第四部 2章 魔王の蠢動…… 002
総勢一万匹ほどの小鬼の大群は、その多くが正気を失っていた。
魔王に、操られているからだ。
ただ進む。そして、蹂躙する。その二つの命令しか受けていない。
だからこの惨状は、最早当然の帰結と言えた。
小さな英雄は五百メートルはある棒(長剣)を、後ろに控える首都ハーヴェにぶつけないように注意して、ただ振っていただけだが。青々と茂っていた草原は、赤い海に沈んでいる。
目を焼いてしまったアルルには、この惨状はよく見えていない。
あたりが静かになるまで、それほど時間は要しなかった。
『アハー、やば……流石に。アハー、アルルさん。あらかたやっつけましター』
ルビーは剣に姿を変えつつも、現状の悲惨さには気付いている。
しかし、やりすぎたなどとは思わない。小鬼に掛ける情けは、少しも無いのだから。
だが、アルルにとってはどうだろうか。そう考えたルビーは、この草原の有り様には言及しない。
「ああ、もう大丈夫そう?」
『アハー、流石に数が多かったので北と南に多少は、ゴブリン数匹が向かってしまいましたネー』
「え!? やばいじゃん」
『アハ、なんですぐにハーヴェへ引き返しましょうカー。ワタシが先導するんで手を握って下さいナー』
そう言うと、ルビーは変化を解いてアルルの手を握る。
そして、首都ハーヴェへ向けて走り出す二人。
「ゾンビ、飛ぶ?」
「イヤー、走った方が早いかナー。距離的に近そうな北門に行きますヨー?」
「うん、任せる」
弟がお姉さんに手を引かれて、草原を走る。そんな牧歌的な絵面に見えそうなものだが、アルルは全身が血塗れだ。
赤黒く染まった草原も相まって、とてもではないが牧歌的とは言い難い。
アルルは、自身の目が治らなかったらどうしようか、一瞬考える。
「目、治るかな?」
「アハー、そればっかりはワタシも分かりませんヨー」
「だよなぁ」
まぁ、その時はその時だ。と、そう思ってアルルは、手を引かれる方向へ着いていく。
ここも牧歌的には見えない所以だが、二人の強者の走る。は、かなり早い。
一陣の風の如く、首都ハーヴェの北門に向かうのだった。
……
…
カツサムは辺りを見渡し、立ち往生している子供が、他にいないかを見て回る。
「ノイ、どうだ? いるか他に」
「いや〜、この辺は大丈夫っぽいっすね〜」
「なら、混乱している住人の避難誘導だな」
「ええ〜、二人で……っすか〜?」
小柄な赤髪の女は、明らかに不満そうに唇を尖らせた。
ノイのやる気の無い発言に、イラっとするが。カツサムも、二人だけの避難誘導には限界がある事を、認めてはいる。
「ああ、確かに。一旦、宿屋に戻るか。ミカ達に応援を頼もう」
「いいっすね〜、それ」
二人の連邦捜査官は、踵を返し。もと来た道を戻って、宿屋に向かう。
街ゆく人々は、焦って混乱している。小規模な衝突事故も問題で、早くに統制をとって速やかな避難をしなくていけない。
その思いから、カツサムもまた焦っている。
街の至る所で、悲鳴が上がって。所々で、黒い煙が立ち上っているのを視認できた。
火事にも発展しているのか、それとも。
カツサムの焦りは、ますます募るばかり。
「もしかしたら、小鬼がすでに街に入ったか……? くそっ」
逃げ惑う住人を躱しつつ、走った。
先ほどの宿屋が、眼前に見えてくる。
「おぉーい、ミカー!」
丁度宿屋から出てきていた、自身の妻を発見し声を張るカツサム。他に、アイーニャとエリスの姿も確認できる。
「ああ〜、カツ君! こっち、こっち」
大袈裟に手を振って、ミカは答えた。
「はぁ、はぁ。ミカ……っんぐ。避難誘導を手伝ってくれ。このままじゃ、怪我人ばかりが増えていく」
全速力で走ったので、息を切らしながら端的に伝える。
「カツ君、なんかアイーに起こされて、何が何やら分かんないよ〜。どうなってるの!?」
「ミカ、説明は後だ。アイーもエリスも手伝ってくれないか? 人々を広場に誘導する。特例で、連邦捜査官と名乗るのを、俺が許可する」
「はぁい、分かりましたぁ」
落ち着き払った表情で、エルフの少女は親指を突き出す。
「にゃ? アタシもかにゃ?」
「エリス、頼む。今は、一刻を争うんだ。もちろん、娘さんの救出には俺も全力を尽くす。だから、頼む」
カツサムは、エリスに頭を下げた。
「にゃ……わ、分かった。分かったから、アタシでいいにゃら別に……」
「ありがとう」
カツサムは、その場にいる四人に広場の説明と、誘導の仕方を簡潔に教えた。
方々に散って、いざ取り掛かろうとしたその時。
北と南で、火の手が上がる。全くの同時であった。
「あれは……やっぱり、小鬼か!?」
カツサムは北と南で、どっちに行くかを迷う。
小鬼が侵入しているのなら、応戦しなくては益々被害が広がっていく。
「くっ、みんな! 俺は南門に行くから、誘導を頼む! 住人の男には、連邦捜査官を名乗って、誘導の手伝いを頼むんだ」
それだけを言って、カツサムは南門に向けて走り出す。
二つ同時には行けないのだから、まずは比較的近場の南へと指針を取ったのだ。
「はぁい」
「カツ君、かっこよ〜」
「にゃ……」
「えぇ、私もそっちがいいっス」
思い思いの返答を、カツサムは聞き流しつつ走る。
南へ。
……
…
アルルとルビーが、北門に着いた時。内側で、激しい火柱が立つ。
門はかなりの力を込められて、ぶっ叩かれた跡が生々しく。見るも無惨な瓦礫と化している。
大小様々な人間ではない足跡が、点々と地面に付いている。
横たわり動かなくなっている人間の数は、数十人には達しているだろう。
「ウヘー、まずいな……」
「ゾンビ? どうなってる?」
「あ、いや。アルルさん……かなりの数に攻め込まれてますネー。数匹のゴブリンだけだと思ったけど。ワタシ達の取りこぼし以外にも、別動隊がいた?」
ルビーは、握った左手は離さずに、右手の指を顎に掛けて考える。
「ゾンビ、マズイなら考えてる暇はないよ。行こう」
「アハー、そうですね。行きましょうカー」
ルビーは、自身の懸念をひとまず仕舞い込んで、アルルの手を引いて壊された北門の中へと入って行く。
門を抜けた先は広場と、馬車用の循環できるロータリーになっている様だが。今は、破壊され尽くされている。
近くの街路樹で、二匹の小鬼を視認したルビー。逃げ遅れたのであろう、腰が抜けて立てない女に、今まさに襲い掛かろうとする所だった。
「ウアー、やばいっ!」
ルビーは、アルルの手をさらに力強く引いて、瞬間で小鬼に近づく。
アルルはそこで、地を蹴って体重をルビーに預けた。宙に浮きつつ、引っ張られる格好の小さな英雄だったが。ルビーの腕力で、一緒くたに近づいた方が遥かに効率的であっただろう。
「アルルさん、左側っ! ゴブリン!」
「分かった!」
ぼんやりとだが緑色の物体に、アルルは抜いた長剣で。宙に浮いたまま一刀のもと、素早く切り捨てた。
ルビーは、右側のもう一匹に裏拳を当てる。
頭蓋ごと、吹き飛んで。その場に、首から下が力無く転がった。
ルビーは、疾風の速さで飛び込んだのだ。その勢いのまま小鬼を倒したはいいが、腰の抜けた女にぶつからない様に、踏ん張る。
急に制動をかけたので、宙に浮いたままのアルルは放り出される。かと、思いきや。
その手をちゃんと掴んで離さないルビーは、自らの片足を起点に。その場でくるくると回って、慣性を上手く利用した。
三回、四回。コマの様に回って、ゆっくりと勢いを相殺し。繋いだアルルの体を、ゆっくりと抱き止めて、地に下ろす。
「いやぁぁぁぁぁ!?」
腰を抜かした女性は、瞬く間の出来事に混乱したまま、絶叫する。
間近の出来事であった為、小鬼の返り血を浴びてしまっていた。
この場から早く逃げ去りたいが、どうにもその血で滑って、うまく力が地面に伝わらない。
「アハー、もう大丈夫ですヨー。落ち着いて、お姉さん。アハハー」
「すみません、大丈夫でしたか? 良かった、間に合って」
アルルは、女の居る方向に顔は向けているが、顔の位置までは分からない。なので、女からしたら、目線が合わない違和感は与えただろう。
しかし、それがかえって女を冷静にさせた様で、落ち着きを取り戻しつつある。
「アハー、お姉さん。他の魔物はどっちに行ったかわかりますカー?」
ルビーはアルルの手を握ったままで、女を刺激しない声色で問う。
女は、恐る恐るとだが腕を上げてある方向を指差した。
ルビーは、示された方向へと視線を動かす。
「アハー、壊しながら中央に向かってる……?」
建物や舗装道路が破壊されていて、それが道なりに続いているのが見える。
「そんなに壊されてるの?」
「エエ、かなり。破壊が目的、の様にも見えますネー」
「とにかく追おう」
二人は手を繋いだまま、壊された足跡を追って、街の中心部へと走って行く。
所々、燃えている建物が確認できる。
「アハー、小鬼が火を使う? いや、もしかしたら……」
ルビーは、アルルの手を強く引く。
小さな英雄は、その意図を汲んで足を速めた。




