第四部 2章 魔王の蠢動…… 006
「アイーニャ、どうかな? 大分、良くなった気はするんだけど」
気付けば随分長い時間、アルルは治療を受けている。
緑色の光に覆われて、実際の視覚の治り具合は試せていないが。ひりつく様な眼球の痛みは、すでに無くなっていた。
「ダメですぅ、もうちょっと続けますぅ」
疲れた様な声色ではなかったが、アルルはアイーニャの体力を心配する。
「大丈夫? 疲れてない?」
「えへへぇ、ありがとう御座いますアルル様ぁ。でも、まだまだですぅ。アルル様は普通と違って、なんかぁ……生命力が大きすぎてぇ。中々、活性ポイントが掴めないんですぅ……」
アイーニャの説明に、どういう事なのか分からないアルル。とにかく自分は、治療に適した人間ではないのだろうと、勝手に納得してしまう。
これは単純に、レベル差による仕方の無い現象だ。
回復魔法や強化魔法は、アルルの前では抵抗が働き効果がどうしても薄くなってしまう。
「少し、コツが分かりかけて来ましたぁ。えへへぇ」
「ありがとう、アイーニャ」
と、そこでアイーニャは気を失って、後ろにひっくり返ってしまった。
「えっ、アイーニャ……?」
アルルの視界は全回復とは程遠いが、しかし人物を特定できる程度には回復している。
その中で、ゆっくり倒れるアイーニャが、後頭部を床に打ち付ける寸前。
アルルは間一髪で、エルフの少女を抱き止める事が出来た。
「アイーニャ、だから無理はしないでって……言ったのに」
アイーニャに返事は無い。触った感じで、少なくない量の汗をかいているのが分かる。
急な出来事だったから、今後の話をしていたルビーやカツサム達も大慌てで。一旦、話を中断させた。
今度は一変して、アイーニャの介抱となる。
適度な毛布を下に敷いて、そこにアイーニャを寝かせるのだ。
「アハー、アルルさん。全くアナタって人はサー」
ルビーは、汗をかいて体力が消耗したアイーニャに気付く事が出来なかった。そんな自分自身に対する苛つきを、無意識にアルルにぶつけてしまう。
「うん、気付かなかった。ごめん」
しかし、素直に認めるアルルの言に、バツが悪くなり鼻白む。
「……アハー」
「まぁまぁ、これは俺ら全員の落ち度だな。ちょっと一回落ち着こう。な?」
カツサムは立ち上がり、何か飯の調達をしてくると言った。
それにミカもノイも同意し、全員分の食料の買い出しに、三人で宿屋を出て行く。
残るのは、アルルにルビーにエリス。そして、気を失って横になっているアイーニャの四人だ。
「アハー、アルルさんごめんネ」
少しして、潮らしい声色で目線を合わせず。ルビーはアルルに、言葉だけを向けた。
「ああ、いいよ……」
「にゃは、しょうがにゃいよ。このエルフときたら、アルルの事になると途端にうるさいんにゃ。まったくさ、百年も生きてにゃい小娘の分際で」
エリスは軽口の類だろう言葉で、遠回しにアルルとルビーを慰めているのかもしれないが。同時に、自身が百年以上生きている事を、仄めかしてもいる。
「アハー、エリスは百歳以上なんですネー。じゃあ、ワタシ達の中で一番のババアかもですネー。アハハー」
「にゃ!? にゃん、だと……」
ルビーのその言葉に、驚きすぎて少しフードがずれ落ち。ババア呼ばわりの驚愕で、大きく見開いた猫目が、そこから覗く。
「ははっ、確かに」
思わず、笑ってしまったアルル。
「にゃ!? アルルまで」
少しだけ、場が和む。
「アハー、ほんと。アイーは頑張り屋さんだからナー。アルルさんの為ならサー」
ルビーは、横たわるアイーニャの髪を指で整えてから、額の汗を拭く。
アルルは、若干見えるようになったその目で、アイーニャを見つめてふぅと溜め息。
「なんでだろうね、オレの為にそこまでしなくていいのに。頑張りすぎだよ」
「ハァッ!?」
「にゃっ!?」
ルビーとエリスで同時に、驚きの声を上げる。
「えっ……?」
アルルは、目が点になる勢いの二人の表情を見る。ルビーとエリスから見たアルルの顔は、かなりの間抜け面に見えた事だろう。
「アハー、なんというか。イヤハヤ……ここは流石に、サスアル過ぎてクサー。と、言っておきましょうカー」
「にゃはは……馬鹿に付ける薬はにゃいにゃぁ」
やれやれと同時に頭を振って、両手を上げる。いかにも、お手上げと言葉が続きそうだ。
「え、なんだよ。それ……えぇ。何? なんなの?」
アルルのキョトン顔は、ますます間抜けを演出した。
「う、うぅぅん……」
と、そこでアイーニャが意識を取り戻す。
「アイーニャ!」
先ほどの雰囲気は変わって、三人でアイーニャに意識を向ける。
「アイーニャ、大丈夫? ごめん、無理をさせて。あぁ、いいよそのままで! そのまま横になっててよ、アイーニャ」
無理に起きようとしたアイーニャを、手で制して再び寝かせる。
「ご、ごめんな……さい。アルル、様ぁ……」
「アハー、いいよいいよアイー。アルルさんの目、それなりには見える様になったみたいだから。今は休んでてよ、アイー」
「うん、そうだよアイーニャ。だから、ねっ?」
うろんで濡れそぼったグリーンの瞳で、アルル達を見回し。アイーニャは、微笑んだ。
「はぁい、じゃあ……お言葉に、あま……え、てぇ……」
再び意識を失う、エルフの少女。
アルルにルビーにエリスは、お互いに目を見合わせる。
そこでエリスは肩をすくめ、大丈夫そうじゃにゃいかと言った。
アルルとルビーはその言葉に、静かに頷き。ルビーはまた、アイーニャの額の汗を拭き取る。
アルルは、ルビーとエリスに手持ち無沙汰を指摘され。挙句に何故か、眠っているアイーニャの手を優しく握れと指示を出されるのだ。
なんで握らないといけないのか、釈然としなかったが。それがアイーニャにとって、一番良い事だと押し切られて、小さな英雄はエルフの少女の手を優しく握った。
これは、ここに居る誰もが、知り得ない事なのだが。
アイーニャは急速に、レベルが上がった。
レベル百のアルルの治療という行為は、それ自体でかなりの量の経験値を手に入れてしまうのだ。
それこそ、小鬼の数十匹など、比にならない程の経験値を。
このエルフの少女は得てしまう。
アイーニャ自身も、気付いてはいないが。そのレベルの上昇値は、すでに高位妖魔のエリス・エリリスをも、この時点で凌駕してしまっている程だ。
レベル百の人間の治療に、かなりの体力を持っていかれた事は、それは確かにそうなのだが。
急激にレベルが上がってしまったが故に、滋養と強壮が間に合わず。
実はアイーニャは、瀕死の状態なのである。
だがしかし、この事実にこの場に居る誰も気付いてはいない。
アルルがもし、あの時にアイーニャを抱き止めなかったら。
アイーニャはそこで、後頭部を床にぶっつけて絶命していただろう。
この事実も、誰も知らない。
知る由もないのだった。仕方がない事に……




