第四部 3章 夢のオワリ 001
3章 夢のオワリ
降りしきる雨。
流れる血。
雨音は遠くに聞こえる。
そう錯覚してしまう程、この場所には雑音という雑音が、消えてしまっていた。
いや、アルルがそう感じているだけなのだ。
小さな英雄は、遅くで動くカツサムを目で追っている。
「……」
何故か、言葉は出なかった。
倒れたミカを抱き上げるカツサム。力が入っていない最愛の者の体は、ぐったりとして。しっかりと抱き止めるのが、酷く難しい。
そして、はっきりと体温が失われていく様を、カツサムはずぶ濡れのまま、同じくずぶ濡れのミカに感じてしまう。
「おい……ミカ、なぁ。おい……ミカー、お、い……」
雨で滑り、だらりとミカの腕が地面につく。
そこかしこに、血が流れ続け。雨水が、それをどんどんと遠くへ広げていくのだ。
「ミカ、おい……冗談は止めろって、なぁ……」
カツサムの震える声。
「カ……ツ、くん……ごほっ」
ミカは、必死に絞り出した言葉と鮮血を吐き出す。
カツサムとミカの眼前に立つノイは、血で染まった腕を振って、血を落とした。
「先輩〜、いや〜。ようやく、私は人間を辞めれるっス。長かったっすよ〜、あっはっは〜」
ノイは笑っていない目と、通常通りの話し方でカツサムに視線を向ける。
「ノイ……お前、何を言って……」
誰もが、あまりの展開に言葉が出ない。
そして、皆が動けずにいる中。ノイは、つかつかと歩き出して、水妖魔の所まで移動するのだ。
馬面の大きな妖魔は、易々とノイが隣に並ぶのを許し。あまつさえ、首を垂れて背の低い赤髪の女に、ゆっくりと傅いた。
「あぁ、忘れてた。私は、魔王・闇より出でる者様の腹心が一人。死した月光、ノイジーっス。あははっ、知ってたっすか〜」
どうして名乗るのか。一同は時が止まった様に、女を見ている。
「あっはっは〜、皆さんそんなに呆気に取られる事っすかね〜? ほら、即死させなかったのだから、ミカさんの最後を看取る方がいいんじゃないっすか〜。ねっ、人間て、そういうの好きっすよね」
軽口の部類ではあるだろう。魔族なりの。
ここでルビーが、身を翻しカツサムの元へ駆けつける。
アルルも行こうと、一瞬動くが。横たわるアイーニャを、目の端に捉えて止まった。
小さな英雄は、自身の中に渦巻く。よく分からない感情が、吹き出しそうなのを感じている。
「ミカ……ミカぁ、おいぃ……」
「カ、ツ……君。ありがと……お、料理。作ってくれて……洗濯物も、ミカが……家事が得意じゃ、ないからっ、ごふっ!」
「おい、ミカー! いい、いいんだ。そんなの……」
「ごめん、ね……もう、ダメ……みたい。寝る、時は……毛布、は。お腹にかけてっ、ね……」
死した月光ノイジーは、やれやれと言わんばかりに、両手をあげた。
そうして、顔が割れる。
言葉通りに、ノイジーの顔が半分に割れたのだ。そこから、全身に渡ってその裂け目は広がり。
まるで、人間の皮でも脱ぎ捨てる様に、内側から何かが出てくる。
「ごめ、ん……ね。カツ、く、ん。生まれ、変わっても……また、会い、たいな……」
「おい、やめろってぇ! そんな事言うなよ、頼むから……おいぃ」
「あり、がと……す、ごく、好き……だよ、カ……ッ」
「おい、ミカぁー! ダメだ、やめろ……やめろってぇ、ミカぁぁぁ……あ“ぁ」
ミカは静かに瞳を閉じる。
それに合わせ、カツサムが握っていたミカの手は、殊更に力を失い。カツサムの手から、零れ落ちてしまう。
雨は未だに、止む気配を見せず。カツサム・イトゥヌを、非情に打ち付ける。
それは、アルル達にも同じ事だった。
連邦捜査官のノイ・ジーだった皮から出てきたモノは、また人型だ。
人型のノイ・ジーなのだった。
視界の悪い状況で、目の錯覚かと思える程に、黒光りしたドレスを纏った、赤髪の童顔女。
黒いドレスを纏っただけの、元連邦捜査官のノイ・ジーなのだ。
「うわっ、長い事人間の皮を被ってたからな〜。なんか、定着しちゃった!? まじっすか〜、えぇ〜。なんか、口癖も戻らないしな〜」
魔王の腹心のノイジーは、水妖魔に指先一つで命令をして。水球を眼前に浮かせて、鏡のように使って自身の容姿を確かめている。
頬を摘んでみたり、口を開けてみたりしていた。
「まぁいっか〜。さて……じゃあ、私はこれで行くっス〜」
至極、軽い調子で。ノイジーは、指先を高く上げた。
「じゃあ、皆さん。主に呼ばれたので、これで〜。ちなみにハーロ・ダートに帰るっス。ははっ、多分魔王様は、アルルさんに来て欲しいみたいなんで、一応。来る理由を作ってみたっス」
ノイジーは、もう片方の手を口元にあて。投げキッスの仕草で、その指先をミカに送る。
と、そこでアルルは地面を激しく蹴って、馬面とノイジーに特攻をかけた。
しかし、振り上げた拳が届く前に、水妖魔が作ったと思しき水流の障壁に邪魔をされる。
「なっ!?」
それは丁度、突っ込む形のアルルを下から押し上げる様に、上へと吹っ飛ばす。
「おおっと〜、危ないっすね。ははっ、良かった良かった、水障壁を命じといて。さて、取り敢えず皆さんは、コイツの相手でもしてて下さいよ」
ずっと上げ続けていた指先を、勢いよく振って、前に出す。
「強制現界」
ノイジーの力ある言葉に伴い、周囲が赤く光る。そして、何かが光の中から出てくるのだ。
それは、姿形は人間の女性のそれだったが。皮膚が透明で透けていて、体越しに後ろの背景が屈折して見える。
まるで、人型の袋に水をたっぷりと詰めた様な有様で。不可思議な紋様が、服の役目と言わんばかりに、大事な所を隠して体中に描かれていた。
ある種の神秘さすら、醸し出している。
『^ー^ー^ー^ー^ー^ー^』
およそ聞き取れはしない。言葉かどうかも怪しい、そんな音を。その、人型の水袋は口から発した。
「じゃあ、待ってるっすよ〜。アルルさ〜ん〜」
ノイジーは、それだけを言って空間に消えていく。黒いドレスを纏った、朗らかな赤髪の女は。明らかな敵を二体残し、闇へと消えてしまった。
上へ吹っ飛ばされたアルルは、体をよじって。なんとか、四つん這いで着地する。
しかし、その時にはもうノイジーはいない。
「くっ……くそぉっ!」
アルルはそのままの状態で、拳を地面に叩きつける。
激しく割れる石畳。
飛び散る水飛沫。
カツサムとミカが居る方向へ、不思議と視線が向かない。
否、向けないのだ。
アルルは動悸が早まる心臓を、意識的に見ないフリをして。眼前の二体の何かには、視線を送る。
浅くなっている呼吸は、毒のせいか。それとも……
「ゾンビー!」
「分かってるっ!」
珍しく怒気を孕んだ声で、ルビーは応答し。
アイーニャや、カツサム達を背にして。
小さな英雄と、赤髪の吸血姫ゾンビの二人は。立ちはだかるのだ。
魔族に呪われて、普段の数倍の力を得た水妖魔と。
同じく呪われ、強制的に現界させられた四大元型の一つ。
生命わき出ずる元型、ウンディーヌ。
それらに立ちはだかるのだ。
首都ハーヴェは、もう人の住める土地ではなくなってしまうだろう。
近くには、呪われた草原。
街全体は、ノイジーの張った結界によって、多くの魔を含む雨が大量に降っている。
それは、レベルの低い者の生命を削り、呪いを増やす為の呼び水なのだ。
狂わされた元型のウンディーヌには、住民の呪われた魂はさぞ有効に働くだろう。
そんな事になっているとは、この街全体を通して。アルル達ですら、気付かない。
そんな知識はないからだ。
だが、そんな事はお構いなしに。小さな英雄は、自身の拳を強く握る。
隣のゾンビの友人も、同じ気持ちだろう。眼前の敵を睨む。
振り続ける大量の雨は、命を育まず。命を流し、広げていく。
「すぐに、倒すぞ……」
「エエ、そうですネ……」
静かに、言葉少なな二人のやり取りだが。
そこには、青い炎の様な感情の揺らめきが、確かに見てとれた。




