第四部 1章 猫とエルフのはぐれブルース 004
扉の先には、縄で縛られて吊るされたアイーニャを確認できた。
その真下には、頭髪から獣の耳を生やし、尾骨から長い尻尾を生やした女性が、猫を思わせる瞳で、アルルとルビーを鋭く見据えている。
「にゃはっ、やっと来たか……」
半身に体をずらし、腕をだらんと落とす。そして、猫の様に大きく裂けた口で、妖しく笑う。
「アイーニャ!」
アルルは、吊るされたエルフの少女に、声を張って呼びかける。
「無駄だにゃ、アルル。さっき気絶させたからにゃ」
「あなたは……」
不敵に笑うエリスに、困惑の色を隠せない。
「あなたは、誰なんですか? 目的はなんですか?」
アルルは、真剣に問うた。
「イヤイヤ、アルルさん……あれが、マーコですよ。猫耳生えてるじゃないですカー」
「え? あれがマーコなの!?」
そして、真剣に驚くのだ。
小さな英雄は、もう一度目の前の女性に視線を移し、声を出す。
「ま、マーコなのか?」
「マーコではにゃい! エリス・エリリス、誇り高き妖魔だ人間っ!」
アルルは今再び、自身の名付けを否定される。否、それにはまだ気付かない。
「ま、マーコではない……の?」
「イヤイヤ、マーコですってー」
「にゃから、マーコじゃにゃいっ!」
静寂が流れた。
「えぇ……え?」
アルルはルビーに視線を合わせて、眉根をひそめる。
「めんどくさっ。アルルさん、取り敢えずアイーを助けましょうヨー」
「そ、そうか。そうだな」
どう納得をすればいいのか分からないまま、アルルは腰に差した長剣を抜く。
「アハー、エリス……アイーは返してもらうヨー」
両手を鉤爪に変化させるルビー。ついでに、小規模な翼をも展開した。
「ばかゾンビ、動くにゃよ」
エリスはそう言うと、素早く飛んでアイーニャの上に飛び乗る。
肉球のついた手で、器用に縄を掴み。反対の手で、鋭い爪をアイーニャの喉元に、見せつける様に突きつけた。
「アルルも、動くにゃよ?」
ぎろりと睨みを利かす。
人質を取られたこの状況に、当然慣れてはいないアルル。くぅっと小さく呻き、剣を構えたまま動けない。
「え、エリス。君の、目的はなんだ!」
動けない代わりに、口を開く。
「アハー、不用意に動かない方が良さそうですネー」
ルビーは隣に向けて、小声で耳打ちをする。アルルは視線を動かさず、ゆっくりと頷いた。
「にゃは、目的〜? それはもう、達成してるにゃよ」
爪は喉元につけたまま、エリスは妖しく笑う。
エリスのその言葉と同時に、もう一人が現れた。
それは、教会内の奥。すでに原形が分からない位に崩れた、高祭壇付近に唐突に現れたのだ。空間をそのまま裂いて出てきたが如く、余りに不自然に。
だが、そんな事はごく当たり前の様な雰囲気を纏って、その人物は静かにアルルとルビーを睥睨する。
「まさか、お前みたいな子供に滅せられたのか……死せる太陽は」
筋骨隆々とまではいかないが、上背は盛り上がり屈強そうな体躯をしている。
相貌を見るに、四十代半ばぐらいで、歴戦の古兵の様な威厳を放つ。
そして、闇をそのまま頭から被った様な漆黒の外套を羽織り、堂々とした佇まいでそこに存在している。
「死せる……太陽」
アルルは、急に現れた人物に驚くというよりは、何かしらの既視感を感じて戸惑う。
死せる太陽というワードに、記憶を遡るが。いまいち、思い出す事はできない。
「あれ、なんだっけゾンビ。なんか、聞いた事ある様な、ない様な」
「アハー、アルルさん。ワタシもあんまり記憶薄いですが、あれじゃない? エルフの国を攻めてきてた。なんだっけ……レイン? ゲリン?」
ルビーの記憶も曖昧だった。
おおよそ強者として、死のプレッシャーから程遠い二人には、しょうがない事なのかも知れない。
「……ゲインだ。死せる太陽のゲイン。しかし、どうやらお前らで間違い無いみたいだな」
そう言った瞬間に、ぶわっと空間が歪む程の圧力が、アルルとルビーに注がれる。
明確に、敵として認定されたのだ。
エリスは未だ、アイーニャの喉元に爪を立てているが。全身が粟立ち、冷や汗が止まらない。
しかし、小さな英雄と赤髪の吸血姫ゾンビは、そんな事には委細構わず。
「「あっ、ゲインかぁ!」」
と、まるで喉の奥に刺さった小骨が、ようやく取れた時の様な晴れやかな顔で、お互いを見合った。
二人のあまりにもな緊張感の無さにエリスは、こいつら死んだにゃ。と、そう思ってしまう。
むしろ、馬鹿すぎる少年とゾンビに、逆に哀れみを込めた視線を送った。
男は漆黒の外套から腕を出して、指を広げる。
「我は魔王、闇より出でる者。愚かな全ての者に、死を……」
名乗りを上げたと同時に、広げた手に黒い粒子が集まっていく。
「にゃっ!? ま、魔王様っ?」
エリスは、目を見開いて慌てた。
何をするのかは分からないが、生存本能から激しく警告を受けている。
死という単語が頭を切迫して、全身が総毛立つ。
しかし、そんな一瞬の間隙をアルルは見逃さなかった。
緊張感はなくとも、アイーニャには注意を払っていたのだ。
アイーニャの喉元から爪が離れたのを見て、瞬時に飛び出し刹那で天井からぶら下がる縄を切断する。
ゆっくりと、時間が流れている様にエリスは感じた。
アルルはそのまま空中で、ぐるぐる巻きにされたエルフの少女をキャッチ。足場にしていた者が居なくなり、バランスを崩すエリス。
魔王は手に集中した黒い球体を、アルル達目掛け放る。それは一瞬、出鱈目に動いたかと思いきや、獲物を見つけた狼の様に、迅速に向かっていく。
アルルにアイーニャにエリスは、未だ空中だ。
避ける術は無い。
あっ死んだ。エリスがそう思うのも、やむを得ない事である。
が、しかしそうはならなかった。
三人と黒い球体の間に、颯爽と赤髪の吸血姫ゾンビが割って入ったからだ。
「アハー、こんにゃロー!」
ルビーの両手はいつの間にか、太くて大きな棒状の物に変化している。
それを、黒い球体にぶつけた。
凄まじい音が鳴り響く。
固いもの同士が、擦り合う様な音だった。
ここで、ルビーと球体の押し引きが始まる。
「ヌヌヌ、このぉっ」
球体はよく見ると、細かい粒子の集まりで。それが数万数億という数でもって、円形に回転し続けている。
人などに当たれば、ひとたまりも無いであろう。
ルビーの形状変化した棒に、亀裂が入っていく。
「グヌヌヌ、ヤー!」
が、ルビーはその球体を弾き返した。
それを作り出したであろう、魔王本人に目掛けて。
「アハー、見たか! 空中殺法ピッチャー返しっ」
にかっと笑って着地するルビー。アルルも難なく着地する。
エリスは受け身を取れずに、床に突っ伏す。
返球された球体は、魔王の眼前で綺麗に消えた。
発射した魔王自身に、消されたのだろう。
「……」
無言で佇む魔王。表情からは、何も読み取る事はできない。
アルルは、抱えるアイーニャの顔を覗く。
「アイーニャ……良かった、生きてる」
安堵の表情で、アイーニャをゆっくり床に降ろし。握力のみで、縄をちぎった。
「アハー、アルルさん、なんか良かったですヨー。あの、一瞬の隙を逃さない感ジー」
「え、そうかな? 一応、アイーニャをずっと見てて良かったよ。それよりゾンビ、ピッチャー返しってなんだよ、ふふっ」
「アハー、さすアルー。アハハー」
「にゃ、にゃんにゃんだお前ら……」
よろよろと体を起こすエリスは、アルルにルビーを交互に見遣り、それだけをやっと言葉にする。
「お前、そこの赤髪の女。貴様……名は?」
魔王は漆黒の外套を翻し、王らしい威厳さで問う。
「イヤ、断る!」
何故かルビーは、それを堂々と断った。そして、だんと床を鳴らして仁王立ちをする。
「ゾンビ……」
アルルは少し間を持たせて、ルビーに向けて言った。
「それ……名前を聞かれた後に、仲間にならないか。みたいなのを先回りして、断った」
「正解!」
ルビーはアルルに向けて、親指をぐっと立てた。
始まりと結果だけで、途中経過を推理するゲーム。それを、暇な時にやっていた成果がここで発露する。
「……」
魔王は、ただただ無言で二人を観察した。




