
空中に。
2m以上はある体は黒々としていて、顔は海老のような蝉のような、良く分からない造形をしていて、両の目がぐりぐりと絶えず動いている。
そして後ろには、その巨体を支えるに相応しい大きさの虫の羽に酷似したものが、今だ耳障りな音を立ててぶんぶんと鳴り響く。
「――下級悪魔。この距離になるまで気が付かないとは……くそっ。いいかお前ら。死にたくなければ今すぐ逃げろ。どこでもいい。死にたくなければな」
「え……なんかヤバい感じなんですか?」
いいから逃げろとエルフが口にするより早く、下級悪魔と呼ばれた黒いそれは高速で飛翔し12歳の少年。アルル=エルセフォイに向かっていった。
ぎん。と鈍い音がした。
刹那の間にエルフはしまったと思う。一番弱そうな奴を嗅ぎ分けて狙ったこともそうだし、緊張感の無いアルルとリヴィンにあてられて、緩んでしまった自分自身に。
「こいつは何なんですか?急に攻撃してきて」
アルルは腰のロングソードを鞘から出し切らず、出ている刀身の部分でレッサーデーモンの鋭い爪を受けている。12歳の少年が2mはある巨体。あの目にも止まらない速さの突進を。
何という事は無いと、涼しげな顔で受け止めていた。
「アルルさん、なんか普通に敵みたいなんで倒しちゃえばいいと思いマスヨー」
「え、そうかな。いいのかな」
なんとも緊張感が薄い反応のアルル達は、そんな会話をしている。レッサーデーモンはその会話を悠長に聞いてる訳ではなく、ピクリとも動けない様だった。
見るとアルルは、いつの間にか左手でレッサーデーモンの首元を締め上げていた。
「アルルさんやっちゃえばイイヨー」
「いや、うーん。……まぁなんか害虫っぽいからいいか」
エルフはただただ目を瞬いた。少年はロングソードで素早く害虫と呼ばわったモノを切り捨て。いったい何回斬ったのか。エルフは、口をあんぐりと開ける。
そしてレッサーデーモンだったものは、力なくその場に崩れ落ちた。ばらばらに。
「アルルさんやりマスネー。剣なんかどこで覚えたんデス?」
「おじいさんに手ほどきを。まぁ剣士の初級くらいらしいけど。剣はあんまり好きになれなくて全然覚えなかったな」
「イイナー。ワタシも装備できたらゾンビ剣士として強くなれますカネー」
「いや、知らないよ」
目の前の光景が今だ信じられず、エルフは阿呆みたいに、口をぱくぱくさせて、アルル達を見ているだけであった。
エルフが驚愕に包まれているのも束の間、三体の下級悪魔がまたもや耳障りな音と共に空から現れる。本来ならばこの羽音は下級悪魔の威嚇行動の一種で低レベルの者には恐慌状態(怖気づいて戦意が無くなる。)に陥れる効果がある。あるがアルルには、まったくと言っていいほど効き目はなかった。それはリヴィンにしても同様である。
エルフは哨戒の任務の為、その手の精神攻撃に多少の防壁を施していたので、すぐさまパニックという事は無いにしろ、下級悪魔との単騎での戦闘はかなりきつい。いや、エルフ3人でやっと倒せるかどうか。
魔族というのは生きとし生ける者にとっては、そういう存在なのだ。生産性が何も無い。故に破壊と殺戮にだけ特化した存在――それが魔族。
エルフの額に汗が滲む。恐怖と憎悪が混じり、歯噛みする。
――我々が戦争を仕掛けられている憎き国敵。
アルルは飛ぶ。
自身の遥か上にいる敵の所まで一瞬で詰め寄った。
下段から上段。
一刀のもと切り裂く。
返す刀でもう一体。
すでに二体がそれぞれ半分ずつになっている。
若干離れていた最後の一体はエルフに瞬時に狙いを変えた。
この少年よりは弱いであろうエルフに。
アルルは滞空中で流石に間に合わない。
巨体が進んでくる。
ーー死ぬ。それだけが頭をよぎるエルフ。
が、リヴィンが割って入った。
割って入りつつ下級悪魔に右手の平手打ちを放つ。
どれ程の威力なのか。
下級悪魔は左方向に飛ばされ地面にめり込んだ。
それをリヴィンは止めを指す為、飛ぶ。
ただただ拳を、地面にめり込んだ下級悪魔に目掛けて振り下ろす。
破壊と殺戮に特化したはずの魔族はもう動かなくなった。
アルルとリヴィンは強かった。
それも途方もない位に。
――この方たちが我々の救世主だったのか。……滅びに瀕した我がエル・フィーエル妖精国の。魔族に滅ぼされる寸前の我が国の。
エルフは膝をついて、生きている自分と大きな希望に出会えた幸運を自らの王。妖精王シルフィ、吹き荒ぶ元型に感謝をして蹲った。
「リヴィンって強いんだねー」
アルルは剣を鞘に納めて言った。素早く二体を倒したが、その後のフォロー。
――エルフが狙われて死ぬ事などまったく考えず。今もまた周囲の警戒すらせずに。のんきにそんな事を言う。
「イヤー、アルルさん程ではないデスヨー。70差があるんですカラー」
リヴィンもまた、のんきにそんな事を言うのであった。四体で敵は終わりだとそんな証拠は何処にも無いのに。偶然にもこれで取り敢えずは敵は居なくなった様であるものの、それはたまたまの偶然に過ぎなかっただろう。
「そういえば気になったんだけど。ゾンビにしてはリヴィンって頑丈すぎない?――ゾンビってそういうもの?」
「アア、これはスキルの念動力のお陰デスネー。念動力という奴デース」
「あ、そういえばなんか言ってたね。ここは超能力もありなのか……何というか」
「ワタシ達の世界のと違って離れた物を動かす力では無いみたいですガネー。主に体の強化、補強。といった用途デース。バリアみたいなものですカネー」
「へぇ……だから見た目よりずっと頑丈なんだリヴィンって」
「ちなみに今声がだせるのもこの念動力の応用デース」
「えっ!そうなの?」
「ハーイ。ゾンビなもんで声帯や舌、肺などの呼吸器系。その他筋肉がボロボロですカラー。本来ウーとかアーとかグルグルとしか発音できない所を全部この力の応用。それでなんとか言葉にしてますヨー」
「……そうなんだ。思ったよりも大変な事をしてたんだね」
「これはこれで習得するのに時間が掛かりまシタ―。常に力を使って微細なコントロールが必要なのデー」
「……なるほど。オレはおじいさんに火の魔法と風の魔法を教わった位だなー。……大変だったのは」
「エッ。アルルさん魔法使えたんですか!?」
「一応ね。旅するなら必須の魔法らしいから覚えたんだけど。……加減が難しくてそれを覚えるのに苦労したよ。火力が大きすぎるっておじいさんに何回も怒られてさ。一々火事を起こしながら旅をする気かって」
アルルは遠くを見るような目で、思い出す。ふふっと笑ってそう言った。
「ほう……さすが。いわゆるまた何かやっちゃいました的なヤツでスカ―?フッフッフ――さすアルデース」
リヴィンは顎に手をやって何故か得意そうな。得意そうに見える仕草でニヤニヤした。
「……なんか。何だろう。――腹が立つなぁ」
そんな他愛もない会話の隙間に、今まで膝をついて何かをぶつぶつといっていたエルフは二人の前に出た。そして、深々とお辞儀をして改まる。
「あなた方の強さを見込んでお願いしたい事があります。聞いてもらえないでしょうか」
さらに深々とお辞儀をするエルフ。
12歳の少年アルルと、結構頑丈なゾンビのリヴィンは顔を見合わせた。
エルフが言うにこの大森林。エルフの国、エル・フィーエル妖精国は魔族との戦争の真っ只中だという事だった。しかも魔族に対抗できる程の力はあまりないらしい妖精国は滅亡の危機に瀕している、という事だ。
エルフは元来自然と共に生きる種族である。主に森の保守、保全。自然界に根付いた生活様式。独自の宗教などもあるが、どれも自然との融和を目的としたものがほとんどだ。
その恩恵として風と草木から加護を受けて、エルフは種族としてとても長命なのである。
その分戦闘の面ではあまり特化した所は無い種族なのだが。長命な事を生かした知識量はどの種族にも負けはしない。
「……うーん」
アルルは悩んでいた。エルフは会った時の態度とは別人かの様に畏まって、ひたすらお辞儀をして懇願しているのだった。
――助けてくれと言われても戦争を手伝うって……こと?オレ一人。――あ、リヴィンもか。二人で戦争を手伝ってどうにかなるのか?それにそんな事をしてる場合なのかな。知らない人の知らない国の知らない戦争。……あの害虫みたいのを倒せばいいのか?まさか人とか出てこないよな……。魔族ってなんだよ。ほんと子供の時にやったゲームみたいだ。それがさらにいまいち切迫してる感じに聞こえないんだよなぁ。自分の事にしてもそうだ……。ほんと……何やってんだろうオレ。
深い思考のループにアルルが陥ってると、リヴィンが口を開いた。
「アルルさん、いいんじゃありませんカー?取り敢えず話だけでも聞きにその妖精国とやらに行ってみテモ―」
「……な、なんでそう思うの?街に行っての情報集めは?」
「ウーン。それなんですが……多分行っても特に為になる情報は得られないと思いますヨー」
「えっ?……な、なぜ?」
「だって普通の街ですモン。それよりはエルフ。エルフと言えば長生きが通説ですし、国にまでなってるならその歴史に触れるだけでも、そっちの方が有益な情報の可能性は高い。そうワタシのマニアな部分が反応してますヨー」
「……うーん」
――リヴィンのマニアな部分はよく分からないけれども、それなりに納得する所はある……のか?
「もし我々にご助力を頂けるのであれば、できうる限りの報酬はお支払い致します。何卒……何卒お力添えをお願い申し上げます」
また深々とお辞儀をするエルフ。
どっちに転んでも現状では正否の判断はつかないと腹を括ったアルルはエルフのお願いを聞く事にした。話だけですよと、一応言い含めてはいたが。
半ばヤケっぱちではある。
謎にるんるんと肩を揺らしているリヴィンを横目に、アルルは一路。エルフの国、エル・フィーエル妖精国に向かう運びになった。
英雄には戦争がつきものだ。それはやはりアルルの天与賜物。
亡国の英雄。
その影響はきっと。
否、大いに。
免れない因果として、確かにそこに存在する。